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原子力と遺伝子工学

 このメッセージで、オレンジャーは罪としてのカルマの存在をハッキリと認めています。
悪を二元性の学びとしても、犯した罪は償わなければならないのです。
「カルマは存在しない」とか、「カルマはアルコンのプログラムである(コブラ)」と言った観念論(屁理屈、詭弁)を私は絶対に容認しません。


宇宙の本質を語る宇宙人「オレンジャー」からのメッセージ
 高次元(神)のエネルギー領域    2013-03-05 
http://ameblo.jp/oranger13/entry-11482202600.html

 俺はオレンジャー!
今日は高次元のエネルギー領域の話をしたい。
君達の世界の表現でいえば、神のエネルギーとも表現出来るだろう。
 君達が現在扱おうとしている遺伝子工学や核エネルギーは本来、君達が扱える代物ではない。
これは、もっと成熟した魂である、君達から見たら神に相当する存在達が扱える領域のエネルギーなんだ。
ところが、君達はその領域の存在を知り、そこに安易に手を出してしまった。これは不幸の始まりなんだよ。

 例えば、遺伝子工学。
遺伝の仕組みについては、君達は色々と解明出来ていると思っているだろうが、実は遺伝子には君達の存在次元とは別の高次元との情報接点があるために、君達が物質次元で幾ら突き詰めても分らない領域がある。
今のような場当たり的な実験の中で様々なものを生み出していると、その内、取返しのつかないことになるだろう。
自分達では扱うことの出来ない様々な生物を生み出してしまう。

 神が与えた再生プロセスに迄、君達は影響を及ぼし始めている。
ビジネスという目先の価値の為に、種が出来ない植物を生み出してしまった罪は計り知れない。
種が出来ない植物はビジネスには都合が良いだろうが、そこから生れるカルマの大きさは計り知れない。
恐らく、これからの人生だけではなく、今後どれだけ転生してもそのカルマを解消するのは楽ではないだろう

 核エネルギーも同じだ。
自分達では後処理(使用済み核燃料の処分)が出来ないエネルギーを利便性に対する欲求を満たす目的の為に使い続けている。

 遺伝子工学も、核エネルギーも、一言で言えば、銃の扱い方を知らない幼稚園児が、銃を振り回して遊んでいるようなものだ。
神の領域のエネルギーは神と同じレベルの魂になって初めて扱える代物だ。
子供の魂が、そうした高次元のエネルギーを安易に扱ってはならない。
本来、遺伝子の組換えや原子力エネルギーに頼らなくても君達は十分満された生活が出来る筈だ。

 もう一度言っておく。
自らの責任に於いて使いこなせない高次のエネルギーを決して使ってはならない。
さもないと、暴発して、自らを滅ぼすことになる。

 今日はこんなところだ! じゃ!


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夢見るチカラ

 このところ日中の気温があがり、今朝は未だ冷涼ながら景色が一変していました。
いつの間にか、周辺は濃淡の新緑に包まれ、我が園には一体何種類の花が咲いているのか俄には数えることも出来ないほどです。
中でも、昨年末と今年初めに肥(こえ、人糞)を根本に掛け、樹皮、豚糞バークや牛糞バークを惜しみなく追加した梨の白い花が物凄い咲きっぷりです。しかも、強烈な芳香。しばらくうっとりとして立ち竦んでいたほどです。
 この誰も知らない桃源郷を一人で作り上げるのに20年かかりました。
今年は更に、超大実のプラム貴陽、杏ハーコット、桃あかつきの苗木を手に入れ、朝の冷え込みが予想される夜は部屋の中に入れて大事に育てています。
東京でサラリーマンをやっていた時に、株などやりながら見た夢は、こうして長い時間をかけて現実のものになっているのです。
 もう一つのスピリチュアルな夢も、あと何年かでこの園のように実現するかも知れません。


宇宙の本質を語る宇宙人「オレンジャー」からのメッセージ
 夢見るチカラ        2015-04-29
http://ameblo.jp/oranger13/entry-12020096889.html

 俺はオレンジャー!
君達は夢を見ているか?
夜見るあの夢ではない。
自分の理想を頭の中で映像化するチカラだ。
 
 そう、君達には想像力というとても強い力が備わっている。
そのチカラを充分に使うと、非現実的だと思われることであっても何時の日か実現するんだ。
君達が実現しないと思っていることは、時間軸の捉え方が間違っている。
種を植えても時期が来るまでは芽が出ないように、君達の想いも実現するまでには相応の時間が掛かるようになっている。
もし、そのタイムラグが無ければ、世の中が混乱してしまうだろう。
人々の妄想がどんどん世界を壊して行く、そんな社会になってしまう。

 もっと君達が精神的に成熟すれば、そのタイムラグが限りなくゼロに近付いても良いのかも知れない。
ただ、今の君達の水準では、そのファジーな緩衝材としての時間が必要なんだ。
その時間の壁を越えて実現するには、もっともっと君達の夢見る力を鍛えなければならない。

 君達が想像出来ることは必ず実現出来る。
だからこそ、君達が何を想像するかがとても大切なんだ。
全人類が平和を想像した時に、世界平和は実現するんだよ。

 今日はこんなところだ。 じゃ!


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ムー(レムリア)とアトランティス

宇宙の本質を語る宇宙人「オレンジャー」からのメッセージ
 レムリアの聖地    2013-03-18
http://ameblo.jp/oranger13/entry-11490505752.html

 俺はオレンジャー!
今日はレムリアという文明について少しお話しよう。
君達日本人は、実は、このレムリアという古代文明と非常に深い繋がりがある。
レムリアはアトランティス文明が栄える少し前に栄えていた精神性の高い文明だ。
平和主義者が多く、物質主義に頼らず、和を尊び、とても素晴らしい文明を築いていた。

 ところが、そのレムリアの一部の物質主義者が造り上げたアトランティス文明によって、レムリアは海の底に沈められたのだ。
アトランティスもその反作用によって、結局自分の大陸を海底に沈めてしまうことになるのだが、レムリアが海に沈んだ時、レムリアの聖地だけは、何とかその難を逃れることが出来たのだ。

 レムリアの聖地とは何処か。
日本人が郷愁を感じる処だよ。
そう、ハワイなんだ。
ハワイはレムリア文明の聖地の跡だ。

 その後、精神性の高いレムリアの末裔達が、西日本を中心に生れ変っているんだ。
因みにアトランティスの考えは現代の西洋の考え方に通じている。

 日本人がハワイ好きなのには意味があるんだよ。
百聞は一見に如かず、だ。
機会があったら是非、ハワイへ行って見て欲しい。
人によっては過去生における様々な記憶が甦ることだろう。

 今日はこんなところだ。 じゃ!


    参考地図: ムーとアトランティスの位置
   ムーとアトランティス
   画像転載元 (http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51913191.html


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ナザレのイエス イザヤ(6)

ヴィセント ギリェム 「魂の法則」 小坂 真理 訳
http://www.uv.es/vguillem/Tamashii_no_Housoku.pdf
〔抜粋〕

・ イエスの地上での使命

ギリェム: (3)教会や司祭が地上での神の仲介者である、という信仰は正しくない、とも言われましたね。

イザヤ: そうだ。

ギリェム: 何を根拠にそう言われるのですか?

イザヤ: イエスと当時の司祭層との関係を正しく読み取るのなら、イエスには司祭という身分を創る意図も、カトリック教会が創ったような階層制度を設ける意志も絶対になかったという結論に至る。
カトリックのヒエラルキーは、その時代のユダヤ教会をかなり忠実に模倣したものだ。
 イエスは、一人ひとりが神と繋がっていると教え、司祭を介してのみ神と交信出来るという誤った考えを覆しに来たのだ。
実際、イエスは、公の説教のかなりの部分で、ユダヤ聖職者達に応酬している。
イエスのやることの全てが彼らを逆撫ですることだったので、聖職者達はイエスを手強い競争相手だと看做したのだが、それは誤りではなかった。イエスは、次のメッセージを形を変えて何度となく繰返したからだ。
 「聞きなさい。彼らは神の仲介者などではない。何故なら、適切な霊的援助を差伸べることよりも、君達を犠牲にして経済力を失わないことの方に一生懸命だ。
馬鹿げた法律で君達を混乱させてしまったが、そんなものは必要ない。天の国に入るために唯一必要とされることは、愛することだ」
このメッセージが聖職者階層の目に留まり、人々が覚醒してしまえば自分の仕事がなくなってしまうと考えて、イエスを殺してしまったのだ。

ギリェム: カトリック教会は、何故それほどユダヤ教に似てしまったのでしょう。

イザヤ: 最初はそうではなかった。何故なら、キリスト教徒は、初めはユダヤ人、後にはローマ人から絶えず迫害され、常に身が危険に曝されていたので、イエスの愛の教えの信奉者となるには、大変な覚悟が必要だったからだ。
 しかし権力者達は、私益に有害な思想の支持者を抹殺しようとしたにも関わらず、信徒が増え続けるのを見て、「敵をやっつけられないのなら、逆に取込んでしまえ」という戦略に切り替えたのだ。
 全ローマ帝国をキリスト教に改宗すると布告したコンスタンティヌス皇帝以後は、多くの者が信仰によってではなく、権力によってキリスト教徒にさせられた。
そして、大半が強いられたものであったために、全てを台なしにした。
隣人愛は、そこでお終いになったのだ。
 それ以前の宗教の高位神官と信者達は鞍替えをし、何の霊的改変もないままキリスト教に移り、重要な職に就き始めるようになった。
宗教の元最高神官が、キリスト教の一信者で我慢するなどとは、君達でも思わないだろう。
 彼らは、権力の持分を維持したかったのだ。そこで、神官の帽子を、教会の司教の帽子に変えたのだ。いや、実は帽子でさえも変えはしなかった。法王と司教の被るミトラでさえ、別の宗教に由来しているのだ。
ミトラと呼ばれるのは、ローマ人が崇めていた神々の一つ、ミトラ神への古代信仰の神官達が被っていた物だからだ。
 キリスト教にはそれ以前の宗教儀式が沢山取り入れられ、元来の隣人愛のメッセージは、それに反する概念で侵されてしまった。
カトリック教会とは、このようにして生れたのだ。
 神と富とに兼ね仕えることは出来ない、とイエスは言ったが、カトリック教会は二千余年も前のユダヤ教会のように、ほぼ最初からお金の方に加勢したのだ。

ギリェム: でしたら、法王の絶対的権威と地上における神の代表という...

イザヤ: 勿論全て嘘だ。法王も普通の人間と同じように間違えることがある。法王と霊界との繋がりは、他の人のものと比べて何も特別なものではない。
高次の霊性との繋がりは、無条件の愛を努力することによって段々と強くなるもので、どれほど立派な肩書きを授けられようと、それで繋がりが深まる訳ではない。

ギリェム: では、どこからそんな考えになったのですか?

イザヤ: 前に言ったとおり、教会の首長自身がそう言っている。通常それは、権力や富への野望に唆かされた行為を、誰にも見破られないように正当化するための手段なのだ。
 救済には彼らが不可欠だ、と人々に確信させることが出来れば、教区民を犠牲にして、誰にも咎められずに暮せる筈だからだ。
「神の任命した者達」に従わなければ「永遠の罰」だぞ、と言って何時でも脅すことが出来た。それは「神の代理人」の命令に従わないのであれば、という意味で、つまり、彼ら自身のことを指していたのだ。


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あなたはあなた 私は私

 私が誰にも邪魔されず、自分の人生を歩んでいることは確かですが、自分が何者なのかは、実のところ私にも良く分らないのです。
他人から見ても、それぞれが自分の器量で量るので、必ずしも正しい答が得られるとは限りません。仕様がないから、自分より格上の「真理の書」を読んで、それを鏡にしているようなものですけどね。
何が本物かを見分けられる力は、持って生れた資質のようなものをベースに鍛えられて、かなりあるような気はしています。


宇宙の本質を語る宇宙人「オレンジャー」からのメッセージ
 あなたはあなた   2015-04-26
http://ameblo.jp/oranger13/entry-12018879056.html

 俺はオレンジャー!
あなたはあなたであることに、もっと自信を持って良いと思う。
あなたは他の誰かになる必要はない。
誰かの期待に応えるために、自分ではない何かになろうとしている人が本当に多い気がする。
そんな生き方をしていると、最後の最後で、きっと「私の人生って何だったのだろうか。。。」
と呟くことになりかねない。

 誰の人生でもない。あなたの人生はあなたのものだ。
だからこそ、自分が何者なのか、本当に知る必要がある。
でもこの世は良く出来ていて、他人のことは良く見えても、自分のことは分らないことが多い。
 鏡に自分を映して見ても、それは本当のあなたではない。
鏡を見ようとしているあなたであり、しかも前後左右が逆になっているあなただ。
本当のあなたは、自分を見ようと意識していない時に存在している。
本当の自分を探そうとすることは、自分の影を踏もうとすることと同じこと。
決して捕まえられないのだ。

 その仕組みの中で生かされている。
でも、その分らない自分であっても仲間からフィードバックを受けたり、自分の感情や精神と向合うことで、その影の輪郭を追う事が出来る。
そんな信頼出来る仲間と自分を振返られる時間を持つことがとても大切なんだよ。

 今日はこんなところだ。 じゃ!


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母と子の美しい絆

 前記事とは対照的な波動の世界です。「自由人の カルマ・ヨガ ノート」さんからの転載です。(この「カルマ」は単なる行為の意味だそうです)

 霊界では内分と外分が瞬時に対応します。
物質界でも基本的には同じパターンなのですが、肉体を纏っている間は物理的な法則に従います。
例えば、物体を動かすには念じただけでは駄目で、身体や道具を使わなければなりません。
そうではないように見えるスプーン曲げとか空中浮揚とかは、物質界を保持しているエネルギー(神智学では第三司神の意志力)に逆らっているので、人間が念力を弛めると直ぐに元に戻ります。


動画: 数日前からネット上でよく紹介されている動画

動画転載元: (http://mitsunakoudai.blog.fc2.com/blog-entry-399.html


音楽: ヒーリングミュージック

動画転載元: (http://mitsunakoudai.blog.fc2.com/blog-entry-396.html


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テーマ : スピリチュアルワールド
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東北が地図にない?

