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ベン・フルフォード情報

シリアで第三次世界大戦を起そうとする試みはカバールの絶望のしるし 
 ベンジャミン・フルフォード・・・2013年8月27日 
              
GFLサービス (たきさんのホームページ)
http://www12.plala.or.jp/gflservice/BenFullford130827CabalDeperation.html
原文: Ben Fulford: Latest attempt to start world war 3 in Syria a sign of cabal desperation, August 27, 2013  Posted on August 27, 2013 by Jean
http://jhaines6.wordpress.com/2013/08/27/ben-fulford-latest-attempt-to-start-world-war-3-in-syria-a-sign-of-cabal-desperation-august-27-2013/

 ペンタゴン、MI5、イタリアのP2フリーメイソンロッジ、及び種々のアジア権力中枢からの報告では、多くの西側諸国を不法に支配している犯罪集団カバールの崩壊が進行しています。

 今回、シリアでアルマゲドンを開始させようとする狂信的犯罪集団の企みは、彼らの絶望のしるし以外の何物でもありません。
カバールの陰謀によるシリアでの化学兵器(毒ガス)使用に基づいて、シリア攻撃に同意した国のリストは、未だにカバールの支配下にある国のリストでもあります。
米国、カナダ、フランス、イスラエル、イタリー、トルコ、カタール、及びサウジアラビアです。
 NATO諸国、特にドイツが参加していないという事実は、カバールがもはやNATO連合を支配出来ていないというしるしです。

(666註: イギリスでは世論が圧倒的に軍事介入反対で、昨日は大衆デモも起っています。今朝の報道では議会も政府提案を拒否、政府は議会の意向に従うと表明しました)
カバールは現在では世界195カ国のうち8カ国しか支配していないのです。

 カバールが支配している国は未だに紙の上ではかなりの軍事力を保有しているように見えますが、米国防総省ペンタゴンがカバール最後の指し手に乗る可能性は極めて低い情況です。
この観点から見ると、シリア攻撃が、米国の正当(人道的?)な関心に対して役に立つ事には成り難いようです。
(666註: アメリカですら、世論は軍事介入に反対です)

 そうではなく、この最後の恐怖劇は、カバールが金融システム支配を守る為に戦争を起そうとする絶望的な企みに過ぎないということが分ります。
                    (以下省略)


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テーマ : 知ってほしいこと。
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平和のポータル活性化報告

コブラ・・・2013年8月27日 平和のポータル活性化報告

GFLサービス (たきさんのホームページ)
http://www12.plala.or.jp/gflservice/Cobra130827PeacePortalActivationReport.html
原文: Peace Portal Activation Report
Tuesday, August 27, 2013
http://2012portal.blogspot.jp/

 非常に良いニュースです。臨界人数に達しました!
多くのウエブサイトやブログがこのメッセージを広げ、平和のポータル活性化ビデオだけでも僅か数日の間に25万回以上のヒットがありました。
 この活性化の時の私たちの集合意識はエーテルプレーンでの光のネットワークの強化に成功し、エーテルのアルコングリッド全体を急速に消滅させ、これからイベントがどんどん起きるまでに至っています。

 光の勢力からは、導きを受けた者は平和瞑想を、日本時間で毎月曜日の午前6時11分(カイロ時間で毎日曜日午後11時11分)に続けるように、と要請されています。

 エーテルプレーン上のシリアに関するネガティブなアルコンの渦は私たちの大規模瞑想の結果として解消しました。
これは、カバールはこれ以上シリアで戦争を続けるためのエネルギー的な支持を受けられないということを意味します。
 シリアへのカバールによる外国軍事勢力の侵略はポジティブな軍隊の行動の引き金になり、実際にイベントの開始になるかも知れません。
カバールがこの状況を極端にまで推し進めたいことは目に見えているにもかかわらず、このようなリスクを犯す可能性は極めて小さく、取るに足りません。

 先週のエジプトでの渦と日曜日のシリアでの渦を失った後では、エーテルのアルコン達はもはや何らの地政的な影響力を持っていません。
 今では、彼らは自分たちの影響力を地球上のカバールのメンバー、金融、及び政治的な力を持っている人達、メディアに対する影響力を持っている人達、及び光の戦士、ライトワーカーのような鍵となる人達に向けています。
彼らが何をしようとも、彼らの没落をこれ以上先延ばしすることは出来ません。

 9月は非常に面白い月になるでしょう。  


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テーマ : アセンション(次元上昇)
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新大祓祝詞

 前稿で出て来た「新大祓祝詞(しんおおはらえのりと)」について説明させて頂きます。
 この原型は日本神道古来の「中臣祓詞(なかとみのはらえことば、略して中臣祓)」であり、これが大本の「神事(かみごと)」として完全に復元され、今に伝わっています。
 この「神事」を大本の後に降された「日月神示」に依り、岩戸開きの新時代に合せた形に改めたものが「新大祓祝詞」です。
その経緯は本ブログの過去記事に詳しく書いてあります。

1.旧九月八日からの大祓ひ祝詞
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-76.html

2.天津祝詞の太祝詞事について
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-77.html

 何故、私のような者にこんな大それた事が出来たのかは、「此の神示は世に出てゐる人では解けん。(日月の巻 第36帖)」という日月神示独特の仕組が働いた、としか言いようがありません。

 この大祓(祝)詞は本来、6月末と年末の年2回、全国の神社で奏上されるものですが、私は朝の礼拝後に毎朝これを奏上しています。
これは、自分自身の大祓⇒東北の大祓⇒日本の大祓、つまり、世界の雛型である日本の大洗濯を天地の神々様に祈念するものです。
 同時に、〇から十までの数霊を入れることにより、岩戸開きを祈念する意味合いもあります。
これが、大祓詞(おおはらえのことば)ではなく、大祓祝詞(おおはらえのりと)と、「祝」の一字が入る所以でもあります。

 以下が「新大祓祝詞」の全文で、赤字の部分が大本の「神事(かみごと)」とは異なります。
 なお、中矢伸一氏は、「天津祝詞の太祝詞事」は「ひふみ祝詞」である、との見解を取っています。
しかし、それでは「かくのらば、」以後の「祓戸四柱の大神たち」の働きと文脈が繋がらなくなります。


 三拝八拍手

 たかあまはらにかみつまります。 
もとつ みおやすめおほかみの みこともちて、やほよろづのかみたちを かむつどへにつどへたまひ かむはかりにはかりたまひて、いづのおほかみ みづのおほかみは、とよあしはらのみづほのくにを、やすくにとたひらけく しろしめさむと あまくだりたまひき。
 かくあまくだりたまひし よものくぬち(国中)に あらぶるかみたちをば、かむと(神問)はしに とはしたまひ、かむはら(神掃)ひに はらひたまひて、こととひし いはね(磐根)、きね(樹根)、たちくさ(立草)のかきは(片葉)をも ことやめて、あめのいはくらはなち、あめのやへくもを いづのちわき(千別)にちわきて あまくだりたまひき。
 かくあまくだりたまひし よものくになかを、やすくにとさだめまつりて しもついはねに みやはしらふとしきたて、たかあまはらにちぎ(千木)たかしりて すめおほかみの みづのみあらか つかへまつりて、
 あめのみかげ ひのみかげと かくりまして、やすくにとたひらけく しろしめさむ くぬち(国中)になりいでむ あめのますひとらが、あやまちをかしけむ くさぐさのつみごとは、
 あまつつみとは、あはなち、みぞうめ、ひはなち、しきまき、くしさし、いけはぎ、さかはぎ、くそへ、ここたくのつみを あまつつみとのりわけて、 
 くにつつみとは、いきはだだち、しにはだだち、しらひとこくみ、おのがはは をかせるつみ、おのがこ をかせるつみ、ははとこと をかせるつみ、ことははと をかせるつみ、けもの をかせるつみ、はふむし(昆虫)のわざはひ、たかつかみのわざわひ、たかつとり(鳥)のわざはひ、けものたふ(仆)し まじもの(蠱物)せるつみ、ここたくのつみいでむ。
 かくいでば、あまつみやこと(宮言)もて、あまつかなぎ(金木)を もと(本)うちき(切)り、すゑ(末)うちた(断)ちて、ちくらのおきくらに おきた(置足)らはして、あまつすがそ(菅曾)を もとかりたち、すゑかりき(刈切)りて、やはり(八針)にとりさ(取裂)きて、あまつのりとのふとのりとごとをのれ。 

 ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ~。
 たかあまはらに、かむつまります、かむろぎ、かむろみのみこともちて、すめみおやかむいざなぎのみこと、つくしのひむかのたちばなのおどのあはぎはらに、みそぎはらひたまふときに、なりませる、はらえとのおほかみたち、もろもろのまがことつみけがれを、はらえたまへきよめたまへと まおすことのよしを、あまつかみ、くにつかみ、やほよろづのかみたちともに、あめのふち、こまのみみふりたててきこしめせと、かしこみかしこみもまおす。
おほひつきくにおほかみ、まもりたまへさちはへたまへ、おほひつきくにおほかみ、やさかましませ、いやさかましませ、
 〇一二三四五六七八九十。
(レイ ヒト フタ ミ ヨ イツ ムユ ナナ ヤ ココノ タリ )

 かくのらば、あまつかみは、あめのいはとをおしひらきて、あめのやへくも(八重雲)を いづのちわ(千別)きにちわきて きこしめさむ。
くにつかみは、たかやまのすゑ、ひきやま(短山)のすゑに のぼりまして、たかやまのいほり、ひきやまのいほりを かきわけて きこしめさむ。
 かくきこしめしては、つみといふつみはあらじと、しなどのかぜの あめのやへくもを ふきはなつことのごとく、
あしたのみきり(御霧)、ゆふべのみきりを、あさかぜ、ゆふかぜのふきはらふことのごとく、
おほつべ(大津辺)にをる おほふねを、へ(舳)ときはなち、とも(艫)ときはなちて、おほわだのはら(大海原)に、おしはなつことのごとく、
をちかた(彼方)の、しげき(繁木)がもとを、やきがま(焼鎌)のとがま(敏鎌)もて、うちはらふことのごとく、
のこるつみはあらじと はらひたまひ、きよめたまふことを、たかやまのすゑ、ひきやまのすゑより、さくなだりにお(落)ち、たき(多岐)つはやかわ(速川)のせ(瀬)にます せおりつひめ(瀬織津比売)といふかみ、おほわだのはら(大海原)に もちいでなむ。
 かくもちいでい(往)なば、あらしほの、しほのやほぢ(八百道)のやしほぢ(八塩道)の、しほのやほあひ(八百会)にます はやあきつひめといふかみ、もち(持)かかのみ(可可呑)てむ。
かくかかのみては、いぶきどにます いぶきどぬしといふかみ、ねのくにそこのくにに いぶきはなちてむ。
 かくいぶきはなちては、ねのくにそこのくににます、はやさすらひめ(速佐須良比売)といふかみ、もちさすらひ(持佐須良比) うしな(失)ひてむ。 
 かくうしなひては、うつそみ(現身)のみにもこころにも、つみといふつみはあらじと、はらひたまひきよめたまふことを、よしはらへ あしはらへたまひて、いやさかのみよとこそ さきはへたまへ さちはへたまへ。
〇一二三四五六七八九十百千万歳万歳。
(レイ ヒト フタ ミ ヨ イツ ムユ ナナ ヤ ココノ タリ モモ チ ヨロヅトセ バンザイ)

 八拍手三拝



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テーマ : 神様の領域
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ポータル開口症状への対処法

 8月25日のポータル開口瞑想は、午後に「新大祓祝詞を奏上し、引き続いてプレアデス・ハイカウンシル(8月20日)の瞑想を行いました。
当日は早朝から車を3時間も運転しましたが、一度もヒヤリ、ハッとはなく、体調は良好でした。

 翌26日は朝6時11分に間に合うように「新大祓祝詞を奏上し、引き続いてコブラが呼び掛けた平和のポータル活性化瞑想を行いました。
この日も日中は元気だったのですが、夕方、入浴した時、途中で気分が悪くなり、咄嗟に

「太日月地大神守り給へ幸はへ給へ」(おおひつきくにおおかみ まもりたまえさきはえたまえ)
(五十黙示録 第四巻 竜音之巻 第19帖)


 と三回繰り返すと直ちに正気に戻りました。

 そして今日、27日は朝から異常に眠く、何もする気が起きず、テレビを見ながら麻酔にかかった様に何時の間にか寝入ってしまう、ということを繰り返していました。
午後も遅くなって頭痛を堪(こら)えて起き出し、再び「太日月地大神守り給へ幸はへ給へ」と三回繰り返したところ、又もやたちどころに治ってしまいました。
 この祝詞若しくは言霊(マントラ)は、本来、霊の発動を止めて静かにする方法です。
これが、プレアデス・ハイカウンシル(8月10日)に記された下記の症状に効くのは新発見です。
おそらく、霊界で何らかの仕組が働くのでしょう。
 「日月の臣民」以外の方々にも効くかどうかは判りませんが試して見られたら如何でしょうか。


 「瞬々是好 2013ー08」 Lightworker-Mike 
プレアデス・ハイカウンシル Anna Merkaba 2013-8-10
http://lightworkermike.wordpress.com/2013/08/11/diary-2013-08/

 親愛なる宇宙の子の皆さん、ゲートが開く時が近づくと、体は浄化され、宇宙からやって来る様々なエネルギーに浸かります。

 今後、2、3日、次のような症状があるかも知れません。

 ・ 非常に疲れて眠くなる
 ・ 考えが一貫しない
 ・ 話そうという気がしなくなる
 ・ 元気が出ない
 ・ 時間が早く過ぎる
 ・ 頭痛
 ・ 気分が不安定
 ・ 体から離れるような感じがする
 ・ 忘れっぽくなる


 古いものから離れて新しい時代に入り、体は長い間機能していたようには働かなくなります。
松果体は真実の宇宙エネルギーに繋がり、体は、大量の情報処理を始めます。
(中略)
 そのような状態の時には、すべてが順調だということを知って理解し、そしてそのことを覚えて置いて下さい。
すべてはそうなるように進んでいます。


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テーマ : 不思議な出来事
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グランドセクスタイル

8月25日 グランドセクスタイル by プレアデス (Lightworker-Mike) 
http://lightworkermike.wordpress.com/2013/08/20/the-grand-sextile-august-25th-the-solomon-s-seal-theme-transformation-pleiades/

 8月25日 グランドセクスタイル(ソロモンの封印)
       ~変容のテーマ~
    プレアデス・ハイカウンシル

                    Anna Merkaba 2013-8-20

 以下の数日間、主な天体が天空に六芒星を形成するという壮大なイベントが再度(7/29に続き)起ります。
もう一つのポータルが開き地球に強い光が流れ込みます。
 皆さんは完全に意識的に自分の神聖さに繋がることができます。
この2、3週間肉体に溜めたエネルギーと相俟って、ガイアに解放される今回のエネルギーは、古いシステムを崩壊させ立ちはだかるものを変容させる大きな力を持っています。

 そこで変化を望む皆さんにお願いします。
神聖さに繋がって体を光のアンカーにしてください。
体を光の柱にさせて、その光の柱から愛と平和、静寂さと共感という特性を持つ純粋な宇宙エネルギーを地球の奥深くに到達させてください。
 このエネルギーがあなたに届く時、完全にエネルギーと一つになり、3日間自分が考えることを常にモニターしてください。

 ポータル前日、ポータルが開く日(25日)、ゲートが閉鎖したその翌日、この3日間です。
皆さんはこのエネルギーの純粋な導管になります。
あらゆる闇は光に、疑いや恐れは自信と平和に変ります。
 このエネルギーが到来して浄化を起こす時には、この期間にエネルギーがいろいろ変動するかも知れません。
それは自然なことなので覚えておいてください。

 体は24日から26日までの3日間に変化して光の柱になります。
感覚は高まり、視力はシャープになり、聴覚は研ぎ澄されます。
発する一つ一つの言葉に大きな力が宿ります。
 考えることがすぐに現実になりますので、この変化によく気を付けて、考えること、行動すること一つ一つに十分注意深く気づいた状態でいてください。
愛を感じ、考え、愛を取り入れ、愛になる必要があります。
完全に純粋なヴァイオレット・フレーム(紫の炎)になってください。

 この時のエネルギーを体に浸透させてください。
愛と平和、静寂さ、喜びを感じたら、ただ愛と光の意識になってください。
ポジティブに考えて否定的なことは広げて大きくしないようにしてください。
 この3日間は意識を変えてください。
その時にあなたは非常にパワフルな状態になり、肉体を持ちながら宇宙の真実という純粋なクリスタライン意識になり、マザー・ガイアにその意識を送ってください。

 また、8月25日は、瞑想をし、自分が純粋なヴァイオレットフレームになっているイメージを持ち、感じてください。
クラウンチャクラと源が繋がっていると想像してください。
黄金の光で源とつながり、安全に守られているとイメージしてください。
 黄金の光が源からクラウンチャクラに入り、体の中心を通り、基底チャクラを抜け、地球のコアにまで降りていきます。

 静かに座り深呼吸をしてください。
呼吸する度にクラウンチャクラからヴァイオレットフレームを吸い込み、体の中を通り基底チャクラから地球の中心に流れていきます。
 更に、紫の炎は地球の中心から地球全体を包み込んで行き、すべての魂に触れていきます。
その間、愛と思いやり、共感、純粋さと喜び、自信、永遠の幸せを感じていきます。

 私たちは皆さんを愛しています。
いつも共にいます。
では、さようなら。

関連記事: 平和のポータル活性化瞑想(by コブラ) (08/06)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-204.html


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テーマ : スピリチュアル
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世界平和

 神なくして和ないぞ。
世界平和と申してゐるが、神にかへって、神に通じねば和平なく、よろこびないぞ。

(ひふみ神示 第二十九巻 秋の巻 第21帖)


 神不在の平和運動には意味がないという神示です。
異教徒や聖戦を叫ぶキリスト教やイスラム教に、神は在(いま)さないのでしょう。
 そもそも戦争(だけではなく争い事全般)は何故起るのでしょうか?
人々の心に「神の愛」がなく、自分さえ好ければよいという「我よし」の心があるからです。

己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、
それで戦が済むと思うてゐるとは、 あきれたものぞ、
早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。
(ひふみ神示 第一巻 上つ巻 第1帖)


 艮(うしとら)の金神が建替えの準備段階(建壊し)として世界的な大戦争を引き起したのは、その我よしが生み出したカルマを一掃するためでした。
出口王仁三郎がいう、

神(艮の金神)は偽悪だ。悪に見せて大善をなす。

 がこれです。

 従って、それが終った後、必要なのは、新しいカルマを作り出さないための霊的な仕組です。
日月神示の役目は当にそこにあるのです。
 根本的に身魂の建替え(霊性の向上進化=身魂磨き)がなければ、世界平和など永久に達成されません。
次元上昇など、夢物語です。
 「身魂磨き」の重要性については、「日月神示」に“耳にたこが出来る”くらい繰り返し説かれています。

 その身魂磨きの軽視こそ、チャネリング・メッセージが仕掛けた最大の罠であり、自称ライトワーカーたちが嵌った陥穽(かんせい、落し穴)ではないでしょうか。


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テーマ : スピリチュアル
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全記事掲載順一覧(2)

