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ヴィセント ギリェム 「淫乱と色欲」 

 これを読むと、以前に当ブログで御紹介したオードリー・ヘプバーンが如何に優れた魂であったかが解ります。(天使の魂を持った女優
おそらく、彼女は美しく生れついた女性のあるべきお手本を示すために、地上に降りて来てくれた高貴な魂だったのでしょう。

    ハリウッドスターとして全盛期のオードリー・ヘプバーン
    オードリーヘプバーン
    画像転載元: (http://murakamisagan.web.fc2.com/sakubun/joyu-Audrey.htm

     晩年のオードリー・ヘプバーン
    オードリー
    画像転載元: (http://ameblo.jp/audrey-beautytips/entry-11165991855.html

 ヘプバーンの女優業は年齢と共に減って行き、後半生の殆んどを国連児童基金(ユニセフ)での仕事に捧げた。ユニセフへの貢献は1954年からで、1988年から1992年にはアフリカ、南米、アジアの恵まれない人々への援助活動に献身している。(Wikipedia)


ヴィセント ギリェム 『魂の法則』  より抜粋
http://www.uv.es/vguillem/Tamashii_no_Housoku.pdf

イザヤ: セックスへの依存は、虚栄心の顕れでも自尊心の顕れでもある。
だが、人がセックスを常習するようになる原因は、それぞれの場合で異なる。
そのため、見栄っ張りな者に特有の淫乱と、自尊心の強い者と尊大な者の特徴である色欲という、二つの表現形態に区別してみよう。

 淫乱とは、セックスの悦びへ過度に傾倒することだ。虚栄心の強い者のセックスへの依存は、他者から認められたいという欲求と関係している。
つまり、セックスを通して人から認められたり、称賛されたり、ちやほやされることを期待しているのだ。
 彼らは、自分自身を満たす手段として性的快楽に溺れるが、他者の欲求を配慮することが殆んどない。
しばしばセックスを利用して人を独占し、意のままにしたり優位に立とうとする。
 感覚が飽和し、飽き飽きしてしまうと、性欲をメンタルに駆り立てる手段として新しい刺激を探す。
それは、パートナーを頻繁に変えることであったり、サディズムとマゾヒズムなどの堕落した性様式に訴えたり、他の人たちをその意に反して乱交に巻き込んだりといったものだ。
 一方、自尊心が強い人のセックスの常習は、愛せる人がいないことを認められないとか、特定の人への愛情を抑圧したり認めようとしないなどの、愛情の空虚感や欲求に起因している。
つまり、自尊心の強い者が本当に必要としているのは、愛され愛すことなのだが、自分の愛情欲を認識せずに抑圧してしまうことが、安全弁のように、セックスへと逃避させてしまうのだ。
 要は、愛の欠如をセックスで補っているのだ。そのために過度の性欲があるが、虚無感は、性的なものではなく感情的なものなので、性関係では満たすことが出来ずに満足出来ない。
そこで、益々セックスを求めるようになる。そうすることで、この空虚感を癒そうとするのだが、上手く行かずに、前述のような堕落した様式に至る場合もある。

ギリェム: 色欲はどう克服するのですか。

イザヤ: 色欲に関しては、セックスによって満たそうとしている内面の虚無感は愛情の欠如によるもので、愛情だけがそれを満たすことが出来ると認めることが、それを克服する唯一の方法だ。

