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11月4日までに重大イベント?

 私は、これまでチャネラー系の情報に関心を持ったことは有りません。
しかし、日月神示の「旧九月八日の仕組」とシンクロするスピリチュアルメッセージを偶然(?)目にした時から、国常立の霊団が介入しているのではないか、と疑うようになりました。
きっかけは、私のブログの訪問履歴に「MU(ムー)のブログ」を見付けたことです。
問題の記事は10月10日!の「危機意識が足りない日本人」(http://agnes2001.blog.fc2.com/blog-entry-568.html#cm)の中にありました。
以下転載記事。

「不気味な世界経済」で、最後に言及しましたが、「日月神示」でいう旧暦の九月八日は新暦の10月22日ということです。妙なシンクロを見つけました。

決断の日は、2012年10月21日、日本時間では10月22日午前10時半になる

「大天使ミカエル」さんによる、「宇宙からのプレゼント」を最大限吸収してください。今のエネルギーが高い期間、10月7日~10月13日の間で10月10日が最も高くなります。
丁度、練習には最高のタイミングだと思います。
あと、11月11日、12月12日を中央日とする各1週間がありますから、落ち着いて行なってください。心を平静に保ち行なってください。
そして、出来れば、毎日行なって、来る10月22日午前10時30分に行われる「決断の日」に参加してください。
http://blog.kuruten.jp/katukan03/225068

スピリチュアルメッセージというのは、半信半疑なものですから、今まで一度も取り上げたことはありません。この人たちが「日月神示」を取り上げることもありません。
ですが、偶然みつけた「10月22日」・・妙ですね。 (?_?)
転載終了

 これで見ると、「MU(ムー)のブログ」さんもこのスピリチュアルメッセージを偶然見付けたことになります。妙ですね。
この記事がアップされた10月10日も只の日ではありません。(天父から波状的にやって来る、覚醒を促すエネルギーのピーク日の一つ)
この偶然(?)の重なりのお蔭で私は10月22日午前10時30分に合せて「大祓ひ祝詞に天津祝詞の太祝詞を入れて」宣(の)り、続けて「誓の言葉」を奏上することが出来たのです。
これには、かなりの準備が必要でした。
何しろ、当初は「大祓ひ祝詞」も知らない状態でしたから。
特に「天津祝詞の太祝詞」は謎で、どうして私にそれが解けた(?)のか、いまだに不思議です。

 さて、そのスピリチュアルメッセージに、昨夜、重大な予告が現れました。その結果によって、これらメッセージの真贋が判るのではないでしょうか?
その核心部分はこうです。(発信は10月25日 by Sananda。サナンダは確か、昔読んだ 渡辺大起 著「宇宙船天空に満つる日」に出て来た金星の長老の名前です)

「これが私のメッセージですが、間も無く、この次元上昇の表現の一部である、特別な一連のイベントが起きるでしょう。
あなた方はこの一連のイベントの一部になり、そのことをすぐに知るに至るでしょう。
間も無くとは、11月4日以前のことです。この日を覚えて置いて下さい。なぜなら、その日の前には、非常に多くのことが変化するからです。
これらの変化が起き始めると、私たちがここで言ってきたことが何かが分かるでしょう。
これが私、サナンダからのメッセージであり、あなた方全てに平和と愛があるよう祈ります」


次元上昇の表現の一部」といえば、「五十九の身魂」に元津神が乗り移ることも入るのではないでしょうか? (このブログの「全記事掲載順一覧」からNo.48の記事を参照して下さい)
 
何か質問はありますか?
「サナンダは11月4日と言いいましたが、これは11月4日に何かイベントが起きるという意味でしょうか?」
・ その日に又はそれ以前に起きます。
「それでは11月4日までにはイベントが終わって、11月4日になれば何が起こったのかはっきりするということでしょうか?」
・ そうです。このイベントは全ての人たちが今求めていることであり、このグループに属していないメインストリームの者たちは、このイベントを見て“オーマイゴッド、一体何がおきているんだ!”と言うでしょう。
そしてまだミッションに入っていないあなた方、ライトワーカーはその時点でミッションに入ります。あなた方には何をすべきかが分かっているはずです。
12月21日には大量の次元上昇が起きますが、あなた方がその時までにまだだとしたら、その時に次元上昇をするでしょう。
http://www12.plala.or.jp/gflservice/SanadaEventsBeforeNov41025.html