 このブログの掲載記事を最初から順番に閲覧出来るようにしました。
最新記事本文は5件のみ表示し、この「全記事掲載順一覧」は右欄の「最新記事」20件の中に入っているように調整します。
「全記事掲載順一覧」(2)に収録されていない新しい記事は「最新記事」から閲覧して下さい。
尚、記事は重要なものだけに限定し、出来るだけ数を増さない方針です。

・ 全記事掲載順一覧(1) 記事No.1から100件収録
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-56.html


101.神国の政治経済
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-104.html

102.物質界と四次元界
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-105.html) 

103.神国の政治経済(2)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-106.html

104.神国の政治経済(3)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-107.html

105.人工地震総攻撃を免れた日本
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-108.html

106.神のキを頂く
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-109.html

107.金星のアセンション 2 
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-110.html

108.竹中平蔵氏が語るアベノミクス
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-111.html

109.現代医学は外道の善
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-112.html

110. 危機からの転換
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-113.html

111.科学と霊性のバランス
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-114.html

112.善良なおバカさん
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-115.html

113.天のしるし
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-116.html

114.ディスクロージャーはロシアから
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-118.html

115.全記事掲載順一覧(2) 
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-124.html


116.地底人
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-131.html

117.チャネラー系情報抜粋(8)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-132.html

118.宇宙船ヒーリングを受ける
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-133.html

119.人間とは何か
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-134.html

120.宇宙船ヒーリングを受ける(2)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-135.html

121.内部地球からのメッセージ
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-136.html

122.最初のUFO目撃?
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-137tml

123.チャネラー系情報抜粋(9) 
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-138tml

124.近況と重要記事紹介
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-139tml

125.遂に現れた銀河艦隊?の威容
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-140tml


126.世界同時瞑想の呼びかけ(byコブラ)(05/10)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-141.html

127.“イベント”近し(05/12)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-142.html

128.ポータルを開く世界同時瞑想 (05/15)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-143.html

129.インプラント脳半球 (05/22)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-144.html

130.偽チャネリング・メッセージ (05/28)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-145.html

131.ポータルは開かれた (05/29)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-146.html

132.ハートで見るか、額で見るか (05/30)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-148.html

133.闇の罠 (06/01)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-149.html

134.コブラの短信  (06/04)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-150.html

135.モンタギュ・キーンのメッセージ (06/04)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-151.html


136.「光の部屋の三日間」と因果律 (06/10)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-152.html

137.コブラへのインタビュー (06/11)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-154.html

138.ヒーリングと因果律 (06/15)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-155.html

139.サニワの方法(日月神示) (06/17)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-156.html

140.鉄をダイヤモンドに変える  (06/18)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-157.html

141.今日、目を惹いた記事3つ (06/18)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-158.html

142.周波数の加速に対応する方法(byスパー) (06/20)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-159.html

143.人間心と神心 (06/20)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-160.html

144.自民党の公約 (06/21)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-161.html

145.批判票は共産党へ(都議会選挙) (06/24)
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146.最近のチャネリング・メッセージから (06/24)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-163.html

147.半霊半物四次元界 (06/25)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-164.html

148. チャネリング・メッセージのサニワ  (06/26)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-165.html

149.666の一口批評 (06/28)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-166.html

150.法良道城 (06/29)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-167.html

151.サニワ関連記事二題 (06/30)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-168.html

152. サルーサのメッセージ (07/01)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-169.html

153.母/父なる神は御用の悪 (07/02)
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-170.html

154.堀進と神と666の対話 (07/05)
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155.コブラからの報告 2013/7/5 (07/06)
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156.大イベント前の浄化   (07/07)
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157.DNAの再構築 (07/08)
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158. マスター イブラヒム・ハッサンのメッセージ (07/09)
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159.光の部屋(by アシュター) (07/11)
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160.光の部屋の真実 (07/12)
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161.霊格とは (07/13)
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162. スプーン曲げ (07/15)
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163.変化に備えよ(by コブラ) (07/15)
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164.ジ・イベント(by Dane)  (07/16)
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165.神国日本の点描(1) (07/18)
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166.ベン・フルフォード情報 (07/19)
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167.勝寛舟最後の賭け (07/19)
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168. カルマの法則 (07/20)
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198.大本の雛型経綸 (08/17)
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199.百発百中だった大本の予言 (08/18)
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200.大本から日月へ (08/19)
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大本から日月へ

 出口王仁三郎の霊界からの警告
          武田崇元 光文社 1989年刊

・ 出口王仁三郎の遺書

いま、大本にあらわれし、変性女子(へんじょうにょし、瑞霊、みずのみたま、王仁三郎のこと)はニセモノじゃ。
 誠の女子があらはれて、やがて尻尾が見えるだろ。
女子の身魂を立て直し、根本改造しなくては、誠の道は何時までもひらくによしなし。
 さればとて此れにまさりし候補者を、物色しても見当たらぬ。
時節を待ちていたならば、いずれあらわれ来るだろう。
美濃か尾張の国の中、まことの女子が知れたなら、もう大本も駄目だろう。
 前途を見越して尻からげ、一足お先に参りましょ。
皆さんあとからゆっくりと、目がさめたなら出てきなよ。
盲千人のその中の、一人の目明きが気をつける。
ああかむながら、かむながら、かなはんからたまらない、
一人お先へ左様なら」(王仁三郎)


 これは、彼が政治家・床次竹二郎(とこなみたけじろう)の弟、真広(まさひろ)に渡した遺書である。
 王仁三郎は自分が何者かをよく知っていた。
自分の死後、〈大本〉が終ることも知っていた。
彼の役目は「五十年の地の準備神業」即ち、次に来る御経綸の最終段階へ向けて地均しをすることだったのである。

「三代教祖の時に仕組みが変る」(王仁三郎)

「大本事件は松竹梅事件だ、第三次は竹だ、竹は中が空である。
教団の内容が空になり内部分裂する仕組みである」 (王仁三郎)


 実際に昭和55年、三代出口直日教祖の時に、竹田に出口京太郎氏を代表とする別会(宮垣会)が誕生した。
これが引き金となり、大本教団から「宮垣会」と「いずとみずの会」が分れて行き、大本は三つに分裂する。
 今日、大本に昔日の面影はない。

御経綸三千年に満ちぬるは、明治の24年なりけり(翌25年、ナオに艮の金神が憑かり初発の神示)
昭和歴十八年の元旦は五十年準備の満てる日にぞある
五十年の地の準備神業を終え十八年は第一年となれり
三千年と五十年にて切り替えの準備は全くできあがりけり

昭和十八年未の年より三千年のいよいよ仕組みの幕はあがれり」
(王仁三郎)


 役目を終えた王仁三郎と入れ替わるようにして昭和19年6月10日から、岡本天明へ降されたのが、艮の金神国常立大神の「日月神示である。
 そして1986年、ハレー彗星と共に美濃(今の岐阜県の一部)に降臨した国常さんの許に、密かに呼び寄せられた身魂の中に昭和十八年未年五月五日生れの私もいた。
 
・ 大本から日月へ

 大本の雛型経綸は、王仁三郎の逝去と日月神示の出現によって終った。
何故なら、以下の神示にあるように、建替えの中心が戦争による建壊しから身魂の建替えへと移ったからである。

始めは戦(たたかい)で、争(いくさ)で世の建替する積りであったが、あまりに曇りひどいから、 イクサばかりでは、すみずみまでは掃除出来んから世界の家々の隅まで掃除するのぢゃから、その掃除中々ぢゃから、戦許(イクサばか)りでないぞ、
(ひふみ神示 第廿巻 ウメの巻 第18帖)

世の建替と申すのは、身魂の建替へざから取違ひせん様致されよ、
ミタマとは身と霊であるぞ、
今の学ある人民、ミばかりで建替へするつもりでゐるから、タマが判らんから、いくらあせっても汗流しても建替へ出来んのざぞ。
(ひふみ神示 第廿二巻 アホバの巻 第15帖)


 身魂の建替えは「改心と掃除洗濯と身魂磨き」を骨子とする。
それは2012年12月、一厘の仕組」の発動により、「暗黒の三日間」を経ることなく、段階的に進行するように仕組が変更されたのである。
 
 「一厘の仕組」が発動される以前にどのような御経綸になっていたかは、出口王仁三郎 三千世界大改造の真相 中矢伸一・著 KKベストセラーズ 1993年8月刊 を読めば解る。なわ・ふみひと氏の抄録がある。(http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/bookstand-onisaburo.html
 そこには、王仁三郎の「続・瑞能(みずの)神歌」と、「日月神示」に共通したシナリオがあった。 

 シベリア狐は死にたれど 醜(しこ)の曲霊(まがたま)は種々(くさぐさ)に妖雲呼んで東天は 北から攻め入る非道さよ
オホーツク海や千島船 カラフト島をゆさぶりて 雪割草の間より 暗雲低く仇鳥(あだどり)の 舞い下り上る怖ろしさ
北海道から三陸へ なだれの如く押しよする ここを先どと連合の 戦(たたかい)の場や神の国
華のお江戸は原爆や 水爆の音草もなき 一茫千里大利根の 月の光もあわれぞかし 残るは三千五百万・・・ 
(続・瑞能神歌)

 嵐の中の捨て小舟ぞ、どこへ行くやら行かすやら、船頭さんにも分かるまい、メリカ、キリスは花道で、味方と思うた国々も、一つになりて攻めて来る、梶も櫂さへ折れた舟、何うすることもなくなくに、苦しい時の神頼み、それでは神も手が出せぬ、腐りたものは腐らして、肥料になりと思へども、肥料にさへもならぬもの、沢山出来ておらうがな、
 北から攻めて来るときが、この世の終わり始めなり、天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら、この世の終りと思へかし、この世の終わりは神国の、始めと思え臣民よ、神々様にも知らすぞよ、神はいつでもかかれるぞ、人の用意をいそぐぞよ。
(ひふみ神示 第三巻 富士の巻 第16帖)

大掃除して残った三分の一で、新しき御代の礎と致す仕組ぢゃ、
(ひふみ神示 五十黙示録 第一巻 扶桑之巻 第7帖)


 しかし、このシナリオは土壇場で破棄、変更されたというのが私の判断である。
大本・日月最大の謎「一厘の仕組」をこのように解釈した人は多分、他にはいない。
 2013年の初頭、私はマスター イブラヒム・ハッサンのメッセージにより、今年は岩戸開き後の初年度として、概ね平穏に推移するだろうと予測した。
 実際、その後、大過なく過ぎて今日は8月の19日である。
最近、ネット上に10月以降の大変を予言する記事を幾つか見かけた。
しかし、私は真っ向から異を唱えてどちらが正しいか勝負する気である。
 仮令(たとえ)今後、異常気象や、自然災害や、経済崩壊や、戦争の機運等がどんなに危機的に見えようとも、それらは常に一定以下にコントロールされたものになる筈である。
 しかし、それは又、最近の楽観的なチャネリング・メッセージの言う所とも違う。
そこでは今直ぐにでも五次元になるような、或いは既になっているようなことを言っているけれども、ことはそれほど簡単でない。
 五次元の前に「四次元の相」(擬似的な四次元)が2020年まで7年間も続くのである。
それが、ほぼ全員アセンションすることを選んだ代償である。
 その間(2015年)には地球の大変動も起る。ある程度の政治、経済、軍事的な動乱も起るだろう。
「改心と掃除洗濯と身魂磨き」を少し時間をかけて、しかし、遅滞なくやらなければならないからである。
 地球の大変動には宇宙船や内部地球からの救済プログラムが発動する。何も心配は要らない。
たとえ何が起ろうと、われわれに出来る最善のことは、神の経綸に全幅の信頼を置き、しっかりと足を地に着けて、日々、身魂磨きに励む(神の大道に生きる)ことである。

 神の大道に生きて実りの秋(とき)まてよ。
まいた種ぢゃ、かならず実る。 誰も横取りはせんぞ。
万倍になってそなたにかへると申してあろう。
未来にもえつつ現在にもえよ。
神相手に悠々と天地を歩め。
(ひふみ神示 第二十六巻 黒鉄の巻 第3帖)



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百発百中だった大本の予言

 出口王仁三郎の霊界からの警告
          武田崇元 光文社 1989年刊

● 日清戦争を完全に予言

  明治26(1893)年夏のことである。
艮(うしとら)の金神が憑かった出口ナオは、とんでもないことをしゃべり出した。

「来年春から、唐(から)と日本の戦いがあるぞよ。この戦は勝ち戦。
神が陰から経綸いたしてあるぞよ。神が表にあらわれて手柄いたさすぞよ。
 露国からはじまりて、もうひと戦あるぞよ。あとは世界のおお戦で、これからだんだんわかりてくるぞよ」


 なぜ文字も読めず、ましてや政治・世界情勢のことなどとは全く無縁の彼女が、どうしてこんなことを言うのか、だれにも理解できなかった。

 予言どおり、日清戦争が日本の勝利に終ると、神はナオに次のように告げた。

「この戦いがおさまりたのではない。この戦いをひきつづけにいたしたら、日本の国はつぶれてしまうから、ちょっと休みにいたしたのでありたぞよ。
 こんどは露国からはじまりて、おお戦があると申してありたが、出口の口と手で知らしてあること、みな出てくるぞよ」


 実際、軍事的にはさらに兵を進め、北京を攻略することも出来たかも知れない。
しかし、そうなると講和の相手をなくして、戦争は無制限デスマッチの泥沼になる。
 さらに、中国に様々な利権をもつ列強が乗り出してきて、収拾のつかない事態になり、まだ産業基盤も固まらない日本は、早くも亡国の危機に立たされたであろう。
 そのような事情をよく弁えていた伊藤博文らの政府首脳は、講和条約締結を急いだのである。
 しかし、民間では、福沢諭吉のような人物でさえ、「まだ講和の時期ではない。北京を占領して城下の誓いをさせるまで戦いをやめるな」と無責任なことを言っていた。
  これに比べて、丹波の文盲の老婆に憑かった〈神〉は、正しく情勢を把握していたし、さらに日清戦争の始まる前から、それが終ると、いずれロシアと一戦を交えねばならないことを予言し、また警告を繰り返すのであった。
 事実、日本は折角血を流して獲得した遼東半島を、ロシアの圧力で返還することを余儀なくされる。
いわゆる三国干渉であり、以後、日本では「臥薪嘗胆」を合言葉に、ロシアへの敵愾心が高まって行く。
 丁度この日清戦争と日露戦争の狭間で、出口王仁三郎はナオに出会うのである。
 
● 日露戦争の大予言

 王仁三郎は「大本」入りの翌明治34年の春、信者数名を連れて、静岡の長沢雄楯(かつたて)の許を訪れた。
長沢翁は王仁三郎を神主にして、神降しを行ない、日露関係の将来に関する神意を伺うことにした。
 既に、次の戦争はロシアからであることは、ナオの「お筆先」に出ていたが、そのはっきりとした時期は不明だった。
 二人は手を洗い、口を漱(すす)いで、月見里神社の社前で対座した。
王仁三郎の前には、天上から吊した鎮魂石がある。
厳粛の気が漲るうちに、長沢翁の吹く石笛の音がりょうりょうと尾を引く。
王仁三郎の身体がぴーんと反り返る。
 全くの神憑かり状態になった王仁三郎と、審神者(さにわしゃ)長沢の問答が始まった。

 「日露の戦いは御座いますか」
「あるぞよ」

 「今年で御座いましょうか」
「今年の8月‥‥それが延びたら明治37年の2月になる。
36年の7月ごろから戦の機運が濃くなるが、開戦は37年の2月じゃ


 「日本はこの戦いに勝てましょうか」
「勝つ。勝つが、多くのつわものの命が失われる」

 「平和はいつ来ましょうや」
「2年目の9月までには来る」

 「戦に勝って得られますものは?」
「シナの海岸のごく一部、朝鮮の全部、樺太の南半分を日本が受ける」
 
 長沢雄楯の回想によれば、この問答は約2時間に及び、ロシアの作戦計画から外交談判に至るまで、微に入り細に亘っていたという。

● 「世界に騒がしきことがはじまるぞよ」

「いますぐヨーロッパで大戦争が起る」


 大正3(1914)年5月、王仁三郎は、信者たちのいる公開の席上で静かにこう予言した。
6月28日、オーストリアの皇太子夫妻が、ボスニアの首都サラエボで、セルビアの一青年に暗殺された。
 暗殺事件から1ヵ月後の8月には、第1次世界大戦が勃発。
不幸にして王仁三郎の予言は、またしても的中することになるのである。

「艮の金神があらわれると、世界に騒がしきことがはじまるぞよ」(お筆先)

 日本は日清戦争の僅か10年後に日露戦争を体験した。
そして、全てが予言どおり展開して来た。
だが王仁三郎は、その先もまたその先も知っていたのである。
 つまり、日清戦争も日露戦争も、

「水晶の世にいたすまでに、日本にも外国にも、はげしき事件わいてきて、いったんは、世界中の学者も、守護神も手のつけようがなきような事態が出来(しゅったい)いたす」(お筆先)

 そのほんの初発の事件に過ぎなかったのである。

● 「ドイツ皇帝が失脚し、その後あらたな大戦争が起こる」

 王仁三郎が大正6(1917)年11月、創刊まもない「神霊界」に発表した「いろは歌」及び「大本神歌」は、後に『瑞能神歌(みずのしんか)』という小冊子に纏められる。
 何れも、掛けことばや縁語などの修辞を巧みに駆使した五七調の長歌であるが、内容的には、その後の日本や世界の運命を、ずばり指摘した驚くべき予言詩であった。
 まだヨーロッパで戦火を交えていた最中に発表された、この予言時「いろは歌」の中で、王仁三郎は既に1年後のドイツ皇帝の失脚と革命、戦争の一旦の終結を予言している。
 しかし、この予言詩によれば、第一次世界大戦は終結するが、それは単に来るべき動乱の序曲にしか過ぎない。

「日清間の戦いは、演劇(しばい)に譬えて一番叟(いちばんそう)、日露戦争が二番叟、三番叟は此度の、五年にわたりし世界戦、竜虎相打つ戊(つちのえ)の、午(うま)の年より本舞台」(いろは歌)

 まだ戦争の終結しない中に、既に王仁三郎は「五年に亘りし世界戦」が翌年には終結することをはっきりと予言している。
さらに、この世界戦争はまだ序曲に過ぎない、と告知したのである。
 第一次世界大戦は1914年に始まり、足掛け5年に亘った。
大戦の終る大正8(1919)年は、干支でいうと戌午(つちのえうま)の年であり、この年から「竜虎相打つ」と形容されるような本舞台が始まるというのである。
この予言詩は、第一次世界大戦から第二次世界大戦に至る、世界史の大きな動きを描き出したものであった。

● 東京は空襲をうけ死体で埋めつくされる

 昭和17年8月7日、王仁三郎は保釈され、7年間の投獄生活からようやく解放される。すでに王仁三郎は71歳であった。
  しかし、王仁三郎は亀岡の自宅中矢田農園に落ち着くや、訪れる信者たちに鋭い予言を次々に放った。