ギリェム: 淫乱はどう克服しますか。

イザヤ: それが虚栄心を反映したものだと認識して、それでは絶対に幸せになれないことに気づくのだ。
残念だが淫乱のケースの大半は、若さや肉体美や性力などの衰えが顕れ、性的魅力を失ったり、体が精神的な性欲に応じられなくなった時に、自然に消滅するのだ。
肉体の衰えにより、自分の取巻き連中は消え、それまでの人生の主要な刺激剤も失われる。
 こうして人は、便宜上の虚しい関係を築きながら、無意味な人生を送ってしまったという、厳しい現実に直面するのだ。
肉体的な魅力だけで寄って来る人たちに囲まれていたが、魅力が失われるや、その人たちは魔法のように消え失せるのだ。
その人の我欲にも関わらず、本当に愛してくれた何人かが残ってくれるかも知れないが、彼らに注意を払ったことなど殆んどなかった筈だ。
 虚栄心を満足させるために使用した外見美という武器が失われてしまうと、真相にずっと近い新たな局面と対峙しなければならない。
そこでは、人を惹き付けるためには、自分の内面から何か美しいものを引き出さねばならないのだ。
 こうして、便宜上の関係と気持ちの通う関係との違いを評価出来るようになり、後者を尊重することを学ぶだろう。

ギリェム: でしたら、美しく魅力的な人たちだけが淫乱なのですか。

イザヤ: そうではないが、その多くが淫乱の深みに陥り易い。
魅力がないその他の見栄っ張りな人たちは、そうしたいと思っても、欲しいものを手に入れる餌としては、肉体的な魅力を利用できないからだ。
 そういう場合は、虚栄心が羨望を呼起し、自分が持たない美貌を獲得したいという叶え難い欲望に駆られ、体重を落したり、整形手術を何度も受けようとする考えに取りつかれ、自分をより魅力的に見せようとする。
肉体的に魅力的なのに、完全な肉体を持とうとする執念に捉われてしまう人は多く、それは「ナルシシズム」または「肉体信仰」と呼ばれる虚栄心の具現形態の一つである。

ギリェム: ナルシシズムまたは「肉体信仰」がどういうものなのか、もう少し広く説明頂けますか。

イザヤ: それは、今言ったように、虚栄心の表現形態の一つであり、自己の肉体美が望み得る最大の価値を持つものとして傑出するものだ。
自分の体で満足出来ずに「完全な肉体」を求めることは、脅迫観念へと変る。
 これは精神的な病気であり、食べることを止めたり、あらゆる種類の痩身サプリ・強壮剤・興奮剤などを摂ったり、自分の命を危険に曝すことさえ厭わず、様々な人工物をインプラントするといった、常軌を逸脱した行動を取る。
 ナルシシズムに感化されてしまった人は、絶対に自分の体で納得しない。時間とエネルギー、意志とお金の全てを、肉体の改善へと費やしてしまう。
肉体自体が自分自身だと思い込んでいるのだが、実際には、物質界で動くために使用する衣服に過ぎない。
 いつかは理想的な肉体を手にして幸せになれるのだ、という偽りの幻想を抱いている。
そして幻想を利用して儲けている、エステ産業や化粧業界や消費主義によって、その信念が益々強まって行く。
 だが、その幻想は我欲が仕掛けた罠に過ぎず、それでは幸福にはなれない。
幸福は、愛を育むことでしか獲得出来ないのだ。そのため、不満はどんどん膨張する。
そして、体内時計が老年へと向って情け容赦なく進んで行くにつれて、あんなにも一生懸命になって得られた成果が、老化という自然現象によって台なしにされて行くように思える。
人生はこうして過ぎて行き、かつては美しかった肉体を完全に去る時が来て、非情にも自然の腐敗プロセスが宣告される。
 魂は霊界に戻ると、今や墓の中で朽ちた自分自身ではなかった肉体を美しくしようと無駄に時間と努力を費やしたことに気づき、魂という永続する本当の自分を改善することには殆んど努力しなかったことに気づく。
しかし、手遅れなことなどない。
魂の命は存続するので、再び生れ変って、着ている肉体を自分だと思い込んで無駄にしてしまった人生でやらなかった事を、もう一度やり直せるのだ。

