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ヴィセント・ギリェムの『魂の法則』 (11) 

「zeraniumのブログ」
すべてにおいて「因果応報」という正義が行なわれる
      2014年9月12日(金) 
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-f979.html

イザヤ: あなた方の世界では、責任が取れるだけの数以上の子供は妊娠しない方が良いし、そのための避妊は、転生する魂を損傷することなく妊娠を防ぐ手段となる。
地球よりも進んだ世界では、妊娠して魂を宿すためには、単なる性的な関係以上のものが求められるものであり、自らの進化の必要性によっても生む子供の数は異なる。

 もし女性が子供を欲しくないのに避妊をせず、その結果妊娠し、中絶をした場合を見てみよう。
この場合、将来彼女の魂が再び転生してある母親の母胎に宿った時、その母親もまた彼女がしたのと同じような理由から彼女を中絶することになる。
 何故なら因果応報の法則は、自分が招いたのと同じ状況に自らを置くものであり、前世で自分が他者にした行為である中絶は、次に生れ変る時には同じく自らが中絶されることになり、あるいは妊娠出来なくなったりするからである。

 また家庭において、両親と子供の間にある問題の多くが、かつて中絶したり、そうしようとしたことから派生したものであることを知っているだろうか? 
転生しようとした魂が十分進化していなかった場合、生れる機会を奪われたことを赦せず、霊界から悪影響を及ぼして復讐しようとすることがある。
 また、やっと母体へ転生出来たとしても、妊娠中の無意識下にあるそうした記憶が、自分や親への敵対心に変ることもある。
それがトラウマとなり、精神的あるいは肉体的な病気を持って生まれることもある。

 中絶が容認されるケースもあり、特に母親が死ぬ懼れのある場合だが、まだ生れていない者の命と、既に生れている者の命のどちらかを選ばねばならない場合、後者を選ぶ方が好ましい。
 強姦の結果妊娠した場合は、生れる魂の権利よりも母親の自由意志が優先される。
つまり意に反して妊娠してしまったわけなので、母親には産まない権利があり、それは魂の「自由意志の法則」に反する行為とは見なされない。

 しかし、強姦というおぞましい行為が引起こしたものであっても、霊界は常に、生命を育むようにと応援をする。
またこのような強姦という状況であっても、それが偶然の成行から起きたものである場合は少なく、当の魂が前世において行なった行為の結果が、対峙(たいじ)させている状況かも知れないと理解すべきである。
どちらにせよ、一番納得出来る選択肢を選ぶのは当の女性でなければならない。

 胎児が何らかの先天性の病を持って生れて来ることが分った場合、前のケースとは異なり、それを理由に中絶するのは霊的観点から擁護は出来ない。
あなた方の物質主義的な視点からは、何らかの先天性の病いを持つ人の人生は無駄で、苦しみには意味がないと思われている。
しかし霊的な視点は、別の展望で物事を見る。

 つまり、不完全に見える肉体の中に、健全な肉体に宿るのと同じ魂が宿っていることを理解しなければならない。
魂が、使い勝手の良くない肉体であるために、物質世界で完全に自己を表現出来ないとしても、健全な肉体に宿っている存在と同じように、感じたり気づいたり出来ないわけではなく、彼が自分自身で選択したその体験から学べないわけでもない。

 なぜなら、このような状況に敢えて生れ変る魂は、偶然にそうなったわけではないからである。
あなた方の多くには、そうした人生は多難で不可解なものに見えるかも知れないが、実はそうした状況は、転生してくる魂とそれを受入れる家族の霊的な進化にとって、より良く貢献出来る環境なのだ。

 肉体的障害あるいは精神的障害というものは、その肉体が死を迎えるや否や消滅するものであり、魂にとっては単なる一時的な状況に過ぎない。
しかも多くの場合、そうした肉体による経験を通して意識は目覚め、彼らの間で繰広げられた感情的経験はより自覚されて補強され、霊的な成長や学びとして残るのだ。
 故に、このケースのような状況を中絶で断ち切ることは、それに関る複数の魂達の進化成長の可能性を、敢えて「断つ」ことになるのだと気づかねばならない。

 勿論、赤ん坊の先天的な病気を避けるために、様々な試みで苦痛を予防しようと尽力するのは当然である。
だがそれによって、もっと辛い別の状況を生出してはならない。
つまり、病気を防ぐ行為が非難されるのではなく、命に反する行為が非難されるのである。
前の例で言うならば、生れてから病に苦しむという災いを避けるために、中絶という生命の抹殺を生出してはならないのである。

助けを必要とする人は助けなければならない

イザヤ: いかなる場合であっても、助けを必要としている人が、その人がどんな人で何をしたかに拘らず、助けてあげるべきだと心しなければならない。
その人を翻弄する理解し難い辛(つら)い状況が何に起因するのかという知識は、その理解力によって必要な人を支援する力を得るために与えられるのだ。
つまり、自業自得であるとか、前世での悪事に見合ったものを受けているなどという口実が、人への支援を拒む言訳として利用されてはならない

 転生に際し、魂の過去の記憶や意識の喪失は、母体の妊娠の過程で始まることもあるが、眠気を催すように徐々に昏睡状態に入って行く。
しかし未だあまり進化していない魂は、直ぐに昏睡状態となる。
進化した魂は霊的により自立しているので、意識もより最後まで失わない。
場合により誕生の瞬間まで自由でいられることもあり、誕生後も幼子として何年かに亘り、転生前の自由の中に留まる場合もある。

 本来の純粋な魂の状態には性別というものはない。
性別とは、あなた方の物質的世界に存在する必要性からだけ生じるものである。
つまり魂が必要としている学びが何であるかによってのみ、ある人生においては男性であったが、次の人生では女性を選択することがある。
だが転生においては、どちらかの性だけをより熱心に選ぶ傾向が見られ、男女として一緒に転生することを決めたツインソウル(双子の魂)の場合は、どちらかが反対の性を選ぶ。

 肉体を離れた魂であっても、魂が未だ人間的進化段階にある場合、性別を区別出来る特徴をアストラル体に保ち、自らの進化状態に相応しい容貌や外見など自分が好きな姿で現れることが出来る。
そのために死後間もない魂は暫らくの間、自分が望む最後に生きていた時の容姿や容貌の特徴を保っている。

 しかし魂が進化していて、最後の転生の出来事から完全に解放されている場合には、その顔立ちはより美しく、老化の跡は見られないだろう。
何らかの必要があって、高次の霊が物質的世界にいる人の前に現れる時には、その任務に必要な最適な姿と容貌を伴うものである。


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日月の民草

Author:日月の民草
 ハンドルネーム666です。

五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。
六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、
六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、
666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。
(五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第15帖)

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