大本神諭に、“未(ひつじ)と申(さる)とが腹を減らして惨たらしい酉(とり)やいが始まるぞよ”とあるが、今年(昭和18年)」は未の年で、羊は下にいて草ばかり食う動物であるから、下級の国民が苦しむ。
 来年は申年で、猿は木に棲むから中流の人が苦しみ、国民の心が動揺してくる。
再来年は酉年で、いよいよ上流の人が困り、むごたらしい奪いあいがはじまる。大峠は3年の後だ」


 これらはすべて予言通りであった。
これらに先立って王仁三郎は信者たちに予言をもとにした教示を与えている。

「東京は空襲されるから疎開するように」

 というと、実際、翌19年11月からB29の東京空襲が始まり、東京の殆んどが荒地焦土と化してしまった。
死者は20万人を超え、隅田川などの大河川は死体で埋め尽された。

「九州は空襲」、「京都、金沢は空襲をうけない」

 と予言されたように、19年6月に北九州も大被害を受けている。
京都、金沢は彼の言う様にその被害を免れた。
 この頃は信者ばかりでなく、大本シンパの軍人や有識者も、頻繁に彼の許を訪れるようになる。
昭和19年には、山本英輔海軍大将の使いで、水野満年がやってくる。
水野は大石凝真素美(おおいしごりますみ)の高弟である。
霊眼によるアドバイスを求めてのことであった。
 困ったときの神頼みで、一部の軍人から、戦局を何とかしてくれというような話は随分あった。
「わしらをこんな目にあわしときよって、偉いやつが総出で謝罪にきよらんと助けたらんわい」というのが彼の返事であった。

「昭和19年は小磯がしうて米内なあ、そしていよいよ日の丸は鈴木野や」

 昭和19(1944)年、東条内閣は総辞職し、予言どおり小磯国昭陸軍大将を首相、米内光政海軍大将を副首相とする内閣ができる。
しかし、長続きせず、翌20年、鈴木貫太郎内閣に代る。

● 「広島は戦争末期に最大の被害を受け、火の海と化す」

 昭和19年、王仁三郎の口からは、まるで自動小銃の如く予言の飛礫(つぶて)が吐き出された。

「火の雨が降る。火の雨とは焼夷弾だけではない。火の雨は火の雨だ」

「新兵器の戦いや」

「東洋にひとつおとしても、東洋が火の海となるような大きなものを考えている」


 さらに同年、広島から来た信者にはこう告げている。

「戦争は日本の負けだ。広島は最後にいちばんひどい目にあう。
それで戦争は終わりだ。帰ったらすぐ奥地へ疎開せよ」


「広島は戦争終末期に最大の被害をうけ、火の海と化す。‥‥そのあと水で洗われるんや。きれいにして貰えるのや」


 実際、広島は8月の被爆後、9月には2回にわたる大水害に襲われている。
この原爆に関してはすでに18年の段階で、「広島と長崎はだめだ」、と非常にストレートな言い方もしている。
 当時は、軍部でさえもほんの一握りの首脳部のみが「アメリカが新兵器を開発している」ことを漠然と知っていただけで、よもや「東洋が火の海となるような」爆弾であるとは考えてもいなかった。

● 「日本の敗戦後は、米ソの二大陣営が対立する」

  広島が人類史上初の核の洗礼を浴びた2日後、ソ連は抜き打ちとも言える対日参戦を行なった。
これに関しても既に昭和18年に、満州の部隊へ配置される信者子弟たちに対し、

「日本は負ける。ソ連が出て一週間もしたら大連まで赤旗が立つ」

 さらに長野の信者たちに対しても、

「20年8月15日に留意せよ」

 と予言し、翌19年の1月には、東満総省長になっていた大本信者の三谷清の許へ、

「いま日本は必死になって南のほうばかり見て戦っているが、不意に後ろから白猿に両目を掻きまわされる」

 という、王仁三郎の伝言が伝えられていた。
また同じ昭和19年に、

「昭和20年葉月(8月)半ば、世界平和の緒につく」

 と立て続けに終戦の予言を出している。
戦後の状況に関しては、既に昭和18年に、

「日本の敗戦後は米ソ二大陣営の対立」

 という予言が見られる。

 歴史が王仁三郎の予言どおりに動いて来たのは、周知のとおりである。
しかし、終戦と同時に、王仁三郎はあまり予言めいたことを口にしなくなる。
 そして彼は、一種の芸術家のような平穏な暮らしに入り、とくに、書道、絵画、楽焼きに耽るようになる。
 それは、この激動の時代を体現した稀有の人物に許された最後の平穏な日々であった。


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 出口王仁三郎の霊界からの警告
          武田崇元 光文社 1989年刊

 出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)が率いる大本教団が徹底的な弾圧を受けたのは、昭和10(1935)年12月8日である。(開祖出口ナオは1918年、既に他界していた)
 この日、警官隊は綾部、亀岡、そして王仁三郎のいた宍道湖畔の松江にある別院を急襲したのだが、連合艦隊の特別攻撃隊が真珠湾を奇襲攻撃したのは、丁度、これから6年後の12月8日であった。
 しかも日時だけではなく、宍道湖(しんじこ)と真珠湾という地名まで符合している
ことは、何やら私たちに引っ掛かりを感じさせずには置かない。
 もちろん、このような例がこれ一つだけなら、偶然として済ますことが出来るかも知れない。
しかし、次のような不思議な暗合が、次々と重なって来ると、これは最早、何らかの“意味のある偶然”としか考えられなくなって来る。

 昭和11(1936)年4月18日、綾部、亀岡の聖地はその所有権を取り上げられ、全国の大本関係の施設は、次々に悉く破壊される。
 丁度、これから6年後の昭和17年4月18日、アメリカのドーリットル爆撃隊による最初の本土空襲が行なわれ、やがて全国の主要施設が空襲によってくまなく破壊されるようになる。


 また、昭和20(1945)年9月8日、王仁三郎は大審院において最終的に無罪を言い渡される。
その丁度6年後の昭和26年9月8日、サンフランシスコ講和条約が結ばれ、第二次世界大戦は法的にも終結するのである。


 さらに、「昭和神聖会」の旗揚げは、昭和9(1934)年7月22日である。
それから丁度6年後の同じ日、第二次近衛内閣が発足する。
この近衛内閣は、昭和神聖会が旗揚げしたのと同じ九段の軍人会館で大政翼賛会の結成大会を行なった。
 昭和神聖会は、〈大本〉による右翼連合の組織化であり、大政翼賛会は、政府による上からの右翼の組織化であった。

  このように、大本弾圧と日本の敗戦への足取りが、不思議にパラレルな関係になっていることを、私たちは、どのように解釈すればいいのだろうか。

666: この不思議な符合は、まるで大本が日本に起ることを予め「」として演じさせられたように見えます。
 それは間違いなく出口ナオや王仁三郎の意思によるものではなく、終末の建替え建直しを仕切る「艮(うしとら)の金神」の意志によるものです。

 参考までに、本ブログの過去記事「御用の悪 (7)」
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-16.html
から出口王仁三郎の言葉を抜粋再掲します。

・ ユダヤ民族の12の支族のうち11支族は外国にあり、日本には一番よい流れが入ってきたものの、その後、変質したので本当のものは少ない。
ユダヤ人は神命奉仕者で、神様から選ばれたのだから神の選民であることは間違いないが、(神直系の)天孫民族とは全く違う。

・ ユダヤ人の3分の1はよいが、3分の2は悪い。その悪い連中がフリーメーソンを組織している。第二次世界大戦はフリーメーソンの仕業だ。

ユダヤは神の選民であるが、艮の金神が彼らを道具として使っておられる。
ユダヤは悪にみせかけて善をやるのや。神は偽悪だ。悪に見せて大善をなす。



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南京大虐殺の真相

 日本への遺書
  ー 生き残り特攻隊員が綴る慟哭の書

     田形竹尾・著 日新報道 2002年刊
 (http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1307-14.html

〔なわ・ふみひとの抄録〕

● 真実は戦争の勝敗と関係ない

 部隊長出征訓示(要旨)

 大命により、我が連隊は、戦闘二中隊天津に、偵察二中隊上海に出
動する。
一、日本軍が戦うは、「蒋介石」の中国軍と、「毛沢東」の共産軍であ
る。中国民衆とは、友好親善を深める努力を忘れてはならない。
二、日本軍は、戦闘がどのように困難な状況になっても、「人道」「国
際」の精神に基き、中国国民、生命財産を守らねばならない。
三、日本軍は、敵の軍隊、軍事施設以外を、攻撃してはならない。
四、日本軍は、軍紀風紀を厳格にして、中国国民の生命財産を守り、
婦女子を犯してはならない。

五、軍紀風紀を厳格にして、皇軍としての日本軍の名誉を守り、軍紀
風紀を犯した者は、階級の如何を問わず、軍法会議において処罰する。

              昭和十二年七月八日
                  飛行第四連隊長 陸軍大佐 佐々木誠


 私が所属した「陸軍航空部隊」は、「支那事変」、「大東亜戦争」ともに、この部隊長訓示の精神が守られて、「軍紀風紀」厳正で、原住民の信頼と協力の下に作戦が展開された。
 「蒋介石軍」、「毛沢東軍」、「日本軍」と困難な戦いにおいても、多くの中国人の協力の下に作戦が進められた。
ことに「大東亜戦争」においては、「植民地解放の戦いである」と東南アジア各地において、原住民の熱狂的な協力の下に作戦が展開された。
 「支那事変」、「大東亜戦争」において、米軍の日本本土爆撃の「無差別攻撃命令」と同じ非人道的な攻撃命令を受けたことは1回もない。
 私は、戦いに敗れても堂々と戦った日本軍人の一人として、「誇りと喜び」と同時に、協力してくれたアジアの住民に対する感謝は今も失ってはいない。
 私は、北支派遣3カ月めの昭和12年10月、北京市の「紫禁城」、「萬寺山」などを見学した。
「日支事変」の発端となった「盧溝橋」と、日本居留民が「凌辱殺戮」された「通州事件」があった通州は、北京の近くにあった。
中国の蒋介石も日本と支那の紛争を望まず、「平和的な解決」に努力していた。
 この時、不幸な「盧溝橋事件」が起きた。
それは、中国共産党員が国府に潜入、「日支を戦わせるための謀略」であったといわれている。
 戦後は「東京裁判」において、「先に発砲したのは日本軍である」と宣告され、これが中国の定説となり、日本軍の責任とされている。
「真実は、戦争の勝敗と関係ない」ということを、私たちは忘れてはならないと思う。
 私は、昭和12年7月から12月まで、北京の南苑飛行場を基地として、「保定」、「石家荘」、 「大原」へと前進して、「北支派遣航空部隊」一の雛鷲であったが、学びつつ戦い、戦いつつ学び、壮烈な「北支航空作戦」に参加した。
 10月20日、西川大尉指揮、秀島軍曹と私の3機で、大原飛行場を爆撃する軽爆6機を掩護して、石家荘から大原まで、200キロ飛ぶことになった。
 9機編隊で、大原飛行場に侵入した。
30門の高射砲の弾幕に包まれた。
軽爆は、敵機と格納庫と大原駅を爆撃した。
 私たちは、軽爆を掩護しながら、上昇中のソ連製イ15戦闘機3機を攻撃すべく接敵した。
私は、全身の力が抜けて、下腹に力が入らない。深呼吸を3回した。
少し落ち着いてきた。これが、「武者震い」であった。
 敵機に一連射浴びせて落ち着いた。
さすがに、西川大尉、秀島軍曹は今一歩のところまで敵機を追いつめたが、敵機は急反転急降下で退避した。
敵飛行場上空での空中戦で、燃料が足りない。
残念ながら、戦闘を中止して帰還飛行の途についた。
 初めて、高射砲の弾幕に包まれた。
初めて、敵機に銃弾を発射した。
これが、21歳の、田形竹尾の初空中戦であった。
私は、昭和12年12月31日、下士官兵5名を指揮し、先発として、北支の北京から大連 ─ 門司、門司 ─ 上海 ─ 南京と、列車と船の旅で移動した。
 「南京陥落」1カ月後の昭和13年1月23日朝、南京駅に到着した。
迎えてくれた部隊の軍用トラックで市内を通り、「光華門」を通って、城外2キロの「大校場飛行場」に到着した。
陥落1カ月後の南京市内は、治安も維持され、市民も平和な生活を送っていた。
 到着して中隊長に報告している時、蒋介石空軍の「ソ連製エスベー爆撃機」11機の攻撃を受けた。
飛行場には、陸軍の戦闘機24機、「渡洋爆撃」で世界的に有名になった「中攻双発爆撃機」40機が待機していた。
海軍の中攻2機が炎上し、数機が被弾した。
 哨戒飛行中の、海軍の九六戦3機、九五戦3機が、エスベー爆撃機2機を撃墜した。
その操縦者は、2機とも、ソ連の義勇兵であった。
 私は、6月まで、南京大校場飛行場を基地として、「南京防空」、「除州作戦」、「中支航空撃滅戦」に参加した。
 操縦新参の私も出撃100回を越え、飛行時間も700時間を記録、空中戦も前年の大原の初空戦から数回体験した。
実戦による訓練で雛鷲から中堅操縦者へと「心技体」が成長して行った。
 同13年3月1日、私と藤永、柳田(戦死故准尉)の3名が「航空兵曹長」に任官した。それは中山陵の梅の花が満開となった22歳の春であった。
作戦の合間に、南京市内に何回も外出した。
紫禁山の孫文の墓「中山陵」にも詣った。中山陵の桜見物にも行った。
一人で外出しても、治安も良く、何の危険もなく、南京市民の温かい友情は今でも忘れていない。
 「東京裁判」で裁かれた、問題の「南京市民30万人人虐殺」と断罪された南京陥落当時の南京市民は、20万人であった。
私は、その南京で「市民30万人大虐殺」とは全く不思議な問題であると「東京裁判」を見守っていた一人である。

 「東京裁判」で断罪されたような「残酷」な事件があれば、南京市民があのように私たちに協力し、温かく接してくれなかっただろう。
治安も保たれて、一人で外出しても何の危険も感じなかった。
 陥落と同時に日本の新聞関係の従軍記者、従軍カメラマン、さらに外国の新聞関係者など100名以上が南京に入城して自由に取材した。
 大宅壮一、西条八十、林芙美子、石川達三ら多くの評論家、作家、詩人も南京に入城して自由な取材活動を行なった。
このような人達が、当時も今日も、「大虐殺」に関しては何も発言していない。

★ なわのひとくちコメント
 著者は陸軍飛行学校を卒業後、シナ事変、大東亜戦争航空作戦に参加、終戦前日に特攻の命令を受ける、という経歴の持ち主です。
 アメリカ(を支配する層)が東京裁判の中ででっち上げ、それをその後中国が日本からカネを引き出す道具として有効に活用している「南京大虐殺」が全くのウソであることを、自らの体験から証明しています。
 その著者も今年すでに95歳の高齢です。
著者が述べているように「真実は戦争の勝敗とは関係ない」のですが、戦争に負けた日本の国民は、アメリカ(を裏から支配する権力集団)の計画的な謀略によってウソの歴史を教え込まれてしまっているのです。
 今後、このように“真実”を語れる人がますます少なくなって行く中で、ウソがそのまま歴史の1ページに定着して行くことになります。
それとともに日本人は自分の国に対する誇りを失い、ますます自虐的になって行くことでしょう。
 私たちに出来ることは、“真実”を知る努力をし、それを出来るだけ多くの人にに語り継いで行くことです。(なわ・ふみひと)


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広島と長崎

1.UFOと悪魔の世界政府666
      コンノケンイチ・著 学研 2002年刊
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1307-31.html

 〔なわ・ふみひとの抄録〕

● 「最後の攻防」は始まっている!


 世界初の原爆投下は、広島と長崎だった。
その日(昭和20年8月9日)、原爆を搭載したB-29が小倉市の上空に入ると突如として雲が湧き出て視界が利かなくなり、機は計画を変更して快晴の長崎へと向かった。
 長崎は日本で最も聖母信仰の篤い地域で、目標は日本最大のカトリック教会。
機の真下には聖母マリアに献じられた大聖堂があった。
 原爆は1400年の長い信仰の歴史をもつ浦上天主堂の真上で炸裂したのである。
操縦席に座っていたのは、ユダヤ人のウィリアム・ローレンスとリップマン・サイニューという男だった。
 いったいだれが原爆開発を許可し、だれが広島・長崎に原爆投下を決定したのか?
この長い間うやむやにされてきた問題点を明確にせねばならないという使命感に目覚めた米ジャーナリストのユースタス・マリンズによると、犯罪者は次の二人だという。
 ひとりは、アメリカを原爆開発に踏み切らせたアルバート・アインシュタインで、もうひとりは、広島・長崎に原爆投下を決定したマンハッタン計画の責任者、ロバート・オッペンハイマーだという。
いうまでもなく、両者ともにユダヤ人である。

 アインシュタインは第二次大戦中にアメリカに亡命すると、まずトルーマンを大統領にすべく尽力した。
 ウィリアム・クレイグの『アインシュタインの時代と生涯』には「パレスチナにユダヤ人国家を建国するため、私はユダヤ人としてシオニストの活動を支持する」というアインシュタインの言葉が記録されている。
 イスラエルのアメリカ大使だったアバ・エバンも1971年、「アインシュタイン教授は、世界の良心がイスラエルの生存と関わるべきだと語った」と回顧録で述べている。
 マリンズによると、アメリカを原爆開発に踏み切らせたのは、アインシュタインの書簡(1939年8月2日付)をロシア出身のユダヤ人アレクサンダー・サックスが、ホワイトハウスのルーズベルト大統領へ届けたことが発端という。
 アインシュタインはロスチャイルドとも親交があり、この手紙を見たルーズベルトは、原爆開発計画をロスチャイルドが承認し、大至急遂行せよといっている意味が明確に読み取られたという。
 こうして原爆開発は、ニューメキシコ州のロスアラモス研究所で何事にも優先する突撃計画で実行された。
科学者の多くはニューヨークのユダヤ人居住区であるマンハッタンの在住者だったため、マンハッタン計画と呼ばれた。
 指導者はユダヤ人の大富豪バーナード・バルークで、責任者はアインシュタインを師と仰ぐユダヤ人科学者、J・ロバート・オッペンハイマーである。
 1945年7月16日午前5時29分45秒、ロスアラモスの南200マイルで最初の原爆は炸裂した。
この光景にオッペンハイマーは狂喜して「私は死神、世界の破壊者だ」と叫んだという。
全人類を支配する究極のパワーをユダヤ人が獲得したことを知ったからである。
 オッペンハイマーは、原爆投下は日本に警告なしに行なわれるべきだ、と主張した。
当時、すでに日本の都市のほとんどが破壊され、50万人が焼死し、2000万人が住居を失っていたが、不思議なことに4都市のみが破壊を免れていた。
 広島、小倉、新潟、長崎で、これらの場所の住民たちは、原爆のテスト用に生かされていたとは夢にも思わなかったに違いない。

25万の住民の半数以上が殺された広島の、日本人医師の言葉がある。
 「B-29が毎日のように上空を飛んでいたのに、広島が爆撃されなかったのが私には不思議だった。
広島を原爆の目標にするため手をつけなかった、ということを私は戦後に米国の文書を通して初めて知った」
 アインシュタインはユダヤの大財閥バルークとともに、京都を原爆の最初の血祭りにあげるべきだと主張したが、スティムソン陸軍長官は「京都になんら軍事目標はなく、由緒ある木造寺院が数百ある」といって猛反対したという。
 アインシュタインとバルークは、京都が日本国民にとって深い文化的意義をもっていたという理由だけで、京都の破壊を求めたのである。


2.残忍な人たち ~ なぜ原爆を落としたか

  週刊新潮 2005年8月11・18日号 変見自在 
                   高山正之(帝京大教授)
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/bookstand-magazine005.html

 〔なわ・ふみひとの抄録〕 から抜粋
                     
 ここで私が強調したいのは、アメリカは原爆が出来上がるまでに、日本の各都市を軒並み爆撃し、一般市民の殺戮を行なっていたという点です。
 その殺戮の方法は、市街地の周囲にまず次々と爆弾を落して火災を発生させ、人びとが街の外に出られないように火で取り囲んでおいて、それからゆっくりと中心部に爆弾を落としていったということです。
まさに無防備の市民を皆殺しにすることを主目的にしていたことが分ります。
 しかもアメリカは、広島を始め幾つかの都市については原爆を落す候補地として温存し、まったく通常の爆撃を行わなかったのです。
 その上で、日本の中枢がすでに戦意を喪失しているのを知りながら、原爆が完成するまでは日本を降伏させないようにいろいろと画策したことが、鳥居民氏の本(『原爆を投下するまで日本を降伏させるな ― トルーマンとバーンズの陰謀』 草思社)で暴露されています。(もちろん、このことは早くから知られていたことではあります)

 いま広島には、「私たちは二度と同じ過ちはくり返しません」と書かれた碑が建てられているそうです。
それを見て、「これは誰の言葉なのか」と疑問を呈する方があるとか。
 「原爆を落したアメリカが言うのなら分かる。しかし、落された日本人がそのような考え方になっているのは、まさに戦勝国アメリカによって仕組まれた東京裁判の呪縛に、日本人がいまなお縛られたままだからだ」と。
 やっと間に合った原子爆弾の威力を確かめたいために、その実験台として日本の都市を選び、通常の爆撃を止めて街が破壊されないように温存し、日本が降伏のシグナルを発しているのを無視して、出来上がったばかりの2発の爆弾を投下して一般市民の大量殺戮を行なった国は、どんな反省をしているのでしょうか。
 人類最大の罪を犯した国から、「日本が最初に戦争を始めたから悪いのだ」と言われて、「そうですね。ごめんなさい。もう二度と同じ過ちをしないようにしますね」と言って自分を責めている姿が今の日本なのです。おかしいと思いませんか?

