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ヴィセント ギリェム 「自尊心」(1)

ヴィセント ギリェム 『魂の法則』  より抜粋
http://www.uv.es/vguillem/Tamashii_no_Housoku.pdf

ギリェム: 虚栄の段階を超えた魂は、他にはどんな進歩が出来たことになるのでしょうか。

イザヤ: 虚栄心から充分に解放され、完全に自尊の段階に入った魂が成し遂げた事を大まかに説明しよう。それは、しっかりとした愛の送り手になり、感情を理解出来る魂になったことで達成出来たものだ。
 先ず、正義の概念がもっと進歩している。自尊心に達した人は、外見的なものよりも本物で公正なものに気づいている。
一般的に気位の高い者は、より公平に行動する。不平等になりそうな場合は、自分が得しようとはせず、他者が蒙るであろう損害も考慮して決断する。
 最早、ちやほやされたいとは思わず、真に愛され愛することを求める。
気位の高い者が獲得した見栄っ張りとは反対の資質は、控えめになることであり、目立つことはしようとせずに、公正で寛大であることに満足を覚える。
 自尊心の強い者は、自分が愛する者には寛大である。それ故、人間関係においても注目の的になろうとはしない。
百の表面的な付合いよりも、一つの本物の友情を望むのだ。

 (中略)

ギリェム: 自尊とは何で、どういう顕れ方をするのでしょうか。

イザヤ: 自尊心の強い者の最大の問題は、他者に感謝されなかったり、利己的に振舞われたり、愛して貰えないことを、なかなか受容れられないことだ。
特に、愛情の絆を築いてしまった場合は、そうすることが難しい。
気位の高い者は、自分を愛してくれる者は容易に愛せるのだが、自分を愛してくれない者を愛することが未だ難しい。
 そのため、自分が好きな者を在るがままに認めようとはせず、その美徳にも抵抗があるが、特に欠点は認め難い。
また、自分の考えが間違っているかも知れないと認めるのが、本当に難しい。
 報われない愛、すなわち、どんなに愛しても利己的な態度を改めて貰えない事が我慢出来ない。
両親・兄弟・伴侶・子供など、非常に身近な家族の場合は特にだ。
彼らを変えようと自分が努力して変化を期待するのだが、何も変えられないと絶望し、気落ちして怒ったりする。
 思いやりのあるちょっとした態度を示されると意のままになるのに、操られていたと気づくと激怒し、その人に恨みを抱く。
表面的には自分の行為の代償は求めていないが、感謝されなければ、例えば、相手を助けようと一生懸命やったのにその代りに殴られたりすると、気持ちをどう整理して良いのか未だ分らない。
 そのため、気位の高い者が感謝をされなかったり、失恋したりという目に遭うと、自尊心が次々に形をとって顕れる。
感情を害されたり傷ついたりすると、自分の殻に閉じこもり、人間関係から孤立する。
 そして、怒り・憤り・無気力・意固地・恐れ・罪悪感が目覚める。
自分の奥深い感情を傷付けられるのが怖いので、気持ちを表現するのを恐れ、感情や情緒を隠そうとする傾向がある。
 憐れみの対象になりたくないので、否定的な感情は抑圧し、弱みにつけ込まれ傷つけられるのが嫌なので、他人に弱さを見せようとしない。
一方、見栄っ張りな人たちの嫉妬を買って睨まれたくないので、肯定的な感情も抑制する。
肯定的な感情を抑制し勝ちなことで、彼らは不幸な気持ちになる。
 否定的な感情を抑圧したり隠したりして黙って耐えると、突発的に、激怒・憤り・怒りなどが爆発してしまうが、その後で罪悪感を覚える。
人を信用せず、いかなる問題も自分だけで対処出来ると思い込む態度が、最も他の人たちから孤立させることとなる。

ギリェム: 自尊心が最も有害な形で顕れるとどうなりますか。

イザヤ: 自分には、真に愛されたり愛を受ける価値がないと信じ込んで、愛することも無意味だと思うようになる。これは、自分自身で孤立してしまう態度で、寡黙で無気力、臆病、陰気、憂鬱で怒りっぽく、生きる気力のない人へと変貌させてしまうこともある。
 前に、虚栄心の強い者は愛されてもそれを評価出来ないと言ったが、自尊心の強い者は、愛されることを拒んでしまう。
だから、どちらの理由であろうと、その人たちは欠点のせいで、愛されていても愛されていると感じられないのだ。
 虚栄心の強い者は、愛情を受取るよりも、自分の我欲を満たして貰うことに夢中だからだ。
そして自尊心の強い者は、傷つけられるのを避けようと自分の殻に閉じこもってしまい、どんな愛情ですら受取ろうとはしないからだ。
 それは子供の時から、僅かな注意を引くために、あらゆることをする必要があったためかも知れない。
だから、もっと良いことはないし、在るがままに愛されることもない、と自分を納得させてしまったのかも知れない。
 そしてどうなると思うかね? 自分が何をするかに関係なく、無条件に在るがままに愛してくれるという人が現れると、驚いて自分の内に隠れてしまうのだ。ただ単に信じられないので拒絶してしまうのだ。
「僕を利用しようとせずに、愛してくれるなど信じられない。これはきっと罠に違いない。受入れようと心を開けば、きっとグサッと刺されて、もっと苦しむに違いない。だから心を開く甲斐はない」と思うのだ。
 こうして幸せになるために必要とされるものがあり、それを評価出来るにも関らず、気位が高いとそれを拒んでしまう。そして、苦しみたくないと苦悩し、感情を優先しなかったことで苦しむ。