ギリェム: こういう見方をすると、肉体美は魂の進歩にとっては障害だと言っても良いですね。

イザヤ: 私の話から、美しさはそれ自体がネガティブな特性なのだと思わないで欲しい。
その反対に、魂が進化して行くにつれて内面の美に呼応して、魂が宿る肉体はより完全により美しくなるのだ。
そして実際に、君たちよりも霊的に進化している物質界では、そうなっているのだ。
 しかし、進化の乏しい魂たちが支配する後進的な世界では、確かに諸刃の剣となる。
虚栄の段階から抜け出せない進化の乏しい魂にとっては、肉体的な魅力は虚栄心の奔放を許す武器となり、そのために使用される。
気紛れ・下品・不躾・横柄に振舞っても、自分の肉体美が欲しいものを与えてくれると知っているのだ。
 それは、称賛してくれる者や、ちやほやしてくれる人たちだ。
目も眩む肉体の美しさで欲しいものが手に入るのなら、なぜ善い人になる努力をする必要があろうか?
 
 …こうして何時しか老年になり、自分の唯一の魅力を失い、独り取残されて、自分のモラルの貧しさに失望する。
美しく魅力的な外見を維持することばかりにかまけていて、内面を改善しようと努めたことが一度もなかったからだ。

ギリェム: ナルシシズムはどう克服しますか。

イザヤ: 自分は肉体ではないので、肉体にそれほど煩わされるべきではないと認識するのだ。人が幸せになるためには自分自身を、つまり自分の内面を耕さねばならないのだ。
 肉体美という罠に陥った多くの魂がそのことを知っている。
そのため、自分の体ばかりを眺めて人生をそれ以上浪費したくないので、直ぐ後の転生では有難味の少ない肉体を選ぶのである。
 我欲を克服して人間として改善したいので、美しい肉体を持つことが誘惑の原因となるのであれば、現状では持たない方を選ぶのだ。

ギリェム: それでは自尊心の強い者は「肉体信仰」に陥らない、つまり、自分の体に不満を覚えたり、魅力的で美しくなりたい、と熱烈に願いはしないのですか。

イザヤ: もちろん願いはするが、見栄っ張りな者とは違う要因でそうするのだ。
気位の高い者は、称賛の的となるよりも、愛されることを求めているのだが、もっと美しくなればもっと愛して貰える、と間違って信じ込んでしまうのだ。
 自尊心の強い者がハンサムな場合は、周りの人たちは自分を好きで側にいるのではなく、肉体やその他の魅力に惹かれているからで、飽きたりもっと素敵な人に出会えば簡単に捨てられてしまう、と知ってしまうと失望する。

ギリェム: 僕たちは、本当は魂であって肉体ではないのに、どうして自分の魂を意識せず、身体ばかりを自分と同一視するのでしょうか。

イザヤ: それが君たちの世界が教えることだからだ。魂は存在せず、人とはその体であると教えている。
君たちの快楽主義の世の中では、評価される資質とは物的なもの(肉体美・富・権力)で、内的な資質(感受性・慈悲深さ・謙虚さ・慎み深さ)は軽視されるのだ。

 霊界では、それと全く逆だ。全ての霊的な資質が評価される。
中でも謙虚さは最も評価される資質の一つだが、外的な資質は、魂個有のものではないので、何の価値もない。
外的な資質は、劇の作品が変れば俳優の衣装替えがされるように、ある人生から他の人生で変化するので、状況的な付随物だと考えられている。
 人は、今生では外見的に美しくても、次の転生では醜いかも知れないし、今回は金持ちでも、次回は貧しいかも知れないのだ。
魂は、肉体から離れている間は、その違いが明確に解っていて、霊性の改善の為にこの世にやって来ると知っている。
 しかし肉体に宿ると、身体との一体感や過去の忘却や、転生先の文化の影響などで、霊的に改善する目的意識の低い魂は、自分を完全に肉体と同一視してしまう。
そして、魂が顕現するということには、個人的に経験したことも、他者の経験も頭から否定するのだ。


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日月の民草

Author:日月の民草
 ハンドルネーム666です。

五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。
六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、
六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、
666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。
(五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第15帖)

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