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魂が目覚める時(2)

古代霊は語る シルバー・バーチの霊訓より』 近藤千雄・編 (潮文社)
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/kodairei.html#4
〔なわさんのサイトから転載〕  

第4章 苦しみと悲しみと ~ 魂の試練 (2)  

 神は瞬時たりとも休むことなく働き、全存在の隅々まで完全に通暁しております。神は法則として働いているのであり、晴天の日も嵐の日も神の働きです。
有限なる人間に神を裁く資格はありません。宇宙を裁く資格もありません。地球を裁く資格もありません。あなた方自身さえも裁く資格はありません。物的尺度があまりに小さすぎるのです。
物的尺度で見る限り、世の中は不公平と不正と邪道と力の支配と真実の敗北しか見えないでしょう。当然かも知れません。しかしそれは極めて偏った、誤った判断です。
 地上では必ずしも正義が勝つとは限りません。何故なら因果律は必ずしも地上生活中に成就されるとは限らないからです。
ですが、地上生活を超えた長い目で見れば、因果律は一分の狂いもなく働き、天秤は必ずその平衡を取戻します。
 霊的に観て、あなたにとって何が一番望ましいかは、あなた自身には判りません。
もしかしたら、あなたにとって一番イヤなことが、実はあなたの祈りに対する最高の回答であることも有りうるのです。
 ですから、なかなか難しいことではありますが、物事は物的尺度ではなく霊的尺度で判断するよう努めることです。
というのは、あなた方にとって悲劇と思えることが、私共から見れば幸運と思えることがあり、あなた方にとって幸福と思えることが、私共から見れば不幸だと思えることもあるのです。
 祈りにはそれなりの回答が与えられます。
しかし、それは必ずしもあなたが望んでいる通りの形ではなく、その時のあなたの霊的成長にとって一番望ましい形で与えられます。
神は決して我が子を見棄てるようなことは致しません。しかし神が施されることを地上的な物指しで批判することは止めなければいけません。

 絶対に誤ることのない霊的真理が幾つかありますが、その中から二つだけ紹介してみましょう。
一つは、動機が純粋であれば、どんなことをしても決して危害を蒙ることはないということ。
もう一つは、人のためという熱意に燃える者には必ずそのチャンスが与えられるということ。この二つです。
 焦ってはいけません。何事も気長に構えることです。
何しろこの地上に意識を持った生命が誕生するのに何百万年もの歳月を要したのです。
さらに人間という形態が今日のような組織体を持つに至るのに何百万年も掛かりました。
その中からあなた方のように霊的真理を理解する人が出るのにどれほどの年数が掛かったことでしょう。
その力、宇宙を動かすその無窮の力に身を任せましよう。誤ることのないその力を信じることです。
 解決しなければならない問題もなく、争うべき闘争もなく、征服すべき困難もない生活には、魂の奥に秘められた神性が開発されるチャンスはありません。
悲しみも苦しみも、神性の開発のためにこそあるのです。
 「あなたにはもう縁のない話だからそう筒単に言えるのだ」――こうおっしゃる方があるかも知れません。
しかし私は実際にそれを体験して来たのです。あなた方より遥かに長い歳月を体験して来たのです。何百年でなく何千年という歳月を生きて来たのです。
その長い旅路を振返った時、私は、ただただ、宇宙を支配する神の摂理の見事さに感嘆するばかりなのです。 一つとして偶然ということがないのです。偶発事故というものがないのです。
 全てが不変絶対の法則(因果律)によって統制されているのです。
霊的な意識が芽生え、真の自我に目覚めた時、何もかもが一目瞭然と解るようになります。
私は宇宙を創造した力に満腔の信頼を置きます。

 あなた方は一体何を恐れ、また何故に神の力を信じようとしないのですか。
宇宙を支配する全能なる神に何故身を委ねないのですか。
あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って、神の御胸に飛込むのです。神の心を我が心とするのです。
 心の奥を平静に、そして穏やかに保ち、しかも自信を持って生きることです。
そうすれば自然に神の心があなたを通じて発揮されます。愛の心と叡智を以って臨めば何事もきっと成就します。聞く耳を持つ者のみが神の御声を聞くことが出来るのです。
愛が全ての根源です。愛 ― 人間的愛 ― はそのホンのささやかな表現に過ぎませんが、愛こそ神の摂理の遂行者なのです。
 霊的真理を知った者は一片の恐怖心もなく毎日を送り、いかなる悲しみ、いかなる苦難にも必ずや神の御加護があることを一片の疑いもなく信じることが出来なければいけません。
苦難にも悲しみにも挫けてはいけません。なぜなら霊的な力は如何なる物的な力にも優るからです。
 恐怖心こそ人類最大の敵です。恐怖心は人の心を蝕みます。
恐怖心は理性をくじき、枯渇させ、マヒさせます。あらゆる苦難を克服させる筈の力を打ちひしぎ、寄せつけません。心を乱し、調和を破壊し、動揺と疑念を呼起します。
努めて恐れの念を打消すことです。
真理を知った者は常に冷静に、晴れやかに、平静に、自信に溢れ、決して乱れることがあってはなりません。
 霊の力は即ち神の力であり、宇宙を絶対的に支配しています。
ただ単にが絶対 all-powerful というだけではありません。絶対的な叡智 all-wisdom であり、また絶対的な all-love でもあります。生命の全存在の背後に神の絶対的影響力があるのです。