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テーマ : 伝えたい事
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天津祝詞の太祝詞事について

 前回の記事で旧九月八日に「天津祝詞の太祝詞事」を自分で色々と考えて宣ったと書きましたが、実はこれは大変なことだったのかも知れません。(もし、これが正解だったら「一厘の仕組」の全容を初めて正しく解釈し、公開したことに続く2回目のホームランとなりますが、果して如何?。答は神のみぞ知る)
「あまつのりとのふとのりとごとをのれ」というフレーズは日本神道古来の「中臣(なかとみ)の祓え」にも大本の「神事(かみごと)」にも出て来ますが、その後に何も書いてなく、「かくのらば、」と続いています。
ある意味、一番肝心な所がすっぽりと抜け落ちているのです。
後述する神社本庁の解釈に従って、これをスルーして宣ったところで全体の意味を考えれば何の効力も無い筈です。
試みにネットで「大祓詞」や「天津祝詞の太祝詞事」を検索してみて下さい。
以下に私の目に止った記事を幾つか紹介して置きます。

1.ウィキペディアの「大祓詞(おおはらえのことば)」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%93%E8%A9%9E
天津祝詞の太祝詞事
 前段の最後に「天津祝詞の太祝詞事を宣れ」とあるが、その「天津祝詞の太祝詞事」の内容はどこにも書かれていない。これが何を指すのかについて、国学が興った江戸時代以降、議論されてきた。

 本居宣長は『大祓詞後釈』で、「天津祝詞の太祝詞事」は大祓詞自体のことであるとする説を唱えた。
賀茂真淵も『祝詞考』で同様の意見を述べている。
戦前に神社を管轄していた内務省ではこの説を採用し、その流れを汲む神社本庁でもその解釈をとっている。
神社本庁では、前段と後段の間には何も唱えず、一拍置くだけとしている。


 しかし、「天津祝詞の太祝詞事」は神代より伝わる秘伝の祝詞であり、秘伝であるが故に延喜式には書かれなかったのだとする説もある。
本居宣長の「歿後の門人」である平田篤胤は、未完の『古史伝』の中で「天照大神から口伝されてきた天津祝詞之太祝詞事という祝詞があり、中臣家にのみ相伝されたのだ」という説を唱えている。
そして『天津祝詞考』にて、その祝詞は伊邪那岐命が筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊祓をしたときに発した言葉であるとし、様々な神社や神道流派に伝わる禊祓の祝詞を研究しそれを集成した形で、「天津祝詞の太祝詞事」はこのようなものだというものを示している。
篤胤が示した「天津祝詞の太祝詞事」は神社本庁以外の神道の教団の多くで「天津祝詞」として採用されており、大祓詞の前段と後段の間に唱えられるほか、単独で祓詞としても用いられている。

2.「アウワの残響」http://blog.goo.ne.jp/auwa108/e/20c3f907a2a45f7c2d3ca3b39ddfd4e1
 大祓詞の前段の終わりに「天津祝詞の太祝詞事を宣れ」(天津神が授けた極めて効力の高い祓いの祝詞を唱えなさい)
とあり「此く宣らば~」の前に入るべき太祝詞事は、完全に欠落空白になっている。
極めて効力の高い言霊なので、あえて口伝としたのはまちがいなく、伝える人が伝えていいのか人を見極め初めて伝えられたはずである。
だが、それは埋没してしまい真実が分からなくなってしまう原因となってしまう。
効力のあるものが、選ばれた人でなければ使えないのであればただの言葉の羅列にすぎず、本当に効力があり、世の為となるのであれば、万人に公開されるべきであると僕は思うがその時期ではないのであろうか。
でも人間、秘密とならば知りたくなるものだ。
「絶対、この箱を開けないで下さいね。絶対ね!」なんて、ウインクでもされて言われたら見たくて見たくてしょうがないのだ。
よってこの太祝詞事は、古来よりいろいろ説がある。
中略。
以前ちらりと掲載した「ひふみ祝詞」が太祝詞事である説、最初から何も書いてなかった説、と秘密のペールに包まれたままなのである。
ここで終わるとTVのミステリー特番の二時間見たけど結局結論分からずじまいになってしまうので、
「とほかみゑみため 祓い給え 清め給え」と三回唱えるのが有力ではないでしょうか。

