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死後の世界

 死後の世界と転生までのプロセスについては、「神智学」に詳細に記述されており、なわさんのサイトに収録された「霊界通信」のジャンルにも多数の記載があります。
このオレンジャーの記事も基本的にはそれらと同じであり、格別目新しいところはありませんが、それはそれで「やっぱりそうなんだ」という意味があると思います。
 あの世で一番厄介なのは、生前の間違った思い込みの世界が死後も続くことで、そこから抜け出すのは生きていた時より難しくなります。
玉石混淆のこの世で珠玉と瓦礫の見極めをつけるトレーニングを積んでおくことは、殊の外、重要な課題と言えそうです。正しい霊的智識を習得しておくことも重要です。
なにしろあの世では、周囲は皆自分の同類ばかりで正しい批判をして気付かせてくれる有難い人などいないのですから。(宗教人が一番度し難い)

 また、一部に伝えられていた「幽界は消滅した」という話は嘘のようです。


宇宙の本質を語る宇宙人「オレンジャー」からのメッセージ
 死んだあとの世界      2014-03-25 
http://ameblo.jp/oranger13/entry-11804490308.html

 俺はオレンジャー!
君達は死んだ後、どんな世界に行くか知っているか?
君達の魂は肉体を離れて、暫らくの間は、現世への未練があるので
その辺りをウロウロしている。
その未練が強すぎると地縛霊となってそこに残ってしまうから注意が必要だ。

 自分が死んだことに腑落ちすると、その魂は自分が信じている世界へと進むことになる。
キリスト教の信者であれば、キリスト様がいる世界へ行くし、仏教を信じている人であればブッダのいる世界へ行くことだろう。
そこには現世での宗教の影響もあって沢山の人がいることだろう。
次に多いのが、そうした宗教観が特にない人の場合の、現世とあまり変化のない世界。
死んでいるから本当は食事は不要であるにも拘らず、あちらの世界でも延々と毎日同じように生活を続けている集団がいる。

 そうした所謂「執着」と「信念」によって作られた世界が虚像であることに気付くと、本当の魂の姿になって次のステージに行くことになるんだ。
そこで、君達は改めて肉体をもった現世という修行の世界へ戻るか、次のステージに行くかを選択することになる。
ま、死んだ後で是非体験して欲しい。
これは言葉で説明しても中々解らないから。

 今日はこんなところだ。 じゃ!


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テーマ : 死後の世界
ジャンル :

多様の中の合一

 「類魂」のことを調べるうちに、オレンジャーのいう「自他の区別が(つか)ない」という状態は、魂のレベルの話に思えて来ました。
魂が存在するのは、五次元のコーザル界層です。「コーザル体」という言葉は、「オーラについて」(06/13)でも出て来ました。
コーザル体が存在するのが、コーザル界層(高位メンタル界層)です。メンタル界層は五次元です。この意味で、オレンジャーの「四次元以上」と言う表現は少し、正確ではないかも知れません。
更に、「全ては一つ」には、もひとつ距離があるように思われます。
その隔たりを埋める記述が神智学にありました。(下記)

 それによると、自他の区別がなくなるのは六次元のブッディ界層からで、魂の上に位置するモナドが存在するのが八次元のアヌパーダカ界層、全てが完全にひとつになるのが、その上の九次元アーディ界層です。
アーディ界層は創造神の意識の世界です。
 これで、オレンジャーが言っていた二つの言葉の意味する全体像が掴めました。
また、「輪廻転生」は、「インディビジュアリティー」の概念抜きでは正しく理解出来ないことも解りました。
「パーソナリティー」(今、自分と思っている個性)が生れ変るのではないのです。


A・E・パウエル/編著 中里誠桔/訳「神智学大要4」 コーザル体 
 第32章 ブッディ意識 より抜粋

    図表44 多様の中の合一(クリックして拡大)
多様の中の合一2
 ここに掲げる作者不明の図表44はブッディ界層(六次元)とそれ以下の界層(メンタル、アストラル、物質)との基本的な違いを巧みに描いている。
この図表にある幾つかのスポーク(輻)がある点で重なっているが、その重なっている点がブッディ界層の始まりである。
 スポークの先端は物質意識を表し、個々別々に離れている。
輻(や)を中心の方に昇って行くと少し広くなっており、それがアストラル意識(四次元)である。故に個々別々だった人々の意識は少し接近し合っている。
更にもっと接近し合ったのが下位メンタル意識で、更に高位メンタル意識になると、もっと接近し合い、遂にその最高のレベルまで行くとそこからブッディ意識が始まる。
この図によって各個人のブッディ意識は両側の各個人の意識と重なっているのが分る。
この重なり合ったところが他の人との一体感を現実に感ずる所である。
 意識がもっと高い界層へと昇って行くと両側の者との意識とますます深く重なり、中心(アーディ意識、創造神)に達すると遂にあらゆる意識が完全に合一する。
それでも個々のスポークは存在を保ち、独自の方向と未来とを持っている。
下界(複数)に向って外を見ると、各意識は違った方向を覗いている。が、それは唯一の中心意識の一面なのである。
ところが内側に向くと、これらの様々の方向は全部出会って互いに一体となる。

 この一体感がブッディ界層の特徴である。
この界層ではあらゆる制約が崩壊し始め、人の意識は拡大し、遂に彼は理論の上だけではなく、実際に他人の意識は自分自身の意識の中に含まれている事を知覚し、彼等の中にあるものを全て絶対的完全さを以って共感し、知り且つ体験する。というのはそれは実際に彼自身の一部だからである。


テーマ : 検証
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シルバー・バーチの「類魂」(2)

 フレデリック・マイヤースや、シルバー・バーチのいう「類魂(グループソウル)」とは、日月神示の「霊統」、シルバー・バーチの「霊団」などと同じもののようです。(インディビジュアリティーはパーソナリティーに対する言葉。「ダイヤモンド」の意味にも「類魂」の意味にも使われる?)
 その大きなグループを構成している一つひとつの魂が単純なものではなく、ダイヤモンドのように多面性を有しており、その面の一つひとつが一人の人間として地上に転生して来る仕組になっています。

 オレンジャーメッセージは、その面が複数、部分的に混じり合って、1個の人間として転生して来ると言っているのでしょうか? 
どの面も同じ魂の一部なのですから、そういうことも充分有り得ると思われます。
要は、魂全体の進化・向上のために、足りない部分を補完する最も効率的な方法が選択される訳ですから。


「スピリチュアル・ライフ by birch99」
3.魂と類魂(グループソウル)についてhttp://blog.goo.ne.jp/birch99/e/6250e41acb5f1ce6b84b773683bfac5c) より 抜粋


       魂の構造図
       画像1: 魂の構造図


     
         類魂(グループソウル)の構造図
         画像2: 類魂(グループソウル)の構造図 


 この「魂の構造図」及び「類魂(グループソウル)の構造図」は、フレデリック・マイヤースが、死後、ジュラルディーン・カミンズ女性霊媒を通じて送って来た自動書記通信(「永遠の大道」)と、「シルバーバーチの霊訓10」を纏めたものです。
 魂にも親がいてその親の親を辿って行くと、そこには(霊的な血縁関係で結ばれた)大きな魂の家族が存在する。
これをマイヤースは「グループソウル」と呼び、浅野和三郎氏が「類魂」と訳しました。 (註: 紛らわしい表現ですが、多数の魂が集まった群です)

 シルバーバーチは次のように語っています。

「更にダイヤモンドが幾つか集まって一個のインディビジュアリティを構成しています。例えばこの霊媒(バーバネル)と奥さん(シルビア・バーバネル)と私(シルバーバーチ)とは一個のインディビジュアリティに所属しております。一人の支配霊が幾つかの類魂を従えていることがある訳です。
つまり地上で肉体を通して顕現するのはインディビジュアリティの極々小さな一部ということです。」

 フレデリック・マイヤースは次のように語っています。

「一個のスピリット(中心霊=本霊、守護神、産土神)が複数の魂を一つに纏めている。 各魂は中心霊から霊的養分を貰う。
一個のスピリットの中に含まれる魂の数は20、100、1000の場合もあり一定しない。
魂の多面(霊)の転生により、一個の魂が霊的向上に向い、更に類魂の中の魂同士の体験・知識を共有して霊的成長を図って行く。」


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シルバー・バーチの「類魂」(1)

「古代霊は語る シルバー・バーチの霊訓より」 近藤千雄・訳編(潮文社)  
 第三章 再生ー生まれ変わりー より抜粋
 
  先ず「再生は自発的なのか、それとも果すべき目的があって止むを得ず再生するのか」という問いに対して、シルバー・バーチは「その両方だ」と答えます。
それから次のような問答が展開します。

(問): ということは、再生は強制的だということですね。

(シルバー・バーチ): 強制的という言葉の意味が問題です。誰かから「再生しろ」と命令される訳ではありません。
地上で学ばねばならない教訓、果すべき仕事、償うべき前世の過ち、施すべきでありながら施さなかった親切‥‥などを明確に意識するようになり、今こそそれを実行するのが自分にとって最良の道だと自覚するようになるのです。(註: これを以てカルマは法則ではなく、自由意志だと捉えるのは誤りだと思うが如何)