                     ★ ☆ ★
 GHQ(占領軍)の総指揮をとったマッカーサーが、後に「日本の戦争は防衛のためのものだった」とアメリカで証言したことが、昭和40年頃の毎日新聞の連載企画(たぶん「マッカーサー回想録」だったと記憶しています)に載ったことがあります。
 アメリカは日本を戦争に引きずり込むことによって、当時ヨーロッパにおけるドイツとの戦争で旗色の悪かった同盟国のイギリスやフランスを助ける口実をつくり、参戦に反対していたアメリカ国民の世論の流れを変えることが出来たのです。
 戦後、占領軍のトップとして日本に駐留したことであの戦争の背景を知るに至ったマッカーサーがそのような発言をしたことは、大変大きな意味を持っています。
 アメリカ(を裏から支配する層)は、朝鮮戦争を指揮していたマッカーサーをあっさりと切り捨ててしまうのですが、そのことを通じてマッカーサーは真実を知ったものと思われます。
 つまり、あの戦争はアメリカ(を操る勢力)が計画的に日本を追い込み、真珠湾攻撃へと巧妙に誘い込んだものであるという事実です。
しかしながら、失脚してアメリカ国内での影響力を失っていたこの老将軍にとって、もはや法廷で証言をするのが精いっぱいの抵抗だったのです。 (なわ・ふみひと)


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今村中将のジャワ軍政

 世界が愛した日本
     四條たか子・著 井沢元彦・監修 竹書房 2010年刊
 (http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1307-19.html

 〔なわ・ふみひとの抄録〕

● 感謝の言葉 1995(平成7)年5月29日

 第二次世界大戦の終結から50年目の1995(平成7)年5月29日、東京九段の日本武道館では、アジアの戦没者を悼み、日本とアジアの将来を考える『アジア共生の祭典』が開かれていた。

 会の冒頭で、「アジアは世界の平和の架け橋として、21世紀に向けての新しい使命を担わなければならない」という『アジア共生東京宣言』が発せられ、会場に集った1万人から大きな拍手が起きた。

 それから、この会に参加したアジア各国の代表が挨拶に立った。
タイのタナット・コーマン元内閣副首相、マレーシアのマラヤ大学副学長サイド・フセイン・アラタスに続いて、この年に独立50周年を迎えたインドネシアのサイデマン・スリョハデイプロジョ外務省上級大使が壇上に登場。
陸軍大学長、駐日大使などを歴任したサイデマンは、当時のスハルト大統領の特使として列席したのである。

 ゆっくりと会場を見回しながら、サイデマンは力強く語った。
 「第二次大戦中、あるいはその直後、植民地の独立のために外国の人々が力を貸してくれるということが見られました。
私の国インドネシアの場合、多くの日本の青年たちがインドネシアを自由にするために、独立の闘士たちと肩を並べて戦ってくれました。
 そして多くの日本の青年がそのために命を捧げてくれました。
今日、このアジア共生の祭典において、私たちの独立のために命を捧げてくれた、これらすべての若者たちを偲びたいと思います」

 サイデマンの言葉はスハルトの言葉でもあった。
インドネシアの第2代大統領として30年に及ぶ長期政権を率いたスハルトは、日本軍政下で組織されたペタ(PETA・郷土防衛義勇軍)に加わり、日本流の軍事訓練を受けた。
ペタの青年兵士たちが後に独立戦争軍の将校団となり、独立の原動力となったのである。


● 植民地からの解放 1942(昭和17)年1月11日

 インドネシアにおけるオランダの植民地政策は巧妙なもので、まず教育の機会を与えない愚民政策を推し進めた。
「アジア人は白人に劣る」と刷り込むことで、白人の支配から抜け出すことは不可能だと思い込まされたのだ。
 また、一部原住民をキリスト教に改宗させて軍に採用し、民族の族長を通じた間接統治を行なって氏族の分断を図った。
集会や団体行動は一切禁止され、多数の民族語を統一した標準語を作ることも禁止された。
 20世紀になるとようやく圧政への反動から倫理主義政策が採用され、下級官僚として使える程度の教育を施す学制が作られたが、オランダ人との混血児を優遇して、支配者と被支配者の緩衝材とする政策なども露骨に実施された。
それでもこの倫理主義には、民族意識に目覚めた知識人を生む効果があったのである。
 日本のインドネシア侵攻は、まさにそういう時期に始まった。

 1941(昭和16)年12月8日、日本が真珠湾攻撃に踏み切った直後、オランダは日本に宣戦布告した。
日本はオランダ領東インドの攻略を『蘭印作戦』と名づけ、1942(昭和17)年1月11日にボルネオ島のタラカン、セレベス島のメナドへの攻撃を皮切りにジャワ島を目指した。
スマトラ島のベンクルに幽閉されていたスカルノはじめ、ハッタ、シャフリールら、当時のインドネシアの代表的な指導者を解放した。
 そして今村均中将が率いる陸軍の主力第16軍は3月1日に上陸を開始、わずか9日間でオランダとアメリカ、イギリス、オーストラリアの連合軍を降伏に追い込んだ。

 日本軍は侵攻の前からインドネシアに向けたラジオ放送で、インドネシアの解放を呼びかけ、『インドネシア・ラヤ』(後の国歌)を繰り返し流した。
 また、当時のインドネシアでは、「長い間白人に支配されたのち、北から来た小柄な黄色人が白人を追い出し、その後、幸福な時代が来る」というジョヨボヨの予言が信じられていたのである。
 日露戦争に勝利し、アジアの解放を主張する日本には、この予言の体現者となる期待がかけられていた。
そして実際に、350年にわたってインドネシアを支配してきたオランダが、たった10日足らずで降伏したという事実は、驚きと感謝を以って多くのインドネシア国民に歓迎されたのである。
 しかし、インドネシアの人々にとって、日本人は未知の存在だった。
憎むべきオランダを追い出したとはいえ、日本は単にオランダに代わる存在にすぎないかもしれない。
そんな不安もまた多くの国民に共通のものだった。
 それを払拭したのが、今村司令官を通じて出された『布告第1号』である。

・ 日本人とインドネシア人は同祖同族である
・ 日本軍はインドネシアとの共存共栄を目的とする
・ 同一家族、同胞主義に則って軍政を実施する


 『民心の安定』こそ第一と考えた今村が強い信念をもって、強圧方針を唱える軍政担当者を説得して掲げたものだった。

 「日本が掲げた“八紘一宇”とは同一家族同胞主義なのに、侵略主義のように誤解されているところがある。
軍事力を持っているわが軍は、何かあれば何時でも強圧を加えることが出来る。
だからできる限り、緩和政策をもって軍政を実行することとする」

 それでも、今村の決断にはなお強い反対があり、元内務大臣の児玉秀雄ら3人が統治政治顧問として陸軍大臣から派遣されて来た。
今村は上陸以来のインドネシアの人たちの日本軍に村する好意と協力ぶりを説明し、児玉らに現地視察を勧めたのである。

 「どこへ行っても日本の内地と変わらない。原住民は日本人に親しみ、オランダ人は敵対を断念し、華僑は迎合を強めている。
産業の回復も早く、軍事物資の調達成績も優れている。
ジャワでは強圧政策は必要ない」

 児玉を含む3人の顧問はそう言って感心した。
陸軍省ではさらに武藤軍務局長を派遣して強圧策の必要性を説いたが、今村はそれを見解の相違だと突っぱねた。
 「新しい統治要綱が発令されれば軍紀に従うが、自分の起草案にもとるものに屈することは耐えられない。新要綱の指令が出る前に免職を計らって下さい」
今村は、まさに自身の首を賭してジャワ軍政の基本方針を貫いたのである。

★ なわのひとくちコメント ― この本では、トルコやポーランド、ベルギーなど計7つの国の人たちに対してかつての日本人が示した好意の数々が、具体的な事実に基づいて紹介されています。
 その中から、オランダの植民地と化していたインドネシアの独立に日本が大きく貢献したというエピソードをピックアップしました。
オランダと日本の植民地政策の違いがよくわかる内容となっています。
 残念ながら、このような事実は日本の学校では教えらず、大新聞やNHKなども取り上げることがありませんので、大半の日本人はそのことを知らないのです。
 アジアの国々でも世代が交代して行きますと、日本人が命を賭して自国の独立に貢献してくれたという事実を知る人も少なくなって行くと思われますが、せめて私たち日本人だけでも、国の先達の偉大な功績について心に止めて置きたいものです。(なわ・ふみひと)


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真珠湾とミッドウェー

 山本五十六は生きていた ①~⑤
  ー あの戦争は世界支配層のシナリオだった ー
    ヤコブ・モルガン・著 第一企画出版 1995年刊

 〔なわ・ふみひとの抄録〕 から抜粋再構成

真珠湾奇襲攻撃でルーズヴェルトに協力    


 昭和14年(1939年)8月20日、連合艦隊司令長官に就任した山本五十六は日米開戦はもはや避けられないものとして、いつの間にか真珠湾攻撃を口にするようになる。
 欧州では同年9月3日、第2次世界大戦が勃発してドイツが破竹の進撃を続けていた。
欧州で苦戦を続ける英仏を救済しアメリカを参戦させることはアメリカ大統領フランクリン・D・ルーズヴェルトの基本戦略であった。
 ルーズヴェルトは英首相チャーチルと共謀して日本を追い込み、先に攻撃を仕掛けさせてアメリカの世論を激昂させ、その怒りで対独伊戦、対日戦を正当化しようと目論んだ。
 フリーメーソン山本五十六はルーズヴェルトとチャーチルに協力してハワイ奇襲攻撃の構想を練ったのである。

 アメリカ大統領ルーズヴェルトはこの奇襲攻撃を事前に知っていた。
日本の外務省が使用していた「紫暗号(パープル)」はアメリカに筒抜けであったが、この裏には日本に暗号解読の協力者がいたと見なければならぬ。
 真珠湾に集結していた米太平洋艦隊は、主なもので戦艦が8隻、重巡1隻、軽巡3隻、そして駆逐艦5隻で、総計17隻であった。
 不思議なことに空母レキシソトンはミッドウェーに飛行機を輸送中であり、エンタープライズはやはり飛行機を輸送しての帰路で不在、サラトガはアメリカ本土西海岸にいたために無事であった。
 被害を受けた戦艦はいずれも1910~1920年代に就役した旧式艦であり、しかも攻撃し易いようにわざわざ真珠湾に沿って一列に並んで停泊していた。
 戦艦アリゾナは撃沈、他の艦は転覆、海底沈座、大破、中破、小破などの被害を受けたが、真珠湾は海底が浅く、海底に沈座した戦艦等はいずれも引き上げが容易で、短期間のうちに修理、再就役し、太平洋戦争中期からは攻撃力を発揮したのである。
 こうしてみると真珠湾攻撃というのは一種の茶番劇であった事が分る。
山本五十六は真珠湾攻撃の「大成功」により英雄視されているが、その結果残ったものは「日本の卑怯な騙し討ち」という非難と、アメリカの対日積極参戦の意識高揚、そして今も観光地ハワイの真珠湾海底に沈む戦艦アリゾナの残骸だけである。
 この時死んだアメリカ兵2403名は今でもアメリカ人にとって対日憎悪の原因となっている。

 真珠湾攻撃には幾つかの不可解なことが起こっている。
ひとつは「宣戦布告の通知が遅れた」こと、
そしてもうひとつは「攻撃の不徹底さ」である。


・ 最後通牒を遅らせた大使館員は戦後大出世 

 通知が遅れた件に関しては、これは最初からそう仕組まれたものであったと言う他はない。
 日本から発せられた最後通牒は時間的にも充分間に合うものであった。
東郷外相の訓令は対米宣戦布告の最後通牒の手交をフシントン時間12月7日午後1時に行なうものであった。
 ところが野村、来栖大使が実際にそれをハル国務長官に手交したのは午後2時であり、その時真珠湾はすでに猛火と黒煙に包まれていた。
最後通牒の手交がなぜ遅れたかについてはもっともらしい説明がつけられている。
 対米最後通牒の電報は14通から成り、その内の13通はアメリカ時間の12月6日中に日本大使館に到着し、すでに電信課によって暗号解読され、その日のうちに書記官に提出されていた。
 残り、すなわち最後の14通目は翌7日早朝(ワシントン時間)に大使館に到着、同時に最後通牒の覚書を7日午後1時に手交すべく訓令した電報も大使館には届いていた。

 
 14通目の電報の暗号解読が7日の何時から始められたかの公式記録はない。
 既に解読されていた13通のタイプが始まったのは7日午前7時半頃からであり、14通目の暗号解読が終わったと推定される午前10時頃までは奥村一等書記官による、のんびりしたペースで行われていた。
 ところが午前11時過ぎに最後通牒の手交時間が午後1時であることが分り、大使館は騒然となった。
だが日本の外務省から秘密保持のためタイピストを使わぬよう指示されていた日本大使館では、慣れない奥村がタイプを打ち続け、終了したのが真珠湾攻撃開始後の1時25分、ハル長官に野村、来栖大使が手交したのは1時55分であった。
 この外務省、日本大使館の動きは全く理解に苦しむものである。

 戦後ポルトガル駐在公使だった森島守人が、帰国するなり吉田茂外相にこの最後通牒手交遅延の責任を明らかにするよう進言したが、吉田は結局この件をうやむやに葬り去ってしまった。
 吉田茂こそ日本を敗北に導いた元凶のひとりフリーメーソンであった。
当時の日本大使館員たちは戦後いずれも「功労者」として外務次官や駐米、国連大使となり栄進した。

 日米開戦の最後通牒が遅れ、真珠湾攻撃が卑怯な騙し討ちになったことで、アメリカの世論は開戦派が以前の3%から90%に跳ね上がっている。
日本外務省と大使館の責任(功績)はまことに大きいと言わざるを得ない。

・ 不徹底な攻撃で米国を助ける        

 次に「攻撃の不徹底」であるが、それには2つの意味がある。
ひとつは真珠湾上のアメリカ海軍艦船に対するものであり、もうひとつはハワイ太平洋艦隊海軍基地の陸上軍事施設に対するものである。
 真珠湾攻撃で受けたアメリカ太平洋艦隊の実際の被害状況は当初発表された程大きなものではなかった。
 戦艦8隻のうちアリゾナとオクラホマを除き残りの6隻はその後すべて水深15メートルという浅い海底から引き上げられ、修理されて、いずれも戦線へ復帰して大活躍しているのである。
 また陸上施設については南雲第一航空艦隊司令長官による第1次、第2次攻撃隊は全く手を触れておらず、第3次攻撃隊を出すことも中止している。
 第3次攻撃に関してはほとんどの艦隊幕僚が実行の提案をし、現に第11航空艦隊司令長官の山口多聞少将は第3波攻撃準備を完了していたが、南雲中将や草鹿第一航空艦隊参謀長や源田参謀はおろか、はるか後方の旗艦「長門」で高見の見物をしていた山本五十六連合艦隊司令長官までがその必要性を認めていないのである。
 もし、この時第3次攻撃を敢行し、艦隊に対するもっと徹底した攻撃と、陸上のハワイ空軍基地の格納庫、補給庫、給油施設、武器弾薬貯蔵庫、さらにはアメリカ海軍基地の補給、修理施設、工場群、燃料タソク群を破壊しておれば、太平洋の戦局は大いに変わったものとなったであろう。
 ハワイがアメリカの太平洋艦隊の最も重要な海軍基地であったことを考えるならば、この攻撃不徹底はいかにも奇異なものであると言わなければならない。
 ハワイの燃料タンクに貯蔵されていた重油450万バレルを爆撃しておれば、アメリカ本土からの補給は数カ月間にわたって不可能となり、アメリカの太平洋艦隊は身動きが取れなかったのである。
 
・ 真珠湾もミッドウェーも山本が強引に決行

  真珠湾攻撃の時もそうであったが、ミッドウェー攻略作戦もまた山本長官の強引な主張によって計画されたものであった。
山本長官の作戦に対し大本営海軍部は大反対であった。
その第一の理由は「占領後のミッドウェーの戦略的価値が疑わしい」というものである。
 だが山本長官はその反対にはまったく耳を貨そうとしなかった。
最後は山本長官とは腐れ縁であった永野修身(おさみ)軍令部総長の決裁でミッドウェー作戦は認可された。
 いくら連合艦隊司令長官が特殊な立場であり強い権限を持っていたからと言っても、大本営軍令部にこれほどまでに楯つくことは異常であった。
 フリーメーソン山本長官はルーズヴェルト大統領(フリーメーソン33位階)やチャーチル英首相(フリーメーソン)との約束を死守したのである。