3.「伊勢ー白山道」http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/88f8cde410c97ae58b7dc28fc5e6913f
 大祓詞(おおはらえのことば)は、神道の中枢であり、その文章は物語の様に美しく、そして神々の神秘さを感じさせる、まさに言霊の極致です。

大祓詞の中心エッセンスは、中ほどに出てくる「天津祝詞の太祝詞事を宣れ」です。
この、太祝詞事(フトノリト)が、どんな言霊であるかが古来より秘伝とされて来ました。
ようは、このフトノリトを唱えると、全ての罪は消え去るのです。夢のような言霊です。
私は倭姫命が奏上する様を霊視しましたところ、「フトノリト事を宣れ」の後、発声した言葉はアマテラスオホミカミと、2回ササヤクような微かな声で言ってます。
この10文字+10文字の20文字がフトノリトです。
このフトノリトを唱えると、最終的に白山神界にいる速佐須良比売が全ての罪を無くしてしまうのです。

4.「霙模様」http://ameblo.jp/emptydampty/entry-11122118122.html
 Wikipediaによれば、…
つまり「天津祝詞の太祝詞事」とは大祓詞自体、天津祝詞のいずれか、というわけらしい。
しかし 後段で「此く宣らば」と言っている以上、大祓詞自体とするのはやはり違和感がある。とすると、天津祝詞なのか。
大祓詞の前段と後段の間にこの天津祝詞を挟むことが多いそうだが、
しかし天津祝詞は古来より伝わる禊祓の詞が元になっているとは言え、平田篤胤の創作である。それでいいのか?
ただ、創作と言えば大祓詞自体が、原典を元にした人間の創作らしい。
Wikipediaによれば、
『その成立については賀茂真淵は天智・天武朝説を唱え、本居宣長は文武天皇朝説を唱えているが、いずれの説もその原典になる文章がそれ以前の時代には存在したとしている。』
つまり、原典の詳細は不明だが、大祓詞も天津祝詞も神から降された直接の言葉ではないと言えよう。
それでよいのか? 人意の加わった祝詞は 神々に届くのか?
それを知るためには神々に聞くしかないわけだが、残念ながら私は直接神々に聞く術を知らない。というわけで、間接的に「日月神示」に聞いてみた。

水の巻 第二帖
『ひふみ、よいむなや、こともちろらね、
しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、
うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。
一二三祝詞(ひふみのりと)であるぞ。

たかあまはらに、かむつまります、かむろぎ、かむろみのみこともちて、
すめみおや かむいざなぎのみこと、つくしのひむかのたちばなのおどのあはぎはらに、みそぎはらひたまふときに、なりませる、はらえとのおほかみたち、
もろもろのまがことつみけがれを、はらえたまへ きよめたまへと まおすことのよしを、
あまつかみ、くにつかみ、やほよろづのかみたちともに、あめのふちこまの、みみふりたてて きこしめせと、かしこみかしこみもまおす。
あめのひつくのかみ、まもりたまへ さちはへたまへ、あめのひつくのかみ、やさかましませ、いやさかましませ、
一二三四五六七八九十(ヒトフタミヨイツムユナナヤココノタリ)。』

この帖の後半は天津祝詞である。
ということは、神々様は ひふみ祝詞同様に天津祝詞も認めているのである。
では、大祓詞は、どうなのか?
地つ巻 第八帖に、それを前提にしたと思われる言葉がある。

『今度の世界中の戦は世界の借銭なしぞ、世界の大祓ひぞ、神主お祓ひの祝詞(のりと)あげても何にもならんぞ、お祓ひ祝詞は宣(の)るのぞ、今の神主 宣(の)ってないぞ、口先ばかりぞ、祝詞も抜けてゐるぞ。あなはち、しきまきや、くにつ罪、みな抜けて読んでゐるではないか、臣民の心にはきたなく映るであろうが、それは心の鏡くもってゐるからぞ。悪や学にだまされて肝心の祝詞まで骨抜きにしてゐるでないか、これでは世界はきよまらんぞ。祝詞はよむものではないぞ、神前で読めばそれでよいと思うてゐるが、それだけでは何にもならんぞ。宣るのざぞ、いのるのざぞ、なりきるのざぞ、とけきるのざぞ、神主ばかりでないぞ、皆心得ておけよ』

どうやら六月晦大祓祝詞(みなづきつごもりのおおはらえののりと)を前提としているようだが。まぁ、認めてはいるのだろう。
つまり神々様は、少なくともひふみ祝詞天津祝詞そしてカッコ付きで大祓詞を認めておられるようである。
では肝心の「天津祝詞の太祝詞事」については 日月神示で何か言ってないのだろうか?