(問): 死後は愛の絆のある者が一緒に生活すると聞いておりますが、愛する者が再生して行ったら、残った者との関係はどうなるのでしょうか。

(シルバー・バーチ): 別に問題はありません。地上で見せる個性は個体全体からすればホンの一部分に過ぎないのです。
私はそれを大きなダイヤモンドに譬えています。一つのダイヤモンドには幾つかの面があり、その内の幾つかが地上に再生する訳です。

すると一時的な隔絶が生じます。つまりダイヤモンドのある面と他の面との間に「物質」という壁が出来て、一時的な分離状態になることは確かです。
しかし、愛の絆のあるところにそんな別れは問題ではありません。

(問): それはフレデリック・マイヤースのいう「類魂」と同じものですか。

(シルバー・バーチ): まったく同じです。但し、単なる「霊魂の寄せ集め」とは違います。
大きな意識体を構成する集団で、その全体の進化のために各自が物質界に体験を求めてやって来るのです。

(問): その意識の本体に戻った時、それぞれの霊は個性を失うのではないでしょうか。

(シルバー・バーチ): 川が大海に流れ込んだ時、その川の水は消えるでしょうか。
オーケストラが完全なハーモニーで演奏している時、バイオリンならバイオリンの音は消えてしまうのでしょうか。

 

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ナザレのイエス イザヤ(6)

ヴィセント ギリェム 「魂の法則」 小坂 真理 訳
http://www.uv.es/vguillem/Tamashii_no_Housoku.pdf
〔抜粋〕

・ イエスの地上での使命

ギリェム: (3)教会や司祭が地上での神の仲介者である、という信仰は正しくない、とも言われましたね。

イザヤ: そうだ。

ギリェム: 何を根拠にそう言われるのですか?

イザヤ: イエスと当時の司祭層との関係を正しく読み取るのなら、イエスには司祭という身分を創る意図も、カトリック教会が創ったような階層制度を設ける意志も絶対になかったという結論に至る。
カトリックのヒエラルキーは、その時代のユダヤ教会をかなり忠実に模倣したものだ。
 イエスは、一人ひとりが神と繋がっていると教え、司祭を介してのみ神と交信出来るという誤った考えを覆しに来たのだ。
実際、イエスは、公の説教のかなりの部分で、ユダヤ聖職者達に応酬している。
イエスのやることの全てが彼らを逆撫ですることだったので、聖職者達はイエスを手強い競争相手だと看做したのだが、それは誤りではなかった。イエスは、次のメッセージを形を変えて何度となく繰返したからだ。
 「聞きなさい。彼らは神の仲介者などではない。何故なら、適切な霊的援助を差伸べることよりも、君達を犠牲にして経済力を失わないことの方に一生懸命だ。
馬鹿げた法律で君達を混乱させてしまったが、そんなものは必要ない。天の国に入るために唯一必要とされることは、愛することだ」
このメッセージが聖職者階層の目に留まり、人々が覚醒してしまえば自分の仕事がなくなってしまうと考えて、イエスを殺してしまったのだ。

ギリェム: カトリック教会は、何故それほどユダヤ教に似てしまったのでしょう。

イザヤ: 最初はそうではなかった。何故なら、キリスト教徒は、初めはユダヤ人、後にはローマ人から絶えず迫害され、常に身が危険に曝されていたので、イエスの愛の教えの信奉者となるには、大変な覚悟が必要だったからだ。
 しかし権力者達は、私益に有害な思想の支持者を抹殺しようとしたにも関わらず、信徒が増え続けるのを見て、「敵をやっつけられないのなら、逆に取込んでしまえ」という戦略に切り替えたのだ。
 全ローマ帝国をキリスト教に改宗すると布告したコンスタンティヌス皇帝以後は、多くの者が信仰によってではなく、権力によってキリスト教徒にさせられた。
そして、大半が強いられたものであったために、全てを台なしにした。
隣人愛は、そこでお終いになったのだ。
 それ以前の宗教の高位神官と信者達は鞍替えをし、何の霊的改変もないままキリスト教に移り、重要な職に就き始めるようになった。
宗教の元最高神官が、キリスト教の一信者で我慢するなどとは、君達でも思わないだろう。
 彼らは、権力の持分を維持したかったのだ。そこで、神官の帽子を、教会の司教の帽子に変えたのだ。いや、実は帽子でさえも変えはしなかった。法王と司教の被るミトラでさえ、別の宗教に由来しているのだ。
ミトラと呼ばれるのは、ローマ人が崇めていた神々の一つ、ミトラ神への古代信仰の神官達が被っていた物だからだ。
 キリスト教にはそれ以前の宗教儀式が沢山取り入れられ、元来の隣人愛のメッセージは、それに反する概念で侵されてしまった。
カトリック教会とは、このようにして生れたのだ。
 神と富とに兼ね仕えることは出来ない、とイエスは言ったが、カトリック教会は二千余年も前のユダヤ教会のように、ほぼ最初からお金の方に加勢したのだ。

ギリェム: でしたら、法王の絶対的権威と地上における神の代表という...

イザヤ: 勿論全て嘘だ。法王も普通の人間と同じように間違えることがある。法王と霊界との繋がりは、他の人のものと比べて何も特別なものではない。
高次の霊性との繋がりは、無条件の愛を努力することによって段々と強くなるもので、どれほど立派な肩書きを授けられようと、それで繋がりが深まる訳ではない。

ギリェム: では、どこからそんな考えになったのですか?

イザヤ: 前に言ったとおり、教会の首長自身がそう言っている。通常それは、権力や富への野望に唆かされた行為を、誰にも見破られないように正当化するための手段なのだ。
 救済には彼らが不可欠だ、と人々に確信させることが出来れば、教区民を犠牲にして、誰にも咎められずに暮せる筈だからだ。
「神の任命した者達」に従わなければ「永遠の罰」だぞ、と言って何時でも脅すことが出来た。それは「神の代理人」の命令に従わないのであれば、という意味で、つまり、彼ら自身のことを指していたのだ。


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ナザレのイエス イザヤ(5)

ヴィセント ギリェム 「魂の法則」 小坂 真理 訳
http://www.uv.es/vguillem/Tamashii_no_Housoku.pdf
〔抜粋〕

・ イエスの地上での使命

ギリェム: 預言者とは何ですか。

イザヤ: 預言者とは、霊界の真実を教え、「愛の法則」に反する行為がもたらす結果を各時代の人びとに忠告するために、高次の霊性から送られて来る者である。
一般的に、転生する惑星の平均的な魂よりも進歩した魂だが、そうでなければ、委託された使命を遂行することが出来ないからだ。
 他者を助けると同時に、自己を進化させることが出来るのだが、それは一般的には、生れ出た社会から拒否や拒絶をされ、虐げられたり罵倒されたり馬鹿にされたりするからで、そのために、自己の愛の力量が試されるからである。
彼らは、通常考えられているように、特別で神聖な特権を持つ存在などではない。
 その霊能力は、輪廻のサイクルの中で ― 他世界での転生であったかもしれないが ― 自分自身の功績によって獲得されたものだ。粗方、年下の生徒を手助けする年上の生徒と言ったところだが、それと異なるのは、他の人と同じ条件で転生して来るので、肉体的にも年齢からも、彼らを識別出来ない点だ。
何時か、君達の惑星の住人が充分に進化を遂げる日が来たら、その中から、進化の遅い人類(宇宙人も人である)が住む世界で預言者の役目を果す者が出ることだろう。

ギリェム: でも、偉大な師匠だと思われていた人が、後から、実は詐欺師で、人々の純粋さに付け込んで大金を貯え込んでいた、と発覚することがよくありませんか。

イザヤ: その通りなのだ。多くの者が猫を被っているのだ。
だがその一方で、初めは良く、好い線を行っていたので、必要な霊的援助が与えられた、という者も沢山いる。問題は、その者達が、人々に与える効果に目が眩んでしまうことだ。
 本当に答えを探し求めている人は、内面を覚醒してくれる人に出会うと、その人にとても感謝して、それを大げさに表現しようとするものだ。そのため本人も、本当は霊的知識の光を届けているだけの筈なのに、自分自身が眩しく輝いているのだと勘違いしてしまう。人々も間違って、その人を神のように奉り始める。
 我欲とその顕現形態を未だ良く知らず、自分でも克服の努力をしないのであれば、我欲は増大し、自分が全ての者に勝ると思い込むに至るだろう。そして、他者に奉仕する代りに、その反対となってしまう。
道義上の家来か奴隷のように仕えてくれることを人に要求し、どんな決断や願望であっても決して問い正さずに、盲目的に自分に追従することを求める。
 こうして、光は段々と消えて行き、最初の思いは失われ、インスピレーションも無くなるのだ。霊的な閃きが消えると、我欲が頭脳を支配し始め、その時から、受け取るメッセージは混乱し、矛盾したものとなる。
 そして、本物になり得たであろうことは、守り切れずに失われてしまったものの混沌とした記憶として残り、我欲の高揚を正当化する多くの嘘で固められるのだ。

ギリェム: 真の預言者と詐欺師とを、どのように見分けるのですか。つまり、真の預言者・ガイド・霊的な使者に必要とされる条件とは何ですか?