 そもそもハワイ真珠湾で航空機による奇襲攻撃を実施し、航空機のもつ破壊力と重要性をわざわざアメリカに教えたことのみならず、生産力では圧倒的に勝るアメリカがこのことを教訓に大量生産のもと、航空戦力の飛躍的増大を図ったことは山本長官の決定的ミス(実は陰謀)ではなかろうか。
 アメリカは真珠湾を教訓に航空戦の練習を積み、山本長官の差し出した獲物に向かって殺到したのである。

 (実際、山本長官は暗号の変更を延ばしに延ばして、アメリカ側に作戦の全貌を知らせた上で歴戦の虎の子空母を駆逐艦の護衛を付けただけで最前線に出し、その壊滅を策謀したのである。
 そのために、最も重要な機動部隊の指揮を、無能で失敗(しく)じることが分っている南雲忠一中将や草鹿龍之助参謀長に任せ、自らは後方400キロの北西海上で、主力艦隊と共に旗艦「大和」から高見の見物をしていたのである。
 山本長官が大和作戦室で渡辺安次参謀と将棋を指している時に、空母赤城、加賀、蒼龍の被弾炎上という急報を受け取ったが、「うむ」、「ほう、またやられたか」の一言だけを呟き、将棋は止めなかった。

 真珠湾でもミッドウエーでも、唯一まともだったのは、ミッドウエーで米空母ヨークタウンと差し違え、自ら空母飛龍と運命を共にすることを選んだ少将山口多聞だけであった。
 彼のお蔭で我々は、南雲司令部が如何に「異常」だったかを確信することが出来る。
しかし、ミッドウエー敗戦の後、山本長官が南雲や草鹿の責任を問うことは一切なかった。
それどころか、「よくやった」と言わんばかりの処遇をしているのである。
 
 この作戦で日本側は空母8隻、大和、武蔵など戦艦11隻、巡洋艦22隻、駆逐艦65隻、潜水艦20隻など合せて艦船200隻、さらに航空機700機を含めて10万人の将兵を動員し、質・量共に米側を圧倒していた。
 ミッドウエーは、もし、山本五十六が東郷平八郎のような名将であれば、決して負ける筈のない海戦だったのである。- この稿、一部666の挿入あり)

 ミッドウェー海戦で首尾よく日本の空母部隊を壊滅させた山本長官は、次のガダルカナル、ソロモン海戦で日本軍敗北の総仕上げを行ない、自らはアメリカ側と通謀の上、逃亡計画を実行する。
 ブーゲンビル上空での戦死狂言である。
                      (以下省略)


         
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プレアデス・ハイカウンシル

 Lightworker-Mike 「瞬々是好 2013ー08」
プレアデス・ハイカウンシル Anna Merkaba 2013-8-10
http://lightworkermike.wordpress.com/2013/08/11/diary-2013-08/

 親愛なる宇宙の子の皆さん、ゲートが開く時が近づくと、体は浄化され、宇宙からやって来る様々なエネルギーに浸かります。

 今後、2、3日、次のような症状があるかも知れません。

 ・ 非常に疲れて眠くなる
 ・ 考えが一貫しない
 ・ 話そうという気がしなくなる
 ・ 元気が出ない
 ・ 時間が早く過ぎる
 ・ 頭痛
 ・ 気分が不安定
 ・ 体から離れるような感じがする
 ・ 忘れっぽくなる


 古いものから離れて新しい時代に入り、体は長い間機能していたようには働かなくなります。
松果体は真実の宇宙エネルギーに繋がり、体は、大量の情報処理を始めます。

 その場合、他の人たちにそのことを伝えて下さい。
日に日に5次元の中に入り込むような感じが起こります。
すべては他の次元にシフトしているので心配しないで下さい。
 まだ、心や体から取り除かれるものがあり、浄化が進んで新しい世界に向う準備をして行きます。
だから多くの人々が高揚感を感じたり、逆に落ち込んだりしています。

 様々な存在がやって来るのを感じ始めています。
時間が無くなるのを感じ、非常に 忘れ易く、地に足が着かず現実感が感じられません。
つまり、体から離れてハイアーセルフやソウルファミリーに会うために色々な所に出かけています。
 それは、もっと学んで叡智を言葉で表現したり日常に生かすためです。
そのような場合、周りにその高い波動を拡げながら、皆さんは光の球体になって近づく人たちを包込んで行きます。

 不安や恐れはゆっくりと消えて行き、心痛むことや辛いことはなくなって行き、あの時はなぜあんなに動揺していたのかと不思議に思えるようになります。
 もはやそれは重要なことではなくなります。
皆さんは卒業し、人生に対する誤った考え方を乗り越えたのです。
そして最終的に当面のミッションを思い出して行きます。

 皆さん、自分の中を見て下さい。
経験する全ては純粋な意図から生まれるのだということを理解して下さい。
魂の純粋さは今この時にあり、その時に故郷に引き戻してくれます。
本当の自分自身に返るのです。

 そのような状態の時には、すべてが順調だということを知って理解し、そしてそのことを覚えて置いて下さい。
すべてはそうなるように進んでいます。
皆さんを愛しています。一緒にいます。

 では、さようなら。


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太平洋戦争 

 山本五十六は生きていた ①~⑤
  ー あの戦争は世界支配層のシナリオだった ー
    ヤコブ・モルガン・著 第一企画出版 1995年刊

① 負けるべくして始まった太平洋戦争
② 米国のために重大な役割を果たした山本五十六
③ 日本兵を大量にムダ死にさせた山本の作戦
④ 山本五十六は戦死していなかった
⑤ あの戦争は世界支配層のシナリオだった

 〔なわ・ふみひとの抄録〕 から抜粋再構成

・ 軍部の中枢が売国者(フリーメーソン)では勝てる訳がない


 「大本営陸海軍発表。帝国陸海軍は本日未明、西大平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」
ー 昭和16年(1941年)12月8日、早朝ラジオの臨時ニュースは日本が真珠湾を攻撃し、太平洋戦争に突入したことを報じた。
 日本はこの日より国家滅亡への道をひた走りに進んで行くのである。
日本が米英を相手に戦いを始めたことは大局的かつ戦略的な失敗であった。
だが、果して当時の日本に他の選択肢があったかと言えば、それは無かったとしか言いようがない。
 
 太平洋戦争は海軍が主体の戦争であった。
アメリカを相手に戦って日本が勝つ見込みは殆んどなかったが、日本側にもし本来の高度な戦略とそれを実行する優秀かつ愛国心に燃えた将官がいれば、戦局は大いに違ったものとなっていただろう。
 日本帝国海軍の中枢部は欧米派で色どられ、その内の主要な人物はユダヤ・フリーメーソンですらあった。
このため日本の海軍はあらゆる太平洋上の戦闘で不可思議な動きをする。
それは敵に手心を加え、まるで負けることを目的としたかの如き戦い振りであった。
 また陸軍についても同様のことが言えた。
大本営参謀本部の高級参謀たちは常に無謀極まる作戦計画を立てては日本軍に多大な損害を与え、多くの将兵を失う結果を招来した。
 陸軍参謀本部といえば陸軍大学を優秀な成績で卒業したエリート中のエリートである。
その彼らが、まるで痴呆のように拙劣な作戦を立案してはそれを強行し、日本軍に取り返しのつかない打撃を与え続けたのである。
 参謀本部のエリートたちもやはり日本を敗北に導くために「世界支配層」によって操られた者たちであったのだ。
彼らの一部はユダヤ・フリーメーソンであり、またその一部はソ連と通謀した共産分子であった。
 国家としてあろうことか、日本はこのような売国的戦争指導者たちによって太平洋戦争を戦わなければならなかったのである。

・ 東京裁判でも裁かれず戦後は英雄扱い    

  戦後、太平洋戦争を振り返って多くの本が出版されている。
戦記ものから人物伝、敗北の原因探究を行なうもの、戦争の反省など無数とも言える書物が存在する。
だが、日本の敗北が日本人自身の手によって現実化されたことを指摘する本は少ない。
 それどころか、真の戦争犯罪者は極東軍事法廷(東京裁判)でも裁かれず、戦後数々のフリーメーソン作家によって「英雄」または「偉人」として最大限に賞賛されている。
米内光政や山本五十六、井上成美などがそうである。
 日本人は戦後においてもまだ歴史の真相を知らされず、騙され続けているのだ。

・ 今も作られている日本非難の大合唱 

 太平洋戦争は謎に包まれた戦争である。
 3年8カ月にわたって死闘を繰り広げたあの戦争で、日本の兵員死亡者数は117万4000人余、民間死亡者数67万人余、アメリカの兵員死亡者数9万2000人、他連合国の死亡者数17万人余、太平洋を舞台に、合わせて210万8000人が死亡した。
 このような大規模で非人間的な戦争がなぜ行なわれたのか、戦後50年が経過する今日、この疑問は深まるばかりである。
太平洋戦争は人類の歴史始まって以来、世界最大の海戦であったばかりでなく、陸上の戦争としても他に類を見ない激しいものであった。
 それにしても、日本側のおびただしい兵員の死亡者数は一体何を物語るものであろうか。
戦場に累々と横たわった日本兵の屍は次のことを教えている。

● 太平洋戦争は日本が敗北するために始めた戦争であった。
● 戦争を遂行した政府大本営、陸・海軍の戦争指導者たちは、あらゆる戦闘で敵に手心を加え、日本が敗北するように仕向けた。
● 日本が敗北することは明治以来の予定コースであった。

 日本の潜在成長力とその民族的エネルギーは凄まじいものがある。
その日本の台頭を好まない世界のある勢力が、日本の成長をいかに抑え、いかにしてその漲る国力を抑圧するかに心血を注いできた。
 その一つの手段が日中戦争の泥沼化と日米開戦であった。
日本は“計画通り”敗北したが、日本人の民族的エネルギーを止めることは誰にも出来なかった。
戦後の日本は再び巨大な経済力を身につけ、科学先進国、産業技術大国となったのである。

・ 日本をいつまでも侵略国にしておきたい理由 

 日本の台頭を戦前も戦後も決して許さない「世界支配層」、その中でも最も忠実な強権国家アメリカは、日本を非難し排斥する。
経済面での円高攻勢(後にバブル崩壊)に加えて、アジア諸国をけしかけて日本の戦争責任を追求させる。
 日本を侵略国と断定し、戦争犯罪国として咎めるためである。
昨今の従軍慰安婦問題や軍票預金の償還など激しい抗議はその一環である。
 だが、歴史の真相を知る者は、アメリカこそが欧州大陸において無理矢理に第二次世界大戦を起こさせ、日本を太平洋戦争に引きずり込んだ元凶であることを知っている。
 アメリカの第32代大統領フランクリン・ルーズヴェルトはその張本人であった。
そしてそのルーズヴェルトを陰で操ったのは「世界支配層」ユダヤ・フリーメーソン勢力である。
ルーズヴェルトはユダヤ・フリーメーソン33位階でもあった。
 アメリカ合衆国において下院議員、ニューヨーク州知事、上院議員、さらにコロンビア大学の理事長などを歴任したハミルトン・フィッシュは、94年間のその生涯において一貫してアメリカの良心を代表し、ルーズヴェルトの犯罪を暴き、告発し続けた。
 その偉大なる著書『トラジック・ディセプション』は岡崎冬彦氏の監訳で『日米開戦の悲劇』としてPHP文庫より出版されている。
この書は、誰が第二次世界大戦を招き、いかにして日本とアメリカを戦わせるべく仕組んだかについて、ルーズヴェルトの謀略性を明確に証言している。(残念ながらこの本は既に廃刊になっています ― なわ註)


666: いわゆる戦記物については、鹿児島の小中学校時代、貸し本屋や市立図書館で難しい専門書まで読み漁った記憶があります。
 スピリチュアルなことに係わるようになってから、すっかり遠ざかっていましたが、このなわさんの抄録によって思い出してしまいました。
 少し、波動を落しますが、光の世界に向うには闇の部分もしっかり見据えて卒業して置く必要があると思います。
また、明治以降の戦争の歴史は、大本の雛型経綸とも深い係わりがあります。
 8月15日の鎮魂に向けて、今後数回に亘り、太平洋戦争に関するトピックスをご紹介することになりますが、横道に逸れるのではなく、縦に深く掘り下げるものですので予めお断りして置きます。


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苦しみとは・・・

神に従へば楽になって逆らへば苦しむのぞ。
(ひふみ神示 第二巻 下つ巻 第19帖)

 結局、苦しみとは「神の法則」の教育なのです。




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イベント後の心構え(再)

コブラ最新情報・・・2013年8月9日 イベントの後で金融に生じること 

GFLサービス (たきさんのホームページ)
http://www12.plala.or.jp/gflservice/Cobra130809WhatToExpectAfterEvent.html
原文: Cobra Update - What to expect Financially "AFTER The EVENT"
Submitted by Tonago on Fri, 08/09/2013 - 03:40
Cobra via Lady Dragon Aug. 8/13
http://soundofheart.org/galacticfreepress/content/cobra-update-what-expect-financially-after-event

 現在の金融システムは旨く機能しておらず、新しい金融システムに置き換えられようとしています。
パニックを起さないようにして下さい。これは良いことです。
 あなた方のニーズが満足されるようになるでしょう。
大きな変化に有り勝ちなことですが、始めの数日間には大きな混乱が起るでしょう。
 全ての主要なTVネットワーク、インターネット、新聞、ラジオ局はこのイベントの内容についての情報を流しますので、時間が経過するにつれて、安堵が広がって来るでしょう。
 以下は初めの14日間の注意事項です。

1.第一日 イベントが起きてから数分以内


 全ての銀行は一時的に閉鎖され、銀行は、3~7日の間、最長14日間利用できなくなります。
全てのクレジットカードやATMは一時的に、最長14日間利用できなくなります。
 この理由は、世界中の中央銀行を不法に所有している者たち(カバール)の資金にアクセスすることを禁止するためです。
 ほとんどのビジネスは通常通り行われ、現金と小切手は普段通りに受け取るよう勧められます。
小切手は、イベントの1~2週間後に銀行が再開されると直ぐに通用するようになるでしょう。

 現金が手元に無く、友人、家族、コミュニティーとの交流、あるいは緊急サービスを利用できず、生活必需品が必要な人に対しては、商品やサービスの購入証明システムが用意されます。
 これは、無料ではありません。
これは基本的に、あなた方がイベントの日以降、銀行が再開されるまでの間、食料品、医療、その他の必需品用に1000ドルまで貸付けるものです。
 銀行再開の後には、この貸付はなくなり、あなた方には、使われた金額が負債として残ります。
このシステムに従って商品やサービスを提供したビジネス側には、正当な購入証明に従って、銀行を通じた支払い処理がなされます。
 一方、購入証明を利用した人には、銀行を通じて、預金又は将来の収入か補償によって、支払いをする義務と責任が生じます。

2.第2~第14日及びそれ以降

・ 全ての通貨は依然として有効です。
イベントの後には、金融の再評価が行われます。
再開する銀行の口座は透明になります。
・ 金利負担はなくなります。
・ 部分銀行準備制度は廃止されます。
・ IRS(米国の国内徴税サービス)は直ちに解散されます。
・ カバールと密接な関係がある全ての銀行は破産します。
・ FRB(米連邦準備銀行)はただちに解散されます。
・ 全ての負債が免除される訳ではなく、クレジットカードで買い物をした場合も免除されません。
・ 全ての人が食料、シェルター、及び技術を利用可能になります。
・ 金は市場で取引されなくなります。
・ ホームレスの人はいなくなります。
・ 証券市場は閉鎖されます。
・ 銀行口座は、第3日~第14日の間に新銀行システムへ移行する期間中、凍結されます。
・ 合法的に取得された資金は維持されます。
・ カバールの資金は不法なものなので押収されます。

3.新しい社会への変化に関する詳細は次の通りです。

・ 税金は新しい商品の購入に14%課税されるだけです。
・人間主義、博愛主義が主流になります。
・ 新技術が解放されますが、送電網は移行期間中、維持されます。
・全ての人には特別口座から10万ドルが支払われます。
・10万ドルまでの負債は免除されます。
それ以上の負債があれば、その内容(真の負債か不当な負債か)が分析されます。
それでも支払不能な場合には、破産を勧告されます。
・ 全ての国の債務は免除されます。
・ 住宅抵当は抹消されます。
・ 退職金口座は維持されます。
・ 社会保険、退職金、健康保険制度は変更され、健康保険は無料になり、医療システムは進化します。
・ 平均労働時間は、週5日、1日3~4時間になります。
・ 生産コストは低下します。
・ あらゆる法的契約は尊重されます。
・ 警察力は金貸しの為ではなく、住民の保護の為に再構成されます。
・ コモンローが尊重されます。廃棄されることはありません。
・ ほとんどのクレジットカードの負債は抹消されます。
・ 投機は許されないので、今クレジットカードの負債を積み上げ、後から 帳簿に記入されないことを期待しても無駄です。口座の追跡が行われるからです。
・ 議会はリセットの為に閉鎖されます。(全ての国についても同じ)
・ 米国内の殆んどの議会は解散されます。
・ 世界中の政府について新たな議会選挙が行われ、4ヶ月以内にリセットが完了します。
・ モンサントとマイクロソフトの腐敗部分は直ちに解散されます。
他の腐敗した企業も同じです。
・ ほとんどの囚人は解放され、心理カウンセリングと訓練を受けます。
なぜなら彼らは生活条件の為に何かをせざるを得なかった人たちだからです。
 多くの者は無罪なので解放されます。
・ CIAが犯していたドラッグ貿易は停止され、劇的な再構築が必要になります。
・ 私たちのヒーリングが完全に終了すると、肉食はなくなります。
動物はあるがままの姿で尊重されるようになります。
・ 破産が無くなることはありません。
・ (訳者注: 米国としては)中国に工場を持つことはなくなります。
・ ほとんどの企業は操業を続けます。
・ 企業は株を買い戻し、投資家にお金を返します。
・ 抵抗運動が支援をし、アドバイスをします。
・ 電力網はそのまま残りますが、カバールが崩壊すると短期間、停電があるかもしれません。
・ イベントの後には、カバールによって課されていた不法な負債が抹消されるので、財政は大きく改善されます。
・ 地球上の全ての人が、生活改善の為に資金を得られるようになるでしょう。

 コブラとその新社会情報については、
www.2012Portal.blogspot.com と、www.galacticconnection.com
を参照してください。
レディー・ドラゴンはコブラと直接連絡をし、イベントと新社会に関する最新情報を報告しています。
詳細は(http://www.ladydragon.com/ for more news)をご覧下さい。


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日露戦争

世界史に躍り出た日本 渡部昇一の「日本の歴史」第5巻 明治篇
               渡部昇一・著 WAC 2010年刊
 (http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1306-27.html