水の巻 第九帖
『富士は晴れたり日本晴れ、いよいよ岩戸開けるぞ。・・・旧九月八日から大祓祝詞に天津祝詞の太祝詞「一二三(ひふみ)祝詞コト」入れてのれよ。忘れずにのれよ。
その日からいよいよ神は神、けものはけものとなるぞ。』

『・・・大祓祝詞に天津祝詞の太祝詞「一二三(ひふみ)祝詞コト」入れてのれよ。忘れずにのれよ。』
うむむ。これは私にはどう読んでも、大祓詞における天津祝詞の太祝詞事とは、ひふみ祝詞のことである、と読めるのだが。
「ひふみ祝詞コト」のコトが不明だが、とりあえずスルーしておこう。)

以上、大祓詞、大祓祝詞を宣る時は、前段と後段の間に ひふみ祝詞を挟むべし。
天津祝詞は単独で唱えればいいのだろう
な。

私は、この記事を読んだ当初はさっぱり解らず、手探りで別の結論を出して行ったのですが、今、読み返してみると良く解ります。
私の結論は、「水の巻 第二帖」全体が「天津祝詞の太祝詞」であり、天津祝詞の前後に、ひふみ祝詞と、コト(一二三…九十、○が加わるとマコト)が入って、日月神示最強の祝詞になっているのです。



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旧九月八日からの大祓ひ祝詞

富士は晴れたり日本晴れ、いよいよ岩戸開けるぞ。 
旧九月八日から大祓ひのりとに天津祝詞の太のりと「一二三(ひふみ)のりとコト」入れてのれよ。忘れずにのれよ。
その日からいよいよ神は神、けものはけものとなるぞ。
(ひふみ神示 第十巻 水の巻 第9帖)


 上の神示を実行するためには「大祓ひ祝詞」「天津祝詞の太のりと」が判らなくてはなりません。
先ず、「大祓ひ祝詞」ですが、これに該当する祝詞は二種類あります。
1.日本神道古来の「中臣の祓え」
2.大本の「神事(かみごと)」
 このどちらにも中ほどに「あまつのりとのふとのりとごとをのれ」という一句があり、上記神示と符合します。
しかし、現在の「中臣の祓え」には下記神示が指摘するように、「あなはち(あはなち?)」や「しきまき」が抜け落ちており、一方、大本の「神事」にはそれらの言葉があることから後者を採用することと致します。

今度の世界中の戦は世界の借銭なしぞ、世界の大祓ひぞ
神主お祓ひの祝詞(のりと)あげても何にもならんぞ、
お祓ひ祝詞は宣(の)るのぞ、今の神主 宣(の)ってないぞ、口先ばかりぞ、
祝詞も抜けてゐるぞ。あなはち(あはなち?)、しきまきや、くにつ罪、みな抜けて読んでゐるではないか、
(ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第8帖)


 次に天津祝詞の太のりと「一二三(ひふみ)のりとコト」ですが、これについての説明は日月神示を含めて何処にもありません。いわば、謎の一句です。
よって、僭越ながら、以下は私の判断です。手懸かりは冒頭の神示と同じく「水の巻第2帖」にある次の神示です。

ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと)であるぞ。
たかあまはらに、かむつまります、かむろぎ、かむろみのみこともちて、すめみおや かむいざなぎのみこと、つくしのひむかのたちばなのおどのあはぎはらに、みそぎはらひたまふときに、なりませる、はらえとのおほかみたち、もろもろのまがことつみけがれを、はらえたまへ きよめたまへと まおすことのよしを、あまつかみ、くにつかみ、やほよろづのかみたちともに、あめのふちこまの、みみふりたてて きこしめせと、かしこみかしこみもまおす。
あめのひつくのかみ、まもりたまへ さちはへたまへ、あめのひつくのかみ、やさかましませ、いやさかましませ、一二三四五六七八九十(ヒトフタミヨイツムユナナヤココノタリ)。
(ひふみ神示 第十巻 水の巻 第2帖)