イザヤ: 肉体を持たない霊的なガイドは、何の分け隔てもせずに、全ての魂を支援する。真の霊性というものには、国境も経済格差も、人種や宗教やその他の如何なる違いも存在しない。それゆえ、富める者と貧しき者、白人と黒人、信者と非信者とを差別しない。これらの違いは、一時的な条件や状況に過ぎず、転生から転生で変化するものだからだ。
 霊的な教えを普及するに相応しいと自認する者は、それと同じやり方で行動しなければならない。肉体を持つ真の霊的指導者は、「魂の法
則」に従い、目立たず謙虚に生きようとし、何の見返りもなく、他者を援助し啓発しようとしている。
 それ故、霊的な真実らしきものを公開することで、金銭的な、またはその他の代償を貰おうとする者達は、全て、真の霊的な指導者だとは見なせない。「会員だけ」の真実というものは存在しないからだ。
 真のマスターは、自由意志を尊重する。
つまり、絶対に自己の見解を押し付けず、自分が手本となって宣教し、提供するものを受け取るか受け取らないかは、他者の自由に任せるのだ。従い、権力主義に訴えて正当化することはなく、絶対に「俺の言う通りにしろ。俺はマスターで、悟りを得た神の使者だぞ」などと言ったりしない。
 心を開いた者を説得するには、メッセージの質が高いだけで充分だ。
それに関心を持たず説得出来ない人達がいても、彼らにはそうして独自の道を歩む自由意志があるのだ。好きでもないものを信じたり同意したりを、義務付けられることも強要されることもない。

ギリェム: 偽マスターや見せ掛けの霊性に引っ掛からないための助言がありますか。

イザヤ: どんなに高次に思える宗教や政治・哲学的思想であろうと、その信仰のために、絶対に君達の意志を放棄してはならない。信仰のために意志の放棄が求められるのであれば、そうするには値しないものだ、と確信しなさい。
 伝達者を偶像化せずに、メッセージを分析しなさい。メッセージに納得出来なければ、疑問を表明し説明を求め、それでもその教えと同調出来なければ、それを拒めば良い。理解出来なくても信じることを強要する信仰のドグマによってでは、一切、何も受け容れるべきではない。
 自分自身の経験・感情・理解・分析によってではなく、神聖だとされる人がそう言ったから、という不可解な外からの押し付けによって同意してしまうことは、権力主義に従うだけで、進化のためにも幸せになるためにも役に立たない。魂は自由でいる時だけが幸せなのだ。
 従って、妄信的な信仰も、霊性を管理し操る社会層も必要ない。答えは自分の内に探しなさい。君達の内面は、霊的ガイドや高次の霊性と直接繋がっているので、思っているよりもずっと賢いのだ。

ギリェム: でも多くの宗教では、霊との交信は、悪魔のすることだと思われていて、それをしようとするのは、有害で邪悪なことだと考えられています。聖書がこのような交信を禁じているとのことですが、聖書が神の言葉であるのでしたら、神自身がこれを禁止したことになるのでしょうか。これについてどう思われますか。

イザヤ: 各人が高次の霊性(それを神や霊的ガイドと呼ぶが)と独自の繋がりを持つことを認識してしまえば、教会権威者達は、主役の地位と権力を失うこととなり、そうなれば、信者を気の赴くままに操ることが出来なくなってしまう。
 彼ら自身が矛盾しているのだ。何故なら、彼らの聖典を、神から閃きを得た人によって書かれた御言葉なのだと看做すのなら、それは、霊界と霊的な交信を持ったことになるのだ。しかし、信者にはそれと同様な交信は許さず、彼らが崇める本を書いた過去の著者だけの特権としているのだ。
 イエスや他の進化した預言者は、高次の霊性との接触を求め、そこからインスピレーションを得て任務を支援して貰った訳だが、それは、肉体に宿った者が肉体を離脱した魂から助言と支援をして貰うという、完全なる霊界との交信なのだ。
 霊媒力を非難するのなら、イエス自身をも批判することになってしまう。
イエスは、霊界の教えを当時の同胞に伝達するという、大変強力な霊媒として活動したのだから。

ギリェム: その通りですね。でも彼らは、「イエスは神の子だったから、閃きを与えたのは神自身で単なる霊ではなかった」、と言うことでしょう。

イザヤ: 全てを盲信させて教えを分析することも認めていないのに、二千年以上も前の預言者にインスピレーションを与えたのが神か聖霊か、それともサタン自身であったのかが、どうして分るのだね?
 実際、教会権威者達が御言葉だと崇め奉る旧約聖書を書いた、本物の預言者の一人が今、生れ変って、前世の業績を解析したり豊かにする新たなお告げを書いたとしても、昔のようにそれを公言すれば、権威者達自身がその人を嘲り、メッセージを吟味することさえ許さず、その人が狂っていて悪魔の類と交信しているのだと思わせようとするだろう。
だから、常識的に判断しよう。相手の能力を知る唯一の手掛かりは、メッセージの質なのだ。
 現在、メッセージで暴力や戦争や他者を憎むことを奨励している人を、神の使者だと信じられる者などいるであろうか? 同世代の人をそう認められないのであれば、どうして、如何に古かろうと、過去の著者を神の使者だと認めなければならないのだろうか? 過去の作家が特別な存在であるのは、とても古いためだからだろうか? それなら、神々の代りに恐竜や鮫や蟻を選ぶとしよう。それらは、古代の作家の誰よりも前に、この世に出現していたのだから。
 イエスのメッセージが人類にこれほど大きな影響を及ぼしたのは、イエスがそう言ったからではなく、無条件の愛を示すという教え自体が偉大であったからだ。しかしこの世の権力者達は、布教に歯止めを掛けることが出来なかったために、自分達の特権や搾取が終焉を迎えることを恐れ、イエスの人物像と教えを手中にし、その内容を著しく侵してしまったのだ。そして、元のお告げそのものと矛盾し、イエスが一度も口にしなかった言葉を、特権と権力を維持するために彼が言ったことにして、教えと反対のことを我々に信じ込ませることにほぼ成功したのだ。

ギリェム: キリスト教徒にとっては、イエスは神同然か神の子なのですから、イエスがすることなら何でも良いのではありませんか。一般人が直接霊と交信することを、認める心算がないのでしょう。

イザヤ: 初期のキリスト教徒の間では、慈善的な霊との交信がごく頻繁に行われていた、と知ったら驚くであろう。襲いかかる酷い迫害に耐えることが出来るように、彼らはこうして霊界から勇気づけられていたのだ。
初期のキリスト教徒は、愛を以って祈れば、高次の聖霊から応援されて近くに来て貰えることを知っていた。新約聖書自体の使徒言行録の中にその例があるが、イエス自身が肉体を離脱した後に霊となって、使徒達の前に随意に現れたり消えたりしたことが窺える。
 それ以後、教会自体がこの種の顕現を敵視した。何故なら、そこからまた愛の種が生れ、再び人々の心の中で発芽し、当時の人類が宗教組織によって置かれていた霊的な闇から解放されてしまうことを怖れたのだ。
 イエスは戻って来なかったが、霊界と直接交信が出来る非常に高度な魂達がやって来て、恵まれない者を癒したり面倒を見たり、多くの善をなしたのだ。だが、その多くの者は魔術使いや異端の罪状で、宗教裁判で火刑とされた。

ギリェム: でも、悪霊を呼び出すために集まって、他者を支配したり、富や権力を獲得する能力を授けてくれる魔法の力を得ようとした人達も実在するようですが。

イザヤ: そのような交信は行なわれていたし、我欲に満ち溢れ、富と権力を渇望する魂がこの世に存在する限り、今後も行われることだろう。
だが、そういう意図で行動すると、同レベルの低級霊の都合の良い餌食にされて、あらゆる手段で彼らの支配下に置かれてしまい、隷属させられて、もっと酷いことをさせられてしまう。だから、このような接触は非常に危険で、全く奨励出来ないものだ。
 しかし、他者に害を与えようとして、霊媒力を使って下級霊と通信する者がいるからといって、霊媒を介した霊界との交信の全てが有害だ、と結論付けることは出来ない。それとも、悪意のある目的にインターネットを使用する人がいるので、ネット上の全ての通信を政府が禁止することが理に叶っているのだろうか? 理論的に考えれば、使用を制限すべきなのは、社会の健全性が狙われる時だけで、全体を禁じてしまう必要はない。

ギリェム: でしたら、なぜ世間では霊との交信がこれほど反対されるのでしょうか?

イザヤ: それは、この世の宗教権威者や、その他の権力者達の多くが、人が自力で神や守護霊と交信することを阻むことによって、支配力を維持しているからだ。
霊界との接触を怖れさせようと、明確に意図して作成された映画は無数にある。それらは、ダイアリー・オブ・ザ・デッド(Diary of the Dead)、ポルターガイスト(Poltergeist)、エクソシスト(Exorcist)などの恐怖映画で、全ての交信が恐ろしいものになる、と思い込ませるのだ。
こうして、誰もが怖れによって自分自身を異端視し、直感や夢などであろうと、霊界からのメッセージかも知れないと思う度にそれを抑圧したり、誤った解釈をしてしまうのだ。


テーマ : 歴史&スピリチュアル・ミステリー
ジャンル :

ナザレのイエス イザヤ(4)

ヴィセント ギリェム 「魂の法則」 小坂 真理 訳
http://www.uv.es/vguillem/Tamashii_no_Housoku.pdf
〔抜粋〕

・ イエスの地上での使命

ギリェム: 第二点目では、(2)聖書や他の聖典が神の御言葉である、と信じることは間違いだと言われましたね。

イザヤ: そうだ。

ギリェム: では、聖書が神の言葉でないのであれば、何だとお思いになっているのですか?