 4月22日の夕方、魔龍さんが「見た夢で東北が存在しなかった!~沖縄独立の陰謀」という東北の方々には気になりそうな記事を書いていましたのでちょっと考察してみました。
現在、このサイトの目的の何割かは、紹介している書籍やグッズを買わせて収入を得ることにあるので、その分、割り引いて見る必要があります。
ある意味、私のこの記事もそのお手伝いをしている反面、記事ネタにさせて貰っている訳でお互い様です。
尚、後半の「沖縄独立の陰謀」については、別に珍しい話ではありませんのでコメントしません。

 魔龍さんが見た夢(画像はネットで流通)
魔龍が見た夢


1.魔龍さん自身が前記事で書いているように、あの世でも低層四次元(下層アストラル界)はあらゆる魑魅魍魎が跳梁跋扈する世界でもあります。
しかし、地上界と違うところは波動が違うと住む世界が異なり、お互いに干渉を受けないことです。干渉するためには、同じ波動に調整する必要があります。
この意味で「死後の世界の嘘~あの世すらも支配する悪魔的宇宙人 (04/18)」というタイトルは半分本当で半分間違いです。
魔龍さんの波動では、夢(アストラル意識・体験)の中に悪霊が侵入する可能性は少なくないと思います。
 夢の中に東北地方がすっぽりと抜け落ちている地図を見たのは、地殻変動などでは有り得ず、東北を抹消したい者に夢を操作されたか、ご本人が無意識的にそう思っているからだと思います。
夢の操作については、「あめ(夢)の技法 」として、MAHAOさんのブログの1カテゴリになっています。(私はめんどくさいので拾い読み程度ですが)
http://maboroshinosakura.blog.fc2.com/blog-category-16.html

 因みに22日の夕方から深夜に掛けては、私の所にも○○優里と名乗る人物から8500万円を受取ってくれと多数のメールが入っていました。(これで何回目かは忘れました。毎回、名前と金額は違っています)
今回は、「受取って貰えると自分も報酬を貰える」と書いてあり、何者かに依頼を受けたことを隠そうともしていません。
魔龍さんの夢もこのメールも同じソースから出ているのかも知れません。
MAHAOさんの記事によると、その相手を特定出来れば、グループごと滅ぼせるそうです。

2.宇野正美の友人が紛れ込んだ魔法結社の会合に掲げられていた日本地図には東北が無かった。(上記地図)

 東北が何らかの理由で魔法結社の支配地域から外れていることを意味するだけだと思います。(東北だけ物理的に消滅することは有り得ない)

3.ジョン・タイターが2000年に予言した2020年の日本地図

 私は、タイムトラベルは霊学的に有り得ないという見解なので、基本的にジョン・タイターの話を信用していません。
しかし念のためその地図を見ると、物理的に消滅している訳ではなく、関東地方を含めて3.11で放射能汚染された地域が「政府管理(立入り禁止)区域」になっているような感じです。
残念ながら、3.11ではそうはなりませんでした。今後5年以内にそうなるかどうかは判りません。

    ジョン・タイターの地図
   ジョン・タイターの地図
    画像転載元: (http://blog.livedoor.jp/akatele-neutrale/archives/2527558.html

4.2009年封切り韓国映画「TSUNAMI」(パラマウント映画配給)のワンシーンに、何の脈絡も無く現れる東北地方の水没した地図

 これも支配層による、2011年の3.11予告でしょう。実際に津波で一時的に水没したのは太平洋沿岸部だけでしたが。


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テーマ : 魔法・魔術
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中国人が日本で便座を買う理由

 この元記事は相当長いのですが、私が注目したのは以下の部分です。

“「別に私達はメイド・イン・チャイナでも構わないんですよ。
(わざわざ日本で買うのは)日本人が厳格に品質管理した商品で、パッケージに日本語が書いてあって、日本のきちんとした店で正式に販売されているというところに“価値”があるからです。
 便座の仕様が日本語で書いてあっても使い方は大体判るし、それはそれで、『確かに日本で買った』というステータスと希少価値になるでしょ。
中国に持帰った時、皆に自慢出来ちゃう。だから、私達は“日本で”便座を買って帰るんですよ」(中国人観光客)

 日本企業の厳しい管理をクリアした商品であれば、中国製であっても大丈夫だと中国人は信じている。逆に言えば、たとえメイド・イン・ジャパンであっても、中国国内で販売されているものを中国人は信用しない。
 もしかしたら、「ニセモノではないか」、「品質が悪いのではないか」、はたまた、「見た目は同じでも、日本国内で売られているものとは違う二級品なのでは?」と疑ってしまうからだ。
それほどまでに中国人は(自国民のモラルを信用せず)日本国内で販売されている製品、そして日本人のモノづくりに全幅の信頼を置いている。”

 因みに元記事によると、今年の春節期間中に来日した中国人は約45万人と史上最多、この期間の消費金額は約60億元(≒1140億円)。
中国版ツイッター「微博」などの調査によると、売れた商品のベストスリーは ①医薬品、②化粧品、③温水洗浄便座、の順だった。
 便座の値段の例は、中国仕様のパナソニック製品が5万9,800円(税抜き、現地での設置無料券付)、日本仕様のTOTO製が1万円超の変圧器を含めて3万数千円。

 この記事は多分ではなく、事実、そのとおりだろうと私は思います。
幾ら、中国共産党が反日プロパガンダをやろうと、モノの良し悪しくらいは肌身で判ります。
日本に来て見れば、中国(韓国)とは民度が違うことも判ります。
日本人は、もっと自信と誇りを持って良い。


引用元記事: goo ニュース
なぜ中国人は日本で「便座」を爆買いするのか 来日して買っていく商品第3位!  
                                         東洋経済オンライン
       2015年4月22日(水)05:30
http://news.goo.ne.jp/article/toyokeizai/business/toyokeizai-66595.html?pageIndex=1 ~4)


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ナザレのイエス イザヤ(5)

ヴィセント ギリェム 「魂の法則」 小坂 真理 訳
http://www.uv.es/vguillem/Tamashii_no_Housoku.pdf
〔抜粋〕

・ イエスの地上での使命

ギリェム: 預言者とは何ですか。

イザヤ: 預言者とは、霊界の真実を教え、「愛の法則」に反する行為がもたらす結果を各時代の人びとに忠告するために、高次の霊性から送られて来る者である。
一般的に、転生する惑星の平均的な魂よりも進歩した魂だが、そうでなければ、委託された使命を遂行することが出来ないからだ。
 他者を助けると同時に、自己を進化させることが出来るのだが、それは一般的には、生れ出た社会から拒否や拒絶をされ、虐げられたり罵倒されたり馬鹿にされたりするからで、そのために、自己の愛の力量が試されるからである。
彼らは、通常考えられているように、特別で神聖な特権を持つ存在などではない。
 その霊能力は、輪廻のサイクルの中で ― 他世界での転生であったかもしれないが ― 自分自身の功績によって獲得されたものだ。粗方、年下の生徒を手助けする年上の生徒と言ったところだが、それと異なるのは、他の人と同じ条件で転生して来るので、肉体的にも年齢からも、彼らを識別出来ない点だ。
何時か、君達の惑星の住人が充分に進化を遂げる日が来たら、その中から、進化の遅い人類(宇宙人も人である)が住む世界で預言者の役目を果す者が出ることだろう。

ギリェム: でも、偉大な師匠だと思われていた人が、後から、実は詐欺師で、人々の純粋さに付け込んで大金を貯え込んでいた、と発覚することがよくありませんか。

イザヤ: その通りなのだ。多くの者が猫を被っているのだ。
だがその一方で、初めは良く、好い線を行っていたので、必要な霊的援助が与えられた、という者も沢山いる。問題は、その者達が、人々に与える効果に目が眩んでしまうことだ。
 本当に答えを探し求めている人は、内面を覚醒してくれる人に出会うと、その人にとても感謝して、それを大げさに表現しようとするものだ。そのため本人も、本当は霊的知識の光を届けているだけの筈なのに、自分自身が眩しく輝いているのだと勘違いしてしまう。人々も間違って、その人を神のように奉り始める。
 我欲とその顕現形態を未だ良く知らず、自分でも克服の努力をしないのであれば、我欲は増大し、自分が全ての者に勝ると思い込むに至るだろう。そして、他者に奉仕する代りに、その反対となってしまう。
道義上の家来か奴隷のように仕えてくれることを人に要求し、どんな決断や願望であっても決して問い正さずに、盲目的に自分に追従することを求める。
 こうして、光は段々と消えて行き、最初の思いは失われ、インスピレーションも無くなるのだ。霊的な閃きが消えると、我欲が頭脳を支配し始め、その時から、受け取るメッセージは混乱し、矛盾したものとなる。
 そして、本物になり得たであろうことは、守り切れずに失われてしまったものの混沌とした記憶として残り、我欲の高揚を正当化する多くの嘘で固められるのだ。

ギリェム: 真の預言者と詐欺師とを、どのように見分けるのですか。つまり、真の預言者・ガイド・霊的な使者に必要とされる条件とは何ですか?

イザヤ: 肉体を持たない霊的なガイドは、何の分け隔てもせずに、全ての魂を支援する。真の霊性というものには、国境も経済格差も、人種や宗教やその他の如何なる違いも存在しない。それゆえ、富める者と貧しき者、白人と黒人、信者と非信者とを差別しない。これらの違いは、一時的な条件や状況に過ぎず、転生から転生で変化するものだからだ。
 霊的な教えを普及するに相応しいと自認する者は、それと同じやり方で行動しなければならない。肉体を持つ真の霊的指導者は、「魂の法
則」に従い、目立たず謙虚に生きようとし、何の見返りもなく、他者を援助し啓発しようとしている。
 それ故、霊的な真実らしきものを公開することで、金銭的な、またはその他の代償を貰おうとする者達は、全て、真の霊的な指導者だとは見なせない。「会員だけ」の真実というものは存在しないからだ。
 真のマスターは、自由意志を尊重する。
つまり、絶対に自己の見解を押し付けず、自分が手本となって宣教し、提供するものを受け取るか受け取らないかは、他者の自由に任せるのだ。従い、権力主義に訴えて正当化することはなく、絶対に「俺の言う通りにしろ。俺はマスターで、悟りを得た神の使者だぞ」などと言ったりしない。
 心を開いた者を説得するには、メッセージの質が高いだけで充分だ。
それに関心を持たず説得出来ない人達がいても、彼らにはそうして独自の道を歩む自由意志があるのだ。好きでもないものを信じたり同意したりを、義務付けられることも強要されることもない。

ギリェム: 偽マスターや見せ掛けの霊性に引っ掛からないための助言がありますか。

イザヤ: どんなに高次に思える宗教や政治・哲学的思想であろうと、その信仰のために、絶対に君達の意志を放棄してはならない。信仰のために意志の放棄が求められるのであれば、そうするには値しないものだ、と確信しなさい。
 伝達者を偶像化せずに、メッセージを分析しなさい。メッセージに納得出来なければ、疑問を表明し説明を求め、それでもその教えと同調出来なければ、それを拒めば良い。理解出来なくても信じることを強要する信仰のドグマによってでは、一切、何も受け容れるべきではない。
 自分自身の経験・感情・理解・分析によってではなく、神聖だとされる人がそう言ったから、という不可解な外からの押し付けによって同意してしまうことは、権力主義に従うだけで、進化のためにも幸せになるためにも役に立たない。魂は自由でいる時だけが幸せなのだ。
 従って、妄信的な信仰も、霊性を管理し操る社会層も必要ない。答えは自分の内に探しなさい。君達の内面は、霊的ガイドや高次の霊性と直接繋がっているので、思っているよりもずっと賢いのだ。

ギリェム: でも多くの宗教では、霊との交信は、悪魔のすることだと思われていて、それをしようとするのは、有害で邪悪なことだと考えられています。聖書がこのような交信を禁じているとのことですが、聖書が神の言葉であるのでしたら、神自身がこれを禁止したことになるのでしょうか。これについてどう思われますか。

イザヤ: 各人が高次の霊性(それを神や霊的ガイドと呼ぶが)と独自の繋がりを持つことを認識してしまえば、教会権威者達は、主役の地位と権力を失うこととなり、そうなれば、信者を気の赴くままに操ることが出来なくなってしまう。
 彼ら自身が矛盾しているのだ。何故なら、彼らの聖典を、神から閃きを得た人によって書かれた御言葉なのだと看做すのなら、それは、霊界と霊的な交信を持ったことになるのだ。しかし、信者にはそれと同様な交信は許さず、彼らが崇める本を書いた過去の著者だけの特権としているのだ。
 イエスや他の進化した預言者は、高次の霊性との接触を求め、そこからインスピレーションを得て任務を支援して貰った訳だが、それは、肉体に宿った者が肉体を離脱した魂から助言と支援をして貰うという、完全なる霊界との交信なのだ。
 霊媒力を非難するのなら、イエス自身をも批判することになってしまう。
イエスは、霊界の教えを当時の同胞に伝達するという、大変強力な霊媒として活動したのだから。

ギリェム: その通りですね。でも彼らは、「イエスは神の子だったから、閃きを与えたのは神自身で単なる霊ではなかった」、と言うことでしょう。

イザヤ: 全てを盲信させて教えを分析することも認めていないのに、二千年以上も前の預言者にインスピレーションを与えたのが神か聖霊か、それともサタン自身であったのかが、どうして分るのだね?
 実際、教会権威者達が御言葉だと崇め奉る旧約聖書を書いた、本物の預言者の一人が今、生れ変って、前世の業績を解析したり豊かにする新たなお告げを書いたとしても、昔のようにそれを公言すれば、権威者達自身がその人を嘲り、メッセージを吟味することさえ許さず、その人が狂っていて悪魔の類と交信しているのだと思わせようとするだろう。
だから、常識的に判断しよう。相手の能力を知る唯一の手掛かりは、メッセージの質なのだ。
 現在、メッセージで暴力や戦争や他者を憎むことを奨励している人を、神の使者だと信じられる者などいるであろうか? 同世代の人をそう認められないのであれば、どうして、如何に古かろうと、過去の著者を神の使者だと認めなければならないのだろうか? 過去の作家が特別な存在であるのは、とても古いためだからだろうか? それなら、神々の代りに恐竜や鮫や蟻を選ぶとしよう。それらは、古代の作家の誰よりも前に、この世に出現していたのだから。
 イエスのメッセージが人類にこれほど大きな影響を及ぼしたのは、イエスがそう言ったからではなく、無条件の愛を示すという教え自体が偉大であったからだ。しかしこの世の権力者達は、布教に歯止めを掛けることが出来なかったために、自分達の特権や搾取が終焉を迎えることを恐れ、イエスの人物像と教えを手中にし、その内容を著しく侵してしまったのだ。そして、元のお告げそのものと矛盾し、イエスが一度も口にしなかった言葉を、特権と権力を維持するために彼が言ったことにして、教えと反対のことを我々に信じ込ませることにほぼ成功したのだ。