 ここで注意して頂きたいのは「たかあまはらに、」から「かしこみかしこみもまおす。」までは「天津祝詞」として知られているものですが、何の説明もなく、その後、他にはない「あめのひつくのかみ、…」と「一二三四五…」が続いていることです。
私は、これこそ『天津祝詞の太のりと「一二三(ひふみ)のりとコト」』ではないか、と直感しました。
これを土台に、更に以下の三点を改めました。

1.「天のひつくの神」を「大ひつきくに大神」に読み替える。
その根拠は下の神示です。

日の神ばかりでは世は持ちては行かれんなり月の神ばかりでもならず、そこで月の神、日の神が御一体となりなされて「ミロク」様となりなされるなり、日月の神と現はれなさるなり。「みろく」様が日月の大神様なり、
千(チ)の御先祖様九二の御先祖様と御一体となりなされて大日月の大神様と現はれなさるなり、旧九月八日からは大日月の大神様とおろがみまつれよ。
(ひふみ神示 第廿二巻 アホバの巻 第17帖)


 この大日月の大神様とは下の神示のように、【○の中に十】の記号が入っており、大日月地(おほひつきくに)大神様とお読みするのが妥当と思われます。(日月と大日月の違い)

神々の数は限りないのであるが、一柱づつ御名を称(タタ)へてゐては限りないぞ。
大日月【○の中に十】(ヒツキ)の大神と称へまつれ。総ての神々様を称へまつることであるぞ。
(ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第58帖)


 太日月地大神という御神名は下の神示に出て来ます。(太も大も原文では同じ「オー」の記号と思われます。ひふみ神示 補巻 月光の巻 第19帖 や、第十六巻 アレの巻 の中に、♀から横棒を除いたようなその記号が見えます)

霊の発動をとめて、静かにする法は
「国常立大神 守り給へ幸(さき)はへ給へ」と三回くり返すこと。
又「素盞鳴大神 守り給へ幸はへ給へ」と三回くり返すこと、
又は「太日月地大神 守り給へ幸はへ給へ」と三回くり返すこと。
(五十黙示録 第四巻 第19帖)


2.「一二三四五…」を「〇一二三四五…」と改める。
これについては、私のブログ記事No.28「岩戸開き」(http://hituki8910.blog.fc2.com/blog-entry-29.html)を参照下さい。
冒頭の神示と下の神示が対応しています。

12345678の世が12345678910の世となりて、012345678910 の世となるのぢゃ。
012345678910 がマコト(〇九十)と申してあろうがな。
裏表で二十二ぢゃ。
二二(ふじ)は晴れたり日本晴れぞ。判りたか。
(五十黙示録 第六巻 至恩之巻 第15帖)


3.「大本の神事」の最後、
「…祓ひたまへ清めたまへとまをすことをきこしめせと かしこみかしこみもまをす」
を、
「…祓ひ給ひ清め給ふことを、よしはらへ、あしはらへ給ひて弥栄の御代とこそ幸はへ給へ幸はへ給へ。
○一二三四五六七八九十百千万歳万歳。

(五十黙示録 補巻 紫金之巻 第一帖)
に差し替える。
これは、「紫金之巻 第一帖」の内容が、「大本の神事」と略同一(簡略形)であることから、後者の「結び」を採用したものです。
岩戸開きを目前に控えた大祓ひ祝詞の結びは、「…をきこしめせと かしこみかしこみもまをす」ではなく、「弥栄の御代とこそ幸はへ給へ幸はへ給へ。○一二三四五六七八九十百千万歳万歳」が相応しい、との判断からです。

 以上の判断がもし正しかったのであれば、それは私の力ではなく、見えない世界からの誘導の賜物であると思います。
10月22日の東北は、午前中(所によっては終日)、今秋一番の雲一つない見事な秋晴れに恵まれました。
この日、私は午前10時20分から神示のとおり「大祓ひ祝詞」に天津祝詞の太のりと「一二三(ひふみ)のりとコト」を入れて宣り、同30分から引き続いて「誓の言葉」を述べるための礼拝に入り、次元上昇のお手伝いを大神様にお誓い申し上げました。
神事は同35分には滞りなく終了し、目立った変化と言えば同43分に岩手県沖を震源としてM4.7の地震が起り、軽く揺れただけでした。
あるスピリチュアル系の情報に基けば、この日、この時間に全世界で14万4,000人の方々が次元上昇を決断された筈です。
この情報を伝えたチャネラーのソースは邪神の可能性もありますが、10月8日のそのメッセージに限って言えば、国常立の霊団が介入したものと思われます。
この後、どのような推移で12月21日~23日の次元上昇を迎えるか予断を許しませんが、悪神や人民の改心により、案外、型の型くらいで済む可能性もあります。