ギリェム: 自尊心を克服するにはどうしたら良いでしょう。

イザヤ: 虚栄心の場合と同じで、最初の一歩は欠点を自覚することで、その次は態度を是正することだ。
欠点を認識してそれがどのように具現するかの知識を得ただけでは、その出現を防ぐことは出来ないが、認識出来さえすれば、人生で決断を下す際に、自尊心に従った行動を回避する助けにはなる。
 我々が心の命じるままに決断するとしたら、自尊心は徐々に弱くなり、最終的には制覇されるだろう。
自覚すると、自尊心とは何か、自分にどのように顕れるか、何がそれを増長させるのかを深く知ることに繋がる。

 自尊心は、恐れ・不信・自己充足から発展し、孤立や感情の抑制という形態で出現する。
自尊心は、魂の感受性にとっては鎧のようで、難攻不落の城壁の如く魂を取囲み、感情の出入りを妨げる。それ故、この鎧を剥ぎ取る努力をせねばならない。
 気位の高い者が自尊心を克服するために最初にするべきことは、自分には愛される資格はないし本当に愛してくれる人に出会うこともない、という思い込みから自由になることだ。
 真の相思相愛を求める者は、遅かれ早かれそれを見つける。似通った魂はお互いを探し求めるし、出会った時にお互いが分るからだ。
だが、悪いことから身を守ろうとして扉をピッタリ閉じてしまうと、固く閉じ過ぎたがために、善いことも経験出来なくなるので、辛抱強い揺ぎない努力が必要だ。
危害が及ばないように慎重になるのは良いが、感情を放棄しては駄目なのだ。
 忘恩を忘恩で返したり、憎しみを憎しみで、恨みを恨みで返すのも良くない。我々を苦しませることは、他者をも苦しませるからだ。
感受性が発達して苦悩をより良く理解出来た者は、自覚がないままに苦痛を与える者よりも、苦しみを生み出す責任が重い。
 既に言ったが、繰返しておこう。君たちは独りではないのだ。
我々は一人残らず全員が、神や守護霊やその他無数の霊的存在や友人、そして肉体の有無を問わず霊的な家族に深く愛されているのだ。
 しかもそれだけではない。君たちの一人ひとりには、魂の伴侶である双子の魂が存在し、それを介して、純粋な無条件の愛の目覚めを体験する
のだ。ただ、そのことを自覚すれば良いだけなのだ。
 また、自分を傷付けた恩知らずでも、赦すことを学ばねばならない。
気位の高い者は、まだ気付けていない者を理解する力があるので、かつては自分も同じ状態であったと認識すべきなのだ。
 同時に、本当の自分自身になる恐れを手放さなくてはならない。
口では愛していると言いながら、従わせたいだけの人が仕掛けた罠からは自由にならねばならないが、反対の道を選んでもいけない。
つまり、苦しみを恐れて、人間関係で孤立するのも良くない。
 愛して欲しいと望むのは悪くはないが、皆の愛の能力が同じではない、と知っておかねばならない。
報われたいがために、親族だからとか一緒に暮しているからという理由だけで、相手に自分と同じ強さで、愛したり尊重してくれるように要求してはならない。
 愛情がない場合に、もっと責任が重いのはどちらだろう?
愛すことを知らずに愛さない者(虚栄心が強い者)か、それとも愛せるのに欠点のためにそうしない者(自尊心の強い者)だろうか。
 自己の自由意志を放棄してしまうことになるのであれば、他者を喜ばせるために過大な努力をしないことも大切だ。
相手の未だ目覚めていない感情を覚醒出来ると信じて、報われないのに過剰な努力をすると、何れ失望や悲しみ、幻滅や苦々しさ、怒りや無力といった形のつけを払わされる。
 既に言ったが、真の愛は、何の見返りも期待もせずに無条件に与えるもので、お返しする気のない人や全く与えることの出来ない人に、愛を強要出来ないのだ。
                          (続)


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日月の民草

Author:日月の民草
 ハンドルネーム666です。

五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。
六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、
六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、
666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。
(五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第15帖)

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