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ナザレのイエス シルバー・バーチ(2)

シルバーバーチの霊訓」― 地上人類への最高の福音
トニー・オーツセン(編) 近藤 千雄(訳) サイキックプレス社
10章 幼児期を過ぎれば、幼稚なオモチャは片づけるものです
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/sb-seed/sb-seed-10.htm

〔抜粋〕
 ある日の交霊会で、一牧師からの投書による質問が披露された。
“シルバーバーチ霊はイエスを宇宙機構の中でどう位置づけておられるのでしょうか。
また〈人間イエス〉と〈イエス・キリスト〉とは、どこがどう違うのでしょうか”というのがそれである。
これに対してシルバーバーチはこう答えた。

 「ナザレのイエスは、地上へ降誕した一連の予言者ないし霊的指導者の系譜(メルキゼデク→モーセ→エリヤ→エリシャ→イエス)の、最後を飾る人物でした。そのイエスにおいて、霊の力が空前絶後の顕現をしたのでした。(モーゼスの『霊訓』の中でもインペレーター霊が全く同じことを述ベている)
 イエスの誕生には何のミステリーもありません。その死にも何のミステリーもありません。他の全ての人間と少しも変らない一人の人間であり、大自然の法則に従ってこの物質界へやって来て、そして去って行きました。
 が、イエスの時代ほど霊界からのインスピレーションが大量に流入したことは、前にも後にもありません。
イエスには使命がありました。それは、当時のユダヤ教の教義や儀式や慣習、あるいは神話や伝説の瓦礫の下敷きとなっていた基本的な真理の幾つかを掘起すことでした。
 そのために彼は、先ず自分へ注意を引くことをしました。
片腕となってくれる一団の弟子を選んだ後、持前の霊的能力を駆使して、心霊現象を起して見せました。イエスは霊能者だったのです。
今日の霊能者が使っているのと全く同じ霊的能力を駆使したのです。
偉かったのは、それを一度たりとも私的利益のために使わなかったことです。
 又その心霊能力は法則どおりに活用されました。奇跡も、法則の停止も、廃止も、干渉もありませんでした。心霊法則に則って演出されていたのです。
そうした現象が人々の関心を惹くようになると、今度は、人間が地球上で生きて来た全世紀を通じて数々の霊覚者が説いて来たのと同じ、単純で、永遠に不変で、基本的な霊的真理を説くことを開始したのです。
 それから後のことはよく知られているとおりです。
世襲と伝統を守ろうとする一派の憤怒と不快を買うことになりました。
が、ここで是非ともご注意申し上げておきたいのは、イエスに関する正しい記録は極めて乏しいのですが、その乏しい記録に大変な改竄が為されていることです。
 随分多くの、ありもしないことが書き加えられています。
従って聖書に書かれていることには、マユツバものが多いということです。出来過ぎた話は皆割り引いて読まれて結構です。実際とは違うのですから……。
 もう一つのご質問のことですが、ナザレのイエスと同じ霊、同じ存在が今なお地上に働きかけているのです。
死後更に開発され威力を増した霊力を駆使して、愛する地上人類のために働いておられるのです。
イエスは“神”ではありません。全生命を創造し人類に神性を賦与した、宇宙の大霊そのものではありません。
 幾ら立派な地位(くらい)ではあっても、本来全く関係のない地位に祭り上げることは、イエスに忠義を尽す所以とはなりません。
父なる神の右に座しているとか、“イエス”と“神”とは同一義であって、置替えられるものであるなどと主張しても、イエスは少しも喜ばれません。
 イエスを信仰の対象とする必要はないのです。イエスの前に膝を折り、平身低頭して仕える必要はないのです。
それよりも、イエスの生き方を自分の生き方の手本として、更にそれ以上のことをするように努力することです。

 以上、大変大きな問題について、ほんの概略を申し上げてみました」

 メンバーの一人: 「“キリストの霊”Christ Spirit とは何でしょうか?」

 「ただの用語に過ぎません。その昔、特殊な人間が他の人間より優秀であることを誇示するために、聖なる油を注がれた時代がありました。
それは、たいてい王家の生れの者でした。“キリスト”という言葉は“聖油を注がれた”という意味です。それだけのことです」

 「イエスが霊的指導者の中で最高の人物で、模範的な人生を送ったというのが、私には理解出来ません」

 「私は決してイエスが完全な生活を送ったとは言っておりません。
私が申し上げたのは、地上へ降りた指導者の中では最大の霊力を発揮したこと、つまりイエスの生涯の中に空前絶後の強力な神威の発現が見られるということ、永い霊覚者の系譜の中で、イエスにおいて霊力の顕現が最高潮に達したということです。
イエスの生活が完全だったとは一度も言っておりません。
それは有り得ないことです。何故なら、彼の生活も当時のユダヤ民族の生活習慣に合せざるを得なかったからです」