 〔なわ・ふみひとの抄録〕      

● 二十世紀最大の事件


 ‥‥日露戦争は、指揮官が立派で兵隊が勇敢だったということだけで勝てたのではない。
海上では下瀬火薬が、陸上では秋山将軍の機関銃の導入などが、いずれも当時の欧米の軍事水準を超えていたからこそ、最強の軍隊に勝てたのである。
 なにしろロシア軍は近世になって本当の敗北を知らないという常勝軍だった。
ナポレオンにすら勝ち、また北アジア全域を支配して朝鮮にまで進出していたのだ。
 そして、日露戦争は単に日本がロシアに勝ったというだけの戦争ではなかった。
この戦争の結果は、じつに絶大なる影響を世界中に及ぼしたのである。
 それは、有色人種の国家が最強の白人国家を倒した ─ 事実、日露戦争の敗北から12年後、ロシア王朝は革命によって倒れた。
これも日本に負けなかったら、事情は変わっていたであろう ─ という事実であり、世界史の大きな流れからすれば、コロンブス以来の歴史的大事件であった。
 コロンブスの新大陸の発見が世界史上の大事件であったことを認めない人はいないであろう。
それ以前の世界史では、それぞれの地域で起きた事件が別の地域に影響を与えるということは、ほとんどなかった。
アレキサンダー大王が現れてもアメリカ大陸には関係がないし、また、漢の武帝の即位がアフリカに影響を及ぼすということはなかった。
 ところが、コロンブス以後、世界中は一つになった。
ヨーロッパで起きた事件でアジアが動くという時代が始まったのである。
 そして、この歴史の分水嶺以降の四百年間に世界史で何が起きたかといえば、白人が有色人種の土地にやってきては植民地にした、という事実に尽きるのである。

 これに比べれば、その他の事件、たとえばアメリカの独立戦争(1775~83)にしたところで小さな出来事に過ぎない。
アメリカが独立しようと、イギリスという国の植民地になろうと、あくまで白人同士の内訌(ないこう)であって、世界史全体からすれば、どちらに転んでもいい話である。
 インディアンたちにとって、アメリカ大陸の支配者がイギリス人であろうとフランス人であろうと、オランダ人であろうと誰であろうと、白人であるかぎり状況は変わらない。
白人の植民地支配ということが本質的に大きな問題だったのである。
 あるいはフランス革命にしたところで、それは白人内部の問題であって、インド人にもシナ人にも、ほとんど影響を与えなかった。
また、英仏間の戦争にしろ、当事者には大戦争であっても、世界史の流れから見ればどうということはない。
インドやカナダがイギリス領になるかフランス領になるかの違いに過ぎないのである。

 日露戦争がなかったら、あるいは日露戦争に日本が負けていたならば、この白人優位の世界史の流れはずっと変わらず、21世紀の今日でも、世界中は植民地と人種差別に満ちていたであろうということには、毫毛の疑いもない。

 ところが、日露戦争で日本が勝ったために、コロンブス以来四百年ぶりに、世界の歴史の大きな流れが変わったのである。
つまり、有色人種が白人の言いなりになり続けるという時代に終止符が打たれた。
それを日本が満天下に示したのであった。
 そして、時間が経てば経つほど、誰の目にも日露戦争の世界史的意味は大きくなって来るのである。
ふたたび繰り返すが、ここ五百年間の世界史の事件で、コロンブスの新大陸発見に匹敵する大事件は、日露戦争における日本の勝利である。
 しかし、戦後の日本の教育において日露戦争の世界史的な意義が語られることはなくなったようである。
20世紀の終わり頃に産経新聞社がアンケートを行ない、「21世紀の世界の十大事件」を世界の名士たちに訊ねた。
 日本人としては湾岸戦争(1991=平成3年)時に国連難民高等弁務官として活躍した緒方貞子さんが答えていたが、緒方さんは日露戦争を20世紀の十大事件の中に挙げていなかった。
 緒方さんの功績には常に敬服していたが、世界における20世紀の大事件と言われて日露戦争が頭に浮ばなかったというのは、明らかに戦後日本の教育の欠陥か、あるいはアメリカ主導の教育のせいか、どちらかであろうと思った。
 しかし日露戦争を行なった日本人の先祖の苦労や犠牲を思うと、敗戦国の悲哀をつくづく感じたことであった。

★なわのひとくちコメント
 ― 要するに、コロンブスがアメリカ大陸を発見してからの400年の歴史は、白人が有色人種の住む土地にやって来て次々と植民地化していったという事実に尽きる、ということです。
 その植民地化の最後の標的であった日本は、極東にあったという地理的条件も味方して、最後まで白人の植民地にされないまま“文明開化”を進めることが出来たのでした。
 そして、明治政府の富国強兵政策(西洋化策)によって、またたく間に白人国家と肩を並べるまでになり、当時白人国家の中でも最強の軍事力を持つロシアと戦争をしてこれを破るという世界史的な快挙を成し遂げることになります。
 この歴史的な大事件の持つ意味を緒方貞子さんほどの人でさえも理解していないと、著者は嘆いているのです。
これこそ、この国の自虐的な教育の影響と見るべきでしょう。
私たちはこうして計画的に“洗脳”され続け、先人が作ってきたこの国の歴史に対する誇りを失い、自虐的な国民になりつつあるのです。
 これから日本のみならず世界中がますます混乱の度を深めると思われますので、人々の関心は目の前の暮らしのことだけになってしまう懼(おそ)れがありますが、気高く生きた我が国の先達の足跡は正しく理解しておくことが大切だと思います。(なわ・ふみひと)


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明治維新

坂本龍馬とフリーメーソン  
 明治維新の礎を築いた英雄は、秘密結社のエージェントだった!
              鬼塚五十一・著  学研  2007年1月刊
 (http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/library501.html

 〔なわ・ふみひとの抄録〕

● ジョン万次郎は日本人最初のフリーメーソンだったのか?


 坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像は、高知県を象徴する荒海の土佐湾に面して、海を見つめて立っている。
中岡は室戸岬の突端に、龍馬は土佐湾のほぼ中央の桂浜にある。
中岡の左手は刀を待ち、右手は腰にしっかりと添えられ、その姿はいかにも武士らしい。
 ちなみに、地元の土佐では、意外なことに龍馬より中岡のほうが人気がある。
「龍馬は商売人だから」というのがその理由らしい。
とはいっても、龍馬は若い人に人気がある。
彼の銅像は中岡とは対照的に右に身を傾け、右手を懐に入れているが、その手は拳銃を握っているといわれている。
 土佐の英雄といえば、この中岡と龍馬のふたりと考えるのが一般的だろう。
ところが、思わぬ人物がもうひとり、土佐には存在するのである。
しかもこのところ、その人物の業績が急速に再評価され、土佐の英雄になりつつある。
 中浜万次郎 ― ジョン万次郎である。
 彼の銅像も土佐にある。東の室戸岬とは反対の西の奇岩を呈する足摺岬に、黒潮が渦巻く突端の断崖に立っているのだ。
銅像が立てられたのは、1968年7月11日。地元のライオンズクラブの有志が中心となって設立された。
 そして、1991年11月7日には「ジョン万次郎漂流150周年」を記念して、「ジョン万次郎の会」が東京の憲政会館で結成されたが、その会長に選ばれたのは、およそらしからぬ人物だった。
ロックフェラーといえば、アメリカのフリーメーソンのトップであるが、そのロックフェラー人脈のひとりである民主党党首・小沢一郎氏である。
 当時、彼はまだ自民党にいたが、3年後の細川連立内閣ができたとき、新生党を設立して参加し、連立内閣の陰の実力者となった。
その新生党設立の際、当時の駐日大使のマイケル・アマコスト(現在はロックフェラーの米ブルッキングス研究所所長)を介して、ロックフェラーから約500億円の資金を提供されたといわれている。
 高知出身でもない岩手選挙区の小沢一郎氏が、なぜ「ジョン万次郎の会」の会長になどなったのだろうか? 
この会は彼の政治力を利用して、当時の外務省、通産省、郵政省、建設省、運輸省、自治省のなんと6つの省庁の許可のもと、その共同管理ということで設立された。
 しかも、わずか1年という異例の早さで承認され、設立年の9月、自動車、電車、電機、電力など財界の主要団体に、文書で5000万から6000万の寄付を要求し、3か月足らずでなんと5億6000万円もの設立運営資金を集めている。
 このことは国会でも問題となり、自民党の中川秀直議員によって追求された。
これに対し、当時の柿沢弘治国務大臣と羽田孜首相は、のらりくらりと国会答弁して、責任の所在を曖昧にして逃げた。
 この会の目的は、日米の草の根交流の原点であるジョン万次郎を歴史の中から発掘し、彼の精神(ジョン万スピリッツと呼ぶ)を広め、日米友好関係を深めようというものだ。
具体的には、日米交換留学制度や日米の草の根交流サミットなどの国際交流を行なっている。
 だがなぜ、急にまたジョン万次郎にスポットを当てようとしているのか。
その理由は、彼の銅像が立つ足摺岬に行けばすぐにわかる。
黒潮の風が強い足摺岬に、それはまるで古武道家のようなたたずまいで立っている。
だがよく見ると、右手は強く握りしめ、左手には、なんと直角定規とコンパスを持っているではないか!
 直角定規とコンパスといえば、フリーメーソンのシンボル・マークである。
あのトーマス・グラバー邸の石柱に刻まれていたものとまったく同じ直角定規とコンパスが左手に握られているのだ。
 ジョン万次郎はフリーメーソンだったのだろうか。
だとすれば、これまでの謎がすべて解けるのである。
そして、ロックフェラーの息のかかった小沢一郎がなぜ、会長になったのかもわかるだろう。
 ジョン万次郎は日本におけるフリーメーソンの第1号だったのか!?

画像 高知県の足摺岬に立つジョン万次郎の銅像。左手は直角定規とコンパスを握っている。

● 龍馬暗殺の首謀者は誰なのか!?

 多くの謀殺説があり、証言があり、遺留品がある。
しかしながら、どれもみな事実のように思えても、これという決定打には欠ける。
こうなればもう末梢的な論証は避けて、大筋の流れの中でこの事件の本質を見るしかないだろう。
つまり、龍馬暗殺によって何がどうなったかだ。
 そこで暗殺前後の動きを見てみよう。
まず大政奉還がなされた。この龍馬の偉業によって、だれが一番困り、面目を潰されたか。
武力討幕派の薩長、そして彼らと朝廷の結びつきを強化した公卿たちだった。

 龍馬が最も気を許し、信頼していた中岡慎太郎でさえも、幕府を完全に武力成敗しなければ尊皇はありえないと思っていたのである。
それほど当時の志士たちにとって、幕府に対する思いは並々ならぬものがあった。
 大の親友である慎太郎ならば、龍馬のやり方も仕方ないと諦めたかもしれない。
むしろ、その手腕に敬服していたふしもある。
しかし、武力倒幕派にとって大念願だった討幕の密勅を得た瞬間、わずか2~3日の差で、それが完全に反古にされてしまったのである。
腹の虫がおさまらないとはこのことだろう。
いや、むしろはらわたが煮えくり返っただろう。
 このとき、初めて龍馬は邪魔者となった。
正確にいえば、武力討幕の次のプランが立てられたとき、真っ先に片づけておかなければならない人物となったのである!
 そのプランとは、その後の歴史が示しているように王政復古の大号令(クーデター)のことだ。
 慶応3年2月9日、龍馬暗殺からわずか24日後、武力討幕派は突如、朝廷を配下に置き、天皇を中心とした総裁、議定、参与という三職による新体制を発足させた。
しかも、徳川家のすべての実権を剥奪したのである。
そのうえで戊辰戦争にもち込み、これに勝利して明治新政府を樹立する。

 つまり、大政奉還(10月14日)と王政復古のクーデター(12月9日)の間にちょうど龍馬暗殺(11月15日)が実行されている。
これはいってみれば、龍馬暗殺の「原因」と「結果」と見ることができよう。
 つまり、それらの因果関係から見れば、その下手人は、武力討幕派ということになるだろう。薩摩、長州、公卿の明治新政府の主力メンバーということになろうか。
おそらくクーデターのプランを練ったとき、龍馬の暗殺も俎上に上ったに違いない。
 すでに多方面に影響力をもっていた龍馬は、最も邪魔な存在だったからである。
そして、それを直接に実行に移したのが、武力のりーダー格だった薩摩であることが考えられる。
 ある程度の顔見知りの犯行でなければ、脇差しで一撃を加えられるほど、至近距離まで下手人は近づけないはずである。薩摩藩士の可能性は高いのだ。
 ともかく、龍馬は、まだ33歳の若さでその生涯を終えてしまったのだ。今となっては真相を解明する術(すべ)はない。

● フリーメーソンと明治新政府

 ただ、龍馬の短い生涯の中で、彼の三大偉業である薩長同盟、大政奉還、船中八策、そして亀山社中、海援隊などでの活躍の中には、ジョン万次郎、トーマス・グラバーを通してフリーメーソンの影響が大きかったことは間違いない。
 これはまた、龍馬史におけるひとつの知られざる歴史的視点でもある。
その視点なくして、ただ単に龍馬を時代の英雄として祭り上げることは、時代認識を誤まらせるもとになるだろう。
 では、龍馬は志半ばで倒れてしまったが、フリーメーソンは明治新政府にどのような影響を与えたのだろうか。
 ジョン万次郎から教えを受け、オランダに留学し、日本人フリーメーソンの第1号となった西周(にしあまね)は、徳川慶喜の政治顧問から天皇の側近となり、明治政府の最高顧問となっている。
同じく留学組のフリーメーソン第2号の津田真道(まみち)は、外務権大丞を経て元老院議官を務めた。
 そこで、最初の明治政府の組閣を見てもらいたい。
 総理   伊藤博文(長州)
 外務   井上馨(長州)
 内務   山県有朋(長州)
 大蔵   松方正義(薩摩)
 陸軍   大山巌(薩摩)
 海軍   西郷従道(薩摩)
 司法   山田顕義(長州)
 文部   森有礼(薩摩)
 農商務  谷干城(土佐)
 逓信   榎本武揚(幕臣)
 グラバーの尽力によってイギリス留学した長州5人組のうち、伊藤、井上、山県の3人が大臣を占め、伊藤は総理大臣である。
山県有明、森有礼、大山巌などはグラバーと親交をもった取り巻きメンバーであるが、とくに森はグラバーの斡旋により、イギリス、ロシア、アメリカヘ留学するほど親しい間柄だった。
 (中略)
 近代国家の革命の裏には、必ずといっていいほどフリーメーソンが関与してきた。
明治維新もその例外ではなかったのだ。
しかも、日本人が好む歴史上のヒーロー、坂本龍馬もその渦中に生きていたのである―!


★ なわ・ふみひと の ひとくち解説 ★

 この本では、坂本龍馬に大きな影響を与えた人物として、グラバーとジョン万次郎を挙げています。
今は観光地となっている長崎のグラバー園の中にフリーメーソンのシンボルマークが刻まれた石碑が残っていることから、グラバーはフリーメーソンだったと思われていますが、彼が幕末から維新にかけてわが国の政財界に及ぼした影響力は、今日では想像もできない大きなものがあったようです。
73歳で亡くなったときは、時の宰相・西園寺公望をはじめ、政財界のそうそうたる要人が葬儀に参列しています。
 「坂本龍馬はグラバーに操られていた」という説は早くから語られていましたが、最近では『あやつられた龍馬』(加治将一・著/祥伝社)が大変説得力のある検証を行なっています。
こちらはミステリー小説のようにワクワクしながら読めます。お勧めの本です。
 さて、ここにご紹介したジョン万次郎は、元は土佐の漁師だった人物ですが、若い頃に海で遭難したところをアメリカの捕鯨船に助けられ、アメリカで暮らすことになるのです。
 その後、幕末のペリー来航の前に日本に帰国して、英語が話せることから重要な活躍の舞台を与えられます。
坂本龍馬は、同郷ということもあってこのジョン万次郎にもさまざまな影響を受けたと見られているのです。
 この本を読まれると、「陰謀論」に対してアレルギーを感じる方でも、現在の日本がアメリカと同様フリーメーソンの影響下におかれていること、そしてそこに至る歴史的な経緯をご理解いただけると思います。(なわ・ふみひと)


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大君の都

 驕れる白人と闘うための日本近代史
      松原久子・著 田中敏・訳 (文藝春秋 2005年刊)
 (http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1307-20.html) 

 〔なわ・ふみひとの抄録〕

● 初代イギリス駐日公使・オールコックが見た日本


 「開国した時の日本は遅れた未開の国であった」という考えが、欧米人の深層心理の中に、なぜこれほど根強くあるのか、この疑問についてもう少し考察したい。
 この疑問は、直ちに次の疑問へとつながる。
当時ヨーロッパやアメリカからやって来て、二百年以上も国を閉ざしていた日本を実際に見た人たちは、いったい何を見たのだろうか。
何も見なかったのだろうか。
 とんでもない。彼らの多くはしっかりと観察し、その印象について詳細に報告している。
開国当時の最も興味ある目撃者といえるのは、ラザフォード・オールコック卿である。
彼はイギリスの初代駐日公使だった。

公使館は、江戸の中心部近くの寺を、ヨーロッパ人に快適なように改造したものだった。
 当時の世界の力関係を考えても、彼は大変影響力を持つ重要な立場にあった。
オールコックは、初代の欧米の駐日外交官(アメリカ人、イギリス人、フランス人、ロシア人、オランダ人)の精鋭の一人であった。
 彼は江戸と大坂の開市、兵庫と新潟の開港を要求し、外国連合艦隊の下関砲撃などを主導した。
オールコック卿の在任期間は1859年から1864年までである。
彼は決して、フェノロサやラフカディオ・ハーンのような日本愛好家ではなかった。
 「異教徒の大都会で、私は生活しています」と彼は書いている。
「私は、半分文明化されたアジア人の中で、日々を過ごすことを強いられています。
異なった種類の人間たちの間で、数え切れないほどたくさんの見慣れない顔に囲まれて。私のわずかな随員たちも同じ意地悪な運命の犠牲者です」
 オールコックは、当時最大の植民地保有国の外交官として、自分の役割に忠実であった。
彼は全てに優先させて国益を念頭においた。
当時の日本について記した著作には、思わず意に反して吐露してしまった感嘆と、植民地王国の矜持とがない交ぜになっている。
 