イザヤ: 旧約聖書は何冊かの本が纏まったもので、イスラエルの歴史の一部が収められているが、指導者達の征服欲を正当化し、それが「神の意志」であったと見せ掛けるために都合が良い修正がなされている。
 また、平均よりも霊的に進化した存在、つまり預言者達のかなり正しい教えも記載されているが、それは既に、宗教的な信仰が狂信的に操作されていることを警告しており、真の霊性とは如何なるものかを垣間見ることが出来る。
 一方、新約聖書は、イエスの生涯で最も特出した事実、特に最後の数年間の公での説教に関する口頭伝承を収録しようと試みたものだ。
イエスが伝えようとした教えを部分的に収めた「福音書」と、以後の使徒達の生活「言行録」と、人類の未来に関する著者の一連のヴィジョンを集めた「黙示録」とから成る。


ギリェム: 「文書」に関して余り良い心証がないようですが、論拠を裏付けするために、折に触れ、新約聖書の文言を引用されていますね。

イザヤ: 全てが偽りだとは言っていない。各々の事柄は其々正しく評価されるべきだ。
山上での説教(垂訓)のようなイエスの公での宣教を著わした章句や喩え話の多くは、イエスが言ったことをかなり忠実に再現している。それで、私は引用しているのだ。
 イエスが演説に比喩を用いたのは、偶然ではなかったのだよ。そうすることで、教会に不都合であった多くの部分が改変されてしまうことから救ったのだ。人には比喩の意味が良く理解出来なかったので、教会の検閲に引っ掛からずに済んだのだ。

ギリェム: 例を挙げて下さいますか。

イザヤ: 例えば、輪廻転生の概念は、新約聖書の二つの章に巧みに収録されている。初めのヨハネの三章は、もう見たとおり、イエスとニコドモの会話の中でだ。
 イエスは彼に答えて言った。「よくよくあなた(方)に言っておく。人は誰でも新しく生れなければ、神の国を見ることは出来ない」
ニコデモは言った。「年をとっているのに、人はどうして生れることが出来るのですか? もう一度、母の胎に入って生れることなど出来ましょうか」
 イエスは答えられた。「よくよくあなた(方)に言っておく。人は、水と聖霊とから生れなければ、神の国に入ることは出来ない。肉から生れる者は肉であり、聖霊から生れる者は霊である。あなた方は新しく生れなければならないと、私が言ったからとて不思議に思うには及ばない。(...)天に昇った者はいないが、天から降った者はいる」(ヨハネ 3, 3-13)
 二つ目は、マタイの17章、10-13節だ。
そこで、弟子達は、イエスに尋ねて言った。
「一体、律法学者達が、エリヤが先に来る筈だと言っているのは、どうしてですか?」
イエスは答えて言われた。
「確かに、エリヤが先に来て、万事を元どおり直すのだ。しかし、あなた方に言っておく。エリヤは既に来たのだ。ところが人々は彼を認めず、彼に好き勝手なことをしたのだ。人の子もまた、彼らから同じように苦しみを受けることになろう」
その時、弟子達は、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。

ギリェム: それなら、聖書自体を読んだり、聖典とされるもの全般を読むことに関しては、どんな姿勢でいるべきですか?

イザヤ: いいかね、全ての宗教には、神、または神の使者の手によるとされる聖典があるのだ。そうしなければ、自分達の神聖さを正当化出来ないからだ。
だが、霊的に進化している者や高次の霊に感化されて書かれた可能性があるものが存在していることは確かだが、現実的には君達と同じような人間によって書かれたものなのだ。
何れにせよ、著者の名前には惑わされず、常に内容を吟味してみることが、騙されないための一番良い方法だ。メッセージの質を見れば、作者の霊的レベルが分るであろう。
 また、一人の著者のものだとされていても、同じ書物が何人もの手によることもあるのだ。千余年にも亘って原本が偽造・改変されて来て、聖なる仲介者だと勝手に名乗りを挙げる者の利益となって来たのだ。
それ故、ある段落は霊的に進化した者によって書かれたが、その次のものは詐欺師の手によるということもあり、偉大な真実のすぐ脇に大嘘が書かれている可能性もある。
そして真実は、徹底的に中味を分析して、「麦殻」を捨て「麦粒」だけを集めることによってのみ知り得ることが出来るのだ。

ギリェム: 地球には多くの宗教がありますが、その多くが一神教で、かなり厳しい戒律を設けています。権威者によるとそれは神の意志だそうですが、それをどう思われますか?

イザヤ: 魂の「自由意志の法則」を尊重せず、権力者の見解による教義を押付けて成り立つ学説や宗教は全て本物とは言えないし、神や高次の霊性からの恩寵だと看做すことも出来ない。
従って、これらの宗教の権威者達を、真の霊道の導き手だとは看做せない。何故なら、霊性の指導者は、絶対に力を行使したり操ろうとすることがなく、特定の掟を強要することもないからだ。

ギリェム: 地上の宗教は、神の意志を代弁してはいないので、本物ではないと言われるのですか?

イザヤ: 全ての宗教には、高次の存在から閃きを得た真実の一部と多くの虚偽とがあるのだが、後者は、地上の利益に左右された者達が付け加えたのだ。

ギリェム: 例を示して下さいますか。

イザヤ: 宜しい。例えば、旧約聖書の中の十戒はかなり的を得た規律であり、霊的に進化した存在の教えに忠実だ。
十戒の一つに「汝殺す勿れ」がある。それなのに同じ旧約聖書の中には、神と称する者が、仮定上の「約束の地」を征服するために、イスラエルの民を他民族の攻撃に派遣するくだりがあるのだ。
 当然だが、このような戦闘では、人々はお互いに戦って人を殺す羽目になるのだ。つまり、そのくだりが本当であるなら、神が民に「殺せ」と命じたのだと推測出来るのである。その場合、この(殺せという)メッセージは、最初の「殺す勿れ」と矛盾する。
 それでは、この明らかな逆説をどう解決すべきだろうか?
神が矛盾したことを言ったのだろうか。でも、桁外れに進化した存在に、それは認め難いであろう。
それなら、二つの指示は其々異なる動機を持った別々の者に由来するのだ、と認める必要があるのではなかろうか。
では、「殺すな」というメッセージと、「殺せ」というメッセージとでは、どちらが常識的に見て、霊的に進化したものだと言えるだろうか。

ギリェム: 僕にとっては、「殺すな」の方ですが。

イザヤ: この教えが高次の霊性からであることを認めるのであれば、その反対のものは同じ源から生じてはいないのだ。

ギリェム: では、何処で生れたのでしょうか?

イザヤ: 侵略に興味があった者達によるのだ。

ギリェム: でも、それは過去の事例ですから。

イザヤ: 現在でも同じことが繰返されているのだよ。
表向きは熱心な神の信奉者とされ、何時も「神のご加護がありますように」という言葉で演説を終らせているのに、自国民を他国の侵略に派遣するのを厭わないリーダーが、現在の地球上には沢山いやしないだろうか。
何百万もの死者を出し、何百万もの家庭を何世代にも亘って破壊しているのに、聖書の詩篇や「神を信じる」、「神は我々と共に!」などの言葉を、自分達の行為を正当化するために利用してはいないだろうか。
 はっきり言っておこう。 神や高次の霊性を持つ存在は、紛争の一方の側を味方することはしないし、如何なる侵略も征服も支持することはないのだ。
もしそうするのであれば、神自身が、宇宙に設けた諸法則の一つの「愛の法則」を侵すことになるからだ。
 前述のような人達は、ユダヤ教徒やキリスト教徒が守るべきだとされる「主の名を妄りに唱えてはならない」という戒律を侵しているのだ。
それなのに、恰も神が、神の子を蹂躙することに同意したかの如く、その名を利用して、自分達の非道を正当化しようとしているのだ。
これが、神の名を妄りに唱えるということで、一部の者が思っているように、俗っぽい話の中で「神」という言葉を使用することではない。

ギリェム: それでは、神によって選ばれた民ということについてはどうですか?

イザヤ: 神に優先される民族や人間などは存在しない。神や高次の霊性は、他の者を虐げて特定の民族や人種と特別に結びつくことなどはせず、全ての人に進化の計画を推し進めるように呼び掛けるのであり、それに協力したいかどうかを決めるのは、各魂である。
 勿論、神の法則に従うようにと、誰にも強いられることはない。
望みとあらば、各人の意志と能力に応じて、個人や集団での人類の進化計画で、具体的な役割を果す約束をすることが可能だ。これが、魂の選択なのである。
 故に「選ばれし者」とは、自分の内面を高次の霊性に開き、「愛の法則」に従った人生を送る約束をした者に過ぎず、それによって、自分を成長させるだけではなく、未だこの呼び掛けに心を許していない者の手本となるのである。

ギリェム: そのように、霊的な世界からの呼び掛けに心を開く人達は、神秘主義者や預言者と関係があるのでしょうか?

