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魔龍さんのカルマ論を考える(1)

 魔龍さんのカルマ論を俎上に乗せる前に武田邦彦氏のこんな最新記事を見付けました。
以前から感じていたことなので一種のシンクロ現象です。換言すれば、霊界からの支援です。

 武田氏が言っていることは、要するに「人間は自分の得になることを正しいと思い、損になることを間違っていると感じる」ということです。理屈はそれを正当化するために後から付けます。
 魔龍さんのカルマ論の核心である、「支配層は非道な行為を実施している。よって、回避する術を編み出しているか、自分達には適用されない事を確信している」もこれに該当します。
そうであってくれなければ魔龍さんがやっていることの正当性が足許から崩れてしまいます。だから、魔導師ならば、何をやってもカルマの負債を負わずに済む筈だと思っているのです。
 勿論、私は「そうは問屋が卸すか!」と思っています。
(当ブログでも2回言及したことのある)「悪口」くらいでちょこちょこと祓えるような罪ではなく、もっと大きな「御用の悪」です。

 同様の事情は「タラの芽団地」さんも同じです。
この人の場合は、「ヨガ」とか「タオ」とか、会社を経営している(だからハードな経済崩壊ではなくコブライベントに期待すると御本人が言っている)ことなどが背景にあり、理屈の方は取って付けたものです。
 極め付けは「カルマは存在しない」、「自分が体験したこと以外は信じない」です。
これはある意味、唯我独尊問答無用、偉大な霊覚者達はもとより宇宙創造神よりも自分が偉いと言っているに等しいことです。

 事情は私も同じでカルマの存在を否定されると、自分の一生は何だったのだということになります。それでもこのお二人よりはずっと有利な立場にあると思います。
何故なら、魔龍さんが目指しているのは魔導師という時代遅れの支配層の一角であり、どう見ても真正スピリチュアリズムの香気は感じ取れません。
宇宙人オレンジャーも言っているアセンションも全然信じていないようです。
 一方、タラの芽さんが目指しているのは独善的なヨガやタオであり、ウソつきのコブラ擁護派でもあり、偉そうな事を言う割にはブログ記事は平凡です。
 この、やや特殊なお二方に対し、私は浩瀚なスピリチュアリズムの大道を行く者です。
しかも、単なる本読みではなく、身を以ってカルマの大ミソギを経験し、生涯をかけて霊的真理を探究して来た人間です。
霊的にも実生活でも筋金が入っており、邪神、邪霊との闘いにも慣れています。
                          (続) 
 

〔引用記事〕
「マスコミが伝えない事実と解説」武田邦彦(中部大学)
正しいとはなにか? 追補版 「正しい」と思う前の手続き
http://takedanet.com/2014/10/post_9cbb.html

 人は日常的に目の前にあることや話題について、「正しい」とか「間違っている」と判断する。自分の得になることを正しいと思い、損になることを間違っていると感じる。これは動物としてまともな事で、自己防衛反応である。
 しかし、人間はそれだけだと理性が納得しない。そこで、周囲の人が納得できる言い訳を考える。この場合の理性は「自分一人では人生を送って行けない」という理由から発動されると考えられる。
 だから、「正しい」というのは「単なる理屈付け」であって、もっと大っぴらに「俺の得になるから、正しいと思う。でもそれではみんなが納得しないからこういう理屈はどうか?」というのが誠実な態度かも知れない
だから人間は殆んど瞬時にして「(自分にとって)正しいか間違っているか」が分る。何故ならそれは「損得」を判断しているからだ。(損得なら瞬時に判断出来る)
                     (以下省略)

                    
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「そうは問屋が卸すか!」
まさにインペレーターが言いそうな言葉ですね(笑)
私もスピリチュアリズムを支持する立場から同意見です
悪口を言われたくらいでカルマが解消されるなら世話ないですね
魔龍さんは聞く耳を持たないでしょうが、それは仕方ないでしょう
私も彼の主張には同意できませんが、かといって彼を納得させられるとは思いません
地上の人間に、カルマがどう働くかを正確に認識することは不可能ですから
スピリチュアリズムの歴史における知見の蓄積に理性的に納得し、それを受け入れた後であっても、最後の最後には信仰の問題になってきますよね
信仰や信念は、その全てが損得と結びついてるわけではありません
損得の問題とは関係なく、われわれには信仰・信念を選択することができ、その責任を負うことになるのも本人です
この原則から逃れられる者は誰一人としていないと、私は信じてます
祈祷師によってカルマがなんとかなるというような都合のいい主張は、中世のキリスト教における免罪符を思わせます
まとまりのないコメントになりましたが、自分にとっては興味深い記事でした
ありがとうございます
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日月の民草

Author:日月の民草
 ハンドルネーム666です。

五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。
六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、
六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、
666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。
(五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第15帖)

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