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大東亜戦争が残したもの

なわ・ふみひと の 「Browse 365」 
かくて歴史は始まる』逆説の国・日本の文明が地球を包む 
 渡部昇一・著 (クレスト社) より
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1304-20.html

“白人神話”を叩き潰した日本軍の活躍

 これほど根深いものであった人種差別が、第二次世界大戦によって根底から崩れて行った。
戦後、白人達は、何とか昔の状態に戻そうとしたが、既に後戻りが出来なくなっていることに、はしなくも気付かされたが、それは日本の所為であった。
 例えば、東南アジアの状況を考えてみれば、良く分る。
日本軍は敗戦とともに東南アジアから引き揚げた。イギリス、フランス、オランダなどはこの地を戦前の状態、すなわち植民地に戻すべく、そこに軍隊を送り込んだ。独立運動の高まりを抑圧するためであった。
 戦前なら、独立運動は直ちに鎮圧される筈であった。事実、コロンブスの新大陸発見以来、有色人種の白人に対する反乱は数多くあったが、皆、簡単に潰されて来た。
 しかし、日本軍が引揚げた後の東南アジアでは、そうは行かなかった。それは、何故だろうか。
日本が東南アジアに進攻し、列強の植民地を占拠した時が、日本軍最強の時期であった。
この時の零戦は、撃墜不可能の戦闘機と言っても良かった。
零戦はイギリスやアメリカやオランダなどの戦闘機を圧倒的な力で叩き落した。これに対して、日本軍の損害はゼロに近かった。(当時、零と格闘するな、姿を見たら直ぐ逃げて良い、という指示があったという)
 また、海上に於いても、日本軍はまことに強力であった。七つの海を制したイギリスの艦隊も、日本の敵ではなかった。イギリス東洋艦隊の旗艦プリンス・オブ・ウェールズやレパルスも、為す術もなく海の底に沈んでしまった。(マレー沖海戦) 
オランダやアメリカの艦隊も同様であった。(スラバヤ沖・バタビヤ沖海戦) 
ところが、日本の軍艦は一向に沈まない。
 この圧勝を目の当りにした時、東南アジアの人達は、自分達が従来持っていた白人に対する概念が音を立てて崩れて行くのを実感したのである。しかも、パレンバン(スマトラ島)やメナド(セレベス島)の攻略において、日本軍は落下傘部隊まで使った。
 紺碧の空から白いものが降って来る。それが実は人間であると知った現地の人達は、神様が降って来たとは思わないまでも、そんなことが出来るのは白人以外にはないと思ったに違いない。
 ところが、降りて来たのは自分達と同じ顔の日本人であった。しかも、その日本兵達が、忽ち現地の白人を一掃してしまったのだから、天地が引繰り返る思いであったろう。

インディアンの誇りを奪った白人の残虐

 日本を除く世界中の有色人種達は、教百年に亘って「白人に対しては絶対に手を上げてはいけない」ということを親達から教え込まれていた。それは、一種の本能になっていた観があるほどだった。
 勿論、有色人種が白人に対して反乱を起したことは過去に何度もある。最も有名な例はアメリカ・インディアン達の勇敢な抵抗であり、これは西部劇でも知られているとおりである。
 ところが、白人達は自分達の仲間が殺されると、徹底的にインディアンのその部族に報復した。
さすがにこれは西部劇では描かれることは少ないが、相手のインディアンの部族を、男ばかりか女・子供まで、全て虐殺したことも稀ではなかった。
 戦場に於いて白人を一人殺したばっかりに、部族全員を虐殺されては敵わない。それで、絶対に白人に手を出してはいけないということがインディアン達の不文律になった。
30年も経たぬ内に、西部劇に出て来るような反抗するインディアンはいなくなったのである。
あれほど颯爽たるインディアン達も、白人の圧倒的な力の前に、皆、腑抜け同然になってしまった。白人にとっては絶対に安全な存在になった訳である。
 これと同じようなことが、東南アジアでも何百年にも亘って行なわれて来たのである。
既に白人に対して抵抗しようと考える者は誰もおらず、それこそ、白人と目を合せることすら憚られるようになっていた。
 そこにやって来たのが、自分達と同じ顔をした日本人であった。先祖代々、何百年間も「絶対に手を上げてはいけない」と言われた白人を武力で一掃し、捕虜にし、土木工事などにこき使ったりした。
 恐らく当時の日本人のことであるから、働きの悪い白人捕虜の尻を蹴飛ばしたり、ほっぺたを張るようなこともあったであろう。それを見た時、現地の人々は長い悪夢が一挙に覚めるような思いがしたに違いない。

「見る」ことから始まった東南アジアの独立運動

 悪夢も、一度覚めてしまえば、もう二度と元には戻らない。
だから日本軍がいなくなってから、再び白人達が軍隊を送って来ても、もう以前のようにはならなかった。今度は絶対に屈しない。また、日本軍の中には引揚げを拒否し、現地の独立運動に参加した兵隊達もいた。
 このころの状況について、あるイギリス人は次のように書いている。
「かつてのマレー人は、実に気立ての良い民族だった。何を言いつけても“イエス・サー”、何を命じても“イエス・マスター”と言っていた。ところが、僅か3年半ぐらい日本人と一緒にいただけで、皆根性が悪くなってしまった。今や何も言うことを聞かなくなった」と。
 この話ほど、東南アジア独立の意味を端的に教えてくれるものはない。
植民地の独立は、民族自決などというスローガンによって為しえたものではない。白人の人道主義も、社会主義や資本主義も、またアラーの神も植民地廃止には何の関係もない。キリスト教は植民地を作るのには貢献したが、解放には役立たなかった。
 有色人種が持っていた白人に対する劣等意識を吹飛ばしたのは、目の前の現実であった。有色人種の日本人が、白人を戦場において倒すという極めて即物的な事実が、東南アジアの人々の観念を変えてしまったのである。
 「見る」ということの重要さを、私は既に本書の中で何度も強調して来た。見るということは、単純素朴なことのように思われがちだが、これほど強力な原動力は他には見当らない。「やれば出来る」と口を酸っぱくして何度も言うよりも、目の前で1回やって見せることのほうが大事であり、歴史を動かす力と為り得るのである。
 現に、明治維新による日本の近代化を見て、或いは日本の留学制度の成功を見て、アジアの国々は動いた。
更に、日露戦争の勝利を見て、他の有色人種の人々は独立の光明を見出した。
これが見ることの力でなくて何であろう。
東南アジアの人々は、日本が白人国に勝ったことを見て、戦後の独立運動を始めるきっかけを得たのである。


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日月の民草

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 ハンドルネーム666です。

五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。
六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、
六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、
666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。
(五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第15帖)

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