ギリェム: キリスト教徒にとっては、イエスは神同然か神の子なのですから、イエスがすることなら何でも良いのではありませんか。一般人が直接霊と交信することを、認める心算がないのでしょう。

イザヤ: 初期のキリスト教徒の間では、慈善的な霊との交信がごく頻繁に行われていた、と知ったら驚くであろう。襲いかかる酷い迫害に耐えることが出来るように、彼らはこうして霊界から勇気づけられていたのだ。
初期のキリスト教徒は、愛を以って祈れば、高次の聖霊から応援されて近くに来て貰えることを知っていた。新約聖書自体の使徒言行録の中にその例があるが、イエス自身が肉体を離脱した後に霊となって、使徒達の前に随意に現れたり消えたりしたことが窺える。
 それ以後、教会自体がこの種の顕現を敵視した。何故なら、そこからまた愛の種が生れ、再び人々の心の中で発芽し、当時の人類が宗教組織によって置かれていた霊的な闇から解放されてしまうことを怖れたのだ。
 イエスは戻って来なかったが、霊界と直接交信が出来る非常に高度な魂達がやって来て、恵まれない者を癒したり面倒を見たり、多くの善をなしたのだ。だが、その多くの者は魔術使いや異端の罪状で、宗教裁判で火刑とされた。

ギリェム: でも、悪霊を呼び出すために集まって、他者を支配したり、富や権力を獲得する能力を授けてくれる魔法の力を得ようとした人達も実在するようですが。

イザヤ: そのような交信は行なわれていたし、我欲に満ち溢れ、富と権力を渇望する魂がこの世に存在する限り、今後も行われることだろう。
だが、そういう意図で行動すると、同レベルの低級霊の都合の良い餌食にされて、あらゆる手段で彼らの支配下に置かれてしまい、隷属させられて、もっと酷いことをさせられてしまう。だから、このような接触は非常に危険で、全く奨励出来ないものだ。
 しかし、他者に害を与えようとして、霊媒力を使って下級霊と通信する者がいるからといって、霊媒を介した霊界との交信の全てが有害だ、と結論付けることは出来ない。それとも、悪意のある目的にインターネットを使用する人がいるので、ネット上の全ての通信を政府が禁止することが理に叶っているのだろうか? 理論的に考えれば、使用を制限すべきなのは、社会の健全性が狙われる時だけで、全体を禁じてしまう必要はない。

ギリェム: でしたら、なぜ世間では霊との交信がこれほど反対されるのでしょうか?

イザヤ: それは、この世の宗教権威者や、その他の権力者達の多くが、人が自力で神や守護霊と交信することを阻むことによって、支配力を維持しているからだ。
霊界との接触を怖れさせようと、明確に意図して作成された映画は無数にある。それらは、ダイアリー・オブ・ザ・デッド(Diary of the Dead)、ポルターガイスト(Poltergeist)、エクソシスト(Exorcist)などの恐怖映画で、全ての交信が恐ろしいものになる、と思い込ませるのだ。
こうして、誰もが怖れによって自分自身を異端視し、直感や夢などであろうと、霊界からのメッセージかも知れないと思う度にそれを抑圧したり、誤った解釈をしてしまうのだ。


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ナザレのイエス イザヤ(4)

ヴィセント ギリェム 「魂の法則」 小坂 真理 訳
http://www.uv.es/vguillem/Tamashii_no_Housoku.pdf
〔抜粋〕

・ イエスの地上での使命

ギリェム: 第二点目では、(2)聖書や他の聖典が神の御言葉である、と信じることは間違いだと言われましたね。

イザヤ: そうだ。

ギリェム: では、聖書が神の言葉でないのであれば、何だとお思いになっているのですか?

イザヤ: 旧約聖書は何冊かの本が纏まったもので、イスラエルの歴史の一部が収められているが、指導者達の征服欲を正当化し、それが「神の意志」であったと見せ掛けるために都合が良い修正がなされている。
 また、平均よりも霊的に進化した存在、つまり預言者達のかなり正しい教えも記載されているが、それは既に、宗教的な信仰が狂信的に操作されていることを警告しており、真の霊性とは如何なるものかを垣間見ることが出来る。
 一方、新約聖書は、イエスの生涯で最も特出した事実、特に最後の数年間の公での説教に関する口頭伝承を収録しようと試みたものだ。
イエスが伝えようとした教えを部分的に収めた「福音書」と、以後の使徒達の生活「言行録」と、人類の未来に関する著者の一連のヴィジョンを集めた「黙示録」とから成る。


ギリェム: 「文書」に関して余り良い心証がないようですが、論拠を裏付けするために、折に触れ、新約聖書の文言を引用されていますね。

イザヤ: 全てが偽りだとは言っていない。各々の事柄は其々正しく評価されるべきだ。
山上での説教(垂訓)のようなイエスの公での宣教を著わした章句や喩え話の多くは、イエスが言ったことをかなり忠実に再現している。それで、私は引用しているのだ。
 イエスが演説に比喩を用いたのは、偶然ではなかったのだよ。そうすることで、教会に不都合であった多くの部分が改変されてしまうことから救ったのだ。人には比喩の意味が良く理解出来なかったので、教会の検閲に引っ掛からずに済んだのだ。

ギリェム: 例を挙げて下さいますか。

イザヤ: 例えば、輪廻転生の概念は、新約聖書の二つの章に巧みに収録されている。初めのヨハネの三章は、もう見たとおり、イエスとニコドモの会話の中でだ。
 イエスは彼に答えて言った。「よくよくあなた(方)に言っておく。人は誰でも新しく生れなければ、神の国を見ることは出来ない」
ニコデモは言った。「年をとっているのに、人はどうして生れることが出来るのですか? もう一度、母の胎に入って生れることなど出来ましょうか」
 イエスは答えられた。「よくよくあなた(方)に言っておく。人は、水と聖霊とから生れなければ、神の国に入ることは出来ない。肉から生れる者は肉であり、聖霊から生れる者は霊である。あなた方は新しく生れなければならないと、私が言ったからとて不思議に思うには及ばない。(...)天に昇った者はいないが、天から降った者はいる」(ヨハネ 3, 3-13)
 二つ目は、マタイの17章、10-13節だ。
そこで、弟子達は、イエスに尋ねて言った。
「一体、律法学者達が、エリヤが先に来る筈だと言っているのは、どうしてですか?」
イエスは答えて言われた。
「確かに、エリヤが先に来て、万事を元どおり直すのだ。しかし、あなた方に言っておく。エリヤは既に来たのだ。ところが人々は彼を認めず、彼に好き勝手なことをしたのだ。人の子もまた、彼らから同じように苦しみを受けることになろう」
その時、弟子達は、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。

ギリェム: それなら、聖書自体を読んだり、聖典とされるもの全般を読むことに関しては、どんな姿勢でいるべきですか?

イザヤ: いいかね、全ての宗教には、神、または神の使者の手によるとされる聖典があるのだ。そうしなければ、自分達の神聖さを正当化出来ないからだ。
だが、霊的に進化している者や高次の霊に感化されて書かれた可能性があるものが存在していることは確かだが、現実的には君達と同じような人間によって書かれたものなのだ。
何れにせよ、著者の名前には惑わされず、常に内容を吟味してみることが、騙されないための一番良い方法だ。メッセージの質を見れば、作者の霊的レベルが分るであろう。
 また、一人の著者のものだとされていても、同じ書物が何人もの手によることもあるのだ。千余年にも亘って原本が偽造・改変されて来て、聖なる仲介者だと勝手に名乗りを挙げる者の利益となって来たのだ。
それ故、ある段落は霊的に進化した者によって書かれたが、その次のものは詐欺師の手によるということもあり、偉大な真実のすぐ脇に大嘘が書かれている可能性もある。
そして真実は、徹底的に中味を分析して、「麦殻」を捨て「麦粒」だけを集めることによってのみ知り得ることが出来るのだ。

ギリェム: 地球には多くの宗教がありますが、その多くが一神教で、かなり厳しい戒律を設けています。権威者によるとそれは神の意志だそうですが、それをどう思われますか?

イザヤ: 魂の「自由意志の法則」を尊重せず、権力者の見解による教義を押付けて成り立つ学説や宗教は全て本物とは言えないし、神や高次の霊性からの恩寵だと看做すことも出来ない。
従って、これらの宗教の権威者達を、真の霊道の導き手だとは看做せない。何故なら、霊性の指導者は、絶対に力を行使したり操ろうとすることがなく、特定の掟を強要することもないからだ。

ギリェム: 地上の宗教は、神の意志を代弁してはいないので、本物ではないと言われるのですか?

イザヤ: 全ての宗教には、高次の存在から閃きを得た真実の一部と多くの虚偽とがあるのだが、後者は、地上の利益に左右された者達が付け加えたのだ。

ギリェム: 例を示して下さいますか。

イザヤ: 宜しい。例えば、旧約聖書の中の十戒はかなり的を得た規律であり、霊的に進化した存在の教えに忠実だ。
十戒の一つに「汝殺す勿れ」がある。それなのに同じ旧約聖書の中には、神と称する者が、仮定上の「約束の地」を征服するために、イスラエルの民を他民族の攻撃に派遣するくだりがあるのだ。
 当然だが、このような戦闘では、人々はお互いに戦って人を殺す羽目になるのだ。つまり、そのくだりが本当であるなら、神が民に「殺せ」と命じたのだと推測出来るのである。その場合、この(殺せという)メッセージは、最初の「殺す勿れ」と矛盾する。
 それでは、この明らかな逆説をどう解決すべきだろうか?
神が矛盾したことを言ったのだろうか。でも、桁外れに進化した存在に、それは認め難いであろう。
それなら、二つの指示は其々異なる動機を持った別々の者に由来するのだ、と認める必要があるのではなかろうか。
では、「殺すな」というメッセージと、「殺せ」というメッセージとでは、どちらが常識的に見て、霊的に進化したものだと言えるだろうか。

ギリェム: 僕にとっては、「殺すな」の方ですが。

イザヤ: この教えが高次の霊性からであることを認めるのであれば、その反対のものは同じ源から生じてはいないのだ。

ギリェム: では、何処で生れたのでしょうか?

イザヤ: 侵略に興味があった者達によるのだ。

ギリェム: でも、それは過去の事例ですから。

イザヤ: 現在でも同じことが繰返されているのだよ。
表向きは熱心な神の信奉者とされ、何時も「神のご加護がありますように」という言葉で演説を終らせているのに、自国民を他国の侵略に派遣するのを厭わないリーダーが、現在の地球上には沢山いやしないだろうか。
何百万もの死者を出し、何百万もの家庭を何世代にも亘って破壊しているのに、聖書の詩篇や「神を信じる」、「神は我々と共に!」などの言葉を、自分達の行為を正当化するために利用してはいないだろうか。
 はっきり言っておこう。 神や高次の霊性を持つ存在は、紛争の一方の側を味方することはしないし、如何なる侵略も征服も支持することはないのだ。
もしそうするのであれば、神自身が、宇宙に設けた諸法則の一つの「愛の法則」を侵すことになるからだ。
 前述のような人達は、ユダヤ教徒やキリスト教徒が守るべきだとされる「主の名を妄りに唱えてはならない」という戒律を侵しているのだ。
それなのに、恰も神が、神の子を蹂躙することに同意したかの如く、その名を利用して、自分達の非道を正当化しようとしているのだ。
これが、神の名を妄りに唱えるということで、一部の者が思っているように、俗っぽい話の中で「神」という言葉を使用することではない。

ギリェム: それでは、神によって選ばれた民ということについてはどうですか?

イザヤ: 神に優先される民族や人間などは存在しない。神や高次の霊性は、他の者を虐げて特定の民族や人種と特別に結びつくことなどはせず、全ての人に進化の計画を推し進めるように呼び掛けるのであり、それに協力したいかどうかを決めるのは、各魂である。
 勿論、神の法則に従うようにと、誰にも強いられることはない。
望みとあらば、各人の意志と能力に応じて、個人や集団での人類の進化計画で、具体的な役割を果す約束をすることが可能だ。これが、魂の選択なのである。
 故に「選ばれし者」とは、自分の内面を高次の霊性に開き、「愛の法則」に従った人生を送る約束をした者に過ぎず、それによって、自分を成長させるだけではなく、未だこの呼び掛けに心を許していない者の手本となるのである。

ギリェム: そのように、霊的な世界からの呼び掛けに心を開く人達は、神秘主義者や預言者と関係があるのでしょうか?

