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魔龍さんのカルマ論を考える(2)

 カルマの法則とは「人にしたことと同じことが自分に返って来る」という単純で完璧な教育システムです。「人にすることは自分にすることである」と言い換えることも出来ます。
 ただ、物理の作用・反作用の法則と違い、時空を超えて最適な時と場所を選んで発動するため人間にはその存在が分り難い。
また、その本質が霊的、心理的なものであるため更に分り難く、「ある」、「ない」の議論が生ずる余地を生みます。
 この法則を物理法則と同じくらい確実なものとして認識出来るか否かは、その人の霊性を測る一つの物指しと言っても良いでしょう。
 
 話を簡単にするために、ここでは魔龍さん自身による「カルマのまとめ」に対して私の考察を付記します。詳細は過去記事に書いてあるので要約に止めます。

カルマのまとめ

1.支配層は大魔導師、よってカルマの法則の有無は把握している。
 
・ 然らん。

2.支配層は非道な行為を実施している。よって、回避する術を編み出しているか、自分達には適用されない事を確信している。

・ 「悪も神の働き」である。必要があって存在を許されているのであり、ある段階まではカルマの清算を猶予されている可能性がある。
しかし、宇宙神による「霊的進化」の巨大な圧力は如何なる抵抗も押流し、最終的にはカルマの清算が必要になる。

参考記事: 進化した「魔導師」の運命 (2014/05/27)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-458.html

 悪の働きは基本的に三種類あると思われる。
一つは善を験(ため)し鍛える役目、いわば、善の妨害者となることである。
もう一つはネガティブカルマの解消執行者としての役目である。これは一見非道に見えて、実際には殆んどカルマになっていない。
 本当の悪は自由意志によって犯す利己主義の罪である。これはカルマの法則によって矯正され霊的進化を促進する。
この悪の働きなくして、善も存在しえず成長もしない。

 魂は確かにモナドのレベルでは全知全能にして愛そのものであるが、次元を下がるにつれて不完全なものになって行く。
霊的進化とは、この低次元の泥沼の中をもがきながら多くの経験を積み、内なる神性に目覚めて上昇して行く過程である。
 この過程が自動的に進行するように作用しているのが因果律(カルマの法則)である。
「カルマの法則」は内なる神モナドから発し、カルマの司(つかさ)達によってコントロールされている。
 これによってモナド自身が更に進化して行く。モナドは太陽司神を経て究極的には宇宙神に繋がっている。
「カルマは存在しない」と考えるのは、「霊的進化」という「宇宙が存在する理由」を理解しないものである。
 
3.支配層は大魔導師。つまり、大衆から奪っているのは、お金とか権力だけでなく、超能力すらも奪っている。実際の罪は膨大過ぎて支払う事は不可能。

・ 上に述べたように、一見ネガティブカルマに見えて実際はそうでないものが多く存在する。
基本的に償えないほどの大きな罪は犯せない。(悪を犯す自由意志も無制限には与えられていない)

4.自分で回避できなくても、祓ってくれる術者に浄財と称してお金を払う方法もある。また、悪口などを言われただけで、簡単に負のエネルギーは消えてゆく。

・ 悪口を言われて何故、カルマが消えるかと言えば、“苦しい”からである。
病気とか怪我とか損失とかも、その形態よりも、そこから受ける“苦しみ”に意味がある。
従って、悪口を言われて“苦しみ”を感じないような輩にこの方法は効かない。
 尚、苦しみを感じないで済むカルマの解消法に“善行”がある。

5.カルマというと、なかなか克服できないようなイメージを植え付けられている。しかし、エネルギーというのは流動的で、容易に行き来する。等価ではなく、不釣り合いで交換される。

・ カルマは「心の癖」から発生するので、その克服は容易ではない。
・ カルマのエネルギーは、流動的ではあるが心理的には等価である。

6.支配層は人間ではない。そもそも人間と同じ法則が適用されるのかも疑問。

・ 信頼出来る宇宙人からの情報によれば、地球人と ET は肉体は違っても霊魂に大差はない。地球人も宇宙人の一種である。法則も共通している。全宇宙が究極的には一なる存在から発しているからである。


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テーマ : 考察
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またコメントさせていただきます。
この記事内容には基本的に同意致します。
その上で私なりに思うところを述べさせて頂くと、巷に溢れてる通俗的なカルマ論というものにも、そもそも問題があるように思われます。
たとえば「良いことがあったから、悪いことが起こる、逆に悪いことがあったから、良いことが起こる・・それによってバランスが保たれる」というような考え方も、その一つです。
しかも、そうした場合、良いこと・悪いことというのは、自我やエゴを基準とする観点から見た評価であるにすぎません。
スピリチュアリズムで説かれるカルマ論(因果律)というものは、そもそも自我やエゴを基準とする観点からは、その働きや作用を正確に理解・認識することは難しいようなものだと考えます。
自我やエゴを超えた視点から、評価する必要があるからです。
ブログ主さんにとっては、今更、言うまでもないことだと思いますが、ここがわからない人にとっては、わからないのだと思います。
霊的真実(あえて真実と言いますが)への認識を抜きにして、通俗的なカルマ論だけが一人歩きしてることによって、さまざまな誤解が発生してるように思われます。
また、さまざまな人間が、自分にとっての都合のいいカルマ論を生み出す余地もあります。
そうすると、カルマのある・なしを議論してみても、どこかチグハグで噛み合わない議論になってしまうのではないでしょうか?
魂の再生問題を議論するときの難しさとも、共通するものがあるように思われます。
また、キリスト教とイエス・キリストの教えが必ずしも同じものでないように、通俗カルマ論とスピリチュアリズムが説く因果律も、必ずしも同じものとは言えません。

魔龍さんとブログ主さんの議論(というか対立構造)は、自分にとっても参考になる点が多々ありました。
自分なりに、さらに考察と認識を深めてゆきたいと思います。
ありがとうございます。
プロフィール

日月の民草

Author:日月の民草
 ハンドルネーム666です。

五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。
六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、
六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、
666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。
(五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第15帖)

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