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ナザレのイエス イザヤ(5)

ヴィセント ギリェム 「魂の法則」 小坂 真理 訳
http://www.uv.es/vguillem/Tamashii_no_Housoku.pdf
〔抜粋〕

・ イエスの地上での使命

ギリェム: 預言者とは何ですか。

イザヤ: 預言者とは、霊界の真実を教え、「愛の法則」に反する行為がもたらす結果を各時代の人びとに忠告するために、高次の霊性から送られて来る者である。
一般的に、転生する惑星の平均的な魂よりも進歩した魂だが、そうでなければ、委託された使命を遂行することが出来ないからだ。
 他者を助けると同時に、自己を進化させることが出来るのだが、それは一般的には、生れ出た社会から拒否や拒絶をされ、虐げられたり罵倒されたり馬鹿にされたりするからで、そのために、自己の愛の力量が試されるからである。
彼らは、通常考えられているように、特別で神聖な特権を持つ存在などではない。
 その霊能力は、輪廻のサイクルの中で ― 他世界での転生であったかもしれないが ― 自分自身の功績によって獲得されたものだ。粗方、年下の生徒を手助けする年上の生徒と言ったところだが、それと異なるのは、他の人と同じ条件で転生して来るので、肉体的にも年齢からも、彼らを識別出来ない点だ。
何時か、君達の惑星の住人が充分に進化を遂げる日が来たら、その中から、進化の遅い人類(宇宙人も人である)が住む世界で預言者の役目を果す者が出ることだろう。

ギリェム: でも、偉大な師匠だと思われていた人が、後から、実は詐欺師で、人々の純粋さに付け込んで大金を貯え込んでいた、と発覚することがよくありませんか。

イザヤ: その通りなのだ。多くの者が猫を被っているのだ。
だがその一方で、初めは良く、好い線を行っていたので、必要な霊的援助が与えられた、という者も沢山いる。問題は、その者達が、人々に与える効果に目が眩んでしまうことだ。
 本当に答えを探し求めている人は、内面を覚醒してくれる人に出会うと、その人にとても感謝して、それを大げさに表現しようとするものだ。そのため本人も、本当は霊的知識の光を届けているだけの筈なのに、自分自身が眩しく輝いているのだと勘違いしてしまう。人々も間違って、その人を神のように奉り始める。
 我欲とその顕現形態を未だ良く知らず、自分でも克服の努力をしないのであれば、我欲は増大し、自分が全ての者に勝ると思い込むに至るだろう。そして、他者に奉仕する代りに、その反対となってしまう。
道義上の家来か奴隷のように仕えてくれることを人に要求し、どんな決断や願望であっても決して問い正さずに、盲目的に自分に追従することを求める。
 こうして、光は段々と消えて行き、最初の思いは失われ、インスピレーションも無くなるのだ。霊的な閃きが消えると、我欲が頭脳を支配し始め、その時から、受け取るメッセージは混乱し、矛盾したものとなる。
 そして、本物になり得たであろうことは、守り切れずに失われてしまったものの混沌とした記憶として残り、我欲の高揚を正当化する多くの嘘で固められるのだ。

ギリェム: 真の預言者と詐欺師とを、どのように見分けるのですか。つまり、真の預言者・ガイド・霊的な使者に必要とされる条件とは何ですか?

イザヤ: 肉体を持たない霊的なガイドは、何の分け隔てもせずに、全ての魂を支援する。真の霊性というものには、国境も経済格差も、人種や宗教やその他の如何なる違いも存在しない。それゆえ、富める者と貧しき者、白人と黒人、信者と非信者とを差別しない。これらの違いは、一時的な条件や状況に過ぎず、転生から転生で変化するものだからだ。
 霊的な教えを普及するに相応しいと自認する者は、それと同じやり方で行動しなければならない。肉体を持つ真の霊的指導者は、「魂の法
則」に従い、目立たず謙虚に生きようとし、何の見返りもなく、他者を援助し啓発しようとしている。
 それ故、霊的な真実らしきものを公開することで、金銭的な、またはその他の代償を貰おうとする者達は、全て、真の霊的な指導者だとは見なせない。「会員だけ」の真実というものは存在しないからだ。
 真のマスターは、自由意志を尊重する。
つまり、絶対に自己の見解を押し付けず、自分が手本となって宣教し、提供するものを受け取るか受け取らないかは、他者の自由に任せるのだ。従い、権力主義に訴えて正当化することはなく、絶対に「俺の言う通りにしろ。俺はマスターで、悟りを得た神の使者だぞ」などと言ったりしない。
 心を開いた者を説得するには、メッセージの質が高いだけで充分だ。
それに関心を持たず説得出来ない人達がいても、彼らにはそうして独自の道を歩む自由意志があるのだ。好きでもないものを信じたり同意したりを、義務付けられることも強要されることもない。

