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超能力と霊的成長

 超能力は霊性の発達とは無関係に開発することが出来ます。
それ故、超能力を自己の利益のために用いる魔法・魔術が存在し得るのです。
それはスピリチュアリズムの対極に位置し、必要な悪の一種ではあるものの、神の意に沿わない道(外道)です。
何れは改心し、善の道に立返る運命にあります。


なわ・ふみひとの「Browse365(精神世界本の拾い読み)」
魂の伴侶(ソウルメイト) ブライアン・L・ワイス 著 山川紘矢・亜希子 訳  PHP
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1312-29.html
〔抜粋〕

超能力と霊的成長の関係

 私は有名な超能力者やチャネラー、神父、グル(導師、霊的・精神的指導者)等に会って、彼らから数多くのことを学んだ。
非常に才能のある人もいれば、そうでない人もいた。
超能力と、霊的にどれだけ成長しているかは、直接的な相関関係にはないということが、私には次第にはっきりと解って来た。
 有名な天文学者であり、超常現象の研究者としても名高いエドガー・ミッチェルと交した会話を、私は良く覚えている。
エドガーは彼の実験室で、エネルギーに影響を与えることによって、磁石の針を動かしたり、念力によって物体を動かすことが出来るという有名な超能力者について、研究したことがあった。
 こうした凄い超能力にも拘らず、この超能力者の性格や人格は、高い霊性のレベルのものではないことに、エドガーは気がついた。
超能力と霊的な発達は、必ずしも関連を持ってはいないことを初めて私に教えてくれたのは、エドガーであった。
 霊的に成長し、気づきが深くなるにつれて、超常的な能力が増して行く人もいると、私は信じている。
これは、基本的なステップではなく、むしろ付随的に得る性格のものなのだ。
超能力が高まったと言うだけで、偉くなったつもりになってはいけない。
ゴールは、愛と思いやりと徳と寛容を学ぶことであって、有名な超能力者になることではないのだ。

 私達はみんな超能力者であり、みんなグル(導師)である。私達は唯それを忘れているに過ぎない。
ある患者が、私にサイババというインドの聖者について質問した。
彼はアバターと呼ばれる、肉体を持って地上に降りてきた神なのだろうか?
「私は知りません」と答えた。「でも、ある意味で、私達はみんなそうではありませんか?」
  私達はみんな神なのだ。神は私達の内に存在する。
私達は超能力に惑わされてはならない。何故ならば、超能力は霊的な成長の道標に過ぎないからだ。
私達は、自分達の神性と愛を、良き行ないによって、また人々への奉仕によって、表す必要があるのだ。

恐らく、誰も、1カ月か2カ月以上に亘って、誰かのためのグルになるべきではないのだろう。
インドへ何回も行く必要はない。真の旅は、私達の内にあるのだから。
 自分で超常的な体験をすることは、神の存在に心を開き始めるために、或いは、人生は目に見えるものよりも、ずっと大きく広いということを理解するために、紛れもなく有効である。
人は自分で体験しないと、それを信じないことが多い
からだ。(この部分は「タラの芽」さんが言っていることであり一理がある。しかし、彼の場合には何処かで道を踏外したように見えた。現在は?)
  私達の道は、内へ向う旅である。これはより困難で、より辛い旅である。
私達は自分自身の学びに責任を負っている。この責任を回避し、誰か他人に、またはグルに責任を押し付けることは出来ない。
 神の王国はあなたの内にあるのだ。

参考記事: (http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-727.html


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日月の民草

Author:日月の民草
 ハンドルネーム666です。

五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。
六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、
六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、
666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。
(五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第15帖)

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