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終戦の聖断

「チャンネルNippon」
史料紹介―最後の御前会議における昭和天皇御発言全記録
            (迫水久常氏 原テープは国会図書館に在)              
http://www.jpsn.org/report/6267/
 
 70年前の8月9日、長崎に原爆が落された日の夜、皇居地下壕内でポツダム宣言(無条件降伏の勧告)を受諾するか否かを決める御前会議が開かれていた。
出席者は昭和天皇、鈴木貫太郎首相阿南(あなん)陸相梅津陸軍参謀総長平沼枢密院議長米内(よない)海相豊田海軍軍令部総長東郷外相の八名の他、迫水書記官長、陸海軍軍務局長、内閣綜合計画局長の四名が陪席した。(赤が徹底抗戦派青が降伏派 
 机上には甲乙二つの意見書が置かれていた。
甲案は、東郷外相が書いた条件(天皇制存続)付降伏受諾案で、乙案は阿南陸相が書いた、甲案に更に三つの条件を加えたもので、連合国側が飲む筈もない事実上の徹底抗戦案であった。
 論議は尽きなかったが、鈴木主相は自分の意見を述べて決を採る代りに異例の聖断を仰ぐ作戦に出た。それ以外に内乱の流血を回避し、一億玉砕・徹底抗戦を唱える陸軍を沈黙させる手段は考えられなかった。
 その時、天皇が語った言葉は以下のとおりである。
昭和天皇については色々言われていますが、この時の決断が数百万、乃至数千万人の日本人の命を救ったことは事実である。
天皇の他には老宰相 鈴木貫太郎と、外務大臣 東郷茂徳の功績が記憶さるべきである。
因みに、ソ連が現地大使館に宣戦布告して来たのは8月8日深夜(無線封鎖のため、東京には届かない状態で9日午前0時にソ連軍の侵攻開始。日本政府が正式通告を受取ったのは10日)のことであるから、当に一刻の猶予も出来ない局面であった。

 天皇陛下: 「それならば自分の意見を言おう。自分の意見は外務大臣の意見(条件付降伏受諾案)に同意である。(註: 会議の前に迫水書記官長がポツダム宣言を読上げたから、無条件降伏であることは理解されていた)

 大東亜戦争が始まってから陸海軍のして来たことを見ると、どうも予定と結果が大変に違う場合が多い。
今、陸軍、海軍では先程も大臣、総長が申したように本土決戦の準備をして居り、勝つ自信があると申して居るが、自分はその点について心配している。
 先日参謀総長から九十九里浜の防備について話を聞いたが、実はその後、侍従武官が実地に見て来ての話では、総長の話とは非常に違っていて、防備は殆んど出来ていないようである。
 又、先日編成を終った或る師団の装備については、参謀総長から完了の旨の話を聞いたが、実は兵士に銃剣さえ行渡って居らない有様である事が判った。
 このような状態で本土決戦に突入したらどうなるか、自分は非常に心配である。或は日本民族は皆死んでしまわなければならなくなるのではなかろうかと思う。
そうなったらどうしてこの日本という国を子孫に伝えることが出来るか。自分の任務は祖先から受継いだこの日本を子孫に伝えることである。
今日となっては一人でも多くの日本人に生残っていて貰って、その人達に将来再び起き上って貰う外に、この日本を子孫に伝える方法はないと思う。
 それにこのまゝ戦を続けることは世界人類にとっても不幸なことである。
自分は明治天皇の三国干渉の時のお心持も考え、自分のことはどうなっても構わない、堪え難きこと、忍び難きことであるが、この戦争を止める決心をした次第である」


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日月の民草

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 ハンドルネーム666です。

五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。
六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、
六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、
666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。
(五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第15帖)

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