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中国が白人と戦わなかった理由

「マスコミが伝えない事実と解説」 (武田邦彦 中部大学) 
中国はなぜ白人と戦わなかったのか?
中国はなぜ白人と戦わなかったのか?(その2)

      平成26年9月23日
http://takedanet.com/2014/09/post_14de.html
http://takedanet.com/2014/10/post_53be.html

抜粋

 「中国は何故、白人と戦わなかったのか?」を理解するためには、「中国とはどういう国だったのか?」と「清はどういう帝国だったのか?」を知る必要があります。

 清は満州にいた(中国人=支那人とは違う)女真族の王、ヌルハチを祖にする国で、満州で力をつけ、当時、ボロボロだった中国の王朝、明を滅ぼして北京に都を定めました。
 もともと満州は荒涼とした土地で、ものすごく寒かったので、北京に移動した彼らには天国のようなものだったのです。
爛熟した明の文化を味わい、広大な宮殿、美人揃いの後宮など、それまで田舎暮しだった女真族の指導者にとっては夢の北京だったのです。

 明の時代に北京のすぐ北に万里の長城を作って「夷狄」(いてき、野蛮な外国人)から中国(支那)を守ろうとしたことでも解るように、中国人(支那人)の意識は、「中国は中原だ」(中原とは中国の中央部の平野)だということで、特別な場合を除いて積極的にはその外に膨張することはありませんでした。

 ところが、清王朝は元々「万里の長城の外の人」ですから、領土の制約はありません。
そこで、力のあった清朝の最初の時期にはどんどん外の領土を取り、大きな国になりました。(最盛期は乾隆帝の時代)
 下に宮脇先生からお借りした明と清の領土の大きさを比較しましたが、清の領土がそれまでの中国の領土より格段に大きい(約3倍)ことがわかると思います。
〔画像〕
明の版図 (http://takedanet.com/images/2014/09/27/photo.jpg
清の版図(≒中華民国) (http://takedanet.com/images/2014/09/27/photo_2.png

 つまり、明の領土が元々の漢民族が住んでいた「中原」とほぼ同じで、その外側は異民族だったのです。
明の時代ですら、その領土でも南の地方には少数民族が住んでいました。このことが後に白人が来た時の中国の政策に大きな影響を与えます。

 19世紀に入ると白人は東南アジアをほぼ制圧して、中国にやって来ます。南からはイギリスとフランス、北からはロシアでした。
もし中国という国が小さく、白人が進む途中にあったとしたら中国も奴隷的植民地になったのですが、国が大きく奥座敷にあったので、白人も全部を植民地にするという必要はなかったのです。

 そこで、清王朝と交渉して、次々と「不平等条約」を結び、「領土と利権」を取って行きます。
最初はイギリスとの南京条約ですが、その後、フランス、アメリカ、ロシアと次々に不平等条約を結び、清王朝が取った膨大な土地を少しずつ切り売りして行きます。

 当時の清王朝の天子(皇帝)は既に満州からやって来た頃の覇気はなく、北京の王朝で後宮の女性と楽しい暮しをしていましたし、第一、自分やその他の王族、官僚にとってみれば、生涯に亘って見ず知らず、行くこともない遥か遠い土地を少しぐらい白人に分けてもどうってことはなかったのです。

 私達日本人にとっては「日本国」というのがあり、その中で「遠州」とか「備中」という地域に住んでいるのであって、日本国はどこに行っても日本人が住み、言葉は日本語が通じたのです。
 ところが、中国やヨーロッパの場合、「中国」、「ヨーロッパ」という地域があるだけで、そこには「どこからかやって来た言葉も通じない王様とその一族」が居て税金を取るという事だったのです。
(中略)
 清の皇帝とその一族は女真族で、「中国が我が領土」という感覚はなく、「うるさい白人に少し土地をやっておけば良い。贅沢に暮せれば良い」ということで、愛国心もなく、そこに住んでいる住民(国民とは思っていない)の事など考える筈もなかったのです。