イザヤ: 霊界との直接的な交信は、ごく一部の人達だけの特権ではないのだよ。
既に言ったことだが、全員が個々に、神や高次の霊性や自分のガイドとの直接的な繋がりを持っていて、其々が独自の方法で、それを体験して行くのだ。
 大切なのは、誠実に謙虚にコンタクトを求めるということと、魂を成長させるという目的が、探求の動機付けであることだ。
もしそうであれば、各人に、其々が必要としているものが与えられるであろう。
体験の華々しさが重要なのではなく、その経験を、欠点を正当化するためにではなく、愛に於ける進歩のために役立てることが大切なのだ。
 不幸なことに、「アセンデッドマスター」やその手の重要な人物だと思われたいという欲望から、自己暗示による経験を本物だと思い込み、他の人を騙してしまうような人が沢山いる
また、本当の霊的な交信をした後で、その経験を、自己進化や他者の援助に活かす代りに、偉ぶって、自分は優れていると思い込み、他者に神の如く扱われることを要求する人もいる
自分をどう改善するかを追求するよりも、他者の称賛を求めてしまうのは、虚栄心からの欠点だ。残念だが、これは君達の世界ではごく頻繁に見られる現象だ。
                         (続く)

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姫路城と桜

 自然と見事に調和した天下の名城。日本人の美意識は素晴らしい。

当地は今、山桜が満開・・・。今日は朝から木の芽が膨らむ静かな雨です。


1.新装姫路城と桜 (クリックして拡大)
新装 姫路城と桜
画像転載元: (http://community.travel.yahoo.co.jp/mymemo/nagamachan/blog/143043.html


2. 姫路城と桜(4) 原画から高精細画像が見れます。
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原画: (http://www.city.himeji.lg.jp/var/rev0/0029/0880/l.jpg


3.姫路城と桜(5) 原画から高精細画像が見れます。
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原画: (http://www.city.himeji.lg.jp/var/rev0/0029/0881/l.jpg


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テーマ : ふと感じること
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開かれた地球の扉

 2015年3月20日、北大西洋で皆既日食が起り、日本では翌21日が春分の日となった日に、沖縄県宮古島で、ある神事が行なわれていました。
「見えざる手」に導かれた滝沢泰平さんと元「裏高野」の長典夫さんが、この島にある「新城さんの石庭」、つまり、前記事で述べた磐座(いわくら)の一つに参拝していたのです。
 この神事の意義を引用文中では「地球の扉を開く」と表現されていますが、明らかな結界開放であり、日月神示の「地(くに)の岩戸開き」の一環と見られます。
人類史上、重大な節目となる2015年に、地の岩戸が開く準備がこうして着々と整えられていたものと思われます。


「天下泰平」
「新城さんの石庭」と開かれた地球の扉(ゲート)
         2015年03月24日
http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51910947.html


   新城さんの石庭にある磐座
    新城さんの石庭にある磐座(太陽のサークル)

〔抜粋〕
 今回、宮古島を訪れた大きな目的の1つに「新城さんの石庭」があります。
「新城さん? 石庭?」
初めて耳にする方もいるかも知れませんが、ここは新城定吉さんという宮古島在住の方が、自宅の庭から掘り起した巨石を600個以上も並べている文字通り“石の庭”であり、スピリチュアルな世界を探求されている方の中では有名な“パワースポット”として知られています。
 この場所を広く世に認知させたのは、自分の中の心の師である故・船井幸雄さんであります。
船井先生の著書、講演を聞いている方の中には知らない人はいないほど、船井先生はこの「新城さんの石庭」を特別な“イヤシロチ”として何度もご紹介しており、また人生で2度あった“神秘体験のうちの1度”がこの場所であったと伝えていました。
 その神秘体験とは、石庭の中で船井先生に語りかけてくるような感覚の石があったようで、そこで船井先生は御自身の過去生の中、かつて存在していた古代文明ムー大陸の時代、多くの方がムーと一緒に海中に沈んでいく情景を思い出し、その中で自分自身の責任によって多くの方を犠牲にしてしまったことを石のメッセージから感じて深く後悔されたようです。
 あの弱音も吐かずにどんな時も強い男の中の男であった船井先生が、新城さんのお話も聞きながら大粒の涙を流した場所であったとも聞いております。

 以下、元記事にて・・・。


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磐座(いわくら)の磁場

 こういう地球のパワースポットは、触れると覚醒する人が出るので、それを嫌う存在によって結界を張られ、封印されたり、独占されたりしていることが多いようです。(神社、仏閣は基本的にそれが目的)


宇宙の本質を語る宇宙人「オレンジャー」からのメッセージ
 神社の磁場       2013-11-16
http://ameblo.jp/oranger13/entry-11696720451.html

 俺はオレンジャー!
神社や仏閣には、普通ではないエネルギーが発生していることが多い。
その多くは磁場が影響していて、その磁場によって、植物が有り得ない変化をすることがある。
 特に「磐座(イワクラ)」と呼ばれる大きな岩を奉っているような神社に多いのだが、その周辺に強力な磁場の歪みがあり、その影響で周辺の木々がくるくると蔦(つた)のように極端に曲っていたりする。

           神社の磁場
 拡大画像: ⇒(http://ameblo.jp/oranger13/image-11696720451-12750952381.html

 そうしたエネルギー場は、人によっては共振して強いエネルギーを受け取ることが出来る場所になるし、逆にその波長が合わないと、かなりのダメージを受けることになる。
これは良い悪いではなく、合う合わないの世界の話なので、自分の感覚に従って感じてみると良いだろう。
自分に合った強力な充電場所を是非見つけて欲しい。

 今日はこんなところだ! じゃ!


参考記事: 「MAGICA魔法入門カバラ~真を見抜く法」
神社や寺院の意味~地球から湧くパワーを抑制し独占する術
           2013-11-13
http://magicaldragon.blog.fc2.com/blog-entry-218.html


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テーマ : 魔法・魔術
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未だ安心出来ない

宇宙の本質を語る宇宙人「オレンジャー」からのメッセージ
 その後の状況       2015-04-17 
http://ameblo.jp/oranger13/entry-12015086067.html

 俺はオレンジャー!
4月12日を過ぎて、小さな地震が幾つか発生したものの、未だ大きな地震は発生していない。
ネット上では様々な情報が行き交っているものの、その殆んどが2次情報であり、自ら発信しているものが少ない。

 確かに4/12~13日に亘ってピークを迎えた、とある波長のシグナルは、現在落着いて来ているものの、未だ異常値であることに変りはない。
太平洋の島(多分、ハワイ)から日本列島に戻って来た時、明らかな異常を感じた。
 今もピーク時ほどではないが、未だ安心するような状況ではないように感じている。
脅す訳ではないが、用心するに越したことは無い。
もう暫らく注意して観察して行こう。

 今日はこんなところだ。 じゃ!


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中央構造線が動き出したか

 昨日、「天下泰平」さんの下記記事を読んだ時は気がつかなかったのですが、今朝、布団の中で頭に浮んだので書いて置きます。
 
 “今年に入ってから中央構造線の南にある天草方面にご神事に行ったことも、また2月には飛行機に乗り遅れてまで、今度は中央構造線の東の果ての“要石”のある香取・鹿島神宮を参拝したり、つい先日には中央構造線とフォッサマグナが交差する「諏訪」を訪れてご神事をしたことも、もしかすると古代ユダヤとの繋がりだけではなく、この中央構造線を中心とした地震とも関係しているのかも知れません。
 勿論自分自身の力で地震を止めるとか、小難にするとかは思ってもおらず、あくまでも流れに委ねて好き勝手に放浪した結果が中央構造線付近を偶々訪れていただけで、最初から意図している訳でもなく、また実際に訪れても地震や人類の想いだけに特化したお祈りもしていません。”

     ☆は4月8日~14日まで中央構造線付近で発生した地震 
    中央構造線が動き出した?
    
 この記事の意味するところは、これまで中央構造線が動くことを封印していた結界を、滝沢氏が見えざる手に導かれてそれとは知らずに開放したということではないでしょうか?
 そう考えると、以下の文章も含めて年初来、当ブログに書いて来たことや、オレンジャーのメッセージとも繋がって来ます。“やり直し”=リセットです。

 “人間視点”からすれば、確かに地震は「災害」という表現になりますが、これが“地球視点”や“自然視点”となった場合は“害”という言葉になるのでしょうか。
 もしかすると、他の動植物や地球にとって“害”と感じるのは人間そのものかも知れませんね。彼らからは、人間のやること成すことの全ては「人災(人間災害)」として恐れられているかも知れません。
 古代の日本人、縄文人は自然と共生する道を選び、それが実現出来たから数千年、1万年以上も続く平和で循環する文明社会を継続出来たのだと思います。
 地球上に最後に存在することになった生命体として、本来の使命である「知能と手足を自由に使って地球の生態系のバランスを取る」ことを思い出し、そして、これも本来の“約束”である「地球を長く維持すること」を目的とした文明社会の創造へ向けて、今年は本格的に“やり直し”がスタートする年となりそうです。


引用元記事: 「天下泰平」
ここ1週間の地震活動と中央構造線
    2015年04月15日
http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51912623.html


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テーマ : 地震予知・地震対策
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「一厘の仕組」再考

 私はカタカムナという言葉は知っていましたが、内容については全く知りませんでした。
少し調べて見ると、こういうことのようです。

 カタカムナの「カタ」は古典的な粒子系、現象界。「カム」は量子力学的波動系、潜象界。「ナ」は現象界も潜象界もひっくるめた世界主を表す。 (参考記事: イヤシロチ と カタカムナ

 一人の人間で言えば、「カタ」が肉体で、「カム」が精神(=霊)界。「ナ」が肉体と霊魂を統合(一体化)した存在といったところでしょうか。
ところで、従来(意図的に)分離されていた、この「カタ」と「カム」の統合が現実に起きつつあるようにも見えます。それを示唆しているオレンジャーの記事を二つ御紹介します。

1.時空間のひずみ (参考記事 1)
 最近、特に今年(2014年)に入ってから彼方此方に時空間の歪みが生じていることに気付いているだろうか? 
以前はいわゆるパワースポットと呼ばれるような場所でしか見えなかったが、最近は東京の街中にある喫茶店などでも見えるようになって来ているから何かが始まっているのだろう。

2.虚数の示す世界 (参考記事 2)
 実数の世界と虚数の世界を繋ぐポイントに今エネルギーが集まって来ている。ここから今まで畳み込まれていた色々な現象が起きて来るんだ。是非見ていて欲しい。

 この奇妙な現象が起きている原因の一つとして考えられるのが地球のエネルギースポットを封印していた結界の開放です。

 解り易い例を挙げましょう。
小泉純一郎元総理とその次男 進次郎氏に、かってのような吸引力(惹き付ける力)を感じなくなった方は多いと思います。
その理由は、どうやら彼等の力の源となっていた遊女さん達の魂(小泉の守護神白狐はその化身)を、封印から解き放ったことにあるようです。
 それから、参考記事 3 を読むと、滝沢泰平氏がこれまで東奔西走、遠くイスラエルまで行ってやって来られた神事は、「日本とユダヤの統合」を封印していた結界の解放だったのかも知れません。(これにはナザレのイエスの足跡を辿ることも関係しています)

 これら有名無名の方々による数多の結界の開放が次元の壁を薄くし、その結果、日本人の霊性が甦って次元上昇の起爆剤となるのが「一厘の仕組」と関係しているのかな~とも考えています。
日月神示では、「一厘の仕組とは○に神の国のゝを入れることぞ」(下つ巻 21帖)となっていますから、今まで分らなかった「○にゝを入れる仕組」がそういうことだと解釈しても矛盾はありません。
先ず日本人にゝが入って神国になり、それから日本が世界のゝになるという順序です。(現時点では、あくまで一つの仮説) 


参考記事 1
宇宙の本質を語る宇宙人「オレンジャー」からのメッセージ
 時空間のひずみ       2014-02-06 
http://ameblo.jp/oranger13/entry-11766031852.html

 おれはオレンジャー! 
最近、特に今年に入ってから彼方此方に時空間の歪みが生じていることに気付いているだろうか?
ふとした時に部屋の隅を見ていると、そこにボルテックス=渦が生じていて明らかに歪んでいるのが見える。
その場所がどんな意味を持っているのか定かではないが、明らかに別のパラレルワールドへの扉になっている気がする。
 以前はいわゆるパワースポットと呼ばれるような場所でしか見えなかったが、最近は東京の街中にある喫茶店などでも見えるようになって来ているから何かが始まっているのだろう。
もう少しこの現象について解読が出来たらまたこちらのブログで紹介したい。
 今日はこんなところだ。 じゃ!


参考記事 2
宇宙の本質を語る宇宙人「オレンジャー」からのメッセージ
 虚数の示す世界     2015-04-02 
http://ameblo.jp/oranger13/entry-12008852175.html

 俺はオレンジャー!
君達は虚数と言う言葉を知っているだろうか。
高校の数学で出て来る概念で二乗すると何故かマイナス1となる数字のことだ。
数学の世界でしか存在しえないこの数字が、実は現代宇宙を解く上で必要不可欠な概念になっている。
 実数の世界と虚数の世界を繋ぐポイントに今エネルギーが集まって来ている。
ここから今まで畳み込まれていた色々な現象が起きて来るんだ。
是非見ていて欲しい。

 今日はこんなところだ。 じゃ!


参考記事 3
「天下泰平」 世界最大のピラミッド「皆神山」
       2015年04月09日
http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51912168.html

 日ユ統合の象徴的な図形が、ここにある「天地カゴメ之宮」のご神紋です。(これをバッジにした秘密結社もあるよし)
この神社は、国常立大神お立ち上がりの神示を受けて建立したと石碑には記されています。

     16菊花紋の中に六芒星が入った御神紋
     16菊花紋の中に六芒星


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大きな捨て猫?