 彼は書いている。
「将軍の都は心を奪われるほど美しい。
冬でさえも。都は広大な谷の間に、危険を避けて身をかがめるように横たわっている。
 波を打つような丘陵を背景にした緑の森に囲まれ、丘陵は湾へとゆるやかに傾斜している。
その湾の奥深くに、太平洋が磯に砕け散る激しい波を注ぎ込むことはできない。
というのは、湾の入り口のおよそ20マイル前方に、火山岩が自然の防波堤を積み上げ、入り口の両側は緑の丘になっているからである。
 また湾全体は自然の浅瀬で、船底が20フィートの水深を必要とする戦艦では、砲撃に不可欠な20海里の近さまで都に接近するのは、困難だと思われる。
世界の港都の中で江戸のように海側から攻撃するのが難しい都市は少ない」
 「ヨーロッパには、江戸のように沢山の素晴らしい特質を備えている都はない。
また、町のたたずまいと周囲の風景のこのような美しさを誇れる都もない。
そして江戸ほど征服し占領するのが難しい都も、他には見あたらない。
ペルシャ王クセルクセスの軍隊のような強力な大軍を編成すれば別だが。
 将軍の居城のある町の中心部の官庁街は、重要な区域であるが、ここはあまりにも広大な地域であるから、仮に占領はできても、その後、安全に確保し続けることはできないだろう。
 ヨーロッパの指揮官は、誰も江戸のような町を襲撃して占領するだけの自信がないだろう。
敵対心を持った住民のもとでは、町は軍事的に持ちこたえられないだろう、
たとえ1つか2つ橋頭堡を築くことができて、そこから町を容易に破壊することができたとしても」
 この胸中を明かした一節は、オールコックが一時帰国後、1863年にロンドンとニューヨークで同時に出版した日本滞在記大君の都の中にある。
 この本は、東アジア地域における欧米列強の権益拡大に強い関心を持っていた一般大衆を、大いに啓蒙した。
 アヘン戦争があったのは、この本が出版されるわずか20年ほど前のことである。
北京政府は、イギリスの東インド会社をはじめとする欧米の商社が、国内に大量のアヘンを持ち込むことに抵抗した。
 そのため大きな海港のいくつかが、イギリス艦隊の砲撃を受けて壊滅した。
アヘン戦争に敗れた北京政府は、アヘンの輸入を妨害しないという保証も含めて、広範な貿易を容認しなければならなかった。
このことが欧米の植民地利益の発展に、有利な効果をもたらしたことはいうまでもない。
 ということを考えると、ここにオールコックの著作から引用した一節は、たまたま戦略的な問題に関心を抱いていたヨーロッパの一外交官の個人的な印象以上のものであったことは確かである。
 図らずもオールコックのこの一節は、日本にキリスト教を伝え、後に聖人の列に加えられたスペイン人の宣教師フランシスコ・ザビエルが、これより300年以上前に、日本について記していたことを思い出される。
 ザビエルは、「日本人はみな用心深く、我々ヨーロッパ人が知っている武器は全て製造することも使うこともできる」と書き、日本は軍事力で征服を試みるには適さない対象である、と付け加えている。
 オールコックは聖人ザビエルよりもさらに細部に立ち入っている。
北海道の鉛鉱山に視察旅行をした際、彼は採掘される鉛の量が多くないことに注目した。
「これが日本人の使う全てであるとすれば、それは大変少ない」と書き、
「このことは、兵隊が銃砲の実戦教育のために使う実弾射撃の消費量が驚くほど少ないことを意味する。
この事実は欧米列強に無関係なことではない、記憶にとどめておくべき事実である」としている。
オールコックは、鋭い論理性、高い知能、そして植民地化に情熱を抱く時代の精神に応じた鋭敏な嗅覚を備えていた。
 江戸が軍事的に征服不可能な、あるいは征服したとしても長年にわたる占領は不可能な首都であるという報告は、その可能性を再三検討していた列強の思惑をうかがわせる。
 またオールコックは、開国したばかりの江戸の町中を馬に乗って見物して回った。
冷静沈着なこのイギリス人が冷静沈着に観察した結果は、次の通りであった。

 「表面的に見れば、日本は封建国家である。
比較するとすれば、ヨーロッパの歴史では12世紀が該当すると思われる。
ところが実際に今、我々がこの国で目にするものは、12世紀のヨーロッパにはどこにも見られないような平和と物質的な豊かさ、そして人々の満足した顔である」
 「……200万以上の人口を持つ江戸は、恐らくヨーロッパのどの首都にもないものを持っている。
例えば、最高に手入れが行き届いた道路である。
道路は中心部から全ての方向に放射状に延びている。
 木の茂る丘の上を通り、気持ちの良い窪地を突っ切り、常緑樹の見事な大木が影を落とす並本道へと続く。
町の中心部でも、特に役所の塀に沿った大通りや、田舎へと延びている道路際に、他の大都市には見られない野原や、広大な寺院の庭や、木が沢山ある公園などがあって、我々の目を楽しませてくれる」
 「……郊外へ出ると、道に沿って生垣が見えてくる。
手入れの入念さは英国の生垣に引けを取らない。
大きな果樹園があちこちにあって、枝を水平に伸ばした桃、梨、梅の木が列になっている。
春には枝は満開の花でいっぱいになる。みかんの木には強烈な香の白い花が咲く。
 真っ黄色のひるがおの花が、掘立て小屋や作業場までも美しく覆っている。
郊外に点在する茶庭には、花を愛でるために桜の木が植えられている。
……日本人は花の咲く4月にはそういった茶庭や寺の庭へ、いかにも楽しそうに出かけて行く。
一家総出で、男も女も子どもたちも。
彼らは並本道を通って庭や寺に行き、満開の桜を楽しむ。
 ……どの道も清潔である。ごみ一つ落ちていない。
ときたま見かける物乞いの仏僧を除けば、不快な人の姿を見ることもない。
江戸は、私が訪れたことのあるアジアの国々とは、そしてヨーロッパの少なからぬ大都市とも、強烈な、そして快い対照をなしている」
 「我々は爽やかな朝の空気の中、干潟を横切って足早に歩いた」とオールコックは田舎の旅を記述している。
  「左には海が見え、海の上には太陽が昇るところだった。
右にはまだ露に包まれた山々が、遠くに連なっていた。
鶴が水田のあちこちにいて、小さなうなぎか何か餌を取ろうとしている。
うまく捕まえることができると、それを飲み込むのだが、飲み込まれる方は激しく抵抗する。
 ……我々が沿って歩いて来た池には、何千羽もの野生のガチョウと鴨が泳いでいた。
彼らは猟師や犬を警戒しないので、我々がすぐ近くまで行っても平気である。
狩猟家にとっては何といまいましい光景だろう。まことに残念だ。
ここでは法律によって狩猟が禁じられている。鳥たちはそのことを知っているようだ」
 「2日後に我々は箱根の山の麓に着いた。海抜約二千メートルである。
この景色ほど美しいものがあるだろうか。
細かい砂利が敷き詰められ、舗装された街道が、肥沃な谷間を通っている。
 そこには稗、蕎麦、稲などが豊かな収穫を約束している。
豊穣な土地、良い気候、勤勉な国民、国が豊かになるために必要なものは全て揃っている」
 オールコックは、江戸と経済の中心地である京都・大坂を結ぶ東海道に、人と商品の往来が途絶えることがないのを見た。
そして、ある宿場に泊まった時の体験を次のように書き綴っている。
 「親切に世話をしてくれたその男は、一生懸命工夫して、腰掛けることが出来るものを即席で作ってくれた。
というのは、我々ヨーロッパ人は足を組んだり交差させたりして床の上に直接座ることが出来ないからである。
 日本人には天分がある。あっという間に、あまり費用を使わずに、簡単な材料で十分使用に耐えるものを作ってしまった。
それは大変な才能である。
 宿屋の主人は半ダースの木の桶を持って来て、その上にそれぞれ一枚の板を釘で打ちつけ、その上に綿の入った座布団2枚を椅子のシート代わりに固定した。
彼はあっという間に、大した費用をかけずに我々西洋人がキリスト教徒らしく座れるものを作ってくれたのだが、それを見ているのは実に楽しかった」
 オールコックの本から長々と引用したのには、2つの理由がある。
まず1つは、日本人の生活や行動について、目に見えるように具体的で詳細な記述をしている点で、他を凌駕していると思うからである。
2つ目は、彼が信用に足る過去の重要証人であるから。
なぜならば、彼は日本のこの時代を終らせるために行動した一人だからである。
 国土が美しいこと、道路、家々、庭、田畑の手入れが行き届いていること、人々が豊かなこと、日常の生活が活発なこと、日本人は器用であること、楽しそうで満足していることなどを全て、オールコックは自身の目で見て詳述している。
 にもかかわらず、彼は、日本人は能力を持った民族で、そのバランスのとれた文化と生き方は、イギリスやヨーロッパ文化圏と比べてもなんら遜色のないものであるという結論に達することはなかった。
 そういった考えは彼の本のどこにも、それを暗示するような片鱗さえも読み取ることは出来ない。
道路際の生垣がイギリスの生垣と同じように入念に刈り込んであっても、道路が清潔で、ヨーロッパのどの首都の道路よりも手入れが行き届いていても、人々の外見や、お互いの付き合いの仕方に洗練さが感じられても、楽しげで平和な文化を感じ取っても、オールコックには、彼らはやはり自分たちとは本質的に異なった奇妙な民族でしかなく、そして何よりも異教徒に過ぎなかった。
 「日本人は子孫へと世代を重ねて、希望のないいつも同じ運命を辿っているだけである」と、オールコックはその本の中に書いている。
「彼らは偶像崇拝者であり、異教徒であり、畜生のように神を信じることなく死ぬ、呪われ永劫の罰を受ける者たちである。
 畜生も信仰は持たず、死後のより良い暮らしへの希望もなく、くたばって行くのだ。
詩人と、思想家と、政治家と、才能に恵まれた芸術家からなる民族の一員である我々と比べて、日本人は劣等民族である
 率直で不気味なこの言葉は、1860年頃のヨーロッパの知識人の大多数を支配していた時代精神を忠実に反映している。

★なわのひとくちコメント
 著者の松原氏はドイツ在住の日本人です。
著者あとがきには、「この本は1989年にミュンヘンで出版され、その年の国際書籍見本市で大きな話題になった」と書かれています。
なぜ話題になったかと言えば、この本は「白人の持つ誤った優越感を挫く」ために書かれた本だからです。
 「同時に(白人に対して)日本の歴史水準に対する再認識を迫るために書いた」とも述べられています。
私もこの本は「日本人が近代日本を正しく理解するための必読書」と言ってもよいと思っています。
 戦後、白人が支配する国・アメリカによって歴史を書き替えられ、洗脳されてしまっている今日の日本人の目を開かせる内容が、全16章に亘って書かれています。
どの章を読んでも「なるほど!」とうなずかされる内容となっています。
本日ご紹介したのは第6章の一部を抜粋したものです。(なわ・ふみひと)


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白人が植民地でしたこと

 武田邦彦の【普通の歴史】 江戸から明治へ(3) 
ヨーロッパ人が占領した地域の状態
http://takedanet.com/2013/07/post_c4c4.html

 地上の「場所」にはいくつかの政治体制がある。

 今では、どこにも「国」があるから、昔も「国」があったと思うけれどもそれは違う。
昔の地球上には、「国」があるところと、「単なる地域」があった。
「国」があるところは国境があって王様がいて、軍隊が守っていた。
だから、「国」の「国境」を超えて他の国の軍隊が入ってくると、その国の軍隊は負けない限りその国を守るために戦う。

 でも、このような「現在ではあたりまえの国」ができたのは、メソポタミア、インド、中央アジア、中国、日本、ヨーロッパなどのような場所を別にすると、割合最近で、それまでは多くの地域が「単にある部族がいるところ」で国境もハッキリしていなかった。
 だから、ヨーロッパの侵略戦争というのは、「ハッキリした国と戦争して侵略したところ」と、「単なる地域でそこにいる部族を殺して侵略したところ」がある。
 中米のアステカ王国、南米のインカ帝国、インド、インドシナ、インドネシアなどは歴史のある国だからそこにある国と戦争して侵略したのだが、アメリカやアフリカの大部分、シベリアやアラスカ、太平洋諸島やオーストラリアなどはまだ「部族社会」だったので、ヨーロッパは国と戦争することなく植民地にすることができた。

 「単なる地域でそこにいる部族を殺して侵略したところ」としては、アメリカ合衆国をはじめとするアメリカ大陸、オーストラリアなどが典型的で、そこにいる部族を徹底的に殺戮して「人がほとんどいない状態にしてから住む」という方法だった。
 アメリカ人(もともとはイギリス人)が今のアメリカ合衆国に住んでいたインディアンを殺した数は数千万人とも言われるが、いずれにしても簡単に言うと「皆殺し」にしたので、今ではアメリカ人しかいないような感じだ。
オーストラリアもイギリス人が先住民のアボリジニを全滅させたので、今ではオーストラリアには実質的にイギリス人しかいない。

 このような地域は「もめ事」が少ない。先に住んでいた人が皆殺しに遭っているからだ。
アメリカ合衆国でインディアンがほぼ全滅した後はもめ事が少ないのがこの例だ。
 ところが中途半端に殺されたところや、インドのように古い歴史を持っていて、大勢のインド人がいるところはヨーロッパ人も手を焼いた。
そのような地域ではヨーロッパ人はどのような手段で統治したのだろうか?
 何しろ少人数で大多数の人を押さえ込むのだから、かなりの無理をしている。

 私が本で読んだり、歴史学者などとの話の中で知った典型的な支配方法には次のようなものが標準的のように感じられる。

1)ポルトガルの支配地では、軍隊は女性を連れて行かず、現地の女性を自由に乱暴することを許した。
結果として誕生してくるハーフの子どもが男子の場合、ポルトガル名と銃を渡して現地の支配の助手にした。

2)イギリスのインド支配では、インドの発展を懸念したイギリスが、優れたインドの若者が出てくると軍隊を派遣して若者の両手首を切り落とした。
このような政策によって優秀な人材が育つのを防いだのだ。

3)フランスの植民地では、街角で少しでも怪しい若者を見つけると尋問し、無理やり刑務所に入れた。
 刑務所に入れられると畳一畳程度のコンクリートの床の部屋に押し込められ、両手錠を掛けられて監禁されるので短期間で死んだ。

4)イギリスのオーストラリア支配では、アボリジニを自由に殺害して良いと言う法律が成立し、住民のアボリジニの女性を大きな岩の上に集団で連れて行き、そこから落ちて死ぬのを酒を飲みながら楽しんだ。
 犠牲者数は100万人と言われる。オーストラリアの南のタスマニアでもほぼ同じ事が行われ、タスマニア人は絶滅した。

5)アメリカ(イギリス人)では、インディアンの男は「人の召使いにならない」という誇りを持っていたので、次々と騙して戦争を仕掛け、推定1000万人が虐殺されたとされる。

6)アメリカ人はアフリカから奴隷を連れてきたが、効率的に奴隷船で運ぶために、20人ずつ奴隷を鎖で繋ぎ、嵐になると船の難破を恐れて20人ずつ鎖で繋いだまま海に投げ込んだ。
 アフリカでは民家を襲って希望リストに載っている年齢性別の人を無理矢理連れ去った。家族は泣きながら別れ別れになった。

7)スペインはアステカ王国とインカ帝国で住民(主として成人男子)を皆殺しにした。

 これらの話には若干の誇張もあるかも知れないし、また日本人には俄には信じられないというところもある。
 でも、ソ連時代のスターリンの粛正(2000万人)、中国の文化大革命(4000万人)、アフリカの奴隷売買(1600万人)などから見ると、イギリスのインド支配(1700万人)、スペインによる南北アメリカの征服(1500万人)などはそれほど飛び離れた数字ではない。

                   (平成25年7月28日) 武田邦彦


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平和のポータル活性化瞑想(by コブラ)

コブラ・・・2013年8月4日 平和のポータルが2013年8月25日に開く 

GFLサービス (たきさんのホームページ)
http://www12.plala.or.jp/gflservice/Cobra130804PeacePortalActivation.html)                       
原文: MAKE THIS VIRAL! Peace Portal Activation August 25th, 2013
Sunday, Sunday, August 4, 2013
http://2012portal.blogspot.jp/

 2013年8月25日には、この惑星の紛争地域に浸透する強力な光をもたらす非常に重要なポータルが開く。

 この日には、7月29日のグランドセクスタイル(複数の星が太陽を中心として、60度おきの配置になること)に次ぐ、夏のグランドセクスタイルの状態になる。

 8月25日のこの配置は月、木星、太陽及び水星、土星、天王星、海王星によるグランドセクスタイルに加えて、冥王星、天王星、木星及び金星の十字配置が加わるので、7月のそれよりも強力である。

 それゆえ、平和のポータルの活性化が天王星/冥王星が形成する直角配置(この日には、木星と金星が十字配置になって、より強力になる)がグランドセクスタイルによる調和効果を加えて、緊張の変革という独特の機会をもたらす。
 これは、もしも臨界人数144,000人が参加してこのポータルを活性化すれば、この惑星表面上でのあらゆる深く根ざした紛争がついに解決し始め得る、ということを意味する。

 これは、時間が重要なので、皆に広く知らせる必要がある。
臨界人数の人々の実際の行動が必要なので、臨界人数の人たちに参加してもらう必要がある。
 この情報をあなた方のウエブサイトやブログに掲載して欲しい。
科学的研究では、人間社会での大規模な瞑想に効果があることが確認されているので、あなた方一人一人のこの瞑想への参加が人間の命を救うことになる。
http://www.mum.edu/m_effect/dc_md.html

 私たち全てがこのポータル活性化瞑想をカイロ時間8月25日の午後11時11分(日本時間8月26日 月曜日 午前6時11分)に行う。

指示事項:

1.数分間呼吸に注意をして心と体をリラックスさせる。

2.電気色のブルーの光の柱が銀河のセントラルサンから体の位置まで降りて来るとイメージする。

3.この光がハートを通じて、手に移り、それから直接シリア、エジプトの解放プロセス、北朝鮮のプリズンキャンプ、その他地球上の全ての未解決の状況に光を満たし、そこに存在するあらゆる闇を解消する、とイメージする。

4.女神(天の女性)に平和と調和のエネルギーをこれら未解決地域とその関係者に直接送るよう要請する。このエネルギーを自分のハートを通じた後に、手を経由して、数分間これらの地域に送る。


 女神は平和と自由を望んでいるので、平和と自由がもたらされるであろう。


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切支丹伴天連 

「ユダヤは日本に何をしたか」
 - 我が愛する子や孫に語り継ぎたい -

    渡部悌治・著  成甲書房  2003年刊
 (http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1307-07.html

 〔なわ・ふみひとの抄録〕

・ 「迫害」という言葉で惑わす切支丹布教


 そもそもキリスト教の日本への渡来は、天文18(1549)年にフランシスコ・デ・サビエルによって始まったものである。
彼らが何をしに来たのかといえば、黄金の国ジパングをポルトガル王やローマ法王の領土にするための尖兵として来日したのである。
 サビエルはカトリック教会の主であるローマ法王の僧兵団の一員であり、東方渡来はジョアン三世の要請によるものであった。
彼はローマ法王パウルス三世から聖使に任ぜられ、インドにおける法王の代理としての全権を与えられ、ポルトガルの東方植民地の官吏のすべての上に、一切の俗権を行使できる権能を与えられて来たのである。
 インドにおいて土民をキリスト教に改宗させるために宗教裁判を実施し、改宗を強制し、従わない者は惨殺・焚刑に処した。
富裕の者の財産は強奪して僧兵団の手に没収し、僧院・教会を建設した。
 天文18年夏、日本は黄金の国であり、数百万の人口を有するジーペンの人たちを改宗させれば、巨億の富が入ると思い定め、日本の首都を目指してマラッカを出帆したのである。
 彼の後、各派各団の宣教師らが渡来した。いずれもサビエルと大同小異の心組みで訪れてきたのである。
日本の富と国土を狙って来た者であり、日本人を奴隷として売り渡したり、一国の領主に金を貸して領地を担保にして取り上げたりし、ついには島原の民百姓を煽勤して大乱を起こさせている。
 しかも原城に立て籠もって死んだ遺骸には、この信心深い素朴な人々の自殺行為を招来したイエズス会士も、一人のバテレンの遺骸も見つからなかった。
煽るだげ煽りたてて死に至らしめ、自分たちはとっくに逃げ失せてしまったのである。
 これに対し豊臣・徳川は布教を禁圧し、宣教師らの国外退去の策に出た。
これが国法であり、国禁であり、国を預かる者の当然の施策である。
国禁を犯し、国法を蔑(なみ)する者はこれを罰する。
 キリスト教が宗教裁判で異端・異教を焚刑・磔刑に処したように、徳川もまた同じことを行なったまでのことである。
それを「切支丹殉教」とか「切支丹迫害」などと称するのはおこがましいかぎりである。
日本人自らが発するべき言辞ではない。
 彼らバテレンたちは日本の金山・銀山を狙って金堀師らを帯同して来ていた。
今日でも鉱山の鉱脈の露頭に彫り刻まれた十字の印が見られる。
そこには異人の堀り師が潜み、隠れ切支丹らの祈祷所としていたのである。