イザヤ: 霊界との直接的な交信は、ごく一部の人達だけの特権ではないのだよ。
既に言ったことだが、全員が個々に、神や高次の霊性や自分のガイドとの直接的な繋がりを持っていて、其々が独自の方法で、それを体験して行くのだ。
 大切なのは、誠実に謙虚にコンタクトを求めるということと、魂を成長させるという目的が、探求の動機付けであることだ。
もしそうであれば、各人に、其々が必要としているものが与えられるであろう。
体験の華々しさが重要なのではなく、その経験を、欠点を正当化するためにではなく、愛に於ける進歩のために役立てることが大切なのだ。
 不幸なことに、「アセンデッドマスター」やその手の重要な人物だと思われたいという欲望から、自己暗示による経験を本物だと思い込み、他の人を騙してしまうような人が沢山いる
また、本当の霊的な交信をした後で、その経験を、自己進化や他者の援助に活かす代りに、偉ぶって、自分は優れていると思い込み、他者に神の如く扱われることを要求する人もいる
自分をどう改善するかを追求するよりも、他者の称賛を求めてしまうのは、虚栄心からの欠点だ。残念だが、これは君達の世界ではごく頻繁に見られる現象だ。
                         (続く)

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ナザレのイエス イザヤ(3)

ヴィセント ギリェム 「魂の法則」 小坂 真理 訳
http://www.uv.es/vguillem/Tamashii_no_Housoku.pdf
〔抜粋〕

・ イエスの地上での使命

ギリェム: 霊的な観点からは真実ではなく、イエスの死後に付け加えられたキリスト教の信念を幾つか挙げて頂けますか。

イザヤ: 沢山あるが、霊的進歩に一番悪い影響を及ぼす、最も重要なものを挙げてみよう。

1) 宗教的儀式の執り行いに道義的・精神的な何らかの価値があり、死後に天国での特権的地位の確保に役立つという信心。

2) 聖書や他の聖典が神の御言葉であるという信念。

3) 教会や聖職者が、地上における神の仲介者だと信じること。

4) 悪業を清算するには、告白が必要であり、司祭から免罪されれば解消されると信じること。

5) 最期に後悔すれば罪が贖われる、という信念。

6) イエスは十字架上で死ぬことで、人類の罪を贖ったと信じること。

7) 原罪への信念。

8) 性が何か罪深いものだと信じること。

9) ただ一度の人生で、魂の行く末が永遠に決められる(救われる者には永遠の天国と栄光が約束され、罪人には永遠の地獄と罰が待ち受ける)と信じること。

10) キリスト教徒と信者だけが救われるという信念。

11) 肉体の蘇りを信じること。


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ナザレのイエス イザヤ(2)

ヴィセント ギリェム 「魂の法則」 小坂 真理 訳
http://www.uv.es/vguillem/Tamashii_no_Housoku.pdf
〔抜粋〕

・ イエスの地上での使命

ギリェム: イエスについて最初に話された時に、彼の本来のメッセージには多くの付け加えがされて、伝えたかったことを歪めてしまった、と言われましたね。当初の教えと、後世の追加事項とを、どうやって見分けるのですか。

イザヤ: ごく単純に、「魂の法則」に反するメッセージはどれもイエスの教えではない、ということになる。イエスはこれらの法則を熟知しており、聞く耳を持つ者に伝達しようとしたのだ。

ギリェム: イエスの真の教えの中で、最も大切なものを幾つか挙げて頂けますか。
 
イザヤ: 勿論だ。
(註: 原文には以下の各項目について、聖書の章句が複数引用されていますが、クリスチャンでない者には煩雑なだけです。必要な方だけ「全文(続きを読む)」からご覧下さい)

1.全ての人間は、人種を問わず、性別や宗教を問わず、同じ本質である。即ち、皆、進化途上の魂であり、それ故、兄弟である。

2.魂の生命は永遠であり、死は存在しない。

3.地上の人間の務めは、無条件に愛することを学び、我欲から解放されることだ。
魂がどれだけ成長したかは、愛の力量だけで量られる。愛が我々を進化させる、つまり、神へと近づけるのである。

4.霊的進化は、自分自身の努力に掛かっている。人間の死後の運命は、生存中の「愛の法則」に基づいた行為、あるいは反した行為によってのみ、決定される。

5.各人は、それぞれ神との独自の繋がりがあるので、仲介者に依存して霊界と交信すべきではない。

6.魂の成長は、ただ一度の肉体生では終らず、高度な霊性を獲得するには、多数の転生が必要となる。

7.「霊的裁きの法則」または「原因-結果の法則」。自分が蒔いたものを収穫する。

8.他にも人が住んでいる世界はあり、ここと同じ目的がある。即ち、霊性進化の学校として役立つことだ。



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ナザレのイエス イザヤ(1)

ヴィセント ギリェム 「魂の法則
http://www.uv.es/vguillem/Tamashii_no_Housoku.pdf
〔抜粋〕

・ イエスの地上での使命

ギリェム: ナザレのイエスについて聞きたいことを言います。彼が本当のところ誰だったのか、地上での使命があったのだとしたら、それが何だったのか知りたいのです。

イザヤ: 良かろう。生れてから二千年も経つのに、彼のメッセージはまだ正しく理解されてはいないのだ。

ギリェム: どういう意味ですか。

イザヤ: 彼の死後、恰も彼のものであるかのように、無数の付け足しが盛込まれて行って、携えられた教えの本来の意味が徐々に歪められてしまったのだ。
イエスの使命を理解するには、彼が言ったように、「麦粒」と「麦殻」、つまり真実と偽りとを区別する必要があるのだ。

ギリェム: それで、彼の任務は何だったのですか。何をしに来たのですか。

イザヤ: 霊的進化の道を教えに来た。「魂の法則」を教えに来たのだ。
中でも「愛の法則」の伝道に力を注ぎ、「汝の隣人を自分の如く愛しなさい。汝の敵を愛しなさい」という無条件の愛のメッセージを齎した。

ギリェム: ナザレのイエスは、神自身の生れ変りだったのですか、それとも神の子だったのですか。

イザヤ: ナザレのイエスは、非常に進化した魂が転生したものだった。

ギリェム: では、神の生れ変りではなかったのですね。

イザヤ: そう、神の生れ変りではなかった。彼は、自分が神であるなどと、一度も言ったことがなかった。そう断定したのは、イエスの後にやって来た別の者達だ。

ギリェム: 少なくとも、神の子ではあったのですね。

イザヤ: そう、君達と同じように真の神の子だ。違いと言えば、彼はそれを自覚していたが、その他の人達には自覚がない、ということだけだ。

ギリェム: それなら、イエスはそれほど超自然的でも神聖な存在でもなく、僕達のように只の人間だったのですか。

イザヤ: 君達のように正真正銘の人間だったが、もっと高度に進化していた。進化することで段々と神に近づけると理解するなら、イエスは君達よりも神に近かったと言えよう。

ギリェム: でしたら、僕達も進化すれば、イエスが転生した時の進化レベルに到達出来るのでしょうか。

イザヤ: そうだ。しかも、同じレベルに限らず、もっとずっと高いレベルに達することも可能だ。霊的進化の工程は、止まるところがないのだ。だが、それが唯一度の肉体生では無理なのは明らかだ。
イエスと同じ域に至るには、君達も多数の転生をして、無数の体験をする必要があろう。
それに、君達がそこに達する頃には、イエスも他の全ての魂と同じように進化を続けているので、更に高いレベルに進んでいるであろう。

ギリェム: イエスも進化するために、輪廻のサイクルを経験しなければならなかった、と仄めかしているのですか。それは、かつては僕達のように全くの未熟者だった、という意味ですか。

イザヤ: そう示唆しているのではなく、断定しているのだ。
イエスも君達と同じように、物的世界での経験を通して改善せねばならなかった。そして、自分の意志力と個人的な努力によって、地上で果した任務を遂行する上で求められた進化のレベルに至ったのだ。
君達はイエスが行なったことに強い衝撃を受けたが、それを殆んど理解することが出来なかった。

ギリェム: イエスは、進化を続けるために、肉体に宿って十字架上で死ぬ必要があったのでしょうか。

イザヤ: いや、既に何のカルマも負債も背負っていなかったので、その必要はなかった。
あれほど酷な最期を迎える必要もなく、自己進化を継続出来たであろう。だが、それがどんな影響を齎すかを知っていたので、好んでそうしたのだ。
 イエスが偉大なのは、カトリック教会があれほど強調して来たように、十字架にかかって死んだことではない。
もしもそれがイエスの功績なのだとしたら、その時代にはそれが罪人の処刑法だったので、同じ形で死んだ何十万人の人々にも、功績を認めなければならないだろう。
 イエスの最大の功績は、携えて来た愛のメッセージを布教した果敢さと勇気にあるのだ。
そうすることで、多大な苦悩や死さえも被ることを知っていたにも拘らず、誰の脅しにも屈せず、自分の考えを変えることがなかった。

ギリェム: では、何のためにそうしたのですか。

イザヤ: 後進の同胞への愛のためだ。イエスのように無条件の愛を知った魂は、償いの必要性のためではなく、遂行せねばならぬ任務のために行動するのだ。通常それは、どのように愛をもって生きるかの手本を示すことと関係している。
 魂は、ある段階からは、愛だけを動機として行動する。多くの魂が、発展の遅れた世界への転生を希望し、後輩を支援して愛に生きることで、もっと速く幸福に到達出来るようにする。
 この場合に遭遇するネガティブな状況は、贖罪のためではなく、霊的に劣った世界自体に元来備わっているものだ。
だが彼等は、苦痛も死も怖れていないので、そのような苦悩を味わうことや殺されることすら厭わない。
高次に進化しているので、死が存在しないことを知っており、肉体の命は魂の命のほんの一瞬に過ぎない、と分っているのだ。