 
 「ナルニア国物語」が思い出されて微笑ましいですね。ちっちゃな画面が残念ですが・・・。


          ごめん、うちは犬とハムスターがいるから、
         お母さんが飼っちゃダメだって(泣)


          ライオンと少女
     元記事: (http://longbow5377.blog.fc2.com/blog-entry-256.html
     元画像: (http://goootaro.blog134.fc2.com/blog-entry-3586.html



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テーマ : ノスタルジック
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未来(時間)のゆらぎ

 今、話題になっているゲリー・ボーネル氏がその著書の中で、「東海大地震は2015年4月12日に起きる」と予言したことは、予言の本質を知らない行為であると言えます。
最近、目に付いた記事では「天下泰平」さんも、「過去風呂」のMちゃんも、そのことを良くご存知でした。
そして、窮めつけは下記、オレンジャーのメッセージです。これは、今朝、偶然に見付けた記事です。

 しかし、「ゆらぎ」はあっても大きな方向性に変化はありません
そして、その「大きな方向性」こそ、宇宙メンタル界層に太陽司神の巨大な想念形態として実在する(神智学)、アカシック・レコードの本体に他ならないのです。
この意味で、ゲリー・ボーネル氏が観ていると言われるアカシック・レコードは、その写しの写しのそのまた写しと言った感じの、極めて低次元のものであることを承知して置く必要があります。


宇宙の本質を語る宇宙人「オレンジャー」からのメッセージ
 未来予知における「ゆらぎ」について  2013-03-27
http://ameblo.jp/oranger13/entry-11498908363.html

 俺はオレンジャー!
きょうは未来予知における「ゆらぎ」の話をしよう。

 君達の世界とオレたちの世界の大きな違いの一つに ゆらぎ がある。
簡単に言うと、君達の世界のゆらぎの範囲は大きく、俺達の世界のゆらぎの範囲は狭いんだ。

 頭の中に振り子を思い浮べて欲しい。
止っている状態がゆらぎゼロの状態。
この状態であれば、誰でも簡単にその状態を説明することも出来るし、将来の予測も可能だ。
 ところが、この振り子が揺れ始めると、その動きの予測が難しくなる。
振り子の場合は一定の動きをしているので、まだ比較的読み易いが、実際に時間のゆらぎを含めて未来予知をすることは彼方此方に揺れる振り子の状態を確認するのと同様にとても難しい。

 では、ゆらぎが大きいと何が良いのか。
そう、今の自分の意識でそのゆらぎの方向を変えることが出来るんだよ。
それだけ君達は自由度の高い世界に居るんだ。
自分の意識や行動によって、自由に将来を変えられるということは実はとても貴重な体験だし、有意義なことだ。
肉体という不便な鎧をまとって、こうした自由度の高い世界で生きている、その経験がとても貴重なんだ。

 将来を予知することなんて、あまり意味はない。
将来を知ってどうするんだろうね。
それよりも、今を大切に生きること。将来は常にその延長だから。


 今日はこんなところだ! じゃ!


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〔拡散〕本日から数日注意!

宇宙の本質を語る宇宙人「オレンジャー」からのメッセージ
 本日から数日注意!   2015-04-12
http://ameblo.jp/oranger13/entry-12013152556.html

 俺はオレンジャー!
色々なところで騒がれているが、確かにこの数日、ある波長の電磁波が流れていて異常を感じている。
通常では感じない、ある周波数の波長を感じ取っていて、それが何を意味するかはオレにも判らない。

 G氏が予言しているのもさることながら、地震雲の発生やイルカの大量上陸など様々な要素が集まり始めている。
ここから先は委ねるしかない。
万全の体制を整えて、この数日を過して欲しい。
何も無いことを心から願う。

 今日はこんなところだ。 じゃ!


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テーマ : 地震予知・地震対策
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ナザレのイエス イザヤ(3)

ヴィセント ギリェム 「魂の法則」 小坂 真理 訳
http://www.uv.es/vguillem/Tamashii_no_Housoku.pdf
〔抜粋〕

・ イエスの地上での使命

ギリェム: 霊的な観点からは真実ではなく、イエスの死後に付け加えられたキリスト教の信念を幾つか挙げて頂けますか。

イザヤ: 沢山あるが、霊的進歩に一番悪い影響を及ぼす、最も重要なものを挙げてみよう。

1) 宗教的儀式の執り行いに道義的・精神的な何らかの価値があり、死後に天国での特権的地位の確保に役立つという信心。

2) 聖書や他の聖典が神の御言葉であるという信念。

3) 教会や聖職者が、地上における神の仲介者だと信じること。

4) 悪業を清算するには、告白が必要であり、司祭から免罪されれば解消されると信じること。

5) 最期に後悔すれば罪が贖われる、という信念。

6) イエスは十字架上で死ぬことで、人類の罪を贖ったと信じること。

7) 原罪への信念。

8) 性が何か罪深いものだと信じること。

9) ただ一度の人生で、魂の行く末が永遠に決められる(救われる者には永遠の天国と栄光が約束され、罪人には永遠の地獄と罰が待ち受ける)と信じること。

10) キリスト教徒と信者だけが救われるという信念。

11) 肉体の蘇りを信じること。


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日ユの統合 「天下泰平」

 日月神示には、善と悪の二極を統合し、地の岩戸を開く鍵となる象徴的な一句があります。(当ブログ過去記事: 御用の悪(6) で検索可)

岩戸開く仕組 知らしてやりたいなれど、この仕組、言ふてはならず、言はねば臣民には分らんし、神苦しいぞ、早う神心になりて呉れと申すのぞ、身魂の洗濯いそぐのぞ。
アイカギ、ゝ〇(記号のマルチョン)、コノカギハ イシヤト シカ テ ニギルコトゾ

(ひふみ神示 第二巻 下つ巻 第22帖)

 この場合、ゝは日本、○は外国、イシヤとは勿論、古代の石工組合を起源に持つフリーメイソンのことです。
この神示を実地に移そうと、神憑り的な活動を続けているように見えるお方が、ブログ「天下泰平」の主(あるじ)、滝沢泰平さんです。

 実のところ、私は長い間、この方を視野に入れていませんでした。
私が以前から邪神と看做している船井幸雄氏の霊脈に繋がっていることを本能的に察知していたからです。(最近、氏自身の述懐で確認しました)
何時もの通り、私の背後霊団の計らいだと思います。
 しかし、その(ムーの時代に大きな負のカルマを持つ)船井氏がどうやら改心して帰幽したらしく、そのことと関係するかどうかは判りませんが、最近の「天下泰平」さんの記事には私も同調することが多く、抵抗感が少なくなりました。
 そして、この方の活動のアウトラインが朧げながら見えて来ました。
未だ100%信用している訳ではありませんが、現在のところ、私の思想的な立ち位置に最も近い存在です。と言っても、基本的に御役が違い、また若さと言い、行動力と言い、霊力と言い、私など足許にも及びません。
現在、国常さんの霊統のトップランナーと見て可(よ)いかと思います。
 今日は、先ず、私が認識を改める端緒となった記事を紹介して置きましょう。


「天下泰平」 日本の危機と今後の行方(5/4@日比谷公会堂)
      2013年03月14日19:57
http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51850656.html) 

〔抜粋〕
 そして、もう一人の注目講師は、あの「ドラコニアン」という言葉で日本中で話題となり、そして現役のイルミナティとして表の世界に出て来た高山長房さんです。
今回、自分との対談という形のスペシャルゲストとしてお招きしていますが、時間の関係もあるので、実際はフルに時間枠を使って高山さんに講演をして頂きます。

 まず「何故、(自分が)闇の勢力であるイルミナティと繋がっているのか?」と思われるかも知れませんが、この「イルミナティ」というのは実際にはない俗語であり、いわゆる王族関係者の総称のようなものです。
同じく「フリーメーソン」というのも俗語であり、これは、この王族の諜報機関や兵士達のことを指す場合があり、それこそ細かい組織を含めたら世界中で何千グループもあるので、一概にフリーメーソンだけでは、善し悪しは判断出来ないのです。
 高山さんは、日本の天皇家という王族を守るイルミナティであり、セムメーソンと呼ばれている一団のトップです。
日本やアジア方面のフリーメーソン系、および八咫烏などの頂点にも立っており、裏天皇から更に上の存在達迄全て繋がっています。

 (高山氏の著作)『日本人はドラコニアン《YAP(-)遺伝子》直系! だから、「超削減」させられる』の内容が陰謀論的というかSF的な要素が多く、「この人は本物か?」と疑問に思った人も多いかも知れませんが、自分は一緒に行動することも多く、特別な会合などにもご招待頂くこともありますが、そこに集まる人々は、王族や貴族関係者、フリーメーソンの幹部や八咫烏など、当に表には出ない裏の権力者達が揃いますので、高山さんは本物のセムメーソンであり、天皇家の関係者であるのは間違いありません。
 そして、初めて聞くかも知れませんが、自分が代表を務める「日本の未来をつくる会」という組織の顧問として高山さんには関与して頂いており、当にこれから王族や皇室関係者達と一緒に日本の危機を救う動きをとっています。

 「なぜ、(自分が)天皇家を巻き込むか?」ということに関しては、また講演の時にでも少しお伝え出来る時間があれば良いですが、今の地球を支配している欧米貴族、つまりは一般的なイルミナティやフリーメーソンに対抗出来るのは、今のところ世界ではプーチン大統領とKGB(ソ連国家保安委員会)であると言われています。
しかし、確かにプーチンやKGBの力は偉大ではありますが、あくまでも立場として対立関係の構図となり、その結果、どうしても血みどろの戦いになってしまいます。
 それに対して日本の天皇家というのは、彼ら欧米貴族からしても特別な存在であり、敵でも味方でもない中立的な立ち位置で、天皇家に対しては一切、手を出すことは出来ません。それをすると、更に上の組織というか存在から自分達が淘汰されてしまいます。

 NASAの上層部も、科学が今の表の科学よりも1000年以上進んでいると言われているように、当然ながら欧米貴族達を守る軍事力なども表に出ているものよりも1000年以上進んでおりますが、この天皇家を守る更なる上の存在達は、これら欧米の裏科学や軍事力よりも、更に1000年進んでいます。つまり現代科学よりも2000年以上進んでいるのです。
 そのことを知っているからこそ、彼らは絶対に手を出すことは出来ないのです。そして、何よりもアメリカの監視下に置かれている日本で何か目立った活動をするに当っては、当然KGBなどは簡単には守ってくれないので、まずは天皇家と一緒でないと直ぐに圧力を掛けられて潰されてしまいます

 「そんな超科学や超人達がいるなら、早く日本を救っておくれ」という意見もあるかも知れませんが、これ以上は信じるか信じないかは別として、こういった組織も、ある一定ラインを超えると人類ではなくなって来るので、直接人間の文明に介入することは出来ないのです。
それは「小さな宇宙人アミの話」を読んだ方であれば、少しは納得頂けると思いますが、あくまでも人間社会の問題を解決し、自らが進化して行くのは、地球人自らの手でやって行かないといけません
 といっても「日本の未来をつくる会」は、別に危ないことをやる訳でも、欧米貴族達やアメリカにケンカを売る訳でもなく、あくまでも新時代に必要な芽を見つけ、それを守り育て、そして時期が来たら表に出して新しい時代を創る手助けをするだけです。
但し、中途半端にやる心算もないので、やる時は徹底的に世の中を変えて行きます。だからこそ、イルミナティ、そして天皇家などの手も借り、日本から世界を本気で変えて行こうとしているのです。

 日月神示には、闇の支配からの脱却のヒントの1つに以下のような記述があります。

アイカギ ゝ○Θ コノカギハ イシヤト シカ テ ニギルコトゾ

 この「イシヤ」は「石屋」であり、フリーメーソンの語源である「石工職人」からきてます。また天皇の「天」の語源は「工・人」であり、やはり「石工職人」が関与しています。
上の暗号には、「石工職人」、「フリーメーソン」と手を握ることが、新時代を切り開くキーであると書いています。
 これにはユダヤと日本の融合など、色々な意味はありますが、とにかく欧米貴族を淘汰するのではなく、最終的に彼らを抱き参らせるのが重要であり、そのためには天皇家と真の日本人の力が必要となって来るのです。
ということで、アメリカの言いなりである政府ではそんなことは到底無理なので、完全な中立機関として地球の平和を実現するために、そろそろ動き出そうとした次第です。

 ただ、今回の講演テーマは「日本の危機と今後の行方」ということもあり、先ずは今現在、日本の中で最大の問題となっている原発事故と放射能被害の真実に関して高山さんに語って貰い、そしてその背後に隠れている更なる裏の真実、おまけに今回は特別にレプティリアンの生映像も公開して頂くことになっています。
 と言っても、レプティリアンは霊体なので実体はないのですが、ただ映像としては捉えることは出来るのです。極秘ファイルからなので、恐らく世界初公開になると思います。


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イルカ150頭が鉾田の海岸に

 あの東日本大震災が起った2011年3月にも、近くの鹿嶋市の海岸で同じカズハゴンドウ54頭が見つかっている、ということなので気になるニュースです。


     茨城・鹿島灘
     画像転載元: (http://news.goo.ne.jp/picture/mainichi/nation/mainichi-20150410k0000e040176000c.html

goo ニュース
<イルカ>150頭、海岸で発見…10キロ点在 茨城・鉾田
    2015年4月10日(金)11:13     (毎日新聞)
http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/nation/mainichi-20150410k0000e040176000c.html

 10日午前6時5分ごろ、茨城県鉾田市台濁沢の海岸で、通行人の男性から「多数のイルカが打上げられている」と第3管区海上保安本部(横浜市)に通報があった。
鹿島海上保安署員が駆付けたところ、同市汲上から同市上幡木間の海岸(約10キロ)で、約150頭のイルカが打上げられていた。大半が生きているとみられ、同署員らが救助活動を行なっている。

 鉾田市は同日朝、イルカ救出のための対策本部を設置した。アクアワールド茨城県大洗水族館(同県大洗町)などによると、打上げられたイルカはカズハゴンドウで、体長は約2~3メートル。鹿嶋市内にも打上げられているとの情報もあり、被害頭数は拡大する可能性もある。

 現場では地元住民も協力し、イルカにブルーシートを被せたり、バケツで海水を掛けたりして救助活動を行なった。鉾田市飯島の派遣社員、石岡民子さん(53)は「テレビのニュースで見て、バケツを持って来た。とにかく無事に海に帰って欲しい」と話した。

 現場付近の海岸では毎年、数頭のイルカが打上げられており、2011年3月には鹿嶋市で、カズハゴンドウ54頭が見つかっている。原因ははっきりしていないという。【松本尚也、玉腰美那子、岩本直紀】


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ナザレのイエス イザヤ(2)

ヴィセント ギリェム 「魂の法則」 小坂 真理 訳
http://www.uv.es/vguillem/Tamashii_no_Housoku.pdf
〔抜粋〕

・ イエスの地上での使命

ギリェム: イエスについて最初に話された時に、彼の本来のメッセージには多くの付け加えがされて、伝えたかったことを歪めてしまった、と言われましたね。当初の教えと、後世の追加事項とを、どうやって見分けるのですか。

イザヤ: ごく単純に、「魂の法則」に反するメッセージはどれもイエスの教えではない、ということになる。イエスはこれらの法則を熟知しており、聞く耳を持つ者に伝達しようとしたのだ。

ギリェム: イエスの真の教えの中で、最も大切なものを幾つか挙げて頂けますか。
 
イザヤ: 勿論だ。
(註: 原文には以下の各項目について、聖書の章句が複数引用されていますが、クリスチャンでない者には煩雑なだけです。必要な方だけ「全文(続きを読む)」からご覧下さい)