 だから、19世紀の初めにイギリスと小競り合いをしただけで、あとは割譲に割譲を繰返して19世紀末まで来ました。
さらにそこで、それまで属国だった朝鮮(李朝朝鮮)との関係を巡り日本と対立、日清戦争が起りました。

 それまで中国に少しずつ領土や利権を得て満足していた白人は、日本があっさりと「大国」と思っていた中国を破ったので、「これは更に行ける」と考え、先ずは日本が中国から得ようとした戦争賠償金を狙い、更に土地を狙って来ます。
「中国は死んだ虎だ」ということがはっきり分ったのです。

 中国は更に割譲を続け、ロシアには満州を(鉄道使用権、軍港など全部ではないが、主要部分)、ドイツには遼東半島を、イギリスには海岸線を、フランスには南部を、アメリカには鉄道敷設権などを与え、自分達は北京から西と西南の土地を持ってそこからのあがりで贅沢な生活をすれば良いということになったのです。

 つまり、中国だけが白人と戦わなかったのは、「白人は強いがアジア人は俺たちの部下だ」という考えで、指導層が「自分達一族だけが贅沢な生活が出来れば良い」ということだったからです
これが中国人の考える「国の防衛」ということでした。

 ちょっと付足しますと、朝鮮は日清戦争で清の属国から離れたのですが、国は荒果て王朝はないも同然でした。
そこで(朝鮮は)清が引いた後、日本が出て来るのを恐れ、どうせ誰かに国土を渡すならロシアの方が強いから、ロシアの属国になろうということになり、朝鮮半島の南端、対馬のすぐ前にロシアの海軍基地を作ることを了解したのです。(このロシアの脅威に対抗するために日本は朝鮮半島に進出する)

 白人と戦わなかったという点では中国も朝鮮もほぼ同じです。
「強いものには抵抗せず、まあまあ頑張れそうなら頑張る」と言っても良いし、「自分より強そうなら従い、弱そうなら攻撃する」ということでもあったので、結果的に、世界最強と言われたロシアの陸軍や、七つの海を支配したイギリスの海軍には従ったのです。

 それに対して日本は薩英戦争で薩摩の大砲がイギリスの東洋艦隊を破り、日露戦争でロシアに勝つという当時の世界の見方では真逆の結果を出したのですが、日本の方が無謀で中国や朝鮮の方が普通のやり方だったとも言えます。

 第二次世界大戦が終って見ると、中国は白人側についていた(日本が戦った蒋介石軍は米英の支援を受けていた)ので、そのまま独立が認められ、朝鮮は日本国だったので、日本から離れましたが、その他のアジア諸国は第二次世界大戦が終った後も、もう一度、激しい独立戦争を経験したのです。

 この間、中国は中華民国と共産党の間で激しい国共内戦があり、アジア諸国の独立に援助は一切、行ないませんでした
中華思想、アジアの盟主と言っても、中国の場合は「自国のため」だけを考えて行動するという特徴があるようです。白人と同じ発想
 そして「白人と戦ったことがない国、中国と朝鮮」が、「当時の常識では考えられないこと・・・白人と戦ってアジアの力を示す」という行動に出た日本を憎むのは当然のようにも感じられます。

 もし、中国が日本を認めたら、それは「アジアの国が白人に抵抗すべきだった」ということを是認することになり、それこそ中国の歴史を否定することになるからです。
 中国が白人側についたことを隠すためにも、「白人は侵略しても良いが、アジア人である日本が白人と戦うのは許せない」と言いたいのでしょう。(要するに、中・韓は同じアジア人である日本人がやったことが気に入らない)
それが歴史的事実とは違うことを主張し、更には日本の中に反日日本人を作り、共同で運動を進める理由と考えられます。


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五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。
六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、
六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、
666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。
(五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第15帖)

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