・ ローマ法王の工作員、サビエルの挑戦

 サビエルは伝道のためではなく、戦いを挑んできたのだ。
サビエルはローマ法王の僧兵の一人なのである。
ローマ法王は全世界を支配する皇帝であり、この世においては法王の権威に勝るものはないとされていた。
 サビエルはその法王から、法王の代理としての全権のみならず、ポルトガルの東方植民地における軍隊と官吏とに対する命令の全権をも与えられていたのである。
 それゆえ東方占領地においてキリスト教に改宗しない土民を殺戮し、財産を奪い、焚刑に処し、寺院を焼き払い、暴虐の限りを尽したのである。
 異端・異教は悪魔の教えであるとして、愉しければ愉しいほどキリスト教の神は悦ぶとした。
欧州・東方・南米において、キリスト教によって虐殺された人の教は一千万人を超す。
 私が20代の頃、仙台の東北学院神学部で講義を受けていた教授に 出村 剛 という教授がいた。
キリスト教会史の講義の時間にいつも述懐していたことは、キリスト教のこの異端・異教を虐殺した事実であった。
 そして教授は、キリスト教による異端虐殺史を集大成して世に問うことを念願していると告白したものである。
 異端・異教迫害に関する研究書の頁を開き、挿絵を示してくれたが、女性を全裸にして、陰部から杙(くい)を突き刺し、頭蓋まで貫いていたのを裸馬に跨がらせて練り歩いているエッチングであった。
 「キリスト教ほど、このような罪悪を犯した宗教はない」と幾度も呟いていたのを60年後の今日でも思い起こす。
この絵はローマ法王の命によるカタリー教徒皆殺しのときの情景の一つであった。
 これは異端皆殺しの例であるが、異教の地インドにおけるポルトガル宣教師らの土民虐殺と財宝奪取、南米太平洋岸諸国のスペイン宣教師の手引きによるスペイン軍隊たちの人民殺戮と財宝収奪とは、歴史上顕著な事実であり、西欧諸国のキリスト教宣教師らによる先導によって植民地占領がなされていた事実も蔽い隠すことはできまい。
 しかし、そのようなことは日本においては果たすことはできなかった。
その理由は次に示すイエズス会のドン・ロドリゴとフランシスコ会の宣教師フライ・ルイス・ソテロらが、スペイン国王に送った上書に記すところである。
 「殿下を日本の君主とすることは望ましい。しかし、日本には住民が多く、城郭も堅固であるため、軍隊の力による侵入は無理であるから、福音を宣伝する方策をもって日本の国民が殿下に悦び勇んで臣事するように仕向けるほかなし」
 と、敵情報告に判断を付して諜報している。
 ザビエルもまたポルトガル国王に、
 「軍備においては日本はヨーロッパと同水準にあるため、軍隊をもって征服する望みは抱かぬ方がよろしい。それよりも心に訴えて納得させれば、この上なく忠実なキリスト教の下僕となるのだから、もっと智能の勝れたバテレンを派遣せられたい」
 と上申している。
武力占拠は断念し、諸藩を貿易の利潤で誘い、キリシタンの布教を公許させる方策に出たのである。
いずれも日本乗っ取りの方策の謀であった。
 この書翰に見るように、キリシタン・バテレンたちの正体は、対日諜報員であり、対日工作員であったのだ。
日本をまずキリシタンにしてしまってからキリスト教国の属国として占領してもよく、キリスト教国の属国として占領してからキリスト教化してもよかったのである。
 以前、アメリカ・ミッションから差遣されていた宣教師たちが帰米するたび、まず軍の関係機関に立ち寄って報告を終えてからそれぞれの地に帰ったという話を、留学を終えて帰国した日本人神学生に聞かされていた。

★なわのひとくちコメント

 ザビエルの来日の目的は日本の植民地化にあったことが詳しく述べられています。
この本は他のページで、ザビエルがユダヤ教徒であった事実も明らかにしています。
“黄金の国・ジパング”は、早くから“ユダヤ”の狙うところとなっていたのです。
 著者の渡部悌治氏は明治45(1912)年生まれ。戦前は、東條英機らも属していたユダヤ研究の最先端機関「国際政経学会」の監事を務めた人です。
敗戦後は公職追放令によって職を追われ、その後復帰して山形県知事の顧問等を務めた ─ とあります。
 国際政経学会は戦後GHQ(占領軍)によって解散させられ、資料類も没収されてしまったということです。
このようにして、世界支配層の中核にいる“ユダヤ”に関する研究成果はすべて闇に葬られてしまいました。
 ちなみに、“ユダヤ”とは今日のイスラエルのことではありません。
このイスラエルという国をも裏で操っている“無国籍”のグループのことで、今日ではイルミナティやフリーメーソンという得体の知れない組織の裏に隠れてしまっています。(なわ・ふみひと)


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寝た子を起す中・韓

 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
日本が「テンション民族」に変身する「悪夢」、麻生太郎副総理の「ナチス」発言は中国、韓国に思い知らせた 2013年08月03日 03時42分05秒 (http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/e7150620e2623919c320c4f83d064563) より
 
 〔抜粋抄録〕

◆大東亜戦争敗北後68年・・・(中略)
 日本の総人口は現在、約1億2700万人程度、67歳未満の人口が約9000万人なので、概ね総人口の75%程度が戦争を知らない世代だ。
戦争を知っている世代も、戦争当時はまだ子どもだった人が大半であり、本当の意味で戦争を知っている世代とは言えない。(666: 私もその一人です)
 中国、韓国の「反日運動家たち」は、相変わらず日本の戦争責任を追及し、「反省と謝罪」を求め続けているけれど、「戦争時代に生きた先人たちの責任」をなぜ、「戦争を知らない世代」が負わなければならないのか、釈然としていない。
 少なくとも、「慰安婦」などは全然知らない。
(日本が戦争中)一体、どんなことをしていたのか、聞かれてもさっぱり分からない。 
(666: 民族のカルマはあるものの、ODA等を通して償いはなされて来ました。
今日、日本はアメリカに対する恨みを持たず、東南アジア諸国は日本に対する恨みを持ちません。
中・韓の反日姿勢は何らかの意図を隠し持ったものであり、明らかに異常です)

◆だから、中国、韓国からしつこく、繰り返し、繰り返し、「歴史認識」「靖国神社」「慰安婦」などの問題を追及され続けると、「戦争を知らない世代」は、反発心を募らせてくる。
 マゾヒストではあるまいし、いつまでも「自虐的」ではあり得ないのである。
その挙句、「ナショナリズム(民族主義)」を覚醒させられて、「ネット右翼」になり、さらに過激になると、ついには、「反中・反韓運動」に走る「行動右翼」へと変身していく。
マゾヒストが、サディストに変身する。こうなると、危険だ。
 最近、国民のなかに「日本国憲法改正」賛成派が増大してきている。
とくに自民党憲法改正草案(2012年4月27日決定)に明記されている「国防軍創設」について、何のためらいもなく、賛意を示す人が漸増してきている。
「60年安保」「70年安保」時代には、およそ想像もつかないことだった。
 ところが、今は、中国共産党1党独裁の北京政府、人民解放軍の「軍拡」「太平洋への膨張」「尖閣諸島近海への領土・領海・領空侵犯」、韓国政府、韓国軍による「竹島不法占拠」などに危機感を抱く国民が、急増してきている。
 このため、日本の防衛力増強、防衛予算の増額を求める機運が、大きな盛り上がりを見せてきている。
日米安保体制に基づく米軍に対しても、「本当に日本を守ってくれるのか」という不信感、不安感が高まってきているのである。


◆「隠忍自重」「臥薪嘗胆」などと日ごろは我慢強い日本民族も、「堪忍袋の緒」がプッツンと切れると、「テンション民族」に変身してしまう。
大東亜戦争時には先ずマスメディアが「発狂」し、民族意識が高揚され、日本民族全体が平常心を失って気が狂ったのである。
 いままさに、日本民族が「テンション民族」に変身しかねない危険な状況にある。
これを刺激しているのが、中国や韓国からの日本民族に対するしつこい戦争責任追及であり、「反省と謝罪」要求である。

 麻生太郎副総理が、
「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。
わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね」
 と演説したことに、米国のユダヤ人人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」が素早く反応し、
「そもそも、なぜナチスのたとえを使ったのか」
 と厳しく批判した。
もちろん、中国、韓国も批判し、とくに韓国には「改憲への牽制を含めて、厳しく指摘せざるを得ない」という声が出ている。
 憲法改正問題について、他国からとやかく言われるのは、大きなお世話だが、中国、韓国の批判のトーンは、いささか「及び腰」である。
「日独伊防共協定」体制を組んで、大東亜戦争に突入した「歴史の悪夢」でも想起したのであろうか。
 いずれにしても、日本民族を「テンション民族」にしたらどういう事態になるか、「反日運動も、ほどほどにしなさい」と苦言を呈したい。


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神国日本の点描(2)

 原発はなぜ日本にふさわしくないのか
     武田恒泰・著 小学館 2011年6月刊
 (http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1307-29.html

 〔なわ・ふみひとの抄録〕

● 若い女性職員の話


 今回の大震災で、明らかに、日本人は一つに団結した。
それまでは自分のことしか考えていなかった若者たちが、震災をきっかけに、自分は復興のために何ができるのかを、真剣に考え始めた。
我欲に満ちた人たちが、はたと「公」の心を取り戻したのは我が国の未来にとって大きな意義がある。
 この震災で最も私の心に残ったのは、メディアでも大きく報じられた宮城県南三陸町での出来事である。
先の大戦の末期に、樺太の真岡郵便電信局の女性電話交換手たちが、ソ連軍に真岡を侵攻され、郵便局の建物が被弾しながらも電話交換業務を続け、最後には青酸カリを飲んで集団自決した一件を彷彿とさせるものだった。(→「氷雪の門」)

 地震の直後、震源域に近い南三陸町の海岸には、十数メートルの大津波が追っていた。
南三陸町役場の防災対策庁舎では、危機管理課職員の遠藤未希さん(24歳)が、一人防災無線の前に残り、マイクにとりついて町民に避難を呼びかけていた。
 津波に慣れっこになっていた住民のなかには防災無線を聞いても逃げようとしない人も多かった。
遠藤さんの声は、壁のような津波が庁舎を直撃するその瞬間まで、町中に響いていたという。
 まだ夢も希望も大きな年頃である。どこかで切り上げ、逃げたところで誰も責めはしなかったろう。
しかし彼女は呼びかけをやめなかった。そして職責を最後まで果たした。
 その声を聞いて危うく難を逃れた住民がいた一方で、津波は庁舎を飲み込み、骨組みだけを残して、全てを押し流してしまった。
屋上に避難した職員は難を逃れたが、そこに遠藤さんの姿はなかったという。
 遠藤さんは地震から9ヵ月後の12月に結婚が決まっていた。
遠藤さんのご両親は、どれほど悲しい思いをしただろうか。
しかし、インタビューでは「娘の行動を褒めてあげたい」と語っていた。
究極の状況に接したとき、日本人は自分よりも他者を思いやる美しい行動を見せるものなのだ。
 本書執筆中、5月2日になって、遠藤さんのご遺体が確認されたとのニュースに接した。心からご冥福をお祈りする。

● 極限の状態でも譲り合う被災者たち

 私の身の回りでも、信じ難い話を聞いた。
金沢に住む私の友人は、震災直後にトラックを調達し、米などの支援物資を積んで被災地に向かった。
行政に預けるのではなく、自分たちの手で最も困っている避難所に物資を届けようとした。
 様々な情報を集め、宮城県石巻市のとある小学校に着いた。
そこで早速物資を降ろそうとすると、担当者が駆け寄ってきて「せっかく持ってきてくれてありがたいのですが、うちの避難所はまだ物資が足りているほうです。
もっと困っているところがあるから、そちらへ回してほしい」
 と言う。
 友人が「一部でも降ろしましょうか?」と聞き返すと、「うちは足りているから大丈夫。全部困っているところへ持っていってください」と言うのだそうだ。
そこで、より物資が不足していそうな避難所を教えてもらい、急いでトラックを向けた。
 その避難所にたどり着き、荷を降ろそうとすると、また担当者がやってきて「大変ありがたいが、うちは足りています。この先の避難所にはまだ物資が行っていないはずだから、ぜひそちらへ行ってほしい。きっと困っていると思います」と言う。
 一部でも置いていくと提案しても、やはり辞退されてしまう。
3ヵ所目でも、4ヵ所目でも同じことの繰り返しだったそうだ。
どこでも「足りている」と言われてしまう。
結局、11カ所もの避難所で、同じことを言われ続けたというのだ。
 ところが、12カ所目にして、ようやく本当に困窮している避難所にたどり着き、空腹にあえぐ避難住民に炊き出しをすることができた。
「あなたたちが来てくれなかったら、私たちは明日生きていたかどうかも分からない」と、涙声で拝まれたという。
 友人は、良いボランティアができたという思いで、金沢に帰り着いた。
ところが、帰宅後ふとテレビをつけると、避難所からの中継が流れていた。
「足りているから」と断った避難所がいくつか紹介されていて、どの避難所も物資が足りず、大変な苦労をしているという内容だったのだ。
 「足りている」と言っていた避難所は、せいぜい一日当たり一人おにぎり1、2個でやり過ごしていただけで、それが彼らの言う「足りている」状態だった。
本当は足りていなかったのである。
 奪い合えば足りなくなる、しかし、分け合えば余る。
頭で理解していても、究極の状態でこれを行動に移すのは難しい。
受け入れを辞退した11カ所の避難所のおかげて、最も困っていた12カ所目の避難所が助けられたことになる。
 物資などいくらあっても困りはしない。少しでも多く自分たちのところに置いておきたかったはずだ。
しかし、極限の状態でも譲り合うのが日本人の精神だったのだ。
 普段、モノに囲まれ豊かに生活をしている私たちには、日本人が本来持っている精神は廃れていっているように見えた。
しかし、この危機的な状況で、東北の被災地の人々は、美しい日本人の振る舞いを見せてくれた。

★ なわのひとくちコメント
そう遠くない将来に必ず訪れると思われる「終末の大峠」において、すべての日本人(だけでなく世界中の人々)が迎える極限的状況が、2011年3月11日、世界のひな型の国・日本の東北で起こったのです。
 私は、あの地震と津波、そして原発事故は、人工的に起こされたものだと確信していますが、その悲惨さは自然災害と変わりはありません。
あの震災で亡くなられた方の多くは、この本に出て来る遠藤未希さんのように、既に終末の「卒業試験」に合格された人たちだったと見るべきでしょう。
 また、残された人々も、救援物資を辞退し続けた11カ所の避難所の人たちのように、ずいぶんと身魂磨きができていて「我善し」を卒業した方が多かったように見受けられます。
 東北の人たちの中には古き善き日本人の原型があるように思えてなりません。 (なわ・ふみひと)


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オリーブオイル

 エクストラバージンオリーブオイルを少量、スライスした食パンの上に垂らし、オーブントースターで焼いて食べる。
同時に野菜ジュースや豆乳を摂る。(牛乳は駄目)
これを始めてから、かれこれ20年位経つでしょうか。
忙しい時や、調理が面倒な時に重宝しています。
 きっかけはエドガー・ケイシーのフィジカル・リーディングを研究し、医療に応用した福田高規氏の「この治療で人類を救う」(現代書林)を読んだことでした。
 自然治癒力を補助する医の考え方を理解する上で大変参考になった本です。
基本は排泄を良くすることです。
この本の主流はひまし油を使う右脇腹(へそから背骨まで)の温湿布ですが、同時に服用するオリーブオイルを自分流にアレンジしました。
 これはお腹(なか)の調子を整えるのに確実に効果があります。
便秘でお悩みの方はどんな方法でも良いですから、少し多めに摂取してみて下さい。
 私の経験ではバナナも効果があるようです。
単純に水分が足りない場合もあるので、水はたっぷり飲みましょう。


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ファーストコンタクト

GFLサービス (たきさんのホームページ)
シェルダン・ナイドルニュース 2013年7月30日
http://www12.plala.or.jp/gflservice/SheldanNidleNews130730.html

原文: Sheldan Nidle’s Update July 30, 2013
http://pc.mail.goo.ne.jp/s/Show.php?returnPage=Inbox.php&page=&mailId=22921&folderId=inbox&sort=uid&order=desc

 〔抜粋〕
 ・・・今日は、今起こりつつあることについてお話をしました。
次に起きることは、突然の、巨大な変化です。
間もなく、ファーストコンタクトのすべてについてお知らせしようと思っています。
 あなた方のスピリチュアルな、宇宙と内部地球の家族たちは、出現して、あなた方の現実を永遠に変える用意をしています。


 〔参考〕

マスター イブラヒム・ハッサンのメッセージ
 (2013/07/09)  
http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-175.html

 〔抜粋〕
 公的、私的な“ファーストコンタクト”に関しては、最初の段階は、新経済システム、新技術、ディスクロージャー、といったことが起きる前に必要であり、来年(2013年)の年初めから6ないし9ヶ月経過して完了するでしょう。
 この日には、全ての人は、その人の意識レベルに応じたそれぞれ独自の世界を得るようになり、

○ 愛と平和を感じる人
○ 天の意識とのつながりを得る人
○ ハイアーセルフとのつながりを得る人
○ 次元上昇下、マスターたちを見られる人
○ 星からやってきた兄弟、姉妹たちを見られる人
○ ハイラーキーとの話し合いが出来る人

 などに分れるでしょう。
全ての人は、その気付きのレベル、次元上昇のレベル、及びその人の意識の程度に応じて分類されます。

 2013年にファーストコンタクトが起る前に、次元上昇に困難を感じる人達全てを助けようと計画されています。
そして、地球内部に於いて私たちの兄弟であるアガルタ人と共に居住する準備をし、ファーストコンタクト以前には自分で準備が出来なかった人達の力を引き出す生物技術(光の部屋)によって、完全意識の第一段階に進めるように支援します。


(666註: 最近のコブラからの情報に依れば、この「光の部屋」の適用は、ファーストコンタクトの前だけではなく、次元上昇のプロセス全般に亘って段階的に実施されるようです)


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プロフィール

日月の民草

Author:日月の民草
 ハンドルネーム666です。

五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。
六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、
六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、
666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。
(五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第15帖)

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