1.全ての人間は、人種を問わず、性別や宗教を問わず、同じ本質である。即ち、皆、進化途上の魂であり、それ故、兄弟である。

2.魂の生命は永遠であり、死は存在しない。

3.地上の人間の務めは、無条件に愛することを学び、我欲から解放されることだ。
魂がどれだけ成長したかは、愛の力量だけで量られる。愛が我々を進化させる、つまり、神へと近づけるのである。

4.霊的進化は、自分自身の努力に掛かっている。人間の死後の運命は、生存中の「愛の法則」に基づいた行為、あるいは反した行為によってのみ、決定される。

5.各人は、それぞれ神との独自の繋がりがあるので、仲介者に依存して霊界と交信すべきではない。

6.魂の成長は、ただ一度の肉体生では終らず、高度な霊性を獲得するには、多数の転生が必要となる。

7.「霊的裁きの法則」または「原因-結果の法則」。自分が蒔いたものを収穫する。

8.他にも人が住んでいる世界はあり、ここと同じ目的がある。即ち、霊性進化の学校として役立つことだ。



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囚われと閃き

宇宙の本質を語る宇宙人「オレンジャー」からのメッセージ
 とらわれとひらめき     2015-04-09
http://ameblo.jp/oranger13/entry-12012028592.html

 俺はオレンジャー!
人という文字を囲むと囚われになる。
人という文字に門を付けると閃きになる。
何かに固執したり、ある事実や概念に執着をしてしまうと、結局、人はその枠の中に囚われてしまうことになる。


          閃き


 「闇」から音を抜き、現れた「門」の中に人が入った時に「閃(ひらめき)」が生まれる。
人生に於いて自分の生れて来た意味、役割をはっきりと確信出来た瞬間」。それが「閃」だ。
心の中に開いた門を潜ることが出来た人は、自分に迷わず、自分のなすべきことに自信を持って生きて行くことが出来る。

 文字には沢山の意味が込められている。
そこに色々なヒントがあるから、是非それを知って欲しい。

 今日はこんなところだ。 じゃ!


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ナザレのイエス イザヤ(1)

ヴィセント ギリェム 「魂の法則
http://www.uv.es/vguillem/Tamashii_no_Housoku.pdf
〔抜粋〕

・ イエスの地上での使命

ギリェム: ナザレのイエスについて聞きたいことを言います。彼が本当のところ誰だったのか、地上での使命があったのだとしたら、それが何だったのか知りたいのです。

イザヤ: 良かろう。生れてから二千年も経つのに、彼のメッセージはまだ正しく理解されてはいないのだ。

ギリェム: どういう意味ですか。

イザヤ: 彼の死後、恰も彼のものであるかのように、無数の付け足しが盛込まれて行って、携えられた教えの本来の意味が徐々に歪められてしまったのだ。
イエスの使命を理解するには、彼が言ったように、「麦粒」と「麦殻」、つまり真実と偽りとを区別する必要があるのだ。

ギリェム: それで、彼の任務は何だったのですか。何をしに来たのですか。

イザヤ: 霊的進化の道を教えに来た。「魂の法則」を教えに来たのだ。
中でも「愛の法則」の伝道に力を注ぎ、「汝の隣人を自分の如く愛しなさい。汝の敵を愛しなさい」という無条件の愛のメッセージを齎した。

ギリェム: ナザレのイエスは、神自身の生れ変りだったのですか、それとも神の子だったのですか。

イザヤ: ナザレのイエスは、非常に進化した魂が転生したものだった。

ギリェム: では、神の生れ変りではなかったのですね。

イザヤ: そう、神の生れ変りではなかった。彼は、自分が神であるなどと、一度も言ったことがなかった。そう断定したのは、イエスの後にやって来た別の者達だ。

ギリェム: 少なくとも、神の子ではあったのですね。

イザヤ: そう、君達と同じように真の神の子だ。違いと言えば、彼はそれを自覚していたが、その他の人達には自覚がない、ということだけだ。

ギリェム: それなら、イエスはそれほど超自然的でも神聖な存在でもなく、僕達のように只の人間だったのですか。

イザヤ: 君達のように正真正銘の人間だったが、もっと高度に進化していた。進化することで段々と神に近づけると理解するなら、イエスは君達よりも神に近かったと言えよう。

ギリェム: でしたら、僕達も進化すれば、イエスが転生した時の進化レベルに到達出来るのでしょうか。

イザヤ: そうだ。しかも、同じレベルに限らず、もっとずっと高いレベルに達することも可能だ。霊的進化の工程は、止まるところがないのだ。だが、それが唯一度の肉体生では無理なのは明らかだ。
イエスと同じ域に至るには、君達も多数の転生をして、無数の体験をする必要があろう。
それに、君達がそこに達する頃には、イエスも他の全ての魂と同じように進化を続けているので、更に高いレベルに進んでいるであろう。

ギリェム: イエスも進化するために、輪廻のサイクルを経験しなければならなかった、と仄めかしているのですか。それは、かつては僕達のように全くの未熟者だった、という意味ですか。

イザヤ: そう示唆しているのではなく、断定しているのだ。
イエスも君達と同じように、物的世界での経験を通して改善せねばならなかった。そして、自分の意志力と個人的な努力によって、地上で果した任務を遂行する上で求められた進化のレベルに至ったのだ。
君達はイエスが行なったことに強い衝撃を受けたが、それを殆んど理解することが出来なかった。

ギリェム: イエスは、進化を続けるために、肉体に宿って十字架上で死ぬ必要があったのでしょうか。

イザヤ: いや、既に何のカルマも負債も背負っていなかったので、その必要はなかった。
あれほど酷な最期を迎える必要もなく、自己進化を継続出来たであろう。だが、それがどんな影響を齎すかを知っていたので、好んでそうしたのだ。
 イエスが偉大なのは、カトリック教会があれほど強調して来たように、十字架にかかって死んだことではない。
もしもそれがイエスの功績なのだとしたら、その時代にはそれが罪人の処刑法だったので、同じ形で死んだ何十万人の人々にも、功績を認めなければならないだろう。
 イエスの最大の功績は、携えて来た愛のメッセージを布教した果敢さと勇気にあるのだ。
そうすることで、多大な苦悩や死さえも被ることを知っていたにも拘らず、誰の脅しにも屈せず、自分の考えを変えることがなかった。

ギリェム: では、何のためにそうしたのですか。

イザヤ: 後進の同胞への愛のためだ。イエスのように無条件の愛を知った魂は、償いの必要性のためではなく、遂行せねばならぬ任務のために行動するのだ。通常それは、どのように愛をもって生きるかの手本を示すことと関係している。
 魂は、ある段階からは、愛だけを動機として行動する。多くの魂が、発展の遅れた世界への転生を希望し、後輩を支援して愛に生きることで、もっと速く幸福に到達出来るようにする。
 この場合に遭遇するネガティブな状況は、贖罪のためではなく、霊的に劣った世界自体に元来備わっているものだ。
だが彼等は、苦痛も死も怖れていないので、そのような苦悩を味わうことや殺されることすら厭わない。
高次に進化しているので、死が存在しないことを知っており、肉体の命は魂の命のほんの一瞬に過ぎない、と分っているのだ。

ギリェム: では、劣った世界に転生する高次の魂が、学ぶためにではなく、教えるためにだけやって来るのだとしたら、その人生では余り進化出来ないのでしょうね。

イザヤ: いや、そうではなく、人生の如何なる試練からも学び取ることが出来るので、教えるためだけではなく学ぶためにもやって来るのだ。そして、自己の愛と理解の度量を常に試されることになるので、自分と同等レベルの世界にいるよりも、速く進化出来るようになるのだ。
 更に、愛に満ちた環境では露呈せず、極限状況でなければ表面化しないような、奥深く隠れた自分の欠点を浮き立たせてくれる。こうして、欠点を改善する機会が得られるので、我欲を除去する面で前進出来るのだ。

ギリェム: イエスの話に戻りますが、彼は何処からも援助を受けずに、独りで仕事をしたのですか。

イザヤ: 人が愛に突動かされて尽す時には、更に進化した霊的存在からの影響を受けるに相応しくなる。イエスの場合は、その中でもロゴス・キリストに影響された。

ギリェム: ロゴス・キリストとは誰ですか。

イザヤ: 君達の惑星の進化の最高責任者(註: 進化の司)となる霊的な存在だ。

ギリェム: でしたら、聖なる三位一体の三人とは、神とキリストとイエスなのですか。

イザヤ: それは分らない。そう言い出した人達でさえ、それが何を意味しているのか知りはしないと思うからだ。
断言出来るのは、神が唯一であることと、キリストとイエスが、神とは異なる別々の存在であることだ。それゆえ、彼らは神でも神の顕現でもないが、御心と調和しているので、神の代理人とか神の使者、などと捉えることは可能だろう。つまり、彼等は「愛の法則」を遵守する者で、進化の計画に自主的に参加しているのだ。

ギリェム: キリストはイエスを通してどのように行動したのですか。

イザヤ: イエスはある時点から人生の最後の数年間は、ロゴス・キリストからインスピレーションを与えられ、励まされて行動した。実際、イエスが任務を完了出来るためには、その必要があったのだ。

ギリェム: でしたら、話をしていたのはイエスですか、それともキリストですか。

イザヤ: 二人で行動していたと言っておこう。キリストからインスピレーションを与えられて、イエスが話していたのだ。だが、イエスは決して自分の意識や個別性を失わなかったし、自由意志を失いもしなかった。

ギリェム: イエスは、地上に再び生れ変るでしょうか。

イザヤ: ロゴス・キリストは必要とあらば、人間の進化段階にいる魂を転生させて、何時でもそれに顕現するだろう。
イエスの前にもそうしたことはあるし、地球の霊的進化が求めるなら、今後も再びそうするであろう。転生するのがイエスであるか、別の似たような進化程度の者であるかは重要ではない。
 予め言って置けるのは、新たな救世主・預言者・アバターなどとして生れ変る際には、キリスト教徒が待望むように、茨の冠に十字架を背負ったナザレ人としてではないし、釘で血に塗れた手もしてはいないということだ。
 外見的には、普通の人であろうが、通常の域を超える愛と霊的叡智の能力を備えていることだろう。だがそれは、隣人愛のメッセージと霊性進化と同調出来る者にしか感知されないのだ。
またイエスが現代に転生した場合に、最初に彼を攻撃して布教させまいと、あらゆる手段を講じるのは、イエスを旗印にしている教会そのもののお偉いさん方だろう。
何故なら、彼の教えが地球の人類の心に浸透してしまえば、彼等が宗教的貴族でいられる日々も数えるほどとなり、凡人に帰してしまうからだ。


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私の好きな桜

 当地の桜はまだまだですが、今日は少し気分を変えて、華やいだ桜の画像を出すことにします。
 
 敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花 (本居宣長)

 と歌にも詠われた山桜は、一種の気品を湛えた清楚な美しさを漂わせています。
大和心(やまとごころ)に抵抗感のある方は、「だいわの心」と読み替えて変なイメージを拭い去りましょう。

 山桜に較べると染井吉野のような淡いピンク系の桜は、どことなく女性的な艶っぽさを感じさせます。その極みが八重桜の豪華絢爛さでしょう。
私は、その艶のある美しさよりは、山桜の気品の方が好きです。


オオシマザクラ(大島桜)
オオシマザクラ
画像転載元: (http://flowerland.moo.jp/sa/a-f-sakura.htm


         ・ ソメイヨシノ(染井吉野)
         ソメイヨシノ(染井吉野)
     画像転載元: (http://homepage1.nifty.com/morino/sakura/data/somei/02somei.html


     ・ ヤエザクラ(八重桜)
     八重桜
   画像転載元: (http://bluesky-contrail.cocolog-nifty.com/happy/2008/04/post_2afa.html


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頭の体操 「時間の向き」

 「めもっとこ。」さんの最新記事「現在は過去から? 未来から?」の中に苫米地英人(とまべち ひでと)の「時間の向き」に関する変な説が紹介されています。

 私がこれを読むと、典型的な観念論(詭弁)に見えます。
霊学では「時間とは、現在の状態の変化である」と捉えます。
これは、物質界ではあまりハッキリ解りませんが、時間が無いと言われる霊界では当にこのとおりのことが起ります。

霊界には時間、空間は無いと申してゐるが、無いのでないぞ。
違って現はれるから無いのと同様であるぞ。あるのであるぞ。

(ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第73帖)

時間も空間も映像であって、情態(註: 内面的な状態)が変るのみのことであるぞ。
(ひふみ神示 第二十五巻 白銀の巻 第7帖)

(霊の世界にも)物事が発生し進行(変化)するのに要する時間はあります。
(トニー・オーツセン編/近藤千雄 訳「シルバーバーチ最後の啓示」 p183 ハート出版)

 過去とは、文字通り「過ぎ去った現在」であり、記憶とか、記録の中にだけ存在するものです。実在ではありません。
未来とは、文字通り「未だ来ていない現在」であり、これも実在ではありません。
 そうすると時間の向きとは、過去の現在から未来の現在への変化の方向ですから過去から未来であることに疑問の余地はありません。
本当は実在しない未来から過去に「時間が流れている」と錯覚するから間違った結論になるのです。
実在するのは、あくまで永遠の現在(いま)だけなのです。
 また、「過去と未来を現在に繋いでいるのは、因果律と自由意志」ですから、苫米地の“過去の因果によって現在、そして未来があるなどと考える限り、自分自身で明るい未来を切開くことなど出来ない”などという詭弁も成り立ちません。「未来の因果」などというものも存在しません。
 正しい因果律を否定することは、マクロの物理法則も、この世の成り立ちも、輪廻転生等も全部否定することと同じです。
宇宙が整然と秩序を保っていられるのはこの因果律によります。
苫米地は観念に囚われて目の前の現実を在りのままに見ていません。

 ですから、「時間の向き」は過去から未来へ。
「現在は過去から? 未来から?」の答は、過去と自由意志からです。
早い話、「めもっとこ。」さんがこういう記事をアップしたこと自体、彼女の過去のカルマ(行為)と切り離すことは出来ません。
また、その過程で、その記事をどのように書くか、アップするか否か等、沢山の選択の余地があった筈です。
 さあ、今日も現在に集中して、選択を間違わないように生きることにしましょう。


