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「祈り」と「引寄せの法則」

 「引寄せの法則」は、通常、自分の思いを叶えるためにエネルギーを集める方法を意味します。その為に最も有効な方法が、「先に与えること」となります。(因果律の応用)
祈りは、これと似て広義には「引寄せ」ですが、動機の質が違います。
その故に魂の潜在エネルギーを引出し、必要ならば霊界の霊団が動きます。つまり、内からも外からも援助の手が差し伸べられるのです。
下記イナヤットカーンの箴言は、シルバー・バーチの霊言を参照すると、当人の精神的成長にとって最高の解答になっていることが解ります。


参考記事1
「自由人の カルマ・ヨガ ノート」
 贈り物としての「自分」   2015.03.28  
http://mitsunakoudai.blog.fc2.com/blog-entry-392.html

〔抜粋〕
私は強さを求めた。すると神は、強くなるための困難を私に与えた。
私は英知を求めた。すると神は、解決を学ぶための問題を与えた。
私は愛を求めた。すると神は、助けるべき人を与えた。
私は求めたものを受け取れなかったが、必要なすべてを受け取った。

(イスラム教スーフィー派の指導者ハズラット・イナヤットカーン)


参考記事2
「古代霊は語る」シルバー・バーチの霊訓より 近藤千雄・訳編 (潮文社)
第四章 苦しみと悲しみと-魂の試練-
http://kokorodou.p-kit.com/page234212.html#link4

〔抜粋〕
問: 「祈りに効果があるのでしょうか」

バーチ: 「本当の祈りと御利益信心との違いを比べれば、祈りが本来いかにあるべきかがお分りになると思います。
御利益信心は利己的な要求ですから、これを祈りと呼ぶ訳には行きません。
ああして欲しい、こうして欲しい。金が欲しい、家が欲しい、・・・こうした物的欲望には霊界の神霊はまるで関心がありません。
そんな要求を聞いてあげても、当人の霊性の開発、精神的成長にとっては何のプラスにもならないからです。

 一方、魂の止むにやまれぬ叫び、霊的活動としての祈り、暗闇に光を求める必死の祈り、万物の背後に控える霊性との融合を求める祈り、そうした祈りもあります。こうした祈りには魂の内省があります。
つまり自己の不完全さと欠点を意識するが故に、必死に父なる神の加護を求めます。それが本能的に魂の潜在エネルギーを湧出させます。それが真の祈りなのです。
 その時の魂の状態そのものが既に神の救いの手を受け入れる態勢となっているのです。ただこれまでも何度か言ったことがありますが、そうした祈りを敢えて無視してその状態のまま放っておくことが、その祈りに対する最高の回答である場合が良くあります
 こちらからあれこれ手段を講じる事が反って当人にとってプラスにならないという判断があるのです。しかし魂の心底からの欲求、より多くの知識、より深い悟り、より強い力を求める魂の願望は、自動的に満たされるものです。
 つまりその願望が霊的に一種のバイブレーションを惹き起し、そのバイブレーションによって当人の霊的成長に応じた分だけの援助が自動的に引き寄せられます。
危険の中にあっての祈りであれば保護するためのエネルギーが引き寄せられ、同時に救急の為の霊団が派遣されます。それは血縁関係によって繋がっている霊もおれば、愛によって繋がっている類魂もおります。

そうした霊達は皆自分もそうして救って貰ったことがあるので、その要領を心得ております」


参考記事3
「シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q&A」 崇高な存在との対話
スタン・バラード / ロジャー・グリーン共著 近藤千雄・訳 (ハート出版)
第1章 祈り
http://kokorodou.p-kit.com/page271660.html#link1

【Q15】 大霊に直接語りかけることが出来ますか?

 あなたは大霊であり、大霊はあなたです。あなたと大霊との違いは、「性質」ないしは「本質」にあるのではなく「程度」にあります。
大霊は完全の極致であり、あなたはそれに向って、果てしない努力を続けるのです。
 従って、大霊は内部にも外部にもあることになります。
あなたが神性を発現した時、即ち愛、寛容、慈悲、哀れみ、慈善などの行為を実行に移した時、あなたは大霊と通じ合っていることになります。
何故ならそれは、大霊があなたを通して働きかけていることに他ならないからです。


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日月の民草

Author:日月の民草
 ハンドルネーム666です。

五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。
六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、
六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、
666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。
(五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第15帖)

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