スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

日本は何故戦争に負けたか

 日本が何故、先の大戦で負けたのか。国力の圧倒的な差が原因だと見るのが一般的でしょう。戦えば敗けることは分っていたが、戦わなくても国が滅びる状況に追詰められて開戦に踏切ったのが実情です。
 しかし、北野史観は、そうなる前にどの時点で選択を誤ったのかを独自の視点で明確に指摘しています。これは二度と同じ間違いを繰返さないために大事な処です。今日は、「クレムリン・メソッド」からその部分を掻い摘んで御紹介させて頂きます。

1.桂・ハリマン協定破棄

 1905年、極東の小国日本は世界最強の陸軍国家、帝政ロシアとの戦いに辛うじて勝利します。
・ 勝因の第一は日本国民が一丸となって死力を振って戦ったこと。
・ 第二は当時の覇権国イギリスと同盟関係にあったこと。
・ 第三はアメリカが資金面で巨額のサポート(外債購入)をしてくれたこと。特にモルガン商会やクーン・ローブ商会。 
・ 第四はアメリカ政府が日露講和条約の仲介をしてくれたこと。(日本はこれ以上戦争継続が不可能なところ迄来ていた)

 ハリマンとはアメリカの鉄道王の名で、クーン・ローブ商会の支援を受けていました。彼はポーツマス条約によりロシアから日本に譲渡された南満州鉄道の共同経営を要求します。維新の元勲・井上馨や伊藤博文等は直感的にハリマンと組んでも良いと判断していました。
 しかし、時の外務大臣小村寿太郎等が強く反対し、桂主相や元老達の意向を押切って、この話を反古にします。日本の財界か軍部の何処かが満州の利権を独占したかったのでしょうか? これでアメリカは激怒します。折角、日露戦争で味方についたアメリカを目先の利益に捉われて敵に回してしまったのです。その2年後の1907年、アメリカは対日戦争計画「オレンジ・プラン」の策定を開始します。

2.日英同盟破棄

 1914年、第一次世界大戦勃発。イギリスは同盟国日本に「陸軍を欧州に派遣してくれ!」と何度も要請しました。
しかし、海軍はこれに応じたものの、陸軍は一兵も出しませんでした。
これとは対照的に、アメリカは南北戦争以来となる徴兵制を復活させ、次から次へと兵力を欧州に送り続けました。これで覇権国イギリスに対する日本とアメリカの立場が逆転し、1921年、日英同盟の廃棄が決定されます(失効は2年後)。替って米・英は一体化し、後にチャーチルの要請によりアメリカ(フランクリン・ルーズベルト大統領)が参戦する伏線になります。真珠湾奇襲はその名分を作るための陰謀でした。

 以後、日本は国際的な孤立を深め、1932年満州建国、1933年国際連盟脱退、1937年支那事変(日中戦争)、1941年日米開戦と亡国への道を突進みます。

 さて、今の日本の状況は、かってのロシアが中国に、覇権国イギリスがアメリカに、新興国アメリカがインドに替っていると見ることが出来るでしょう。
日本は先ず、アメリカの代りに中国と戦わないようにすることが大事です。日露戦争はイギリスのバック・パッシングだったという側面もあります。
 そして米中が戦えば(経済情報戦は既に始っていますが)日本は同盟国アメリカへの支援を惜しんではなりません。場合によっては国内の反戦勢力を押切って自衛隊を出動させることも必要でしょう。アメリカ1国で中国に勝てるとは限らないからです。この場合、反戦は再び国を滅ぼすことに通じます。その前に日米印豪が主力になって同盟し、ロシアが中国を助けないように手を打って置く事が必要です。それに加えて現在進行中の経済情報戦が成功すれば、中国共産党政権は戦わずして崩壊するでしょう。


関連記事

テーマ : 検証
ジャンル :

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

日月の民草

Author:日月の民草
 ハンドルネーム666です。

五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。
六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、
六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、
666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。
(五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第15帖)

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
最新記事
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。