ギリェム: では、劣った世界に転生する高次の魂が、学ぶためにではなく、教えるためにだけやって来るのだとしたら、その人生では余り進化出来ないのでしょうね。

イザヤ: いや、そうではなく、人生の如何なる試練からも学び取ることが出来るので、教えるためだけではなく学ぶためにもやって来るのだ。そして、自己の愛と理解の度量を常に試されることになるので、自分と同等レベルの世界にいるよりも、速く進化出来るようになるのだ。
 更に、愛に満ちた環境では露呈せず、極限状況でなければ表面化しないような、奥深く隠れた自分の欠点を浮き立たせてくれる。こうして、欠点を改善する機会が得られるので、我欲を除去する面で前進出来るのだ。

ギリェム: イエスの話に戻りますが、彼は何処からも援助を受けずに、独りで仕事をしたのですか。

イザヤ: 人が愛に突動かされて尽す時には、更に進化した霊的存在からの影響を受けるに相応しくなる。イエスの場合は、その中でもロゴス・キリストに影響された。

ギリェム: ロゴス・キリストとは誰ですか。

イザヤ: 君達の惑星の進化の最高責任者(註: 進化の司)となる霊的な存在だ。

ギリェム: でしたら、聖なる三位一体の三人とは、神とキリストとイエスなのですか。

イザヤ: それは分らない。そう言い出した人達でさえ、それが何を意味しているのか知りはしないと思うからだ。
断言出来るのは、神が唯一であることと、キリストとイエスが、神とは異なる別々の存在であることだ。それゆえ、彼らは神でも神の顕現でもないが、御心と調和しているので、神の代理人とか神の使者、などと捉えることは可能だろう。つまり、彼等は「愛の法則」を遵守する者で、進化の計画に自主的に参加しているのだ。

ギリェム: キリストはイエスを通してどのように行動したのですか。

イザヤ: イエスはある時点から人生の最後の数年間は、ロゴス・キリストからインスピレーションを与えられ、励まされて行動した。実際、イエスが任務を完了出来るためには、その必要があったのだ。

ギリェム: でしたら、話をしていたのはイエスですか、それともキリストですか。

イザヤ: 二人で行動していたと言っておこう。キリストからインスピレーションを与えられて、イエスが話していたのだ。だが、イエスは決して自分の意識や個別性を失わなかったし、自由意志を失いもしなかった。

ギリェム: イエスは、地上に再び生れ変るでしょうか。

イザヤ: ロゴス・キリストは必要とあらば、人間の進化段階にいる魂を転生させて、何時でもそれに顕現するだろう。
イエスの前にもそうしたことはあるし、地球の霊的進化が求めるなら、今後も再びそうするであろう。転生するのがイエスであるか、別の似たような進化程度の者であるかは重要ではない。
 予め言って置けるのは、新たな救世主・預言者・アバターなどとして生れ変る際には、キリスト教徒が待望むように、茨の冠に十字架を背負ったナザレ人としてではないし、釘で血に塗れた手もしてはいないということだ。
 外見的には、普通の人であろうが、通常の域を超える愛と霊的叡智の能力を備えていることだろう。だがそれは、隣人愛のメッセージと霊性進化と同調出来る者にしか感知されないのだ。
またイエスが現代に転生した場合に、最初に彼を攻撃して布教させまいと、あらゆる手段を講じるのは、イエスを旗印にしている教会そのもののお偉いさん方だろう。
何故なら、彼の教えが地球の人類の心に浸透してしまえば、彼等が宗教的貴族でいられる日々も数えるほどとなり、凡人に帰してしまうからだ。


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ナザレのイエス シルバー・バーチ(2)

シルバーバーチの霊訓」― 地上人類への最高の福音
トニー・オーツセン(編) 近藤 千雄(訳) サイキックプレス社
10章 幼児期を過ぎれば、幼稚なオモチャは片づけるものです
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/sb-seed/sb-seed-10.htm

〔抜粋〕
 ある日の交霊会で、一牧師からの投書による質問が披露された。
“シルバーバーチ霊はイエスを宇宙機構の中でどう位置づけておられるのでしょうか。
また〈人間イエス〉と〈イエス・キリスト〉とは、どこがどう違うのでしょうか”というのがそれである。
これに対してシルバーバーチはこう答えた。

 「ナザレのイエスは、地上へ降誕した一連の予言者ないし霊的指導者の系譜(メルキゼデク→モーセ→エリヤ→エリシャ→イエス)の、最後を飾る人物でした。そのイエスにおいて、霊の力が空前絶後の顕現をしたのでした。(モーゼスの『霊訓』の中でもインペレーター霊が全く同じことを述ベている)
 イエスの誕生には何のミステリーもありません。その死にも何のミステリーもありません。他の全ての人間と少しも変らない一人の人間であり、大自然の法則に従ってこの物質界へやって来て、そして去って行きました。
 が、イエスの時代ほど霊界からのインスピレーションが大量に流入したことは、前にも後にもありません。
イエスには使命がありました。それは、当時のユダヤ教の教義や儀式や慣習、あるいは神話や伝説の瓦礫の下敷きとなっていた基本的な真理の幾つかを掘起すことでした。
 そのために彼は、先ず自分へ注意を引くことをしました。
片腕となってくれる一団の弟子を選んだ後、持前の霊的能力を駆使して、心霊現象を起して見せました。イエスは霊能者だったのです。
今日の霊能者が使っているのと全く同じ霊的能力を駆使したのです。
偉かったのは、それを一度たりとも私的利益のために使わなかったことです。
 又その心霊能力は法則どおりに活用されました。奇跡も、法則の停止も、廃止も、干渉もありませんでした。心霊法則に則って演出されていたのです。
そうした現象が人々の関心を惹くようになると、今度は、人間が地球上で生きて来た全世紀を通じて数々の霊覚者が説いて来たのと同じ、単純で、永遠に不変で、基本的な霊的真理を説くことを開始したのです。
 それから後のことはよく知られているとおりです。
世襲と伝統を守ろうとする一派の憤怒と不快を買うことになりました。
が、ここで是非ともご注意申し上げておきたいのは、イエスに関する正しい記録は極めて乏しいのですが、その乏しい記録に大変な改竄が為されていることです。
 随分多くの、ありもしないことが書き加えられています。
従って聖書に書かれていることには、マユツバものが多いということです。出来過ぎた話は皆割り引いて読まれて結構です。実際とは違うのですから……。
 もう一つのご質問のことですが、ナザレのイエスと同じ霊、同じ存在が今なお地上に働きかけているのです。
死後更に開発され威力を増した霊力を駆使して、愛する地上人類のために働いておられるのです。
イエスは“神”ではありません。全生命を創造し人類に神性を賦与した、宇宙の大霊そのものではありません。
 幾ら立派な地位(くらい)ではあっても、本来全く関係のない地位に祭り上げることは、イエスに忠義を尽す所以とはなりません。
父なる神の右に座しているとか、“イエス”と“神”とは同一義であって、置替えられるものであるなどと主張しても、イエスは少しも喜ばれません。
 イエスを信仰の対象とする必要はないのです。イエスの前に膝を折り、平身低頭して仕える必要はないのです。
それよりも、イエスの生き方を自分の生き方の手本として、更にそれ以上のことをするように努力することです。

 以上、大変大きな問題について、ほんの概略を申し上げてみました」

 メンバーの一人: 「“キリストの霊”Christ Spirit とは何でしょうか?」

 「ただの用語に過ぎません。その昔、特殊な人間が他の人間より優秀であることを誇示するために、聖なる油を注がれた時代がありました。
それは、たいてい王家の生れの者でした。“キリスト”という言葉は“聖油を注がれた”という意味です。それだけのことです」

 「イエスが霊的指導者の中で最高の人物で、模範的な人生を送ったというのが、私には理解出来ません」

 「私は決してイエスが完全な生活を送ったとは言っておりません。
私が申し上げたのは、地上へ降りた指導者の中では最大の霊力を発揮したこと、つまりイエスの生涯の中に空前絶後の強力な神威の発現が見られるということ、永い霊覚者の系譜の中で、イエスにおいて霊力の顕現が最高潮に達したということです。
イエスの生活が完全だったとは一度も言っておりません。
それは有り得ないことです。何故なら、彼の生活も当時のユダヤ民族の生活習慣に合せざるを得なかったからです」

 「イエスの教えは最高であると思われますか」

 「不幸にして、イエスの教えはその多くが汚されております。
わたしはイエスの教えが最高であるとは言っておりません。
私が言いたいのは、説かれた教えの精髄(エッセンス)は他の指導者と同じものですが、たった一人の人間があれほど強力に、そして純粋に心霊的法則を使いこなした例は、地上では空前絶後であるということです」

 「イエスの教えがその時代の人間にとっては進み過ぎていた ― だから理解出来なかった、という見方は正しいでしょうか?」

 「仰る通りです。ランズベリーやディック・シェパードの場合と同じで(※)、時代に先行し過ぎた人間でした。時代というものに、彼等を受入れる用意が出来ていなかったのです。
それで結局は、彼等にとって成功であることが時代的にみれば失敗であり、彼等にとって失敗だったことが時代的には成功ということになったのです」