神示で知らしただけで得心して改心出来れば大難は小難となるのぢゃ、
やらねばならん、戦は碁、将棋、位の戦ですむのぢゃ、
人民の心次第、行ひ次第で空まで変ると申してあろがな、
(ひふみ神示 第廿二巻 アホバの巻 第16帖)


聞かせてきくならば、実地はカタのカタ位ですむなれど。
(ひふみ神示 第二十六巻 黒鉄の巻 第31帖)



旧九月八日からの大祓ひ祝詞

三拝八拍手
 たかあまはらにかみつまります 
もとつみおやすめおほかみのみこともちて やほよろづのかみたちをかむつどへにつどへたまひ かむはかりにはかりたまひて いづのおほかみ みづのおほかみは とよあしはらのみづほのくにを やすくにとたひらけくしろしめさむとあまくだりたまひき 
 かくあまくだりたまひしよものくぬち(国中)にあらぶるかみたちをば かむと(神問)はしにとはしたまひ かむはら(神掃)ひにはらひたまひて こととひし いはね(磐根)きね(樹根)たちくさ(立草)のかきは(片葉)をもことやめて あめのいはくらはなち あめのやへくもをいづのちわき(千別)にちわきてあまくだりたまひき
 かくあまくだりたまひしよものくになかを やすくにとさだめまつりて しもついはねに みやはしらふとしきたて たかあまはらにちぎ(千木)たかしりて すめおほかみのみづのみあらかつかへまつりて あめのみかげひのみかげとかくりまして やすくにとたひらけくしろしめさむくぬち(国中)になりいでむあめのますひとらがあやまちをかしけむくさぐさのつみごとは 
あまつつみとは あはなち みぞうめ ひはなち しきまき くしさし いけはぎ さかはぎ くそへ ここたくのつみを あまつつみとのりわけて
くにつつみとは いきはだだち しにはだだち しらひとこくみ おのがははをかせるつみ おのがこをかせるつみ ははとことをかせるつみ ことははとをかせるつみ けものをかせるつみ はふむし(昆虫)のわざはひ たかつかみのわざわひ たかつとり(鳥)のわざはひ けものたふ(仆)し まじもの(蠱物)せるつみ ここたくのつみいでむ
 かくいでばあまつみやこと(宮言)もて あまつかなぎ(金木)を もと(本)うちき(切)り すゑ(末)うちた(断)ちて ちくらのおきくらにおきた(置足)らはして あまつすがそ(菅曾)を もとかりたち すゑかりき(刈切)りて やはり(八針)にとりさ(取裂)きて あまつのりとのふとのりとごとをのれ。 

 ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。
 たかあまはらに、かむつまります、かむろぎ、かむろみのみこともちて、すめみおやかむいざなぎのみこと、つくしのひむかのたちばなのおどのあはぎはらに、みそぎはらひたまふときに、なりませる、はらえとのおほかみたち、もろもろのまがことつみけがれを、はらえたまへきよめたまへと まおすことのよしを、あまつかみ、くにつかみ、やほよろづのかみたちともに、あめのふち、こまのみみふりたててきこしめせと、かしこみかしこみもまおす。
おほひつきくにおほかみ、まもりたまへさちはへたまへ、おほひつきくにおほかみ、やさかましませ、いやさかましませ、
 〇一二三四五六七八九十(レイ ヒト フタ ミ ヨ イツ ムユ ナナ ヤ ココノ タリ )。