ギリェム: 偽マスターや見せ掛けの霊性に引っ掛からないための助言がありますか。

イザヤ: どんなに高次に思える宗教や政治・哲学的思想であろうと、その信仰のために、絶対に君達の意志を放棄してはならない。信仰のために意志の放棄が求められるのであれば、そうするには値しないものだ、と確信しなさい。
 伝達者を偶像化せずに、メッセージを分析しなさい。メッセージに納得出来なければ、疑問を表明し説明を求め、それでもその教えと同調出来なければ、それを拒めば良い。理解出来なくても信じることを強要する信仰のドグマによってでは、一切、何も受け容れるべきではない。
 自分自身の経験・感情・理解・分析によってではなく、神聖だとされる人がそう言ったから、という不可解な外からの押し付けによって同意してしまうことは、権力主義に従うだけで、進化のためにも幸せになるためにも役に立たない。魂は自由でいる時だけが幸せなのだ。
 従って、妄信的な信仰も、霊性を管理し操る社会層も必要ない。答えは自分の内に探しなさい。君達の内面は、霊的ガイドや高次の霊性と直接繋がっているので、思っているよりもずっと賢いのだ。

ギリェム: でも多くの宗教では、霊との交信は、悪魔のすることだと思われていて、それをしようとするのは、有害で邪悪なことだと考えられています。聖書がこのような交信を禁じているとのことですが、聖書が神の言葉であるのでしたら、神自身がこれを禁止したことになるのでしょうか。これについてどう思われますか。

イザヤ: 各人が高次の霊性(それを神や霊的ガイドと呼ぶが)と独自の繋がりを持つことを認識してしまえば、教会権威者達は、主役の地位と権力を失うこととなり、そうなれば、信者を気の赴くままに操ることが出来なくなってしまう。
 彼ら自身が矛盾しているのだ。何故なら、彼らの聖典を、神から閃きを得た人によって書かれた御言葉なのだと看做すのなら、それは、霊界と霊的な交信を持ったことになるのだ。しかし、信者にはそれと同様な交信は許さず、彼らが崇める本を書いた過去の著者だけの特権としているのだ。
 イエスや他の進化した預言者は、高次の霊性との接触を求め、そこからインスピレーションを得て任務を支援して貰った訳だが、それは、肉体に宿った者が肉体を離脱した魂から助言と支援をして貰うという、完全なる霊界との交信なのだ。
 霊媒力を非難するのなら、イエス自身をも批判することになってしまう。
イエスは、霊界の教えを当時の同胞に伝達するという、大変強力な霊媒として活動したのだから。

ギリェム: その通りですね。でも彼らは、「イエスは神の子だったから、閃きを与えたのは神自身で単なる霊ではなかった」、と言うことでしょう。

イザヤ: 全てを盲信させて教えを分析することも認めていないのに、二千年以上も前の預言者にインスピレーションを与えたのが神か聖霊か、それともサタン自身であったのかが、どうして分るのだね?
 実際、教会権威者達が御言葉だと崇め奉る旧約聖書を書いた、本物の預言者の一人が今、生れ変って、前世の業績を解析したり豊かにする新たなお告げを書いたとしても、昔のようにそれを公言すれば、権威者達自身がその人を嘲り、メッセージを吟味することさえ許さず、その人が狂っていて悪魔の類と交信しているのだと思わせようとするだろう。
だから、常識的に判断しよう。相手の能力を知る唯一の手掛かりは、メッセージの質なのだ。
 現在、メッセージで暴力や戦争や他者を憎むことを奨励している人を、神の使者だと信じられる者などいるであろうか? 同世代の人をそう認められないのであれば、どうして、如何に古かろうと、過去の著者を神の使者だと認めなければならないのだろうか? 過去の作家が特別な存在であるのは、とても古いためだからだろうか? それなら、神々の代りに恐竜や鮫や蟻を選ぶとしよう。それらは、古代の作家の誰よりも前に、この世に出現していたのだから。
 イエスのメッセージが人類にこれほど大きな影響を及ぼしたのは、イエスがそう言ったからではなく、無条件の愛を示すという教え自体が偉大であったからだ。しかしこの世の権力者達は、布教に歯止めを掛けることが出来なかったために、自分達の特権や搾取が終焉を迎えることを恐れ、イエスの人物像と教えを手中にし、その内容を著しく侵してしまったのだ。そして、元のお告げそのものと矛盾し、イエスが一度も口にしなかった言葉を、特権と権力を維持するために彼が言ったことにして、教えと反対のことを我々に信じ込ませることにほぼ成功したのだ。