 鋼(はがね)は火によってこそ鍛えられるのです。
魂が鍛えられ、内在する無限の神性に目覚めて悟りを開くのは、苦難の中に於いてこそなのです。
苦難の時こそあなたが真に生きている貴重な証しです。
夜明けの前に暗黒があるように、魂が輝くには暗黒の体験がなくてはなりません。
そんな時、大切なのはあくまでも自分の責務を忠実に、そして最善を尽し、自分を見守ってくれる神の力に全幅の信頼を置くことです。
 霊的知識を手にした者は挫折も失敗も神の計画の一部であることを悟らなくてはいけません。
陰と陽、作用と反作用は正反対であると同時に一体不離のもの、いわば硬貨の表と裏のようなものです。表裏一体なのですから、片方は欲いがもう一方は要らない、という訳には行かないのです。
 人間の進歩のために、そうした表と裏の体験、つまり成功と挫折の双方を体験するように仕組まれた法則があるのです。神性の開発を促すために仕組まれた複雑で入組んだ法則の一部、いわばワンセットなのです。
そうした法則の全てに通暁することは人間には不可能です。
どうしても知り得ないことは信仰によって補う他はありません。盲目的な軽信ではなく、知識を土台とした信仰です。
 知識こそ不動の基盤であり、不変の土台です。宇宙の根源である霊についての永遠の真理は、当然、その霊の力に対する不動の信念を産み出さなくてはいけません。
そういう義務があるのです。それも一つの法則なのです。
 恐怖心、信念の欠如、懐疑の念は、折角の霊的雰囲気を撹乱します。
われわれ霊界の者は信念と平静の雰囲気の中に於いて始めて人間と接触出来るのです。
恐れ、疑惑、心配、不安、こうした邪念はわれわれ霊界の者が人間に近づく唯一の道を閉してしまいます。

 太陽がさんさんと輝いて、全てが順調で、銀行にたっぷり預金もあるような時に、神に感謝するのは容易でしょう。しかし、真の意味で神に感謝すべき時は辺りが真っ暗闇の時であり、その時こそ内なる力を発揮すべき絶好のチャンスなのです。
しかるべき教訓を学び、魂が成長し、意識が広がり且つ高まる時であり、その時こそ神に感謝すべき時です。霊的マストに帆を掲げる時です。
 霊的真理は単なる知識として記憶しているというだけでは理解したことにはなりません。実生活の場で真剣に体験して初めて、それを理解するための魂の準備が出来上るのです。その点がどうも良く解って頂けないようです。
 タネを蒔きさえすれば芽が出るというものではないでしょう。芽を出させるだけの養分が揃わなくてはなりますまい。
養分が揃っていても太陽と水がなくてはなりますまい。そうした条件が全部うまく揃った時にようやくタネが芽を出し、成長し、そして花を咲かせるのです。
人間にとってその条件とは辛苦であり、悲しみであり、苦痛であり、暗闇です。
 何もかもうまく行き、鼻歌まじりの呑気な暮しの連続では、神性の開発は望むべくもありません。
そこで神は苦労を、悲しみを、そして痛みを用意されるのです。
そうしたものを体験して始めて、霊的知識を理解する素地が出来上るのです。

 そして一旦霊的知識に目覚めると、その時からあなたはこの宇宙を支配する神と一体となり、その美しさ、その輝き、その気高さ、その厳しさを発揮し始めることになるのです。
そして一旦身につけたら、もう二度と失うことはありません。
それを機に霊界との磁気にも似た強力な繋がりが生じ、必要に応じて霊界から力なり影響なり、インスピレーションなり真理なり美なりを引出せるようになるのです。
 魂が進化した分だけ、その分だけ自由意志が与えられるのです。
霊的進化の階段を一段上がる毎に、その分だけ多くの自由意志を行使することが許されます。
あなたは所詮、現在のあなたを超えることは出来ません。そこがあなたの限界といえます。
が同時にあなたは神の一部であることを忘れてはなりません。如何なる困難、如何なる障害も、必ず克服するだけの力を秘めているのです。
霊は物質に優ります。霊は何ものにも優ります。霊こそ全てを造り出すエッセンスです。
何故なら、霊は生命そのものであり、生命は霊そのものだからです。
                         (終り)


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プロフィール

日月の民草

Author:日月の民草
 ハンドルネーム666です。

五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。
六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、
六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、
666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。
(五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第15帖)

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