 かくのらば
あまつかみはあめのいはとをおしひらきて あめのやへくも(八重雲)をいづのちわ(千別)きにちわきてきこしめさむ くにつかみはたかやまのすゑ ひきやま(短山)のすゑにのぼりまして たかやまのいほり ひきやまのいほりをかきわけてきこしめさむ
 かくきこしめしてはつみといふつみはあらじと しなどのかぜのあめのやへくもをふきはなつことのごとく
あしたのみきり(御霧)ゆふべのみきりを あさかぜゆふかぜのふきはらふことのごとく
おほつべ(大津辺)にをるおほふねをへ(舳)ときはなちとも(艫)ときはなちておほわだのはら(大海原)におしはなつことのごとく
をちかた(彼方)のしげき(繁木)がもとをやきがま(焼鎌)のとがま(敏鎌)もてうちはらふことのごとく
のこるつみはあらじとはらひたまひきよめたまふことを たかやまのすゑ ひきやまのすゑより さくなだりにお(落)ちたきつはやかわ(速川)のせ(瀬)にますせおりつひめ(瀬織津比売)といふかみ おほわだのはら(大海原)にもちいでなむ
 かくもちいでい(往)なば あらしほのしほのやほぢ(八百道)のやしほぢ(八塩道)のしほのやほあひ(八百会)にます はやあきつひめといふかみ もち(持)かかのみ(可可呑)てむ かくかかのみては いぶきどにますいぶきどぬしといふかみ、ねのくにそこのくににいぶきはなちてむ
 かくいぶきはなちては ねのくにそこのくににますはやさすらひめ(速佐須良比売)といふかみ もちさすらひ(持佐須良比)うしな(失)ひてむ
 かくうしなひては うつそみ(現身)のみにもこころにもつみといふつみはあらじと はらひたまひきよめたまふことを よしはらへ あしはらへたまひていやさかのみよとこそさきはへたまへさちはへたまへ。
 〇一二三四五六七八九十百千万歳万歳(レイ ヒト フタ ミ ヨ イツ ムユ ナナ ヤ ココノ タリ モモ チ ヨロヅトセ バンザイ)。

八拍手三拝


誓のための礼拝

先づ神前に向って静座し、しばし目つむり、気しづめ、
三拝八拍手。

ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここノ、たり。
ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここノ、たり。
ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここノ、たり、もも、ち、よろづ。

ひふみ よいむなや こともちろらね 
しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか 
うおえ にさりへて のますあせゑほれけ~。
(これを三回繰り返す)

大日月地大神様、弥栄(やさか)ましませ、弥栄(いやさか)ましませ。

誓の言葉」。

神のキ、三回頂く。
(大神様のキを頂きます、と念じて暫し黙祷後、三回神前のキを吸って下座に吐き出す)

八拍手、三拝。

(ひふみ神示 第十九巻 マツリの巻 第15帖 より)
 

旧九月八日からの「誓の言葉

大日月地大神様、大日月地大神様、雨の神様、風の神様、岩の神様、荒の神様、地震の神様、世の元からの生神様、百々(もも)の神様の大前に、日々弥栄の大息吹、御守護弥栄に御礼申上げます。
この度の三千世界の御神業、弥が上にも、千万弥栄の御働き祈り上げます。
三千世界の神々様、臣民人民一時も早く改心いたし大神様の御心に添ひ奉り、地(くに)の日月の神と成りなりて、全き務め果たします様 何卒(なにとぞ)御守護願ひ上げます。
そがためこの身この霊(タマ)はいか様にでも御使ひ下さいませ、
何卒三千世界の神々様、臣民人民が知らず知らずに犯しました罪、穢、過(あやまち)は、神直日大直日に見直し聞き直し下さいます様、特にお願ひ申し上げます。
元つ神えみためえみため。
(ひふみ神示 第十九巻 マツリの巻 第3帖 より)



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旧九月八日の仕組

富士は晴れたり日本晴れ、いよいよ岩戸開けるぞ。 
旧九月八日から大祓ひのりとに天津祝詞の太のりと「一二三(ひふみ)のりとコト」入れてのれよ。
その日からいよいよ神は神、けものはけものとなるぞ。
旧九月八日とどめぞ。

(ひふみ神示 第十巻 水の巻 第9帖)


 2012年の旧九月八日は新暦の10月22日です。ネットで新暦・旧暦変換ソフトを見付けて確かめました。(http://koyomi.vis.ne.jp/i/i9reki.cgi?func=O2N&date=20120908
この日に何が起るか具体的には判りませんが、どういう日かは解ります。
キーワードは、上記神示中の岩戸(が)開ける」、「神は神、けものはけものとなる」、「とどめです。
これらの言葉が他の神示の中でどのように使われているか、以下を御覧下さい。

