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ナザレのイエス イザヤ(3)

ヴィセント ギリェム 「魂の法則」 小坂 真理 訳
http://www.uv.es/vguillem/Tamashii_no_Housoku.pdf
〔抜粋〕

・ イエスの地上での使命

ギリェム: 霊的な観点からは真実ではなく、イエスの死後に付け加えられたキリスト教の信念を幾つか挙げて頂けますか。

イザヤ: 沢山あるが、霊的進歩に一番悪い影響を及ぼす、最も重要なものを挙げてみよう。

1) 宗教的儀式の執り行いに道義的・精神的な何らかの価値があり、死後に天国での特権的地位の確保に役立つという信心。

2) 聖書や他の聖典が神の御言葉であるという信念。

3) 教会や聖職者が、地上における神の仲介者だと信じること。

4) 悪業を清算するには、告白が必要であり、司祭から免罪されれば解消されると信じること。

5) 最期に後悔すれば罪が贖われる、という信念。

6) イエスは十字架上で死ぬことで、人類の罪を贖ったと信じること。

7) 原罪への信念。

8) 性が何か罪深いものだと信じること。

9) ただ一度の人生で、魂の行く末が永遠に決められる(救われる者には永遠の天国と栄光が約束され、罪人には永遠の地獄と罰が待ち受ける)と信じること。

10) キリスト教徒と信者だけが救われるという信念。

11) 肉体の蘇りを信じること。



ギリェム: 元々のイエスの教えにはこれらの信念がなかった理由を、一点一点、説明下さいますか。

イザヤ: よし、そうしてみるとしよう。これらの信念に、どうして「魂の法則」と矛盾する点があるのか、一つずつ順番に説明してみよう。

ギリェム: 最初のものから始めましょう。(1)霊的視点からは、儀式や聖礼には何の有効性もないと言われましたね。

イザヤ: その通りだ。

ギリェム: それはどうしてですか。

イザヤ: 霊道に近道などないのだ。我々を霊的に進化させる、即ち「救済する」唯一のものは自己改善であり、我欲を手放し愛の能力を成長させることだ。それ以外にはない。

ギリェム: でも多くの人が、それ(儀式や聖礼)を最も重要な事柄の一つだと信じていますよ。

イザヤ: 自分自身を騙しているか、そのように騙されたいのだ。

ギリェム: では、救済には儀式が不可欠である、という信念は何に由来するのですか。

イザヤ: 様々な教会の指導者達が、人々の霊性を監督し、私益に利用しようとして来たからだ。「我々の言うことを聞けば、善人にならずとも、天国で優遇してやる」、と約束するようなものなのだ。

ギリェム: でも教会は、善い人にならなくても良い、などとは言ってませんよ。その上で、戒律も守るようにと、要求しているだけではないですか。

イザヤ: 言葉ではそう言っていないのだろうが、既成事実がそう言っているのだ。
儀式や聖礼や式典 ―派手であれば派手であるほど良い― に従うようにあれほど強調するにも関わらず、隣人の支援に力を入れていないのなら、そう言っているのと同然なのだ。

ギリェム: それなら、宗教に儀式があるのは良くないことでしょうか。

イザヤ: 人びとの霊性進化を操作したり逸脱させるために儀式を利用するのは良くないことだ。必要ないのに、どうして儀式を行ない続けねばならないのだ?

ギリェム: 霊的なメッセージを喚起させる手段として設けられたのではないでしょうか。

イザヤ: だが歴史を見ても、儀式や象徴はメッセージを喚起するために役立つ代りに、代弁していた筈のメッセージ自体に置換わってしまうことが多い。
そして、それらの儀式や象徴を楯に取り、従うべき信仰には悉く反するという、更に大きな過ちを犯してしまうのだ。
 その一例が、十字軍と宗教裁判だ。胸元に目立つ大きな十字の印を付けた服を着た人達による、大量虐殺や殺人だ。
彼らは毎日、聖体を受けていたのだが、手には聖書を握ったまま、死の宣告を行なったのだ。隣人に対する愛の教えは、一体どこに見出せるのだろうか?

