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人は罪の子でない、喜びの子ぞ

 昨日は秋晴れとなったので、溜っていた洗濯物を片付けました。
洗濯をしている間、気になって見ていたのがこの神示です。
やはり、日月神示は凄い。ここに自分が求めていた答が全部書いてあります。
陰謀論や特定の教えに囚われている人が気の毒なほどです。


ひふみ神示 第二十六巻 黒鉄(クロガネ)の巻
抜粋

第1帖
 たとへ如何なる現在も、その現在を祝福せねばならん。喜びせねばならん。喜びもとと申してあらうがな。

第2帖
 一切に向って涙せよ。ざんげせよ。一切を受け入れ、一切を感謝せよ。一切が自分であるぞ。一切が喜びであるぞ。(特に不幸の只中にある人への言葉か)

第3帖
 理屈は一方的のものぞ。どんな理屈も成り立つが、理屈程頼りないもの、力にならんものないぞ。理(リ)が(カミ)の御能(オンハタラキ)ぞ、よく見極めねば間違うぞ。囚はれるなよ。(理屈と理の見極めは直感)

 今まいた種、今日や明日には実らんのざ。早く花が見たく、実がほしいからあせるのぢゃ、人間の近慾と申すもの。
神の大道に生きて実りの秋(トキ)まてよ。まいた種ぢゃ。必ず実る。誰も横取りはせんぞ。万倍になってそなたにかへると申してあらう。(因果律)
未来にもえつつ現在にもえよ。神相手に悠々と天地に歩め。

第4帖
 善にも神の心あり。悪にも神の心がある。

第7帖
 神示読んで、神示読まん人間と神示肚に入り込んでもう大丈夫と、神が見届けた人間と間引くのであるぞ。肚に入った芽は間引いて他に植ゑかへるのぢゃ。(私もその一人)
読んで読まんもの、間引いて肥料とするぞ。(これが多い)

 わざわざ遠い所へお詣りせんでも、自分の家にまつってあるのぢゃから、それを拝めば同じことぢゃ、それでよいのぢゃと理屈申してゐるが、格の上の所へ求めて行くのが仁義、礼儀と申すもの。キあれば必ず出来るのぢゃ。(前回、前々回の記事と関連)

 第11帖
 人間は罪の子でないぞ。喜びの子ぞ。神の子ぞ。神の子なればこそ悔い改めねばならんぞ。(なわさんや私が言っているのは後半の部分。今、どちらに力点をおくべき時期か)

第15帖
 神から出た教なら、他の教とも協力して共に進まねばならん。
教派や教義に囚はれるは邪の教。豚に真珠となるなよ。
天国の意志は人間の喜びの中に入り、幽界の意志は悲しみの中に入る。

第16帖
 神は善人の中にも悪人の中にも呼吸してゐるぞ。悪(我よし)なくては生きて行けん。悪は悪でないぞ。外道の悪が悪であるぞ。

第17帖
 判らんのは、われが偉いと思ってゐるからぞ。(殆んどがこれ)
智の中に悪をとり入れるゆとりの出来んやうではマコト成就せんぞ。智の中には総てを取入れて理解出来るやうになってゐるのであるぞ。愛の中に悪入れてはならんぞ。

第21帖
 この世で天国に住めんもの、天国に行ける道理ないのぢゃと申してあらう。

第24帖
 悪霊自身は自身を悪と思うてないぞ。

第28帖
 喜びに入る門は愛からぢゃ。真からじゃ。二道あるなれど愛から入るのが入り易いが、愛からでは誤り易い。

第31帖
 とがむ心、天狗ぞ。神の前にへり下り、へり下っても尚過ぎると云ふことないのぢゃ。(ネットの世界は天狗だらけ)
人間は、色とりどりそれぞれの考へ方を自由に与へてあるのざから、無理に引張ったり、教へたりするでないぞ。(だから論争は無意味)
今あるもの、今生きてゐるものは、たとへ極悪ざと見えても、それは許されてゐるのであるから、あるのであるぞ。他を排すでないぞ。(サタンも支配層も例外なし)

第35帖
 人の為にイノるは、己の為にイノること。今の人民、イノり足らん。(カルマの法則)

第36帖
 神と金と二つに仕へることは出来ん、そのどちらかに仕へねばならんと、今迄は説かしてゐたのであるが、それは段階の低い信仰であるぞ。
影しか判らんから、時節が来て居らんから、さう説かしてゐたのであるが、この度、時節到来したので、マコトの道理説いてきかすのぢゃ。
 神と金と共に仕へまつるとは、肉と霊と共に栄えて嬉し嬉しとなることぞ。嬉し嬉しとはそのことであるぞ。神と金と二つとも得ること嬉しいであろうがな。
その次には霊の霊とも共に仕へまつれよ。まつれるのであるぞ。
これが、まことの正しき理(ミチ)であるぞ。
 今迄の信仰は何処かにさびしき、もの足りなさかあったであらうが。
片親がなかったからぞ。天に仕へるか、地に仕へるかであったからぞ。
この道はアメツチの道ざと知らしてあらうがな。清くして富むのがまことぢゃ。
 地も富まねばならんのぢゃと申してあらうが。これから先は金もうけばかりも出来ん。今迄のやうな神信心ばかりも出来ん。神の理(ミチ)を進むものは嫌でも金がたまるのぢゃ。金がたまらねば深く省みよ。理に外れて御座るぞ。人は罪の子でない、喜びの子ぞ。(これによると、身魂磨きと社会的成功は両立することになりますね。身魂磨きを後回しにして社会的成功を追及すると何か落し穴がありそうな)

第38帖
 人間の死後、自分の命(イノチ)の最も相応(フサワ)しい状態におかれるのであるぞ。悪好きなら悪の、善好きなら善の状態におかれるのであるぞ。皆々、極楽行きぢゃ。
極楽にもピンからキリまであるぞ。神の旨に添ふ極楽を天国と云ひ、添はぬ極楽を幽界と申すのぢゃ。
心の世界を整理せよ。そこには無限のものが、無限にあるのであるぞ。神の理(ミチ)が判れば、判っただけ自分がわかる。

 めでたさの九月八日の九のしぐみ、とけて流れて世界一つぢゃ。


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日月の民草

Author:日月の民草
 ハンドルネーム666です。

五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。
六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、
六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、
666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。
(五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第15帖)

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