※ ― George Lansbury は1931年~35年の英国労働党の党首で、その平和主義政策が純粋過ぎたために挫折した。第二次大戦勃発直前の1937年にはヨーロッパの雲行きを案じて、ヒトラーとムッソリーニの両巨頭の元を訪れるなどして戦争阻止の努力をしたが、功を奏さなかった。
 Dick Sheppard は生前キリスト教の牧師だったこと以外は不明。なおこの当時、二人共シルバーバーチ霊団のメンバーだったことは他の資料によって確認されている。

 「イエスが持っていた霊的資質を総合したものが、これまで啓示されて来た霊力の始源であると考えて宜しいでしょうか」

 「それは違います。あれだけの威力が発揮出来たのは、霊格の高さのせいよりも、むしろ心霊的法則を理解し、かつそれを自在に使いこなすことが出来たからです。
 ぜひとも理解して頂きたいのは、その後の出来事、つまりイエスの教えに対する人間の余計な干渉、改竄、あるいはイエスの名の元に行われてきた愚行が多かったにも拘らず、あれほどの短期間に全世界に広まり、そして今日まで生き延びて来れたのは、イエスの言動が常に霊力と調和していた(※)からだということです」

※ ― ここでは背後霊団との連絡が緊密だったという意味。『霊訓』のインペレーター霊によると、イエスの背後霊団は一度も物質界に誕生したことのない天使団、いわゆる高級自然霊の集団で、しかも地上への降誕前のイエスはその天使団の中でも最高の位にあった。
地上生活中のイエスは早くからその事実に気づいていて、一人になると何時も瞑想状態に入って幽体で離脱し、その背後霊団と直接交わって、連絡を取合っていたという。

 かつてメソジスト派の牧師だった人が尋ねる ―― 。

 「いっそのこと世界中に広がらなかった方が良かったという考え方も出来ませんか?」

 「愛を最高のものとした教えは立派です。それに異議を唱える人間はおりません。愛を最高のものとして位置づけ、故に愛は必ず勝つと説いたイエスは、今日の指導者が説いている霊的真理と同じことを説いていたことになります。
教えそのものと、その教えを取違え、しかもその熱烈な信仰によって反ってイエスを磔刑(はりつけ)にするような間違いを何度も犯している信奉者とを混同しないようにしないといけません。
 イエスの生涯を見て、わたしはそこに物質界の人間として最高の人生を送ったという意味での完全な人間ではなく、霊力との調和が完璧で、かりそめにも利己的な目的のためにそれを利用することがなかった ― 自分を地上に派遣した神の意志に背くようなことは絶対にしなかった、という意味での完全な人間を見るのです。
イエスは一度たりとも、自ら課した使命を汚すようなことはしませんでした。強力な霊力を利己的な目的のために利用しようとしたことは一度もありませんでした。霊的摂理に完全に則った生涯を送りました。

 どうもうまく説明出来ないのですが、イエスも、生を享けた時代とその環境に合せた生活を送らねばならなかったのです。その意味では完全では有り得なかったと言っているのです。
そうでなかったら、自分よりもっと立派な、そして大きな仕事が出来る時代が来るとイエス自身が述べている意味がなくなります。
 イエスという人物を指さして“ご覧なさい。霊力が豊かに発現した時は、これほどの仕事が出来るのですよ”と言える、そういう人物だったと考えればよいのです。
信奉者の誰もが見習うことの出来る手本なのです。しかもそのイエスは、私達の世界に於いても今、私の知る限りでの最高の霊格を備えた霊(※)であり、自分を映す鏡として、イエスに代る霊はいないと考えております。

※ ― 地球神界での話。『ベールの彼方の生活』では“各天体にキリストがいる”と述べられている。要するに神庁の最高位の霊のことで、イエスなる人物はその全てではないが直接の表現だったということであろう。

 私がこうしてイエスについて語る時、私は何時も“イエス崇拝”を煽(あお)ることにならなければ良いが、という懸念があります。
それは、私がよく“指導霊崇拝”に警告を発しているのと同じ理由からです。

 あなたは為すべき用事があってこの地上にいるのです。皆、永遠の行進を続ける永遠の巡礼者です。その巡礼に必要な身支度は、理性と常識と知性を以って行わないといけません。
それは書物からでも得られますし、伝記からでも学べます。
ですから、他人が勧めるから、良いことを言っているから、あるいは聖なる教えだからということではなく、自分の旅にとって有益であると自分で判断したものを選ぶべきなのです。それがあなたにとって唯一採用すべき判断規準です。


 この私とて、無限の叡智の所有者などではありません。霊の世界のことを一手販売している訳ではありません。地上世界のための仕事をしている他の大勢の霊の一人に過ぎません。完全であるとか、間違ったことは絶対に言わない等とは申しません。
 皆さんと同様、私も至って人間的な存在です。ただ、皆さんよりは生命の道をほんの二、三歩先を歩んでいるというだけのことです。
その二、三歩が、私に少しばかり広い視野を与えてくれたので、こうして後戻りして来て、もしも私の言うことを聞く意志がおありなら、その新しい地平線を私と一緒に眺めませんかと、お誘いしている訳です」

 霊言の愛読者の一人から“スピリチュアリストもキリスト教徒と同じようにイエスを記念して〈最後の晩餐〉の儀式を行うべきでしょうか”という質問が届けられた。
これに対してシルバーバーチはこう答えた。

 「そういう儀式(セレモニー)を催すことによって、身体的・精神的・霊的に何らかの満足が得られるという人には、催させてあげれば宜しい。我々としては最大限の寛容的態度で臨むべきであると思います。が、私自身には、そういうセレモニーに参加したいという気持は毛頭ありません。
 イエスご自身も、そんなことをしてくれたからといって、少しも嬉しくは思われません。私にとっても何の益にもなりません。全くなりません。霊的知識の理解によってそういう教義上の呪縛(じゅばく)から解放された数知れない人々にとっても、それは何の益も価値もありません。

 イエスに対する最大の貢献は、イエスを模範と仰ぐ人々が、その教えの通りに生きることです。他人のために自分が出来るだけ役に立つような生活を送ることです。
内在する霊的能力を開発して、悲しむ人々を慰め、病に苦しむ人々を癒し、疑念と当惑に苦しめられている人々に確信を与え、助けを必要としている人々全てに手を差し伸べてあげることです。

 儀式よりも生活の方が大切です。宗教は儀式ではありません。
人のために役立つことをすることです。本末を転倒してはいけません。“聖なる書”と呼ばれている書物から、活字の全てを抹消しても構いません。讃美歌の本から“聖なる歌”を全部削除しても構いません。儀式という儀式を全部欠席なさっても構いません。
それでも尚あなたは、気高い奉仕の生活を送れば立派に“宗教的人間”で在り得るのです。そういう生活こそ、内部の霊性を正しく発揮させるからです。
 私としては、皆さんの関心を儀式ヘ向けさせたくはありません。大切なのは形式ではなく、生活そのものです。
生活の中で何を為すかです。どういう行ないをするかです。〈最後の晩餐〉の儀式がイエスの時代より更に遠く遡る由緒ある儀式であるという事実も、それとは全く無関係です」

 別の日の交霊会でも同じ話題を持出されて――。

 「人のためになることをする ― これが一番大切です。私の意見は単純・明快です。
宗教には“古い”ということだけで引継がれて来たものが多過ぎます。その大半が宗教の本質とは何の関わりもないものばかりです。
 私にとって宗教とは、何かを崇拝することではありません。
祈ることでもありません。会議を開いて考え出した形式的セレモニーでもありません。私はセレモニーには興味はありません。それ自体は無くてはならないものではないからです。
しかし、何時も言っておりますように、もしもセレモニーとか慣例行事を無くてはならぬものと真剣に思い込んでいる人がいれば、それを無理して止めさせる理由はありません。

 私自身としては、幼児期を過ぎれば、幼稚なオモチャは片づけるものだという考えです。
形式を超えた霊と霊との交渉、地上的障害を超越して、次元を異にする二つの魂が波長を合せることによって得られる交霊関係 ― これが最高の交霊現象です。儀式に拘った方法は迷信を助長します。そういう形式はイエスの教えとは何の関係もありません」


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ナザレのイエス シルバー・バーチ(1)

 「イエスは実在しなかったが、モデルとなる人物はいた」と主張する人がいます。
そうかも知れません。しかし、私にとって、そんなことはどうでも良く、ただ、その「教え」に価値があるか否かが問題です。
ある真理を誰が伝えたかは、多少の判断基準にはなりますが、基本的に人物信仰とは無縁です。
 権力の道具と化した現在の「キリスト教」など、「仏教」と同じく「ニセモノ」であることくらい分りきっています。
しかし、それにも拘らず、聖書に垣間見えるその「教え」の内容から見て、アミがいう「愛の伝道者」が実在したことは確実だと思われます。
 この問題に、自分なりにハッキリした決論を出しておくため、ナザレのイエスについて、少し調べてみました。(これも霊学の一部です)
先ずは、キリスト教を徹底的に批判したシルバー・バーチの霊言からです。
 尚、Wikipedia によれば、イエスという名は当時珍しくなく、出身地(この場合はナザレ)を含めた呼び方で区別されていたといいます。
また、イエスの誕生については、、「マルコ」、「マタイ」、「ルカ」、「ヨハネ」の四福音書で記述内容に相違が見られるとかで、冒頭の主張を裏付けているとも言えます。