ギリェム: でも、聖餐式のように、イエス自身によって伝達された儀式もありませんか。

イザヤ: いいや、そうではない。イエスが、自分が処刑されるまでに時間が残されていないと悟り、別れの晩餐に弟子たちを集めたことは本当だ。だが彼は、聖餐の儀式だけでなく、その他のいかなる儀式・式典・聖礼も確立しようなどと考えてはいなかった。
更に言えば、たとえ象徴的であろうと、キリストの肉体や血を口にするのはカニバリズムを連想させ、イエスはそれと何の関係もない。

ギリェム: では、聖餐式の儀式は何に由来するのですか。

イザヤ: それ以前からの宗教儀式が、キリスト教に組込まれたのだ。
実際のところ、そういう式典は全て、イエスの使徒を指すキリスト教徒の名称や彼らを象徴する十字の印と共に、後世に導入されたものなのだ。

ギリェム: でしたら、十字の印もイエスに由来しないのですか。

イザヤ: 十字架というものは、イエスの時代には、今の電気椅子と同じように人を処刑するために用いられていたのだよ。
正常な判断力があれば、自分の信仰の象徴に十字を使おう、などと思いつく者など誰一人としていなかったろう。
イエスが現代に生まれ電気椅子で処刑されていたとしたら、ペンダントとして電気椅子をぶら下げようとする者がいないのと同じことだ。

ギリェム: このようなお話はかなりショッキングで、キリスト教徒やカトリック信者には、なかなか受け容れられないのではないかと思います。

イザヤ: そうかもしれないが、それが真実だ。またこの場では、霊的な真相に目を開くように努めているのだ。
イエスの地上での任務が、霊性進化の道を示すことであったと思い出してごらん。
あの時代の宗教組織は、多くの迷信と偽りで人々を怖れさせ、自らの富と権力への願望を満たす為に神の名を利用して、長きに亘って、人々の霊的な成長を阻止してきたのだ。
 複雑な儀式制度で気を逸らし、自分達の思いの侭にお金を巻き上げることに利用し、人々を犠牲にして、派手な暮しをしていたのだ。そして、イエスがその事実を明白にしたので彼を殺したのだ。
 当時のユダヤ教会は、イエスの人物像を利用して教えを操り、人類の霊的な成長を阻んで生き永らえて来た今日の教会の姿と、非常によく似ていたのだ。もういい加減に、きちんと正されるべきだろう。

ギリェム: 儀式に反対なさるあなたの論拠はどれも大変結構なのですが、キリスト教徒からすると聖書に記載されていないことは...。

イザヤ: それなら、マルコの福音書の第12章(29-34節)を調べてごらん。そこには、ほぼ同じ教えが収められている。

 彼らが論じ合っているのを聞き、一人の律法学者がやって来て、イエスが巧みに答えられたのを認めて彼に質問した。
「すべての戒めの中で、どれが第一のものですか?」
 イエスは答えられた。
「第一の戒めはこれである。『イスラエルよ、聞け。われらの主なる神は、ただ唯一の主である。心をつくし、魂をつくし、意志をつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』
「第二はこれである。『自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ』この二つより大事な戒めは、他にない」
 そこで、律法学者はイエスに言った。
「先生、仰せの通りです。『神は一人であって、その他に神はない』また、『心をつくし、知恵をつくし、力をつくして神を愛し、また自分を愛するように隣り人を愛する』ということは、全ての燔祭や犠牲よりも、遥かに大事なことです」
 イエスは、彼が適切な答をしたのを見て言われた。
「あなたは神の国から遠くない」


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日月の民草

Author:日月の民草
 ハンドルネーム666です。

五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。
六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、
六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、
666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。
(五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第15帖)

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