ギリェム: キリスト教徒にとっては、イエスは神同然か神の子なのですから、イエスがすることなら何でも良いのではありませんか。一般人が直接霊と交信することを、認める心算がないのでしょう。

イザヤ: 初期のキリスト教徒の間では、慈善的な霊との交信がごく頻繁に行われていた、と知ったら驚くであろう。襲いかかる酷い迫害に耐えることが出来るように、彼らはこうして霊界から勇気づけられていたのだ。
初期のキリスト教徒は、愛を以って祈れば、高次の聖霊から応援されて近くに来て貰えることを知っていた。新約聖書自体の使徒言行録の中にその例があるが、イエス自身が肉体を離脱した後に霊となって、使徒達の前に随意に現れたり消えたりしたことが窺える。
 それ以後、教会自体がこの種の顕現を敵視した。何故なら、そこからまた愛の種が生れ、再び人々の心の中で発芽し、当時の人類が宗教組織によって置かれていた霊的な闇から解放されてしまうことを怖れたのだ。
 イエスは戻って来なかったが、霊界と直接交信が出来る非常に高度な魂達がやって来て、恵まれない者を癒したり面倒を見たり、多くの善をなしたのだ。だが、その多くの者は魔術使いや異端の罪状で、宗教裁判で火刑とされた。

ギリェム: でも、悪霊を呼び出すために集まって、他者を支配したり、富や権力を獲得する能力を授けてくれる魔法の力を得ようとした人達も実在するようですが。

イザヤ: そのような交信は行なわれていたし、我欲に満ち溢れ、富と権力を渇望する魂がこの世に存在する限り、今後も行われることだろう。
だが、そういう意図で行動すると、同レベルの低級霊の都合の良い餌食にされて、あらゆる手段で彼らの支配下に置かれてしまい、隷属させられて、もっと酷いことをさせられてしまう。だから、このような接触は非常に危険で、全く奨励出来ないものだ。
 しかし、他者に害を与えようとして、霊媒力を使って下級霊と通信する者がいるからといって、霊媒を介した霊界との交信の全てが有害だ、と結論付けることは出来ない。それとも、悪意のある目的にインターネットを使用する人がいるので、ネット上の全ての通信を政府が禁止することが理に叶っているのだろうか? 理論的に考えれば、使用を制限すべきなのは、社会の健全性が狙われる時だけで、全体を禁じてしまう必要はない。

ギリェム: でしたら、なぜ世間では霊との交信がこれほど反対されるのでしょうか?

イザヤ: それは、この世の宗教権威者や、その他の権力者達の多くが、人が自力で神や守護霊と交信することを阻むことによって、支配力を維持しているからだ。
霊界との接触を怖れさせようと、明確に意図して作成された映画は無数にある。それらは、ダイアリー・オブ・ザ・デッド(Diary of the Dead)、ポルターガイスト(Poltergeist)、エクソシスト(Exorcist)などの恐怖映画で、全ての交信が恐ろしいものになる、と思い込ませるのだ。
こうして、誰もが怖れによって自分自身を異端視し、直感や夢などであろうと、霊界からのメッセージかも知れないと思う度にそれを抑圧したり、誤った解釈をしてしまうのだ。


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日月の民草

Author:日月の民草
 ハンドルネーム666です。

五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。
六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、
六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、
666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。
(五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第15帖)

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