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私のルーツ

 私は太平洋戦争最中の昭和18年5月4日の夜(母の記憶によると5日の未明)に台湾台北州蘇澳南方という所で生れました。
両親は奄美大島の人で終戦時、自分の持船(漁船)で台湾を夜逃げし、故郷の奄美大島へ帰りました。そこが奄美大島の宇検村阿室という所でした。
 今、何故この話をするかというと、1月3日の天下泰平さんの記事、世界の雛形の日本、日本の雛形である奄美大島へ に奄美大島を日本の雛形として紹介しているからです。
そこに掲載されている地図の左下に湯湾岳という山があり、その麓にあるのが宇検村です。
私の家は、入江の海岸から左程遠くない所にありました。(40代に一度訪ねた時は、住む人も居ない廃屋になっていました)

 天下泰平さんの記事によると、

 “そして、世界の聖地、本州最大の霊山である「富士山」とリンクするのが“湯湾岳”という山であり、ここが古代文明ムーの末期の信仰の聖地だったと言われています。
つまり、奄美は古代ムーの頃より継承されている日本有数の聖地であり、古代日本の出雲の神は奄美発祥であるとも言われています。
 更に琉球王朝のルーツも奄美であり、琉球神道ノロ祭祀も奄美発祥で、天津神と国津神と竜宮(ニライカナイ)の神々は、すべて奄美がルーツとなっているとのことです。”
 とあります。

    奄美大島
   奄美大島
   画像転載元: (http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51905489.html

 私のルーツがそんな場所だったとは、今回、初めて知りました。これも何かの因縁でしょうか。
奄美大島で、父は密貿易の罪で船を失い、名瀬の刑務所で服役します。
出所後、私は両親に連れられてトカラ列島の十島村中之島に開拓民として移住し、ここで小学校3年まで過します。
 戦後の何も無い時代に、南の島で素っ裸で海に潜り、裸足で山野を駆け回って育ったのが私の野性的な一面の原点です。
そこから鹿児島に渡り、高校を卒業後、東北大学に進学し、大阪の化学系上場企業に就職、40歳代で真光系教団に飛び込んで、全国の道場を渡り歩きました。(北海道だけは行っていません)
 しかし、そこにも安住出来ず、2年で飛び出して岐阜で国常さんに邂逅、20年前、岩手の山中に住み着いて今日に至ったのです。
 

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日月の民草

Author:日月の民草
 ハンドルネーム666です。

五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。
六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、
六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、
666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。
(五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第15帖)

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