 「イエスの教えは最高であると思われますか」

 「不幸にして、イエスの教えはその多くが汚されております。
わたしはイエスの教えが最高であるとは言っておりません。
私が言いたいのは、説かれた教えの精髄(エッセンス)は他の指導者と同じものですが、たった一人の人間があれほど強力に、そして純粋に心霊的法則を使いこなした例は、地上では空前絶後であるということです」

 「イエスの教えがその時代の人間にとっては進み過ぎていた ― だから理解出来なかった、という見方は正しいでしょうか?」

 「仰る通りです。ランズベリーやディック・シェパードの場合と同じで(※)、時代に先行し過ぎた人間でした。時代というものに、彼等を受入れる用意が出来ていなかったのです。
それで結局は、彼等にとって成功であることが時代的にみれば失敗であり、彼等にとって失敗だったことが時代的には成功ということになったのです」

※ ― George Lansbury は1931年~35年の英国労働党の党首で、その平和主義政策が純粋過ぎたために挫折した。第二次大戦勃発直前の1937年にはヨーロッパの雲行きを案じて、ヒトラーとムッソリーニの両巨頭の元を訪れるなどして戦争阻止の努力をしたが、功を奏さなかった。
 Dick Sheppard は生前キリスト教の牧師だったこと以外は不明。なおこの当時、二人共シルバーバーチ霊団のメンバーだったことは他の資料によって確認されている。

 「イエスが持っていた霊的資質を総合したものが、これまで啓示されて来た霊力の始源であると考えて宜しいでしょうか」

 「それは違います。あれだけの威力が発揮出来たのは、霊格の高さのせいよりも、むしろ心霊的法則を理解し、かつそれを自在に使いこなすことが出来たからです。
 ぜひとも理解して頂きたいのは、その後の出来事、つまりイエスの教えに対する人間の余計な干渉、改竄、あるいはイエスの名の元に行われてきた愚行が多かったにも拘らず、あれほどの短期間に全世界に広まり、そして今日まで生き延びて来れたのは、イエスの言動が常に霊力と調和していた(※)からだということです」

※ ― ここでは背後霊団との連絡が緊密だったという意味。『霊訓』のインペレーター霊によると、イエスの背後霊団は一度も物質界に誕生したことのない天使団、いわゆる高級自然霊の集団で、しかも地上への降誕前のイエスはその天使団の中でも最高の位にあった。
地上生活中のイエスは早くからその事実に気づいていて、一人になると何時も瞑想状態に入って幽体で離脱し、その背後霊団と直接交わって、連絡を取合っていたという。

 かつてメソジスト派の牧師だった人が尋ねる ―― 。

 「いっそのこと世界中に広がらなかった方が良かったという考え方も出来ませんか?」

 「愛を最高のものとした教えは立派です。それに異議を唱える人間はおりません。愛を最高のものとして位置づけ、故に愛は必ず勝つと説いたイエスは、今日の指導者が説いている霊的真理と同じことを説いていたことになります。
教えそのものと、その教えを取違え、しかもその熱烈な信仰によって反ってイエスを磔刑(はりつけ)にするような間違いを何度も犯している信奉者とを混同しないようにしないといけません。
 イエスの生涯を見て、わたしはそこに物質界の人間として最高の人生を送ったという意味での完全な人間ではなく、霊力との調和が完璧で、かりそめにも利己的な目的のためにそれを利用することがなかった ― 自分を地上に派遣した神の意志に背くようなことは絶対にしなかった、という意味での完全な人間を見るのです。
イエスは一度たりとも、自ら課した使命を汚すようなことはしませんでした。強力な霊力を利己的な目的のために利用しようとしたことは一度もありませんでした。霊的摂理に完全に則った生涯を送りました。

 どうもうまく説明出来ないのですが、イエスも、生を享けた時代とその環境に合せた生活を送らねばならなかったのです。その意味では完全では有り得なかったと言っているのです。
そうでなかったら、自分よりもっと立派な、そして大きな仕事が出来る時代が来るとイエス自身が述べている意味がなくなります。
 イエスという人物を指さして“ご覧なさい。霊力が豊かに発現した時は、これほどの仕事が出来るのですよ”と言える、そういう人物だったと考えればよいのです。
信奉者の誰もが見習うことの出来る手本なのです。しかもそのイエスは、私達の世界に於いても今、私の知る限りでの最高の霊格を備えた霊(※)であり、自分を映す鏡として、イエスに代る霊はいないと考えております。

※ ― 地球神界での話。『ベールの彼方の生活』では“各天体にキリストがいる”と述べられている。要するに神庁の最高位の霊のことで、イエスなる人物はその全てではないが直接の表現だったということであろう。