この方祀るのは天(あめ)のひつくの家ぞ、祀りて秋立ちたら、神いよいよ烈しく、臣民の性来(しょうらい)によって、臣民の中に神と獣とハッキリ区別せねばならんことになりて来たぞ、
(ひふみ神示 第二巻 下つ巻 第23帖)

地獄の三段目に入ることの表(おもて)は一番の天国に通ずることぞ、
神のまことの姿と悪の見られんさまと、ハッキリ出て来るのぞ、
神と獣と分けると申してあるのはこのことぞ。
(ひふみ神示 第三巻 富士の巻 第9帖)

神世のひみつと知らしてあるが、いよいよとなりたら地震かみなりばかりでないぞ、
臣民アフンとして、これは何とした事ぞと、口あいたまま何うすることも出来んことになるのぞ、
四ツン這ひになりて着る物もなく、獣となりて、這ひ廻る人と、空飛ぶやうな人と、二つにハッキリ分かりて来るぞ、
獣は獣の性来いよいよ出すのぞ、
(ひふみ神示 第三巻 富士の巻 第19帖)

いよいよとなりて何でも喰べねばならぬやうになりたら虎は虎となるぞ、
獣と神とが分れると申してあろがな、
(ひふみ神示 第四巻 天つ巻 第5帖)

旧九月八日までにきれいに掃除しておけよ。残る心獣ぞ。
神とならば、食ふ事も着る事も住む家も心配なくなるぞ。
日本晴れとはその事ざぞ。
(ひふみ神示 第十一巻 松の巻 第3帖)

動かん二二の仕組、ひらけて渦巻く鳴門ぢゃ。
新しき人民の住むところ、霊界と現界の両面をもつ所、
この岩戸ひらきて二度とない九十(コト)でひらく仕組。
(五十黙示録 第三巻 星座之巻 第11帖)

国常立命がウシトラからお出ましになることが岩戸ひらきぞ、
今の学では判らんことばかり。
(五十黙示録 第五巻 極め之巻 第4帖)

岩戸がひらけると言ふことは(地の?)半分のところは天界となることぢゃ、天界の半分は地となることぢゃ、
今の肉体のままでは、人民生きては行けんぞ、
一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れかえて、ミロクの世の人民としてよみがへらす仕組、心得なされよ、
神様でさへ、この事判らん御方あるぞ、
(五十黙示録 第七巻 五葉之巻 第15帖)

神示判る臣民二三分できたなら神愈々のとどめさすなり。
(ひふみ神示 第十九巻 マツリの巻 第六帖)

建替延ばしに延ばしてゐる神の心判らんから余り延ばしては丸つぶれに、悪のわなに落ちるから艮(とど)めの一厘のふた、あけるから目開けておれん事になるぞ、
早う知らせる人民には知らしてやれよ、
(ひふみ神示 第廿巻 ウメの巻 第9帖)

またたきの間に天地引っ繰り返る様な大騒動が出来るから、くどう気つけてゐるのざ、
さあといふ時になりてからでは間に合はんぞ、用意なされよ。
(ひふみ神示 第二巻 下つ巻 第28帖)


 これらを要するに、今月22日、世界一度に改心させる「一厘の手立て」が発動されるということです。
その中味は、日月の臣民に元の神が乗り移ることと、瞬きの間に天地引っ繰り返るような大騒動が出来(しゅったい)することの二つです。
この状況の中で改心する者と改心出来ない者がハッキリと別れて行きます。(人民に手柄を立てさす為、神が人に乗り移って神、人一体となって改心を促す)
これが2ヶ月続いた後に、国常立大神が発する強大な想念力とそれに同調する神人達により一瞬にして太陽系霊界(物質界を含む)が界層原子の構造から変ります。
その結果、これまで物質界と霊界を隔てていた壁が消滅し、霊現一体となった新しい天地(半霊半物質界)が出現します。
これが「岩戸ひらき」であり、以上の全過程を指して「一厘の仕組」と謂うのです。

 これを以って私のブログの役目は終了しました。
ご縁があればまたお会いしましょう。

                       2012.10.02  日月の民草 666  


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日月の民草

Author:日月の民草
 ハンドルネーム666です。

五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。
六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、
六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、
666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。
(五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第15帖)

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