引用元記事: Wikipedia 「時間」

〔時間の向き〕
苫米地英人の主張: 時間は未来から過去へ流れる


 苫米地英人は次のように主張する。

「時間は過去から未来へ流れているのではなく、未来から過去へ流れている」という考え方は、東洋ではアビダルマと呼ばれる仏教哲学で古くから述べられている。またこれは現代の分析哲学における結論でもある、と指摘しつつ、苫米地英人はこの見方を支持している。

 「時間というのは過去から未来に向って流れている」とする考え方というのは、創造主が世界をつくった、とするユダヤ・キリスト教の伝統に沿った時間観に過ぎない、と苫米地は指摘している。
 創造主のいる宗教では「絶対神がビッグバンを起し宇宙を創造したことから全てが始まりそれにより玉突き的に因果が起きて現在まで来た」と考えたがるが、そう考えないと創造主自体の存在を肯定出来ないので、「過去の出来事が現在の原因である」と解釈されることになる、と苫米地は指摘した。
 こうした考え方で“過去の因果によって現在、そして未来がある”などと考える限り、自分自身で明るい未来を切り開くことなどできない、とも指摘されている。
自分自身を、まるでただのサーモスタットのように見なすことになってしまうからである。
 ユダヤ・キリスト教的な時間観の枠内だけで育った人には意外に思えるかも知れないが、その枠を取払って少し考えてみてみると分るようになるという。以下のように解説されている。

 現在は一瞬で過去になります。今、現在だったことはちょっと前の未来です。今現在やっていることが、1時間後には過去になります。つまり現在が過去になるのです。当たり前のことですよね。
現在の行為が過去になるのです。つまり現在の結果が過去です。あなたのいる位置が現在とすると、あなたに向かって未来がどんどんとやって来ては、過去へ消えて行っている訳です。

 この感覚は一度理解出来ると意外なほどに腑に落ちるという。
自分に向って未来がどんどんとやって来ては過去へと消えてゆく感覚。(自分が過去から未来へと向っているのではなく)未来の方が自分に向って流れて来る感覚である。
そして現在起きたことがどんどん過去になり遠ざかって行くという時間の流れの感覚である。
 こう考えれば、現在は過去の産物などではなく、未来の産物であり、しかも未来というのは固定されたものではなく、無限の可能性であり、しかもその未来は(過去の因果ではなく)更に未来の因果によって決まる、ということになる。

 これを川の流れに喩えるなら、クルーザーに乗って川上に進みつつ、自分は川の一点を見ている、ということである。川は上流(未来)から下流(過去)に向かって流れている。ある時自分が上流から赤いボールが流れてくるのを見る。その後青いボールが流れてくるのを見る。
ユダヤ・キリスト教的時間観で見てしまうと「赤いボールが流れて来たから、青いボールが流れて来た」という解釈になる。
 だが実際はそうではない、と苫米地は指摘する。赤いボールが流れてきた結果青いボールが流れて来た訳ではない。
未来という上流から、未来における何かの因果によって、赤、青の順番で放たれてそれが現在にまで到達したから、赤、青という順番で流れて来た、と苫米地は指摘する。

 例えば上の事例で、赤いボールを拾うか拾うまいか迷った揚句拾わなかった。その後青いボールが流れて来たのを見た時に、どう考えるか、ということがある。
ユダヤ・キリスト教的な時間観で解釈してしまうとつい「しまった、赤いボールを拾わなかったから、青いボールが流れて来てしまった」と考えることになってしまうが、この場合も、赤いボールを拾わなかった、ということと、その後に青いボールが流れて来た、ということは何の関係もない。つまり「あの時、赤いボールを拾ってさえいれば…」などとくよくよ悩むことは意味がないのである。過去に縛られる理由などどこにもないと苫米地は指摘する。


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テーマ : 考察
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ナザレのイエス シルバー・バーチ(2)

シルバーバーチの霊訓」― 地上人類への最高の福音
トニー・オーツセン(編) 近藤 千雄(訳) サイキックプレス社
10章 幼児期を過ぎれば、幼稚なオモチャは片づけるものです
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/sb-seed/sb-seed-10.htm

〔抜粋〕
 ある日の交霊会で、一牧師からの投書による質問が披露された。
“シルバーバーチ霊はイエスを宇宙機構の中でどう位置づけておられるのでしょうか。
また〈人間イエス〉と〈イエス・キリスト〉とは、どこがどう違うのでしょうか”というのがそれである。
これに対してシルバーバーチはこう答えた。

 「ナザレのイエスは、地上へ降誕した一連の予言者ないし霊的指導者の系譜(メルキゼデク→モーセ→エリヤ→エリシャ→イエス)の、最後を飾る人物でした。そのイエスにおいて、霊の力が空前絶後の顕現をしたのでした。(モーゼスの『霊訓』の中でもインペレーター霊が全く同じことを述ベている)
 イエスの誕生には何のミステリーもありません。その死にも何のミステリーもありません。他の全ての人間と少しも変らない一人の人間であり、大自然の法則に従ってこの物質界へやって来て、そして去って行きました。
 が、イエスの時代ほど霊界からのインスピレーションが大量に流入したことは、前にも後にもありません。
イエスには使命がありました。それは、当時のユダヤ教の教義や儀式や慣習、あるいは神話や伝説の瓦礫の下敷きとなっていた基本的な真理の幾つかを掘起すことでした。
 そのために彼は、先ず自分へ注意を引くことをしました。
片腕となってくれる一団の弟子を選んだ後、持前の霊的能力を駆使して、心霊現象を起して見せました。イエスは霊能者だったのです。
今日の霊能者が使っているのと全く同じ霊的能力を駆使したのです。
偉かったのは、それを一度たりとも私的利益のために使わなかったことです。
 又その心霊能力は法則どおりに活用されました。奇跡も、法則の停止も、廃止も、干渉もありませんでした。心霊法則に則って演出されていたのです。
そうした現象が人々の関心を惹くようになると、今度は、人間が地球上で生きて来た全世紀を通じて数々の霊覚者が説いて来たのと同じ、単純で、永遠に不変で、基本的な霊的真理を説くことを開始したのです。
 それから後のことはよく知られているとおりです。
世襲と伝統を守ろうとする一派の憤怒と不快を買うことになりました。
が、ここで是非ともご注意申し上げておきたいのは、イエスに関する正しい記録は極めて乏しいのですが、その乏しい記録に大変な改竄が為されていることです。
 随分多くの、ありもしないことが書き加えられています。
従って聖書に書かれていることには、マユツバものが多いということです。出来過ぎた話は皆割り引いて読まれて結構です。実際とは違うのですから……。
 もう一つのご質問のことですが、ナザレのイエスと同じ霊、同じ存在が今なお地上に働きかけているのです。
死後更に開発され威力を増した霊力を駆使して、愛する地上人類のために働いておられるのです。
イエスは“神”ではありません。全生命を創造し人類に神性を賦与した、宇宙の大霊そのものではありません。
 幾ら立派な地位(くらい)ではあっても、本来全く関係のない地位に祭り上げることは、イエスに忠義を尽す所以とはなりません。
父なる神の右に座しているとか、“イエス”と“神”とは同一義であって、置替えられるものであるなどと主張しても、イエスは少しも喜ばれません。
 イエスを信仰の対象とする必要はないのです。イエスの前に膝を折り、平身低頭して仕える必要はないのです。
それよりも、イエスの生き方を自分の生き方の手本として、更にそれ以上のことをするように努力することです。

 以上、大変大きな問題について、ほんの概略を申し上げてみました」

 メンバーの一人: 「“キリストの霊”Christ Spirit とは何でしょうか?」

 「ただの用語に過ぎません。その昔、特殊な人間が他の人間より優秀であることを誇示するために、聖なる油を注がれた時代がありました。
それは、たいてい王家の生れの者でした。“キリスト”という言葉は“聖油を注がれた”という意味です。それだけのことです」

 「イエスが霊的指導者の中で最高の人物で、模範的な人生を送ったというのが、私には理解出来ません」

 「私は決してイエスが完全な生活を送ったとは言っておりません。
私が申し上げたのは、地上へ降りた指導者の中では最大の霊力を発揮したこと、つまりイエスの生涯の中に空前絶後の強力な神威の発現が見られるということ、永い霊覚者の系譜の中で、イエスにおいて霊力の顕現が最高潮に達したということです。
イエスの生活が完全だったとは一度も言っておりません。
それは有り得ないことです。何故なら、彼の生活も当時のユダヤ民族の生活習慣に合せざるを得なかったからです」

 「イエスの教えは最高であると思われますか」

 「不幸にして、イエスの教えはその多くが汚されております。
わたしはイエスの教えが最高であるとは言っておりません。
私が言いたいのは、説かれた教えの精髄(エッセンス)は他の指導者と同じものですが、たった一人の人間があれほど強力に、そして純粋に心霊的法則を使いこなした例は、地上では空前絶後であるということです」

 「イエスの教えがその時代の人間にとっては進み過ぎていた ― だから理解出来なかった、という見方は正しいでしょうか?」

 「仰る通りです。ランズベリーやディック・シェパードの場合と同じで(※)、時代に先行し過ぎた人間でした。時代というものに、彼等を受入れる用意が出来ていなかったのです。
それで結局は、彼等にとって成功であることが時代的にみれば失敗であり、彼等にとって失敗だったことが時代的には成功ということになったのです」

※ ― George Lansbury は1931年~35年の英国労働党の党首で、その平和主義政策が純粋過ぎたために挫折した。第二次大戦勃発直前の1937年にはヨーロッパの雲行きを案じて、ヒトラーとムッソリーニの両巨頭の元を訪れるなどして戦争阻止の努力をしたが、功を奏さなかった。
 Dick Sheppard は生前キリスト教の牧師だったこと以外は不明。なおこの当時、二人共シルバーバーチ霊団のメンバーだったことは他の資料によって確認されている。

 「イエスが持っていた霊的資質を総合したものが、これまで啓示されて来た霊力の始源であると考えて宜しいでしょうか」

 「それは違います。あれだけの威力が発揮出来たのは、霊格の高さのせいよりも、むしろ心霊的法則を理解し、かつそれを自在に使いこなすことが出来たからです。
 ぜひとも理解して頂きたいのは、その後の出来事、つまりイエスの教えに対する人間の余計な干渉、改竄、あるいはイエスの名の元に行われてきた愚行が多かったにも拘らず、あれほどの短期間に全世界に広まり、そして今日まで生き延びて来れたのは、イエスの言動が常に霊力と調和していた(※)からだということです」

※ ― ここでは背後霊団との連絡が緊密だったという意味。『霊訓』のインペレーター霊によると、イエスの背後霊団は一度も物質界に誕生したことのない天使団、いわゆる高級自然霊の集団で、しかも地上への降誕前のイエスはその天使団の中でも最高の位にあった。
地上生活中のイエスは早くからその事実に気づいていて、一人になると何時も瞑想状態に入って幽体で離脱し、その背後霊団と直接交わって、連絡を取合っていたという。

 かつてメソジスト派の牧師だった人が尋ねる ―― 。

 「いっそのこと世界中に広がらなかった方が良かったという考え方も出来ませんか?」

 「愛を最高のものとした教えは立派です。それに異議を唱える人間はおりません。愛を最高のものとして位置づけ、故に愛は必ず勝つと説いたイエスは、今日の指導者が説いている霊的真理と同じことを説いていたことになります。
教えそのものと、その教えを取違え、しかもその熱烈な信仰によって反ってイエスを磔刑(はりつけ)にするような間違いを何度も犯している信奉者とを混同しないようにしないといけません。
 イエスの生涯を見て、わたしはそこに物質界の人間として最高の人生を送ったという意味での完全な人間ではなく、霊力との調和が完璧で、かりそめにも利己的な目的のためにそれを利用することがなかった ― 自分を地上に派遣した神の意志に背くようなことは絶対にしなかった、という意味での完全な人間を見るのです。
イエスは一度たりとも、自ら課した使命を汚すようなことはしませんでした。強力な霊力を利己的な目的のために利用しようとしたことは一度もありませんでした。霊的摂理に完全に則った生涯を送りました。

 どうもうまく説明出来ないのですが、イエスも、生を享けた時代とその環境に合せた生活を送らねばならなかったのです。その意味では完全では有り得なかったと言っているのです。
そうでなかったら、自分よりもっと立派な、そして大きな仕事が出来る時代が来るとイエス自身が述べている意味がなくなります。
 イエスという人物を指さして“ご覧なさい。霊力が豊かに発現した時は、これほどの仕事が出来るのですよ”と言える、そういう人物だったと考えればよいのです。
信奉者の誰もが見習うことの出来る手本なのです。しかもそのイエスは、私達の世界に於いても今、私の知る限りでの最高の霊格を備えた霊(※)であり、自分を映す鏡として、イエスに代る霊はいないと考えております。

※ ― 地球神界での話。『ベールの彼方の生活』では“各天体にキリストがいる”と述べられている。要するに神庁の最高位の霊のことで、イエスなる人物はその全てではないが直接の表現だったということであろう。

 私がこうしてイエスについて語る時、私は何時も“イエス崇拝”を煽(あお)ることにならなければ良いが、という懸念があります。
それは、私がよく“指導霊崇拝”に警告を発しているのと同じ理由からです。

 あなたは為すべき用事があってこの地上にいるのです。皆、永遠の行進を続ける永遠の巡礼者です。その巡礼に必要な身支度は、理性と常識と知性を以って行わないといけません。
それは書物からでも得られますし、伝記からでも学べます。
ですから、他人が勧めるから、良いことを言っているから、あるいは聖なる教えだからということではなく、自分の旅にとって有益であると自分で判断したものを選ぶべきなのです。それがあなたにとって唯一採用すべき判断規準です。