古代霊は語る」シルバー・バーチの霊訓より 近藤千雄・訳編 (潮文社)
第九章 真理の理解を妨げるもの -宗教的偏見-
http://kokorodou.p-kit.com/page234212.html#link9

英国国教会の流れを汲むメソジスト派の青年牧師とシルバー・バーチの問答 
 〔抜粋〕

牧師: 「キリスト教への信仰をどう思われますか。神はそれを嘉納されるのでしょうか。キリストへの信仰はキリストの行いに倣うことになると思うのですが」

バーチ: 「主よ、主よと、何かと言うと主を口にすることが信仰ではありません。大切なのは主の心に叶った行ないです。それが全てです。口にする言葉や、心に信じることではありません。
 頭で考えることでもありません。実際の行為です。何一つ信仰と言うものを持たなくても、落ち込んでいる人の心を元気づけ、飢える人にパンを与え、暗闇に居る人の心に光を灯してあげる行為をすれば、その人こそ神の心に叶った人です」

 ここで列席者の一人が、イエスは神の分霊なのかと問います。それに対してこう答えます。

バーチ: 「イエスは地上に降りた偉大なる霊覚者だったと言うことです。
当時の民衆はイエスを理解せず、ついに十字架にかけました。いや今なお十字架にかけ続けております。
イエスだけでなくすべての人間に神の分霊が宿っております。ただその分量が多いか少ないかの違いがあるだけです」

牧師: 「キリストが地上最高の人物であったことは全世界が認めるところです。それ程の人物が嘘をつく筈がありません。
キリストは言いました。“私と父は一つである。私を見たものは父を見たのである”と。これはすなわちキリストが神であることを述べたのではないでしょうか」

バーチ: 「もう一度聖書を読み返してご覧なさい。“父は私より偉大である”と言っていませんか」

牧師: 「言っております」

バーチ: 「また“天に在します吾等が父に祈れ”とも言っております。“私に祈れ”とは言っておりません。父に祈れと言ったキリスト自身が“天に在します吾等が父”であるわけがないでしょう。“私に祈れ”とは言っておりません。“父に祈れ”と言ったのです」

牧師: 「キリストは“あなた達の神”と“私の神”と言う言い方をしています。“私達の神”とは決して言っておりません。ご自身を他の人間と同列に置いていません」

バーチ: 「“あなた達の神と私”とは言っておりません。“あなた達は私より大きい仕事をするであろう”とも言っております。あなた方キリスト者にお願いしたいのは、聖書を読まれる際に何もかも神学的教義に合わせる様な解釈をなさらないことです。
 霊的実相に照らして解釈しなくてはなりません。存在の実相が霊であると言うことが宇宙の全ての謎を解くカギです。イエスが譬え話を多用したのはその為です」

牧師: 「神は地上人類を愛するが故に息子を授けられたのです」

バーチ: 「イエスはそんな事を言っておりません。イエスの死後何年もたってから二ケーア会議でそんなことが聖書に書き加えられたのです」

牧師: 「ニケーア会議?」

バーチ: 「西暦三二五年に開かれています」

牧師: 「でも私が引用した言葉はそれ以前からあるヨハネの福音書に出ていました」

バーチ: 「どうしてそれが分かります?」

牧師: 「いや、歴史にそう書いてあります」

バーチ: 「どの歴史ですか」

牧師: 「どれだかは知りません」

バーチ: 「ご存じの筈がありません。一体聖書が書かれる、その元となった書物は何処にあるとお考えですか」

牧師: 「ヨハネ福音書はそれ自体が原典です」

バーチ: 「いや、それよりもっと前の話です」

牧師: 「聖書は西暦九十年に完成しました」

バーチ: 「その原典になったものは今どこにあると思いますか」

牧師: 「いろんな文書があります。例えば・・・」と言って一つだけ挙げます。

バーチ: 「それは原典の写しです。原典は何処にありますか」

 牧師がこれに応えきれずにいると・・・

バーチ: 「聖書の原典はご存じのあのバチカン宮殿に仕舞い込まれて以来一度も外へ出されたことが無いのです。あなた方がバイブル(聖書)と呼んでいるものは、その原典の写し(コピー)の写しのそのまた写しなのです。おまけに原典にないものまでいろいろと書き加えられております。
 初期のキリスト教徒はイエスが遠からず再臨するものと信じて、イエスの地上生活のことは細かく記録しなかったのです。
ところが、何時に成っても再臨しないので、ついに諦めて記録を辿りながら書きました。
イエス曰く・・・と書いてあっても、じっさいに言ったかどうかは書いた本人も確かではなかったのです」

牧師: 「でも、四つの福音書にはその基本となったいわゆるQ資料(イエス語録)の証拠が見られることは事実ではないでしょうか。中心的な事象はその四つの福音書に出ていると思うのですが」

バーチ: 「私は何もそうしたことが全然起きなかったと言っているのではありません。私はただ聖書に書いてあることの一字一句までイエスが本当に言ったとは限らないと言っているのです。
聖書に出てくる事象には、イエスが生れる前から存在した書物からの引用が随分入っていることを忘れてはいけません」

 こうした対話から話題は苦難の意義、神の摂理、と進み、その間に細かい問題も入りますが、それらは既に前章までの紹介したことばかりなので割愛します。ともかくここで第一回の論争が終り、何日か後に再びその牧師が出席して再び論争が始まります。

 最初の質問は、地上の人間にとって完璧な生活を送ることは可能か否か、全ての人間を愛することが出来るか否かと言った、いかにも聖職者らしいものでした。シルバーバーチは答えます。

バーチ: 「其れは不可能なことです。が、そうした努力をしなくてはいけません。努力することそのことが、性格の形成に役立つのです。
怒ることなく、辛く当たることなく腹を立てる事も無いようでは、最早人間でないことに成ります。人間は霊的に成長する事を目的としてこの世に生れて来るのです。成長又成長と、何時まで経っても成長の連続です。それはこちらへ来ても同じです」

牧師: 「イエスは“天の父が完全である如く汝も完全であれ”と言っておりますが、これはどう解釈すべきでしょうか」

バーチ: 「だから完全であるように努力しなさいと言っているのです。それが地上生活における最高の理想なのです。即ち内部に宿る神性を開発することです」

牧師: 「私が引用した言葉はマタイ伝第五章の終りに出ているのですが、普遍的な愛について述べた後でそう言っているのです。
また“ある者は隣人を愛し、ある者は友人を愛するが、汝等は完全であれ。神の子なればなり”と言っています。
 神は全人類を愛して下さる。だから我々も全ての人間を愛すべきだと言うことなのですが、イエスが人間に実行不可能なことを命じるとお思いですか」

 この質問にシルバーバーチが呆れたように、あるいは感心したような口調で、少し皮肉を込めてこう言います。

バーチ: 「あなたは全世界の人間をイエスのような人間にしようとなさるんですね。お聞きしますが、イエス自身、完全な地上生活を送ったとお考えですか」

牧師: 「そう考えます。完全な生活を送ったと思います」

バーチ: 「一度も腹を立てたことが無いとお考えですか」

牧師: 「当時行なわれていたことを不快に思われたことはあると思います」

バーチ: 「腹を立てたことは一度も無いとお考えですか」

牧師: 「腹を立てる事はいけないと説かれている、それと同じ意味で腹を立てたことはないと思います」
「そんなことを聞いているのではありません。イエスは絶対に腹を立てなかったかと聞いているのです。イエスが腹を立てたことを正当化出来るかどうかを聞いているのではありません。正当化する事なら、あなた方はどんなことでも正当化なさるんだから・・・」
 
 ここで列席者の一人が割って入って、イエスが両替商人を教会堂から追出した時の話を持出します。

バーチ: 「私が言わんとしたのはそのことです。あの時イエスは教会堂と言う神聖な場所を汚す者どもに腹を立てたのです。鞭を持って追払ったのです。それは怒りそのものでした。それが良いとか悪いとかは別の問題です。イエスは怒ったのです。
怒ると言う事は人間的感情です。私が言わんとするのは、イエスも人間的感情を具えていたと言うことです。
 イエスを人間の模範として仰ぐ時、イエスも又一個の人間であった・・・ただ普通の人より神の心を多く体現した人だった、と言う風に考えることが大切です。ありもしないことを無理にこじつけようとするのは良くありません。分りましたか」

牧師: 「分りました」

バーチ: 「誰の手も届かない処へ祭り上げたらイエス様が喜ばれると思うのは大間違いです。イエスもやはり自分達と同じ人間だったと見る方がよほど喜ばれる筈です。自分だけ超然とした位置に留まることをイエスは喜ばれません。人類と共に喜び、共に苦しむことを望まれます。
 一つの生き方の手本を示しておられるのです。イエスに出来る事は誰にも出来ることばかりなのです。誰もついて行けないようだったら、折角地上に降りたことが無駄だったことになります」


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プロフィール

日月の民草

Author:日月の民草
 ハンドルネーム666です。

五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。
六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、
六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、
666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。
(五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第15帖)

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