 私がこうしてイエスについて語る時、私は何時も“イエス崇拝”を煽(あお)ることにならなければ良いが、という懸念があります。
それは、私がよく“指導霊崇拝”に警告を発しているのと同じ理由からです。

 あなたは為すべき用事があってこの地上にいるのです。皆、永遠の行進を続ける永遠の巡礼者です。その巡礼に必要な身支度は、理性と常識と知性を以って行わないといけません。
それは書物からでも得られますし、伝記からでも学べます。
ですから、他人が勧めるから、良いことを言っているから、あるいは聖なる教えだからということではなく、自分の旅にとって有益であると自分で判断したものを選ぶべきなのです。それがあなたにとって唯一採用すべき判断規準です。


 この私とて、無限の叡智の所有者などではありません。霊の世界のことを一手販売している訳ではありません。地上世界のための仕事をしている他の大勢の霊の一人に過ぎません。完全であるとか、間違ったことは絶対に言わない等とは申しません。
 皆さんと同様、私も至って人間的な存在です。ただ、皆さんよりは生命の道をほんの二、三歩先を歩んでいるというだけのことです。
その二、三歩が、私に少しばかり広い視野を与えてくれたので、こうして後戻りして来て、もしも私の言うことを聞く意志がおありなら、その新しい地平線を私と一緒に眺めませんかと、お誘いしている訳です」

 霊言の愛読者の一人から“スピリチュアリストもキリスト教徒と同じようにイエスを記念して〈最後の晩餐〉の儀式を行うべきでしょうか”という質問が届けられた。
これに対してシルバーバーチはこう答えた。

 「そういう儀式(セレモニー)を催すことによって、身体的・精神的・霊的に何らかの満足が得られるという人には、催させてあげれば宜しい。我々としては最大限の寛容的態度で臨むべきであると思います。が、私自身には、そういうセレモニーに参加したいという気持は毛頭ありません。
 イエスご自身も、そんなことをしてくれたからといって、少しも嬉しくは思われません。私にとっても何の益にもなりません。全くなりません。霊的知識の理解によってそういう教義上の呪縛(じゅばく)から解放された数知れない人々にとっても、それは何の益も価値もありません。

 イエスに対する最大の貢献は、イエスを模範と仰ぐ人々が、その教えの通りに生きることです。他人のために自分が出来るだけ役に立つような生活を送ることです。
内在する霊的能力を開発して、悲しむ人々を慰め、病に苦しむ人々を癒し、疑念と当惑に苦しめられている人々に確信を与え、助けを必要としている人々全てに手を差し伸べてあげることです。

 儀式よりも生活の方が大切です。宗教は儀式ではありません。
人のために役立つことをすることです。本末を転倒してはいけません。“聖なる書”と呼ばれている書物から、活字の全てを抹消しても構いません。讃美歌の本から“聖なる歌”を全部削除しても構いません。儀式という儀式を全部欠席なさっても構いません。
それでも尚あなたは、気高い奉仕の生活を送れば立派に“宗教的人間”で在り得るのです。そういう生活こそ、内部の霊性を正しく発揮させるからです。
 私としては、皆さんの関心を儀式ヘ向けさせたくはありません。大切なのは形式ではなく、生活そのものです。
生活の中で何を為すかです。どういう行ないをするかです。〈最後の晩餐〉の儀式がイエスの時代より更に遠く遡る由緒ある儀式であるという事実も、それとは全く無関係です」

 別の日の交霊会でも同じ話題を持出されて――。

 「人のためになることをする ― これが一番大切です。私の意見は単純・明快です。
宗教には“古い”ということだけで引継がれて来たものが多過ぎます。その大半が宗教の本質とは何の関わりもないものばかりです。
 私にとって宗教とは、何かを崇拝することではありません。
祈ることでもありません。会議を開いて考え出した形式的セレモニーでもありません。私はセレモニーには興味はありません。それ自体は無くてはならないものではないからです。
しかし、何時も言っておりますように、もしもセレモニーとか慣例行事を無くてはならぬものと真剣に思い込んでいる人がいれば、それを無理して止めさせる理由はありません。

 私自身としては、幼児期を過ぎれば、幼稚なオモチャは片づけるものだという考えです。
形式を超えた霊と霊との交渉、地上的障害を超越して、次元を異にする二つの魂が波長を合せることによって得られる交霊関係 ― これが最高の交霊現象です。儀式に拘った方法は迷信を助長します。そういう形式はイエスの教えとは何の関係もありません」


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日月の民草

Author:日月の民草
 ハンドルネーム666です。

五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。
六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、
六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、
666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。
(五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第15帖)

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