 この私とて、無限の叡智の所有者などではありません。霊の世界のことを一手販売している訳ではありません。地上世界のための仕事をしている他の大勢の霊の一人に過ぎません。完全であるとか、間違ったことは絶対に言わない等とは申しません。
 皆さんと同様、私も至って人間的な存在です。ただ、皆さんよりは生命の道をほんの二、三歩先を歩んでいるというだけのことです。
その二、三歩が、私に少しばかり広い視野を与えてくれたので、こうして後戻りして来て、もしも私の言うことを聞く意志がおありなら、その新しい地平線を私と一緒に眺めませんかと、お誘いしている訳です」

 霊言の愛読者の一人から“スピリチュアリストもキリスト教徒と同じようにイエスを記念して〈最後の晩餐〉の儀式を行うべきでしょうか”という質問が届けられた。
これに対してシルバーバーチはこう答えた。

 「そういう儀式(セレモニー)を催すことによって、身体的・精神的・霊的に何らかの満足が得られるという人には、催させてあげれば宜しい。我々としては最大限の寛容的態度で臨むべきであると思います。が、私自身には、そういうセレモニーに参加したいという気持は毛頭ありません。
 イエスご自身も、そんなことをしてくれたからといって、少しも嬉しくは思われません。私にとっても何の益にもなりません。全くなりません。霊的知識の理解によってそういう教義上の呪縛(じゅばく)から解放された数知れない人々にとっても、それは何の益も価値もありません。

 イエスに対する最大の貢献は、イエスを模範と仰ぐ人々が、その教えの通りに生きることです。他人のために自分が出来るだけ役に立つような生活を送ることです。
内在する霊的能力を開発して、悲しむ人々を慰め、病に苦しむ人々を癒し、疑念と当惑に苦しめられている人々に確信を与え、助けを必要としている人々全てに手を差し伸べてあげることです。

 儀式よりも生活の方が大切です。宗教は儀式ではありません。
人のために役立つことをすることです。本末を転倒してはいけません。“聖なる書”と呼ばれている書物から、活字の全てを抹消しても構いません。讃美歌の本から“聖なる歌”を全部削除しても構いません。儀式という儀式を全部欠席なさっても構いません。
それでも尚あなたは、気高い奉仕の生活を送れば立派に“宗教的人間”で在り得るのです。そういう生活こそ、内部の霊性を正しく発揮させるからです。
 私としては、皆さんの関心を儀式ヘ向けさせたくはありません。大切なのは形式ではなく、生活そのものです。
生活の中で何を為すかです。どういう行ないをするかです。〈最後の晩餐〉の儀式がイエスの時代より更に遠く遡る由緒ある儀式であるという事実も、それとは全く無関係です」

 別の日の交霊会でも同じ話題を持出されて――。

 「人のためになることをする ― これが一番大切です。私の意見は単純・明快です。
宗教には“古い”ということだけで引継がれて来たものが多過ぎます。その大半が宗教の本質とは何の関わりもないものばかりです。
 私にとって宗教とは、何かを崇拝することではありません。
祈ることでもありません。会議を開いて考え出した形式的セレモニーでもありません。私はセレモニーには興味はありません。それ自体は無くてはならないものではないからです。
しかし、何時も言っておりますように、もしもセレモニーとか慣例行事を無くてはならぬものと真剣に思い込んでいる人がいれば、それを無理して止めさせる理由はありません。

 私自身としては、幼児期を過ぎれば、幼稚なオモチャは片づけるものだという考えです。
形式を超えた霊と霊との交渉、地上的障害を超越して、次元を異にする二つの魂が波長を合せることによって得られる交霊関係 ― これが最高の交霊現象です。儀式に拘った方法は迷信を助長します。そういう形式はイエスの教えとは何の関係もありません」


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赤い月

 今夜9時前後、僅か12、3分の間ですが、晴れた地域では こんな赤い月が見られる筈です。
日月神示中、最も不吉な予言の時が来ているのでしょうか。
でも、それは新しき世の岩戸開きの始まり。

岩戸ひらき 御祷(みほぎ)の神宝(たから) たてまつらまし。
月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空はちの色となるぞ、流れもちぢゃ
人民四つん這(ば)ひやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ、
大地震、ヒの雨降らしての大洗濯であるから、一人のがれようとて、神でものがれることは出来んぞ、
天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ。

(五十黙示録 補巻 紫金の巻 第5帖)


 皆既月食
皆既月食
画像転載元記事: (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E9%A3%9F


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ナザレのイエス シルバー・バーチ(1)

 「イエスは実在しなかったが、モデルとなる人物はいた」と主張する人がいます。
そうかも知れません。しかし、私にとって、そんなことはどうでも良く、ただ、その「教え」に価値があるか否かが問題です。
ある真理を誰が伝えたかは、多少の判断基準にはなりますが、基本的に人物信仰とは無縁です。
 権力の道具と化した現在の「キリスト教」など、「仏教」と同じく「ニセモノ」であることくらい分りきっています。
しかし、それにも拘らず、聖書に垣間見えるその「教え」の内容から見て、アミがいう「愛の伝道者」が実在したことは確実だと思われます。
 この問題に、自分なりにハッキリした決論を出しておくため、ナザレのイエスについて、少し調べてみました。(これも霊学の一部です)
先ずは、キリスト教を徹底的に批判したシルバー・バーチの霊言からです。
 尚、Wikipedia によれば、イエスという名は当時珍しくなく、出身地(この場合はナザレ)を含めた呼び方で区別されていたといいます。
また、イエスの誕生については、、「マルコ」、「マタイ」、「ルカ」、「ヨハネ」の四福音書で記述内容に相違が見られるとかで、冒頭の主張を裏付けているとも言えます。


古代霊は語る」シルバー・バーチの霊訓より 近藤千雄・訳編 (潮文社)
第九章 真理の理解を妨げるもの -宗教的偏見-
http://kokorodou.p-kit.com/page234212.html#link9

英国国教会の流れを汲むメソジスト派の青年牧師とシルバー・バーチの問答 
 〔抜粋〕

牧師: 「キリスト教への信仰をどう思われますか。神はそれを嘉納されるのでしょうか。キリストへの信仰はキリストの行いに倣うことになると思うのですが」

バーチ: 「主よ、主よと、何かと言うと主を口にすることが信仰ではありません。大切なのは主の心に叶った行ないです。それが全てです。口にする言葉や、心に信じることではありません。
 頭で考えることでもありません。実際の行為です。何一つ信仰と言うものを持たなくても、落ち込んでいる人の心を元気づけ、飢える人にパンを与え、暗闇に居る人の心に光を灯してあげる行為をすれば、その人こそ神の心に叶った人です」

 ここで列席者の一人が、イエスは神の分霊なのかと問います。それに対してこう答えます。

バーチ: 「イエスは地上に降りた偉大なる霊覚者だったと言うことです。
当時の民衆はイエスを理解せず、ついに十字架にかけました。いや今なお十字架にかけ続けております。
イエスだけでなくすべての人間に神の分霊が宿っております。ただその分量が多いか少ないかの違いがあるだけです」

牧師: 「キリストが地上最高の人物であったことは全世界が認めるところです。それ程の人物が嘘をつく筈がありません。
キリストは言いました。“私と父は一つである。私を見たものは父を見たのである”と。これはすなわちキリストが神であることを述べたのではないでしょうか」

バーチ: 「もう一度聖書を読み返してご覧なさい。“父は私より偉大である”と言っていませんか」

牧師: 「言っております」

バーチ: 「また“天に在します吾等が父に祈れ”とも言っております。“私に祈れ”とは言っておりません。父に祈れと言ったキリスト自身が“天に在します吾等が父”であるわけがないでしょう。“私に祈れ”とは言っておりません。“父に祈れ”と言ったのです」

牧師: 「キリストは“あなた達の神”と“私の神”と言う言い方をしています。“私達の神”とは決して言っておりません。ご自身を他の人間と同列に置いていません」

バーチ: 「“あなた達の神と私”とは言っておりません。“あなた達は私より大きい仕事をするであろう”とも言っております。あなた方キリスト者にお願いしたいのは、聖書を読まれる際に何もかも神学的教義に合わせる様な解釈をなさらないことです。
 霊的実相に照らして解釈しなくてはなりません。存在の実相が霊であると言うことが宇宙の全ての謎を解くカギです。イエスが譬え話を多用したのはその為です」

牧師: 「神は地上人類を愛するが故に息子を授けられたのです」

バーチ: 「イエスはそんな事を言っておりません。イエスの死後何年もたってから二ケーア会議でそんなことが聖書に書き加えられたのです」

牧師: 「ニケーア会議?」

バーチ: 「西暦三二五年に開かれています」

牧師: 「でも私が引用した言葉はそれ以前からあるヨハネの福音書に出ていました」

バーチ: 「どうしてそれが分かります?」

牧師: 「いや、歴史にそう書いてあります」

バーチ: 「どの歴史ですか」

牧師: 「どれだかは知りません」

バーチ: 「ご存じの筈がありません。一体聖書が書かれる、その元となった書物は何処にあるとお考えですか」

牧師: 「ヨハネ福音書はそれ自体が原典です」

バーチ: 「いや、それよりもっと前の話です」

牧師: 「聖書は西暦九十年に完成しました」

バーチ: 「その原典になったものは今どこにあると思いますか」

牧師: 「いろんな文書があります。例えば・・・」と言って一つだけ挙げます。

バーチ: 「それは原典の写しです。原典は何処にありますか」

 牧師がこれに応えきれずにいると・・・

バーチ: 「聖書の原典はご存じのあのバチカン宮殿に仕舞い込まれて以来一度も外へ出されたことが無いのです。あなた方がバイブル(聖書)と呼んでいるものは、その原典の写し(コピー)の写しのそのまた写しなのです。おまけに原典にないものまでいろいろと書き加えられております。
 初期のキリスト教徒はイエスが遠からず再臨するものと信じて、イエスの地上生活のことは細かく記録しなかったのです。
ところが、何時に成っても再臨しないので、ついに諦めて記録を辿りながら書きました。
イエス曰く・・・と書いてあっても、じっさいに言ったかどうかは書いた本人も確かではなかったのです」

牧師: 「でも、四つの福音書にはその基本となったいわゆるQ資料(イエス語録)の証拠が見られることは事実ではないでしょうか。中心的な事象はその四つの福音書に出ていると思うのですが」

バーチ: 「私は何もそうしたことが全然起きなかったと言っているのではありません。私はただ聖書に書いてあることの一字一句までイエスが本当に言ったとは限らないと言っているのです。
聖書に出てくる事象には、イエスが生れる前から存在した書物からの引用が随分入っていることを忘れてはいけません」

 こうした対話から話題は苦難の意義、神の摂理、と進み、その間に細かい問題も入りますが、それらは既に前章までの紹介したことばかりなので割愛します。ともかくここで第一回の論争が終り、何日か後に再びその牧師が出席して再び論争が始まります。

 最初の質問は、地上の人間にとって完璧な生活を送ることは可能か否か、全ての人間を愛することが出来るか否かと言った、いかにも聖職者らしいものでした。シルバーバーチは答えます。

バーチ: 「其れは不可能なことです。が、そうした努力をしなくてはいけません。努力することそのことが、性格の形成に役立つのです。
怒ることなく、辛く当たることなく腹を立てる事も無いようでは、最早人間でないことに成ります。人間は霊的に成長する事を目的としてこの世に生れて来るのです。成長又成長と、何時まで経っても成長の連続です。それはこちらへ来ても同じです」

牧師: 「イエスは“天の父が完全である如く汝も完全であれ”と言っておりますが、これはどう解釈すべきでしょうか」

バーチ: 「だから完全であるように努力しなさいと言っているのです。それが地上生活における最高の理想なのです。即ち内部に宿る神性を開発することです」

牧師: 「私が引用した言葉はマタイ伝第五章の終りに出ているのですが、普遍的な愛について述べた後でそう言っているのです。
また“ある者は隣人を愛し、ある者は友人を愛するが、汝等は完全であれ。神の子なればなり”と言っています。
 神は全人類を愛して下さる。だから我々も全ての人間を愛すべきだと言うことなのですが、イエスが人間に実行不可能なことを命じるとお思いですか」

 この質問にシルバーバーチが呆れたように、あるいは感心したような口調で、少し皮肉を込めてこう言います。

バーチ: 「あなたは全世界の人間をイエスのような人間にしようとなさるんですね。お聞きしますが、イエス自身、完全な地上生活を送ったとお考えですか」

牧師: 「そう考えます。完全な生活を送ったと思います」

バーチ: 「一度も腹を立てたことが無いとお考えですか」

牧師: 「当時行なわれていたことを不快に思われたことはあると思います」

バーチ: 「腹を立てたことは一度も無いとお考えですか」

牧師: 「腹を立てる事はいけないと説かれている、それと同じ意味で腹を立てたことはないと思います」
「そんなことを聞いているのではありません。イエスは絶対に腹を立てなかったかと聞いているのです。イエスが腹を立てたことを正当化出来るかどうかを聞いているのではありません。正当化する事なら、あなた方はどんなことでも正当化なさるんだから・・・」
 
 ここで列席者の一人が割って入って、イエスが両替商人を教会堂から追出した時の話を持出します。

バーチ: 「私が言わんとしたのはそのことです。あの時イエスは教会堂と言う神聖な場所を汚す者どもに腹を立てたのです。鞭を持って追払ったのです。それは怒りそのものでした。それが良いとか悪いとかは別の問題です。イエスは怒ったのです。
怒ると言う事は人間的感情です。私が言わんとするのは、イエスも人間的感情を具えていたと言うことです。
 イエスを人間の模範として仰ぐ時、イエスも又一個の人間であった・・・ただ普通の人より神の心を多く体現した人だった、と言う風に考えることが大切です。ありもしないことを無理にこじつけようとするのは良くありません。分りましたか」

牧師: 「分りました」

バーチ: 「誰の手も届かない処へ祭り上げたらイエス様が喜ばれると思うのは大間違いです。イエスもやはり自分達と同じ人間だったと見る方がよほど喜ばれる筈です。自分だけ超然とした位置に留まることをイエスは喜ばれません。人類と共に喜び、共に苦しむことを望まれます。
 一つの生き方の手本を示しておられるのです。イエスに出来る事は誰にも出来ることばかりなのです。誰もついて行けないようだったら、折角地上に降りたことが無駄だったことになります」


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日月の民草

Author:日月の民草
 ハンドルネーム666です。

五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。
六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、
六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、
666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。
(五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第15帖)

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